第48話  緋奈藍李の憂鬱な日常

「緋奈藍李……さん! 俺と付き合ってください!」


 一年生が今日から林間学校で本校から離れ、そろそろ目的地に着いたであろう頃、私は本日も結果が分かり切っている告白を受けていた。


「ごめんなさい。貴方とは付き合えないわ」


 面倒だけど律儀に頭を下げて、ひどく不快だけど誠実さを貫いて、私は下心全開の同じ学年の名前も知らない男子を振った。


 私からの返答もおおむね分かっていたのだろう。特に落ち込む様子のない彼は、私が頭を下げるのと入れ違うように頭を上げた。


「そのさ、なんでダメか理由を聞いていいかな?」

「――?」


 おずおずとそう尋ねてきた彼に私は小首を傾げる。

 戸惑う私を余所に、彼は一方的に自分の美点を語り始めた。


「その、自分で言うのもあれだけど、俺、顔は整ってる方だと思うんだよ! 成績だって悪くない。部活で結果だって残してて、一応、三年生が引退したら主将になる予定なんだ……」

「……はぁ」


 照れながら言うことかそれ。


 いや、実際には照れていない。これはいわゆる、『俺って実は優秀なんだよねキミの前では謙虚けんきょだけど』アピールだ。


 私も大概嘘つきだから、それ故に他人の嘘が見抜ける。望まぬ才能とはまさにこのこと。


 そしてどうやら私に告白してきた彼は、『僕は優秀だからキミと釣り合うよね、だから付き合おうよ』と遠回しに伝えているらしい。


『例え私と釣り合う相貌や才能があったとしても、そもそも名前も知らない相手からの告白なんて受け入れる気なんてないわよ。悍ましい』


 しかも顔がいいからなんだ。私はその気なら宇宙人だって愛せるわよ。

 そんな私の胸中での嘆息は相手に届くことはなく、虚しいかな彼の一人語りが続く。


「たしかに部活は忙しいしデートだって満足にはできないからもしれない! でも、キミのことは最優先にする!」

「じゃあ、もし私が付き合う代わりにバスケ部を辞めて、という条件を提示したら?」

「……それはっ。……ごめん。僕はどっちも大切にしたい」


 できない時点で最優先じゃないわよ。しゅうくんを見習え。彼はいつだって私最優先だ。私を何かと比べたり、優劣をつけたりしないのだから。


 この時点で彼に対する好意は激減……もとよりゼロに等しいけど、これで完全についえた。


「仮にも交際する者同士として、譲歩すべきものは譲歩すべきと思わない?」

「っ! キミからすればたかがバスケと思うかもしれない! でも、俺にとってはバスケだってキミと比べられないくらい大事なものなんだ!」


 じゃあもうバスケと付き合え。いいじゃない。平日も休日もずっと一緒にいられるわよ。ただその絵面はあまりに虚しいけれど。


 こんな下らない押し問答(というより男性側の主張を聞くだけ)もそろそろ飽きた。貴重な昼休みがことごく浪費されていくのも惜しい。


 なので、そろそろ幕引きにしよう。


「貴方がどれほど私を説得しようとも結果は変わりません。私に対する好意を、他の子に移せたら貴方はきっと幸せになると思うわ」


 語勢の弱まった隙を見逃さず、私は彼に対する決定的な拒絶を態度で示す。


 この自称イケメンで未来のバスケ部主将なら既に数名のファンか恋慕を抱く取り巻きはいるだろう。彼はそういう人たちと結ばれるべきだと思う。


 こんな、最初から貴方のことを見向きもしていない女といることを望むよりも、その子たちといるほうが、ずっと賢明だしその方が幸せになれるはずだ。


「告白してきてくれたことはありがとう。そしてごめんなさい」


 最後にもう一度だけ頭を下げた。それは私との告白における終幕の合図だ。

 これで彼は哀愁漂う背中を私に向けながら教室に戻っていくはず――しかし、


「頼むからもう少しだけ考えてくれ――」

「――っ! しつこ……」


 今回の相手はどうやら自分に相当自信があったようで、諦め悪く食い下がってきた。


 こういう事はこれまでも何度かあったから、その対応も完璧できたはず――それなのに、私は唐突に胸に渦巻いた激情を制御しきれず声を荒げようとした。自分でも理解できない感情が暴発する――その、刹那だった。


「はいはーい! 本日の藍李ちゃんへの告白タイムはここでしゅうりょ~!」

「惜しくも振られてしまった挑戦者チャレンジャーにはまた次回に期待しましょ~! 次回なんてないけどな!」

「心寧! 鈴蘭!」


 突如として現れた友人たちに、私の胸中に込み上がった激情はたちまち霧散した。


 安堵を表情に濃く浮かべた私に二人はウィンクを向けたあと、「は? え?」と戸惑う男子生徒の手を拘束して強制的にこの場から退出させた。


「次、藍李にしつこく迫ったら女子の裏アカでお前のこと晒すからな」

「そーしたらお前、この学校に居場所ねぇから」

「ひぃっ⁉ す、すいませんでしたー!」


 おまけに脅迫までしてくれた。


 尻尾をいて逃げる男子生徒に心寧と鈴蘭の二人はやり切った顔を浮かべながら私の元へと戻って来た。


「ふぅ。キモ男は撃退してやりましたよ! 姐御あねご!」

「ありがとう二人とも。あと私は姐御じゃないわ」


 軽口を挟む心寧に苦笑しつつ、私はフォローしてくれた二人に頭を下げた。


「ごめんね。こんな面倒ごとにいつも巻き込んで」


 と謝罪すれば、二人は「気にすんなし」とまるで私を助けることを当然のように言ってくれた。


「藍李は美人様だからなぁ。おまけに学校一の美人! 男からすれば高嶺たかねの花でありそして同時に最も攻略したいヒロイン!」

「そんなヒロインを守るのが我ら騎士ナイトの務め!」


 息の合う二人はドヤ顔を決めると「イエーイ!」とハイタッチ。その底なしの明るさのおかげで溜飲が下った。


 二人は今日みたく、私が男子に告白されるときによく物影で見守っててくれる。半分は私の心配と何かあった時に迅速に対応できるようにと、そしてもう半分は好奇心。今日はどんな男子がどんな風に緋奈藍李を落としにかかるだろうという、あまり趣味のいいとは言えない道楽。


 しかし、それに救われているのも事実なので、私も『二人に助けられる』代価としてそれを容認していた。


「本日もお勤めご苦労様でございます。姫」

「お体の方は無事でしょうか」

「体は無事だけど精神疲労が尋常じゃないわ」


 二人の茶番に付き合う形で、私はわざとらしく肩を叩いてみせた。


 あの一件――しゅうくんと放課後デート(ただ一緒に帰っただけ)の後から、私に告白する男子生徒からが増加した。


 あの程度の男なら自分でもワンチャンあるんじゃないかと、そういう初めからありはしない希望を抱く愚者が増えたのだ。


 これは端的に言って『疲れる』の一言に尽きた。


「はぁ。早く付き合いたい」


 ストレスから思わず本音が口からこぼれてしまい、そしてそれをこの二人が聞き逃すはずもなく。


 心寧と鈴蘭はとびきりの話題を聞いたとばかりに目を輝かせて食いついてきた。


「じゃあじゃあさっきの男子と付き合っちゃえば――ごめんなんでもないです」

「冗談でも止めて。怖気が走るから」

「藍李ってお淑やかにみえて実際は超毒吐くよね」

「下心全開で来る相手なんて気色悪くて仕方がないでしょ」


 嘆息をこぼす私に、心寧はほほう、と肩眉を上げた。

 それから心寧はニマニマとし邪推な笑みを浮かべながら私に訊ねてくる。


「それならぁ、例の弟くんは違うんですか?」

「違うんですかぁ?」


 鈴蘭も心寧の悪乗りに愉快げな笑みをかたどって食いついてきた。

 私はそんな二人にきっぱりと言い切ってやった。


「彼は他とは違うわ。とても誠実な子よ」

「でもでもぉ。やっぱり男の子なんだから藍李とそういうことしたいっていう欲は多少なりともあると私たちはそう思ってるんですよぉ」

「そりゃあるでしょうね」

「認めるのかよ⁉」


 どうして驚くのだろうか。と私は不思議に思わずにはいられない。


「彼だって男性よ。下心の一つや二つくらいあるわよ」

「まぁ、藍李の言いたいことはなんとなく判る気がするなぁ。好きな相手からの好意とそうじゃない相手からの好意って、雲泥の差だよね」


 鈴蘭の言い分に私はその通りだとと強く相槌あいづちを打つ。


「彼以外の好意なんて全部要りません!」

「言い切っちゃったよこの子。マジゾッコンじゃん」

「大好きに決まってるでしょう」

「やだ目がハート。藍李をこんな風にさせる弟くんがうらやましい!」

「藍李~。私たちも愛して~」

「二人のことはずっと大好きだよ」


 と照れもなく好意を伝えれば、二人は「ひゃっほ~!」と蛮族のような歓声を上げた。


「でも今の私の一番は間違いなく彼だけどね」

「くそぅ! これが花嫁を寝取られた親友の気持ちか! NTRだ! NTR!」

「こんな分かりたくない気持ちをこの歳にして知ってしまうだなんて!」

「何を言ってるの二人とも?」


 ハンカチを噛むフリをする心寧と鈴蘭に、私は大仰に呆れた風に肩を落とした。


「ほら、そろそろ昼休みも終わっちゃうし、教室に戻りましょ。……はぁ、またお昼ご飯食べられなかった」

「そんな藍李の為に購買でパン買っておいたぜ!」

「飲み物もあるぜ!」

「ふふ。ありがとう二人とも。本当に、二人が親友でいてくれて嬉しいわ」

「「その笑顔が私たちを狂わせる!」」


 心寧と鈴蘭、そして真雪が私の擦り減る心を支えてくれる。私を大切な友人の一人として接してくれることへの感謝を伝えれば、二人は屈託のない笑みを私にくれて。


「「私たちはずっと藍李の味方だからね! もうちっと親友を頼れよ、親友!」」

「うん。困った時は頼らせてもらうわ。親友」


 お互いに白い歯を魅せながら、こつん、と拳をぶつけたのだった。





【あとがき】

昨日は7名の読者様に☆レビューを頂けました。ラッキーセブンですね。


そして今話を読んで、藍李もう関係ばらしてね? と思う方が出てくると思うので補足。

藍李はたしかに心寧と鈴蘭にしゅうに対する好意を示していますし、弟くんをしゅうと認識して応じていますが、しかし会話の中で一度も『彼』のことを『柊真』だとは言っていません。

なので、藍李としゅうが決めたルールには抵触しないわけですね。

まぁ、ぶっちゃけラインすれすれな気がしますけど。

とにもかくにも、藍李は心寧と鈴蘭にしゅうとの関係性を認めてはいるものの、しかし明確に露呈してはいないというなんとも絶妙なバランスを保って二人との会話に応じています。

流石は緋奈パイセンですね。そうやってじりじりと外堀を埋めていってます。

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