第46話  頑張った分のご褒美

 いつもより長く感じた平日も過ぎ、待ちに待った休日がやって来た。


「いらっしゃい。しゅうくん」

「お邪魔します。緋奈さん」


 玄関で笑みを交わして、招かれるまま部屋に上がる。


「…………」

「…………」


 がちゃり、と音が閉じられると、俺と緋奈さんの間に微妙な空気が訪れる。


 お互いにそわそわして、視線を合わせては逸らす。まるでお付き合いたての恋人のようだった。


 俺たちがそんな初々しい状態と化してしまったのは、とある感情が原因だった。


「緋奈さん」

「しゅうくん」


 お互いの名前を呼び合って、見つめ合う。どうやら、望んでいることは同じらしい。


 今週は結局、あの一件のせいでお互いに精神的に疲弊ひへいした時間が続いた。会いたくても、話したくても何もできない時間がこれまでより長く感じた。


 そんな悶々とした日々を過ごした反動か、おかげで二人とも既に興奮状態である。


「――――」

「――――」


 無言は了承の証と受け取り、お互いに腕を広げた。それから少しずつ距離を詰めると、空いた空白の時間と焦燥を埋めるように強く抱きしめ合った。


 ようやく、首を長くして待ちわびた恋人の時間を堪能できる。

 

 誰にも邪魔されることなく、緋奈藍李という女性を独り占めできることに胸は感嘆に打ち震えていた。


「もう抱きついちゃったね」

「ごめんなさい。我慢できなくて」

「ううん。私もだから」


 彼女の甘い香りが気分を高揚させて、心地よさをくれる。


「しゅうくんがこうして求めてきてくれるの、嬉しいな」

「だって、今週は大変だったから。早くご褒美ほしくて」

「だね。私もいつも以上に疲れた」


 お互いが招いた失態とはいえ、流石にうんざりするほどの質問者と量だった。


「三年生から緋奈さんとの関係を聞かれた時はさすがにひやっとしました」

「そんなことがあったんだ」


 どうにか乗り越えることができたが、あの時はマジで逃げようか先生に助けを求めようかと焦ったほどだ。


「本当に面倒な人達が多いね」

「緋奈さん人気者だから仕方がないですよ」


 美人も大変だ。これでは満足に恋もできないだろう。今絶賛俺としてるけど。


「私がもっと地味だったらよかったのかな」

「どうですかね。たぶん、緋奈さんのオーラは隠しても滲み出ると思いますよ」


 緋奈さん女神だから、と言うと、ばか、と叱られた。俺としては本当のことを言ってるまでなんだけどな。


「でも大変だった分、緋奈さんとこうして甘い時間を過ごせるのは不幸中の幸いですね」

「そもそも恋人がいちゃつくのに不幸なんてないのよ。ずっと幸せであるべきだと思わない?」

「ですね。でも、これはこれで悪くないです」


 辛かった分、大変だった分、彼女の温もりが心を満たしていく。まるで乾いた土壌に水が与えられるように。


「しゅうくんってひょっとしてM?」

「Mじゃないです。幸せを噛みしめてるだけです」

「ふふ。そっか。なら、私も存分に幸せを噛みしめないとだね」


 お互いに強く抱き合うのはこの瞬間の幸せを享受きょうじゅする為。

 不幸中の幸いというやつか。この一件が俺と彼女の絆をさらに深めさせた気がした。


「今日はもう少しだけ、緋奈さんとこうしてたいです」

「いいよ。でもご飯ももうできてるから、あと少しだけね」

「はい」 


 名残り惜しく思いながら頷けば、緋奈さんはくすっと微笑んで、


「食べ終わったら、この続きをしようよ」

「……今日は、緋奈さんに甘えてもいい日ですかね?」

「しゅうくんならいつ私に甘えてもいいよ。ううん。もっと私に甘えて」

「じゃあ、遠慮なく」


 絆される。懐柔かいじゅうされていく。

 心が、緋奈藍李という女性を求める。彼女以外は要らないと、そう叫ぶように。

 それではダメだと気付かされたばかりなのに。それでも心はそれを望んで。


「はぁぁ。ずっと緋奈さんとこうしてたいな」


 ぽつりと零れ落ちた本音に、緋奈さんは困ったように笑ったのだった。



***


「おぉ。今日のお昼はオムライスですか!」

「うん。そういえばまだ一度もしゅうくんに作ってあげてなかったなって」


 本日の昼食は先の会話通りオムライスだった。それとロールキャベツまで用意されていた。


「もしかしなくてもこのロールキャベツも緋奈さんの手作りですかね」

「うん」

「相変わらず緋奈さんは料理上手だなぁ」


 緋奈さんの手料理を食べられるだけで生きる意味があるというものである。

 それを惜しみなく伝えれば緋奈さんは「大袈裟だよ」と苦笑を浮かべた。


「今からいいお嫁さんになれるよう頑張らないとだからね」

「緋奈さんなら絶対にいいお嫁さんになれますよ」

「あら。それはプロポーズとして受け取っていいのかしら?」

「や、それは……まだ正式に付き合ってる訳じゃないですし」

「じゃあ、正式にお付き合いする時は結婚前提ね」

「――え⁉」


 驚く俺に、緋奈さんはじりじりと詰め寄りながら、


「なに? 私じゃ不服かな?」

「いや! 決してそんなことは! ……でも結婚前提とか、いくらなんでも話が飛躍し過ぎな気が……」

「言っておくけど私、しゅうくんと別れる気ないからね」

「――ぁ」


 照れながらそう言った緋奈さんが、伸ばした指を俺の唇に押し当てた。目を剥く俺に、緋奈さんはにしし、と白い歯を魅せながら笑って、


「しゅうくんが思っている以上に私はキミのことが好きで、ゾッコンなんだよ」


 ちゃんと知って、と揺れる瞳が訴えてくる。


 触れ合った時間が、交わした会話が、積み重ねた想いが、自分の想像以上に彼女の心を動かしていることに気付いた瞬間。顔を赤くせずにはいられなくて。


「私はしゅうくんが想像してる以上に重い女だから、覚悟してね」


 声が出ない。嬉しさが、悦びが、歓喜の祝福が、胸を満たすせいで喉から言葉が出させなかった。


 見つめてくる双眸に、愛情が宿って揺れる。


「絶対にキミを誰にも渡さないんだから」


 それは宣誓にも似た、緋奈さんから贈られた愛情の告白だった。






【あとがき】

昨日は三名の読者様に☆レビューを評価して頂けました。

いつもご応援、誠に感謝しています。


今三章の頭書いてるけど、ヤバいです。たぶん一話ごとに皆さまを悶絶させられると思います。……三章入るまであと40話くらい先だけど。

Ps:藍李パイセン重いなぁ。作者も想像以上に。

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