第45・5話  少しだけ。手を繋ぎたい

 ――その後、緋奈さんを姉ちゃんが待つリビングへと送り届けた。


「あっ、藍李!」


 緋奈さんがリビングに着くや否や姉ちゃんが飼い主を見つけた犬のように駆けつけてくる。

 姉ちゃんは緋奈さんの目の前で制止したあと、顔色をうかがうようにおずおずと訊ねた。


「だ、大丈夫だった?」

「うん。ちゃんと謝れたよ」


 弱々しくも笑みを浮かべた緋奈さんに、姉ちゃんは「よかったね」と薄い微笑みを浮かて安堵を表す。


 そんな親友同士の友情を傍から見届けて、俺はそっと自分の部屋に戻ろうと――


「ちょっと。なんでどっか行こうとするのさ」

「いや、部屋に戻るんだけど」


 きびすを返す俺に、緋奈さんと抱き合う姉ちゃんが半目で睨んできた。


「なぜ部屋に戻るし」

「いや完全にお邪魔虫だろ俺」


 感動的なシーンにモブは部外者は不要と判断して立ち去ろうとするも、姉ちゃんは「まだ居ろ」と命令してきた。


「せっかくの機会なんだから、アンタも藍李と仲良くなっておきなさい」

「…………(仲良くなるというか現在進行形で付き合ってるんだけど。仮だけど)」


 そんなことは到底言えるはずもなく、


「いや。べつにいいよ……」

「じぃー」

「あ、緋奈先輩?」

「じい――――」


 断ろうとして首を振ろうとした瞬間、緋奈さんが姉ちゃんと抱き合いながら俺に視線を送っていることに気付く。


 ……なんですか、その、『この機会に外堀を埋めておきたい』とでも言いたげな視線は。


 本当は反省してないだろこの人。


 送り続けられる視線にそんな懐疑心かいぎしんが生じてしまうも、しかしそれは今は飲み込んでおこうと決めた。


 今は、緋奈さんのおねだりに応えてあげよう。それが、俺の意思が下した決断だった。


 俺はやれやれとため息を落としながら、


「少しだけなら」


 と渋々了承すれば、緋奈さんには姉ちゃんの死角からガッツポーズした。……どんだけ俺と一緒に居たいんだこの人。可愛すぎて抱きしめたくなる。


 歯痒くも嬉しい反応を魅せてくれた緋奈さんに照れていると、姉ちゃんから不気味なものでも見るかのような視線を向けられていた。


「しゅう。露骨すぎ」

「うっせ」


 俺も俺で、分かりやすい男だ。姉ちゃんに勘付かれてはマズイというのに、緋奈さんの傍にいられることに喜んでしまっている。これでは人の事を言えない。


 どうやら俺が緋奈さんに好意を寄せていることを察したらしい姉ちゃんは、その愛らしい顔にニヤァ、と不快な笑みを浮かべると要らぬお世話を焼いてきた。


「それじゃあ私は飲み物用意してくるから、その間しゅうは藍李の相手してて」

「あ、ちょっと真雪⁉」

「いいからいいから。しゅうと少し話しなよ。というか、しゅうに興味があったなら最初から私に教えてくれたらいいのに。こんな弟いくらでも貸してあげるよ」

「俺を都合のいいお友達感覚で友達に貸すな」

「アンタが藍李のお友達になれるわけないでしょ。分不相応すぎ!」


 残念。俺は緋奈さんとお友達以上正式な恋人未満でーす。と心の中で姉ちゃんに向かって思いっ切りあっかんべーしてやった。


「へいへい。学校一の美女様と話す機会を設けてくれてありがとうございますよお姉さま」

「おぉい! 全然感謝してないな!」

「うん。してない」

「むきー! ちょっと元気ないから励まそうと気遣ってやったのに、相変わらず生意気な弟だな! 心配して損した!」

「だから元気だって言ってたじゃん」


 サボらせてくれてありがとう、と嘲笑ちょうしょうを浮かべながら頭を撫でくり回せば、姉ちゃんはその場で悔しそうに地団太を踏んだ。


「くっそぉう。しゅうの飲み物に下剤仕込んでやるっ」

「うちに下剤なんてものはねぇよ」

「私が作ればいい!」

「作れんのかよ」

「作ってやるから今に見とけ!」


 覚悟しろよ! と捨て台詞を吐いてキッチンへと向かった姉に俺は苦笑をこぼしながらその背中を見届ける。


「ふふふ」

「あはは」


 そんな姉の明るさは、俺にだけでなく緋奈さんにも伝播でんぱしていて。


「やっぱり真雪は眩しいな」

「ですね。まぁ、あれの弟としてはやっぱり疲れますけど」

「ふふ。いつもご苦労様」

「今度の休日労ってくれますか?」

「うん。いつも頑張ってるしゅうくんを労ってあげる」

「なら今週も頑張れそうです」


 緋奈さんにも少しだけ元気が戻ったような気がして、俺は安堵に胸を撫で下ろす。


彼女にその元気をくれたのは姉ちゃんなので、それに関しては感謝しかなかった。まぁ、本人は無自覚でやってるんだろうけども。


 姉ちゃんはいつも明るくて、周囲を笑顔で包み込む。鬱陶うっとうしくもしかし優しい陽だまりのような性格は、まさに太陽のようだった。


 彼女が明るく周囲を照らしてくれるから、緋奈さんも俺も笑顔を絶やさずにいられる。


「――っ」

「……少しだけ。いいでしょ」


 未だにぷりぷりと怒りながらもしかしきちんと三人分の飲み物とお菓子を用意している姉ちゃんに視線を送っていると、ふと手に冷ややかな感触が伝った。


 目を見開いて視線を落とすと、そこには繋がれた手と手があって。


「いいですよ。姉ちゃんが戻ってくるまで、ですけど」

「うん。ありがとう、しゅうくん」


 俺を求める華奢きゃしゃな手に、そう答えた俺は強くその手を握り返した。


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