第45話  誓い。あるいは懇願

 結局午後は早退した。


 帰り際に柚葉と神楽にそれを伝えると「ゆっくりしてね」と労われてしまって、向けられたぎこちない笑みにアイツらにも迷惑を掛けてしまったことを痛感させられた。元気になったら、二人に心配かけた分飲み物でもおごろうと思った。


 とりあえず家に帰ると、すぐに制服を脱いでパーカーに着替えた。一応、家には母さんもいてくれたのでざっと早退した理由を説明すると、既に姉ちゃんから連絡をもらっているらしくすぐに事情を理解してくれた。


 母さんからも「今日はゆっくりしなさい」とおもんぱかられてしまったので、今は部屋で安静……もといゲームをしていた。


 ふと思い返してみれば、こうして思いっ切りゲームするのは随分ずいぶんと久しぶりのように感じた。


 ここ最近は勉強なり日雇いバイトなり緋奈さんと過ごす時間が増えたことで、あまりゲームをしていなかった。


「たまった任務を消化するにはいい機会だ」


 ベッドの上で寝転がりながらゲームをするのは至福の一言に尽きる。さらに授業をサボって遊ぶというのがミソ。


 そうして二時間ほどゲームに熱中していると、唐突に姉ちゃんからこんなメッセージが送られてきた。


『藍李がうちに来たがってるんだけど』

「なぜに俺に連絡を?」


 その内容に俺はどういう意味かと目を瞬かせる。

 ゲームを中断してレイン(通話・メールアプリ)を開けば、それと同時に更なるメッセージが送られてきた。


『藍李がしゅうと話がしたいみたい』

「…………」


 俺はさらに意味が分からず首をひねる。


 緋奈さんが俺と話したいことがある?


 その理由わけは分からないものの、なんとなく呼んだ方がいいと思い、


『分かった』


 姉ちゃんに了承の意を伝えた。

 するとその数秒後に、


『了解』……『今から藍李連れて行くね』


 とメッセージが分割されて返って来た。


「どうしたんだろうか」


 とりあえず『了解』と伝えるアイコンを送ってからスマホを枕元に放り投げると、頭に疑問符を浮かべながら寝返りを打った。


 わざわざ姉ちゃんを経由してまで俺に会いに来るとはそれなりの理由があるのだろうが、全く見当がつかない。


 もしかして、午後に何かあったのだろうかと不安が過る。


 それが杞憂である可能性が高いが、しかしないとも言い切れない。


 悶々もんもんとした時間を過ごしているうちに家の玄関扉が開く音がした。


 部屋から出た方がいいかと思案していると、玄関が開いた音が聞こえたおよそ一分後くらいに今度は俺の部屋の扉がノックされた。


「しゅう。いる?」


 姉ちゃんの声だった。


「いるよ」


 ベッドから身体を起こしながら応答すれば、姉ちゃんは「入るよ」と一言告げて扉を開けた。

 その後に続くようにして入って来たのは、ひどく落ち込んだ顔をした緋奈さんだった。


「あか――緋奈先輩」

「雅日くん」


 胡坐を組む体勢から慌てて居住まいを正して、俺は緋奈さんと向かい合う。それから、姉ちゃんを挟んで微妙な空気が部屋に流れ始めた。


 姉ちゃんはそんな俺と緋奈さんを交互に目を配りながら、


「その、メールでも伝えたけど、藍李がしゅうと話したいことがあるんだって」

「そ、う」

「うん。ほら、藍李」


 姉ちゃんに背中を押されて緋奈さんが一歩前に出る。まだ心の準備が出来ていないとでも言いたげに瞳を揺らす彼女は、一歩後ろに退いた姉ちゃんに振り返った。


「しゅうに謝りたいんでしょ?」

「――うん」


 二人の会話から聞こえた言葉に眉根を寄せる。そんな俺を余所に、親友同士は目配せすると無言で相槌あいづちを打った。そのあと、姉ちゃんは静かに出て行った。


「じゃあ、私はリビングにいるから」

「ん。分かった」


 いつもはやかましいほどに騒がしい姉ちゃんが今日は珍しくしおらしくて、俺はそんな姉の様子を目の当たりにして胸にわずかな痛みを覚えた。


 そしてそれは、姉ちゃんの親友である緋奈さんも同じ心境なはずで。

 

「と、とりあえず座ってください」

「うん」


 短く頷いた緋奈さんはカーペットにぺたりと座り込んだ。崩した座り方ではなく、正座だった。

 俺も慌ててベッドから起き上がり、彼女と同じ目線になるようカーペットに腰を下ろす。彼女に倣うように正座で。


「…………」

「…………」


 約一分ほどか。お互い、硬く結ばれた口が開かずに無言の時間を過ごす。

 緋奈さんは苦悶の表情を浮かべていて。

 俺は、そんな彼女の顔色をずっとうかがっていた。


「その、話ってなんですか?」


 沈黙が辛くて俺から話題を切り出せば、それまで沈黙していた緋奈さんがようやく声をかせてくれた。


「真雪から、聞いてね。しゅうくんが体調崩して、それで早退したって」

「あはは。もしかして、家に来たのって見舞いの為だったんですか?」

「それもあるけど……」


 緋奈さんはそこで一度言葉を飲み込むと――


「ごめんなさい」

「緋奈さん⁉」


 彼女は俺に向かって、急に頭を下げた。いや、頭を下げただけならこれほど驚きはしない。俺が目をいたのは、彼女が土下座したからだった。


 面食らった俺はハッと我に返ると、慌ててカーペットに額をこすりつける彼女の肩を掴んだ。


「顔を上げてください! なんで急に土下座なんて――ぁ」


 訳が分からず困惑する俺が見たのは、ぽろりと頬を伝った大きな雫だった。


 なんで、泣いて……。


 それを見た瞬間に唖然として声を失う。無理解に身体が硬直する最中、緋奈さんの上擦った声がそんな俺の鼓膜を震わせた。


「だって、私のせいでしゅうくんに辛い思いをさせちゃって……それで、それでっ、どうしようって……」

「……緋奈さん」


 ぽろぽろと涙をこぼしながら謝罪を口にする緋奈さんに、俺はどう言葉を紡げばいいのか分からず瞳を伏せる。


 一体。どんな言葉なら彼女を安心させられるだろうか。そんな思惟を張り巡らせる中で、緋奈さんの謝罪が続いた。


「私が、軽率な行動を取ったせいで、しゅうくんにも、真雪にも迷惑を掛けちゃった」

「迷惑だなんて思ってません。緋奈さん言ったじゃないですか。俺たちは何も悪い事してないって」

「でもっ……でも! しゅうくんが大変だったって……真雪もすごく辛そうな顔してて」


 それで謝りたいと思ったのか。と遅れて納得する。


 姉ちゃんから事情を聞いて、俺がそれによって想像以上に疲弊ひへいし、挙句の果てに体調を崩したことを知ったのだろう。


 きっと、気が気でなかっただろうな。こんな風に泣きだしてしまったのだから。


「俺は大丈夫ですよ」

「――ひっく……うっ」


 泣きじゃくる緋奈さんの手に触れながら、俺は穏やかな声音で彼女の不安を取り除けるように言葉を紡いだ。


「それよりも緋奈さんが無事でよかったです」

「い、今は私のことはどうでもいいのっ!」

「よくないです。すごく心配したんですからね。緋奈さんも同じ状況だろうし、俺より質問攻めにあってたらどうしようって」

「それは、大丈夫。私のことフォローしてくれた友達がいたから」

「姉ちゃんから聞きました。心寧さんと鈴蘭さんに感謝しないとですね」

「うん」


 零れ落ちる涙を袖で拭う。ひくっ、とあえぐ緋奈さんが俺のことをずっと憂いを満たした瞳で見つめている。


「本当に、ごめんなさい。しゅうくんに嫌な思いをさせて」

「まぁ、正直にいえば多少疲れましたけど、でも午後サボれたからラッキーです。久々に思いっ切りゲームもできましたし、こうして平日に緋奈さんと会えて話せたわけですし」

「優しすぎだよぉ」


 怒ってと言われても、怒る理由がないからどうしようもない。それに、一緒に帰る選択をしたのは結局俺なのだ。緋奈さん一人に責任があるわけじゃない。つまり、お相子だ。


「泣かないで。緋奈さんは笑ってる顔が素敵だから」

「今はむりぃ」

「無理かぁ」


 泣きじゃくる緋奈さんが胸に飛び込んでくる。一瞬後ろに倒れそうになったがどうにかこらえた。それから、子どものように嗚咽おえつこぼしながら泣く彼女の頭を優しく撫でた。


「本当に、アナタが無事でよかった」

「なんで、キミはそんなに優しいのよ……ひぐっ……少しくらい、責めてよ」

「責めませんよ。責める理由もないし、悪い事した覚えもないですから」

「でも、辛かったでしょ?」

「たしかに辛かったけど、俺はそれ以上に緋奈さんが泣いてる方が辛いです」


 この人が泣く必要なんてないのに、涙を流している。苦しそうに喘いでいる。


 俺の苦痛なんかより、彼女が辛くしている方がよっぽど辛かった。


 泣かないでと、その想いを伝えるように、手のひらに祈りを込めて彼女の頭を優しく撫で続ける。


「しゅうくんのそういうところ……本当に好き」

「俺は緋奈さんの笑ってる顔が好きです」


 泣きじゃくりながら、嗚咽を溢しながら緋奈さんは顔を上げた。涙やら鼻水で美しい顔がぐしゃぐしゃだった。


 あぁもう。


「心配かけさせてごめんなさい」

「なんでキミが謝るのよぉ」

「だって緋奈さん泣かせちゃったから」

「泣いてないっ」

「いや泣いてますよ。大泣きじゃないですか」


 苦笑交じりにそう指摘すれば、緋奈さんは子どもみたく髪を振り乱しながら「泣いてない!」と口を尖らせた。

 俺はそんな拗ねた緋奈さんに思わず吹き出してしまいながら、まなじりを下げて頷いた。


「じゃあ、そういうことにしてあげますから、その代り一つ俺のお願い聞いてください」

「ひくっ……うん。なんでも聞く」


 きっとそれを呑む事が贖罪だと思ったのだろう。易々と頷いた緋奈さんに――俺は何の脈絡もなくぎゅっと抱きしめた。


「――っ! ……しゅうくん?」

「――待ってて」


 力強く抱かれた緋奈さんが驚く気配と息を飲み込む音がした。驚愕に目を見開く緋奈さん。そんな彼女の耳元に唇を寄せて、そして俺はこう囁いた。


「絶対に、皆に俺を認めさせてみせるから。だから、もう少しだけ待ってて」

「――っ!」


 もう、彼女を泣かせたくない。


 もう、彼女に涙を流させない。


 その決意たちを胸に、彼女に誓う。


「アナタに相応しい恋人カレシにすぐになるから、だから泣かないで」

「――うん」


 宣誓。あるいは懇願こんがんか。心の底から湧き上がる激情を声音に乗せながら告げた俺に応じるように、緋奈さんは抱きしめ返してくれた。


 それから、緋奈さんは嬉しそうにか細い微笑みを浮かべて。


「ずっと待ってる」


 そう、小さく頷いてくれたのだった。

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