第44話  誰にも言えない関係。

 月曜日は予想通り、全くの赤の他人たちからの質問攻めに見舞われた。


「な、なぁ。お前と緋奈先輩ってどういう関係なの?」

「――――」

「お、おい。みや――」

「べつにどうも。ただの知り合いだよ。姉ちゃんを挟んだ、な」


 そんな質問が休み時間の度に。果ては昼休みまで続いた。

 知らぬ存ぜぬを貫く姿勢にも流石に疲れて、俺は露骨に苛ついてるアピールを放ちながら教室を出て行った。


「……しゅう」

「柚葉。今はそっとしておこう」


 そのあまりの剣呑に柚葉と神楽さえも委縮いしゅくしてしまった。流石に二人には申し訳なさを覚えながらも、しかし二人を巻き込むわけにもいかず一瞥いちべつもくれずに教室から消える。


 気晴らしに体育館通路に設備された自販機にでも行こうと足を進める。


 自販機に着く間も、俺のことをジロジロと不快な視線を向けてくる生徒が数名いた。おそらくそれらは、俺と緋奈さんが金曜日に一緒に帰っていくところを目撃した者たちだろう。


 関係を問い詰めたいがしかし学年の違いやそもそも俺との交流はないからはばかられる。彼らにはそんな雰囲気があった。


「じろじろ人のこと見てくんな。こんな凡人如きを」


 忌々し気に舌打ちしながら自販機に辿り着けば、朝から拒絶反応を起こしている胃になるべく負担はかけないようにと緑茶を選んで小銭を入れた。


 ゴトン、と鈍い音を立てて落ちたペットボトルを掴み、キャップを回す。大して乾いてもいない喉に無理矢理押し込むように飲めば、自然と重いため息が零れ落ちた。


「……疲れる」


 ぐったりと壁に背中を預ける。


 想像はしていたが、やはり緋奈さんと付き合うのは骨がいる。今はまだ俺と彼女の関係性を問い詰められているだけで済んでいるが、これが本物の関係であれば――想像するだけで身の毛がよだち、思考を強引に中断する。


 この半日は、彼女の隣にいること、その過酷さを痛烈に思い知らされた気分だ。


 だからといって別れるつもりはないし、彼女に捨てられない限り彼女を想い続ける覚悟はとうに出来ている。


 それでも、魂は摩耗まもうする。


 午後はいっそサボろうかと思案していると、不意に聞き慣れた声が鼓膜を震わせた。


「いた! しゅう!」

「……姉ちゃん」


 猛ダッシュでこちらに向かってくる人影に気付いて、それが鮮明になると俺は驚きに声をこぼした。精神疲労のあまり大きな声は出ず、擦れるような声音だった。


 慌てて俺の下までやって来た姉ちゃんは息を切らしていて、膝に手を置きながら憂いを帯びた瞳を向けてきた。


「はぁ、はぁ、はぁ……しゅう、大丈夫?」

「なにが?」


 わざとらしく聞き返した俺に、姉ちゃんは崩れていた体勢を直してからぎこちなく言った。


「その、藍李から聞いて。もしかしたらしゅうも他の人から質問攻めにあってるかもしれないって言われて」

「……緋奈先輩からはもう聞いたの?」

「う、うん。私何も知らなくて。その、二人って付き合って――」

「ないよ」


 姉ちゃんが言い終わる間もなく否定した。それに、姉ちゃんはビクッと肩を震わせる。

 俺は申し訳なさを覚えながらも、その感情は握る拳に隠して続けた。


「俺と緋奈先輩が先週一緒に帰ったのはたまたまだよ。偶然校門前で遭って、ちょっと話して駅まで送ることになっただけ」

「本当に?」

「緋奈先輩からもそう聞いたんじゃないの?」


 そう尋ねれば、姉ちゃんはぎこちなく頷いた。


「うん。藍李からもそう聞いてる。しゅうと一緒に帰ったのはたまたまで、それ以上は何もないって。ちょっとしゅうと話してみたかったからって言ってた」

「俺も憧れの先輩と話せてラッキーだったよ」


 演技じみた態度で応じる。普段の姉ちゃんならこの鼻につく態度に違和感を抱くだろうが、今は不安と懸念が優先されていて気付いていなかった。


『ごめん。ねえちゃん。何も言えなくて』


 俺は今、姉ちゃんをだましている。それには心底申し訳ないと思う。

 でも、これは緋奈さんと決めたことだ。

 俺と緋奈さんの今のこの関係は、例え大切な姉ちゃんにも言えない。

 そうやって自分にていよく言い聞かせながら、俺は姉ちゃんとの会話を続ける。


「俺のことはどうでもいいけど、緋奈先輩は? 俺でさえずっとこんな状態なんだから、向こうも相当ひどいでしょ?」


 お互い、今日は他人からしつこく質問攻めされることは予想がついていた。故にあらかじめ質問に対する返答をいくつか考えていた。姉ちゃんに関係を問いただされることの計算も込みで。


 あらかじめ返答を用意しておけば、姉ちゃんに問いただされた時に矛盾が生じなくて済むからだ。


 しかし、質問に対する返答を用意していたとしても、質問者は一人だけではない。答えを知りたいと手を挙げるやからはいくらでもいる。回答者の気持ちなどお構いなしにだ。


 俺はなんとか耐えられたが、今日はそれだけがずっと気掛かりだった。


 だから、互いの状況を姉ちゃんを通して報せる為に、わざわざ自販機まで走らせに来たのだ。これも、事前に緋奈さんと計画したことだった。


 都合よく利用してごめん姉ちゃん。あとでチーズケーキでも買って贈ろうと胸の中で思案しながら、俺は姉ちゃんを通して緋奈さんの状況を聞いた。


「藍李の方はそうでもないよ。心寧と鈴蘭……しゅうは知らないか」


 知ってる、と心の中で苦笑する。


「藍李の友達がフォローに入ってくれてね。三時間目の休み時間にはもう誰も聞きに来なくなった」

「そっか。ならよかった」


 俺とは違って心強い味方がいる緋奈さんの方は思ったより事態の鎮静化が早く済んだらしい。まぁ、緋奈さんには姉ちゃんも同じクラスにいるからそれも手伝ったのだろう。しかし事態の説明ついでに俺の宣伝もしてくれたとかどこまで策略家なんだあの人は。


 何はともあれ俺の唯一の懸念も取り除かれたわけだ。おかげで、少し心に余裕が生まれた。


「しゅう。本当に大丈夫?」

「ん? あぁ、平気だよ」


 そう答えるもしかし、姉ちゃんは食い下がった。


「しゅう。ここ最近ずっと無茶してるよね?」


 いつの日かの母さんみたいだった。その声音の震えも憂いを帯びた瞳も。そっくりだった。

 伸びた手が俺の制服の袖を掴んでいて、俺はそれに応えるように手を重ねた。

 胸裏で何度も姉ちゃんに謝罪しながら、彼女の不安を取り除けるようにと、声音を落ち着かせて、努めて穏やかに言う。


「本当に大丈夫だから。母さんにもあんま無茶し過ぎるなって注意されたばっかだし、今は少し気を抜きながらやってるよ」

「……でも、すごく疲れた顔してる」

「まぁ、今日はずっと質問攻めだったから」


 おまけに敵意をはらんだ視線までぶつけられた。

 もう散々だった。

 それでも、めげない。

 ここで挫けて逃げたら恥だし、何より緋奈さんの隣に立てなくなる。

 誰にも、あの人の隣は譲りたくない。

 今の俺の心の支えは、紛れもなく緋奈さんだった。


「もう今日は帰ってもいいと思うよ」

「俺もわりと本気でそう思ってる」


 五時間目以降はいくらか収まるとは思うが、それでも予想以上に午前に質問者がやって来た。おかげでブチギレる寸前だ。


「なら今日はもう帰ろうかな。母さんには迷惑かけるけど」

「お母さんには私の方から伝えておくよ。しゅうはまず自分の体第一に考えて」

「体は元気だよ」

「こんな時に軽口叩くな」

「ごめん」


 本気で心配されてるな、と姉ちゃんの怒り方から察してしまう。

 飄々ひょうひょうとした態度を引っ込めて、俺は怒られていじけた子どもみたいな態度で姉ちゃんに向き合った。


「分かった。今日はもう早退する」

「うん。そうして」


 どうやら想像以上に姉ちゃんを心配させてしまったようだ。


「ごめん」

「謝らなくていいよ。しゅうは何も悪い事してないんだから」

「それでも、ごめん」


 謝りたかった。ただ、心の底から。


 大切な家族に何も言えないことに。余計な心配をかけさせたことに。俺のせいで、関係のない姉ちゃんを巻き込ませてしまったことに。


 頭を下げると、その頭が両手に掴まれて、そのまま引き寄せられた。


「何かあった時は遠慮せず私を頼るんだぞ、私は、しゅうのお姉ちゃんなんだから」

「うん。ありがとう」


 緋奈さんだけじゃない。姉ちゃんだって、傷つけたくない。神楽も柚葉だって、大切な人たちには、誰一人傷ついて欲しくなかった。


 優しく抱きしめてくれる姉ちゃんに甘えるように、俺は顔を俯かせたまま奥歯を噛んだ。


『――やっぱり、この関係は誰にもバレるわけにはいかない』


 俺の中でその思いが、一際に大きくなった瞬間だった。





【あとがき】

昨日は4名の読者様に★レビューをいただきました。

昨日はクリスマス。皆さんはどうお過ごしでしたか?

え、作者はって? 普通に原稿進めてました。超虚しかったわ。。。

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