第38話  青とピンクのイルカのストラップ

「あれ? どうしたのしゅう? その首の絆創膏ばんそうこう

「ん? あぁ。ちょっと虫に刺されて」

「ふーん」


 穏やかな晴天の下、今日も退屈で、けれどどこか居心地のいい日常を過ごす。


 首筋に貼られた絆創膏に視線を落とす柚葉は俺の答えに生返事。もう蚊が沸く時期かと気だるげにため息を落とす柚葉に苦笑しながら、俺は首筋に貼られた絆創膏――ではなく、その奥に刻まれた情熱的なキスマークしるしを愛でるように触れた。


『……こんなことされて興奮するとか、変態か俺は』


 触れる度に、鏡でそれを見る度に、まるで自分が緋奈さんのものになった気がした。キミは私の所有物なんだからね、と微笑みかけているように思えて、それがたまらなく嬉しかった。……やっぱり、俺は変態なのかもしれない。

 

「あれ? 柊真。リュックにストラップなんか付けてたっけ?」

「ん? あぁ、これか。出掛けた先で一目惚れしてな。気に入ったからつけてる」


 今度は神楽が机にぶら下がるリュックのファスナーに光り輝くそれに気付いて、俺はぽりぽりと頬を掻きながら答える。


「青いイルカ?」

「おう。可愛いだろ」

「しゅうって見かけによらず可愛いもの好きだよね。待ち受けもたしかカワウソだっけ?」

「めっちゃ可愛いだろ」


 何なら今見るか、とスマホをポケットから取り出そうとすれば、柚葉と神楽は「見飽きた」と渋い顔を浮かべてきた。


「でも珍しいね。柊真がリュックに装飾品付けるなんて」

「たまにはいいかと思って」

「いいんじゃない。しゅう、鞄もスマホも無難な色で地味だから、こういうの付けると印象違ってみえるよ。何なら私みたいにもっとストラップとか付ければ?」

「お前は盛り過ぎ」

 

 すとん、と茶髪の頭に手刀を入れると、柚葉は牛のようにモー! と鳴いた。


「あ。予鈴だ」

「このおぅ。あとで覚えてろよしゅう」

「何もしてないだろ」

「頭に手刀入れた! 一発は一発だからね!」

「高校生にもなって小学生みたいなこと言うなよ」


 子どもみたいな拗ね方をする柚葉に呆れながら、手を振る二人にひらひらと手を振り返す。


 どうせ拗ねて怒っても、次の休み時間には何事もなかったかのようにけろっとした顔で集まって来るのだ。二人は、そういう性格だし、俺たちはこれまでそうやってこの友人関係を続けてきた。

 

 これもある種の信頼の証なのかと思うと、途端に背中がむず痒くなって俺は邪念を振り払った。


 俺を決して独りにはさせない二人に――俺はそんな二人を決して見放さず――お節介だなぁ、と苦笑をこぼさずにはいられなくて。

 

「はぁ。今日も騒がしい奴らだ。ま、おかげで退屈しないけど」


 俺の日常は、今日も今日とて平穏で、つつがなく過ぎていくのだった。


***


「あれ? 藍李、何そのストラップ」

「ふふっ。可愛いでしょ~」

「藍李がストラップ鞄に付けるなんて珍しー」

「たまにはいいかと思って」


 穏やかな木漏こもの下で、私は今日も今日とて真雪たちと穏やかで、賑やかで、でもどこか寂寥せきりょうをはらんだ日常を過ごす。


「ピンクとか可愛いー」

「だよね。私、こういう色ってあまり似合わないと思ったけど、でも飾る分には悪くないなって」

「藍李どの色も似合うじゃんー」

「ズルいぞー、美人!」

「そーだそーだ!」

「あはは」


 真雪と心寧、鈴蘭から理不尽なクレームを受けて苦笑する私。


「とういうか藍李、最近ずっと機嫌いいよね?」

「それなぁ」

「おっ。もしかして例のおと……」

「――――」

「……なんでもないっすぅ」


 言ったら息の根止めるわよ?


 口を滑らせかけた心寧にニコリと不敵な笑み浮かべれば、ビクッと震えた肩ともに急激に語勢が削がれていった。鈴蘭も私が放つ威圧の意味を瞬時に悟り、気まずそうに視線を逸らす。唯一、事情を知らない真雪だけはきょとんとしていた。


「な、なんで藍李は機嫌いいんだろうなー。私全然分からないなー」


 具体的な説明こそ求めてこないものの知りたいという欲求は抑えきれないようで、ぎこちなく追及してくる心寧に鈴蘭が「ワタシモキニナルー」と片言で便乗。


 真雪も私が上機嫌な理由に興味津々なようで「私も気になる!」と元気よく手を挙げた。


 私は仕方ない、と肩を落とすと、


「全員。ちょっと耳を貸しなさい」

「「ラジャー」」


 こういう時は素直なんだから、と呆れつつ、私は三人に小声で教えた。


「実はこのストラップ。気になってる人からもらったの」

「「ひゅ~~っ!」」


 顔を赤らめながら告白すれば、真雪は大きく目を丸くして、心寧と鈴蘭は口笛を鳴らした。


「うそっ藍李好きなひ――もごもご!」

「まーゆーちゃーん?」


 大声を上げた真雪の口を慌てて塞ぐ。周囲は一瞬私たちに怪訝な視線を向けるも、しかしすぐに視線を戻した。

 私はほっと胸を撫でおろしつつ、危うくクラス中に暴露しかけた真雪を睨む。


「……このことは絶対に誰にも言わないで!」

「こくこく!」

「もしこの事を他人に言ったら、その時は絶交よ」

「こくこくこくこく!」


 首を一心不乱に振う真雪を見て、私は「よろしい」と相槌あいづちを打つ。それから、押さえていた口から手を離した。


「……ぷはぁ。うわぁん! 心寧ぇ⁉ 超怖ったよー!」

「おーしおーし。たしかに藍李の圧は怖いよなー」

「あんな真剣な藍李の顔久々に見た⁉」

「だよなー。それだけこの事を他人に言いふらして欲しくないってことだ。分かったかね真雪ちゃん?」

「言いふらしたら……藍李に殺される⁉」

「そんな犯罪は犯さないけど絶交はするわ」

「絶対に絶交したくない⁉」


 戦慄する真雪の頭を撫でながら、心寧は私か真雪のどちらに呆れたのか分からないが不快ため息を落とした。


「どうやら、この件はよっぽど口外してほしくないみたいだねぇ」

「私としてはべつに構わないんだけどね。でもその人と約束してる手前、それを反故するわけにもいかないでしょ」

「約束はたしかに大事だね」

「でしょう」


 ルールに抵触しない範囲で私たちの関係を他人に認知させる。三人には私が気になっている人がいるとしか露呈してないから、しゅうくんと決めたルールには問題はないはず。それに、心寧と鈴蘭は既に私が好きな人に見当がついている。ならば猶更、私がどれほど彼に対して真剣か知ってもらうにはいい機会だろう。


「……つかさ、藍李、本気なん?」


 心寧になぐさめられている真雪の様子をうかがいながらこそっと耳元で訊ねてきた鈴蘭に、私はもちろん、と強く頷く。


「最初は彼がただ気になっただけなんだけどね。でも、いつの間にか本気で好きになっちゃった」

「わお。ゾッコンじゃん」

「うん。ゾッコンだよ」


 鈴蘭はほへーと素っ頓狂な声を漏らしながら目を丸くした。


「まーさかあの藍李様をここまでご執心にせるとはね。やるな弟くん」

「うん。本当にすごい子だよ、彼は」


 脳裏に思い浮かべる。いつも一生懸命で、顔を赤くしながら私の傍にいてくれる愛しいしゅうくんの顔を。


 彼の声と体温を思い出せば、それに呼応するように胸が幸せと温もりで満たされていく。


 それと同時、その胸に別の感情が湧いて。


「……早く会いたいな。しゅうくん」


 私の日常は今日も穏やかで、でもどこか寂寥に満ちていて、今はそこに焦燥を覚えた。


 ***


 ――きらりと輝く青とピンクのイルカたちは、二人の絆の証。


 たとえすぐには会えずとも、たとえ近くにいながら話せずとも、それがある限り繋がっていると、離れていても互いを見守っている証。


 青とピンクのイルカは、いつか必ず来るその日に想いを馳せる。


 共に下校して、手を繋ぎながら帰って、またねの名残り惜しさを大切にして。


 青とピンクのイルカは、必ず自分たちが重なり合うことを信じている。


「しゅうー! 早くー!」

「おー。今行くー」


「藍李ー! クレープ食べ行くぞー!」

「はいはい。あまり急かさないでよ」


 今はまだ、すれ違うことが多い日々。


 けれど二頭のイルカは、いつか必ず重なり合い、そして結ばれる。


 今日も違う場所で、けれど同じ瞬間に、青とピンクのイルカは同時にきらりと光り輝いた――。






【あとがき】

今話にて一章は無事完結となります。

次話から物語は第2章へと突入……その前に、本日は夕方頃にもう1本、蛇足ではありますが更新されます。

内容は一章までの経過報告と年末と今後の更新予定、2章のざっとした説明となります。興味ないと言う方はスルーしてもらって構いません……が、それを紹介するのは藍李としゅうなので、頭だけでも見て損はないと思います。

それではまた夕方ごろの更新をお楽しみにぃぃぃぃ。


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