第37話  押印――キスマーク

 中間テストが終わり、成績も発表されたことで俺たち学生にはまた穏やかな日々が戻ってきた。


 日曜日。俺は何度目かの緋奈さんの自宅を訪問すると、今日はラフな格好の緋奈さんに迎えられた。

 

 挨拶もほどほどにリビングに着くと、既にテーブルには完成した料理が並べられていて、その品目に俺は目を瞬かせた。


「あれ? 今日は随分と豪勢じゃありません?」

「うん。今日は頑張ったしゅうくんにご褒美あげる日にしようと思って」

「くぅぅ! 頑張った甲斐があります! ……ん? でも結果はまだ言ってませんよね?」

「先週にはもう答案用紙は全部返って来て、点数も分かってたでしょ。その時にしゅうくんすごく手応えありそうな顔してたから」

「それで良い結果を出したと推測できたと」

「まぁどんな結果にせよしゅうくんが努力してのは事実だから、今日は腕によりをかけるって決めてたんだ」

「ありがとうございます」


 緋奈さんと一緒にいられるだけで俺にとっては十分ご褒美なのだが、こうして直接労ってもらえるのは感無量に尽きた。


 ちなみに、今日の昼食はちらし寿司だった。アナゴとぷりぷりのエビが入ったちらし寿司だ。それとハマグリのお吸い物に天ぷら。しかも、なんと天ぷらは緋奈さんが直々に揚げたものらしい。


「んんっ! このキスの天ぷらすごく美味しいです!」

「今日スーパーに買い出しに行った時に特売で売ってたんだよね。身がふっくらしてて柔らかいでしょ」

「衣のサクサク感と身の柔らかさが絶妙です。それにちらし寿司もうめぇ」

「ふふ。ゆっくり噛んで、味わって食べてね」

「はいぃ」


 二人で和気藹々とした昼食を満喫した後、本日のデザート用に買ってきたプリンも美味しく頂けば、残りの時間は緋奈さんとソファーでまったりとした時間を過ごす。


「それで? 今回は何位だったの?」


 興奮と好奇。そこにわずかな緊張を加えた声音で促してきた緋奈さんに、俺は持ってきた成績表を鞄から取り出して渡した。


「29位でした」

「おお! 想像以上の順位だね!」

「ですよね! 俺も今回は70位上回れればいいと思ったんですけど、まさかこれほど高いとは思いませんでした!」

「ということは一学年の通路に貼られる横断幕にしゅうくんの名前がるわね」

「成績上位者だけが載る横断幕でしたっけ?」


 俺たちの高校では各テスト期間の成績が出揃うと、各学年の通路に横断幕が貼られる。ただしそこに記載されるのは成績上位者50名のみ。今回29位だった俺は、そこに記載されるのが確定しているというわけだ。


「そうだよ。高校入学後、最初のこのテストで載ると学年の生徒からも教師からも注目されるから、それを知ってる生徒たちは今回のテストけっこう頑張るんだよね。その中で29位は快挙だよ」

「人生でこんな高い順位獲ったの初めてです!」


 舞い上がらずにはいられない俺を、緋奈さんは母親のような慈悲深い笑みを浮かべながら眺めていた。


「休み明けにはもう貼られてるだろうから、しゅうくんの名前見つけたらこっそり撮りにいかないと」

「そんな。恥ずかしいですよ」

「恥ずかしくなんてないよ。その順位は十分誇っていい」

「いや。緋奈さんに撮られるのが恥ずかしいんです。なんか子どもの成長を記録してくる親みたいで」

「次の期末テストも写真撮ってあげるね」

「はぁ。意思を変える気はないみたいですね。なら、次の期末はもっと頑張らないとなぁ」


 大変だ、と苦笑をこぼすと、緋奈さんは「しゅうくんならできるよ」とそれを疑わない眼で見つめてきた。


 緋奈さんがそう言ってくれると本当に達成できそうな気がして、この中間テストですり減った気力がまた賦活ふかつしていくのを感じた。


「それじゃあ、次の期末は10位以内獲りますね」

「わぁ。すごいやる気。でも無茶はダメだよ?」

「大丈夫です。今からコツコツやるので」


 進路も概ね決まってますし、と言えば、緋奈さんは「そっか」と双眸そうぼうを細めて、


「しゅうくんは眩しいくらい真っ直ぐだね」

「俺がこんな風に頑張れるのも、目標を見つけられたのも緋奈さんのおかげですよ」


 彼女の微笑みに応えるように感謝を伝えると、向けられるその微笑みが一層深くなる。

 この人が俺を変えてくれた。変わるきっかけをくれた。だから、俺は前に進める。


「進む道の先にアナタがいるから、俺は迷わず前に進めるんです」

「――――」


 ゆっくりと伸びた手が、緋奈さんの頬に触れる。そっと、まるで雛鳥を慈しむように。


 これまでは緋奈さんに触れることに抵抗があった。でも、今は少しだけ、この結果が彼女に触れる勇気をもたらしてくれて。


「触っていいですか?」


 今更だとは承知の上で訊ねれば、緋奈さんは嬉しそうに口許を綻ばせてくれて。


「うん」


 短く頷いてくれた。


 白く、少し冷たい頬に添える手に、彼女が温もりを享受きょうじゅするように自分の手を重ねた。


「嬉しいな。しゅうくんから触ってきてくれるなんて」

「今までは、緋奈さんに相応しくない男だと思ってたから。でも、今回のテストで、ちょっと自信がついたので」

「なら満足するまで触っていいよ。そうでなくとも私はしゅうくんにもっと触って欲しいけどんだけどね」

「あはは。でもやっぱり緋奈さんに触るのは緊張します」


 悪戯顔から舌先をちろっと覗かせる緋奈さんに俺は微苦笑を浮かべる。

 それからわずかな時間。彼女の頬を堪能する。

 柔らかな肌の感触。触れる手の温もりに、少しずつ心音が上がっていく。


「もういいの?」

「……はい」

「そっか。もっと触っててほしかったな」


 これ以上は心臓が持たないと察しておもむろに手を離せば、緋奈さんが残念そうに視線を落とした。

 しかし、その後にくすりと口角が上がると、


「じゃあ、次は私の番だね」

「――っ!」


 いつかの日のように、怪しく光った双眸が俺を押し倒した。

 予備動作なしに押し倒されて目を剥く俺に、緋奈さんは妖艶えんびな微笑みを浮かべてこう問いかけてきた。


「前に約束したこと、覚えてるよね?」

「な、何のことですかね」

「えぇ。頑張ったらこの続きやろうねって約束したでしょ?」


 片方の手は俺を拘束するように五指を余すことなく絡みついてくる。もう片方の手はあでやかに伸びて、そして俺の胸の中心部、心臓にピタリと止まった。


 はやる心音を、指先で感じ取られている気がした。


「しゅうくんはその為に頑張ってたんじゃないんだ?」

「……ちょっとだけ。ちょっとだけですけど、期待は、してました」

「ふふ。素直でよろしい」


 正直今の今まで忘れてたけど、思い出した瞬間ぶわっと顔が赤くなった。


 それは緋奈さんが姉ちゃんの赤点回避の為に家を訪れた時のことだ。我慢の限界を超えた緋奈さんが俺の部屋に突如として入って来て、そのまま部屋主である俺をベッドに押し倒して、そしてキスマークを残そうとした日。


 その続きが今まさに、今行われようとしていた。


「頑張ったしゅうくんにはご褒美あげないとね」

「これ、ご褒美になるんですかね?」

「ふふ。それは建前――本音はね、私がただしゅうくんの身体に刻みこみたいだけ」


 たらりと落ちた前髪の甘い色香に心音がさらに跳ね上がる。見上げる緋奈さんの顔はなんとも恍惚こうこつで艶やかで、目の前の青年を今にも堪能しようとする猛獣の顔をしていた。


「ルール5に抵触しなければ、何やってもいいんだよね?」

「これ、見方によっては性行為になるんじゃないですかね?」

「セックスじゃないよ。ただ印を残すだけ。しゅうくんは私のものっていう、情熱な印をね」

「ま――」

「待ってあげない」


 くすりと、妖艶に微笑んだ顔に背筋に震えが走って制止を呼び掛けるも、わずかに遅く。


「――くっ」

「――んぅ」


 前回。寸前の所で中断された行為は、今回は邪魔者の介入が一切なかったことで容易に実行された。

 首筋に温かな吐息が当たる感触と柔らかな肉の感触がほぼ同時に伝わって、俺は堪らずうめき声をこぼす。


「あか、なっ……緋奈、さんっ!」

「じっとしてて」


 首筋に唇を押し付けられる。それだけじゃない。ざらざらとしながらも滑らかな感覚。痺れる思考の中で分かった。これは〝舌〟だ。

 首を舐められている。味わうように、吟味ぎんみするように、滑らかな舌触りが首を舐り犯す。


「んぅ……んっ! んぅぅぅ」

「っ! くっ、うぁぁ」

「ちゅぅ。んっ……れろっ、れろぉ……ちゅぅぅ」


 時折息継ぎの為に緋奈さんが首と唇の隙間から熱い吐息をつく。それが肌に触れる度に、身体を寒気にも似た衝撃がぞくぞくっと走り抜ける。


 あの日から、約二週間ほどか。たっぷりと欲望を貯め込んだ猛獣はそれを解放できる悦びに打ち震えていた。


 十数秒にも及んだ情熱的な押印キスマークを終えた緋奈さんは、唇の端から垂れるよだれをぺろりと舐めずさりながら、恍惚とした表情で俺を見下ろして、


「――ちょっとやり過ぎたかしら」

「……ほんと、やり過ぎですよ」


 こんな刺激を童貞の俺が耐えられるはずもなく、無事、瀕死寸前と化す。

 緋奈さんはというと、二週間分溜まめ込まれた欲望を解放してすっきりとした顔をしていた。


「わぁ。しゅうくん。痕つけた所、すっごく真っ赤になってるよ」

「でしょうねえ!」

「あっはは。ほんと、真っ赤。これじゃあ、数日は消えないなぁ」

「消えないよう強くマーキングしたくせに」

「うん。消せないように強くマーキングした。これがあれば、他の女はしゅうくんによりつかないだろうし、それにしゅうくんも私のこと忘れないでしょ」

「俺は片時も緋奈さんのこと忘れた覚えはありませんよ」

「やだ嬉しい。……でも、ちゃんと首輪・・は付けておかないと。勝手にご主人様わたしからいなくならないように。ちゃぁんとね」

「――っ!」


 見つめてくる紺碧の瞳に、覗いてはいけない感情を垣間見た気がした。それは何かどす黒い、深く、浅ましく、醜い感情のような何か。もしかしたらそれを、人は愛情と呼ぶのかもしれない。


 綺麗な瞳に決して宿してはいけないドロドロの感情を覗かせる彼女は、目の前で情けなく喘ぐことしかできないペットを優しい表情で見下ろす。そして、それに刻み込んだ情熱的な愛情の印キスマークを愛しそうに指先でなぞりながら、


「明日はキスマーこれク、隠して登校しないとだね」


 そう言って、小悪魔は嬉しそうに紺碧の双眸を細めたのだった。





【あとがき】

昨日は9名の読者様に★レビューをつけていただきました。

一生終盤まで追い続けてくれて本当にありがとうございます。


今話は二人の主従関係がハッキリしましたね!

それから、前々作で全然エッチな文章使ってないのに何故かエッチにみえると評価された作者の真骨頂がついに今話で発揮されました。

大丈夫。性行為じゃないから。ただキスマーク残してるだけだから。カクヨムコンの審査を担当している方ー! 健全だから本作選考除外しないでくれぇ!

この先の話で確実にそういうシーンあるけど、ちゃんと工夫するから弾かないでくれぇぇ!

この文章表現も作者の特技だと思ってくれると今後も工夫し甲斐があります。

そして本日12/23日(土)、正午頃に更新されるお話で一章はラストになります。

24(日)から2章突入です! 

いきなり2話更新! ……かもしれないです。

今話のご感想、とても楽しみにしています。まぁ、皆「えっち!」って言うんだろうな。。。

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