第31話 水族館デート①
待ちに待った水族館デートは、絶好のデート日和の下行われた。
「見てみてしゅうくん! チンアナゴよ!」
「チンアナゴ~」
「なにそれ?」
ゆらゆらと海中で揺蕩うチンアナゴ。その真似をする俺を、緋奈さんは不思議そうな顔に小首を傾げて眺めていた。……なるほど。リ〇リコは観てないのか。
コホン、と先の
「水族館といえばの魚ですよね。ちなみにチンアナゴって警戒心が強いらしくて、人の気配を察知するとすぐに砂に潜るそうですよ。なので、使われてる水槽のガラスはマジックミラーが使われてるみたいです」
「そうなんだ。しゅうくん物知りだね」
「あはは。実はこっそり調べました」
「真面目ねぇ」
緋奈さんが俺に関心したような視線を注ぐように、俺も不敬とは思いながら彼女のデートコーデを凝視する。
本日の緋奈さんの衣装はいつもより一段と気合が入っているように見えた。大きいリボンが印象的なブラウスにチェックのジャケット。デニム素材のショートパンツにダイヤ柄のタイツ。靴は今日は普段より歩くと分かっているからヒールではなくブーツだった。
そして特に目を惹いたのはサラサラな黒髪だった。料理をする時はポニーテール。普段はストレートが多い彼女だが、今日はゆるふわといった感じで後ろ髪はウェーブが掛かっていて、耳上の髪を結わえてハーフアップにしていた。
まさしく今日の緋奈さんは清楚なお嬢様と呼ぶに相応しく、そんな気品と可愛さが溢れる彼女に通り過ぎ行く老若男女が思わず一度は振り向いた。
今日は現地集合ではなく自宅から迎えに行って正解だったと、誰よりも先にお洒落した緋奈さんを目にした時に心底そう思った。こんなに可愛い人が一人でいたら絶対にナンパされるに決まってるからな。
そんな思惟に耽っていると、緋奈さんがジト目を向けているのに気付いた。
「どうしたの? 私のことそんなにじろじろ見て」
「あぁいえ。今日も緋奈さんは最高に可愛いなって」
「ふふ。しゅうくんにそう思ってもらえるなら頑張ってオシャレした甲斐があったな」
「世界で一番可愛いです」
「ありがとう」
照れもなく
少しでもたじろぐ彼女を見たかった、という邪な気持ちは置いておいて、俺は引き続き緋奈さんと水槽を泳ぐ魚たちに向き直る。
「この魚、縦に泳いでるわね」
「ですね。こういう泳ぎ方が独特の魚って大体は何かに擬態してることが多いですよね」
「じゃあこれは何に擬態してるのかな?」
「海なら水中に漂う海藻とかですかね」
デート初めは人の目線が気になっていたが、こうして緋奈さんと水槽で泳ぐ魚たちを楽しく鑑賞していると次第に意識はデートに夢中になっていく。せっかくのデートなのだ。他人の視線を気にして楽しめないのは勿体ない。
一分一秒。彼女とこうしていられる時間を大切にしたい。
「あれ? ここ魚いないわね」
「いや、ここにいますよ」
「え、どれどれ……あっ。本当だ」
「リーフフィッシュ。葉っぱに擬態する魚ですね」
「すごく上手に隠れるのねー」
「これも天敵に襲われない為の生存能力ってやつですねぇ」
なにはともあれデートは順調。二人で存分に水族館デートを満喫している真っ最中だ。
「あ。こっちにデンキナマズもいるよ」
「おー。本当だ。はは。のんびりしてる」
「こんなやる気なさそうな顔にみえて実はすごく危険な生き物なのよね」
「ですね。まぁ、コイツよりデンキウナギの方が発電力高いらしいですけど」
「そうなんだ⁉」
「はい。デンキナマズの方は400ボルトで、デンキウナギの方はたしか800ボルトだったけな?」
「へぇ~」
「らしいです。まぁ、デンキナマズとかが発電する理由って、大体はエサの捕食と周囲を探る為らしいですけど。でも自分で磁場を作れるってカッコいいですよね」
「男の子ならではの感想ね。……ね、もしかしてそれも調べたの?」
「はい。水族館に行くのに何の知識もなく魚を見るって、それはそれでいいとは思いますけど、でもやっぱり緋奈さんに楽しんでもらいたいから。……まぁ、後半は生態について調べるのが面白くなって本来の目的忘れちゃいましたけど」
「…………」
「緋奈さん?」
裏でこっそりデートの事前準備をしたことを吐露することに照れくさくなってぽりぽりと頬を掻いていると、緋奈さんが顔を俯かせていることに気付いた。
もしかして何かやらかしてしまったか、と狼狽する俺の耳に、ふと小さな囁き声が聞こえた。
「……ほんと、そういうところ」
「あのー、緋奈さん……」
肩を叩こうとした、その時だった。思わず見惚れてしまうほど可憐な微笑みを浮かべて顔を上げた緋奈さんが、紺碧の揺らしながら俺を真っ直ぐに見つめてきて。
「私を楽しませようとしてくれたんだね」
「ま、まぁ、せっかくのデートなのに緋奈さんを退屈させたくないですから」
「しないよ、退屈だなんて。キミといる時間が何より心地いいんだから」
「そ、それは、そう思ってもらえたなら、光栄です」
「ふふ。しゅうくんのそういうところ、本当に大好き」
「~~~~っ」
どうにか耐えられていたが、その一言がトドメを刺した。一気に顔を赤くする俺を見て、緋奈さんは愛慕を灯した双眸で見つめ続けてくる。
大好きとか、そんなこと言われたら、嬉しくなるに決まってるじゃんか。
顔を腕で隠す俺に、緋奈さんはご満悦げに口許を綻ばせて、
「今日はたくさん、しゅうくんのことが知れそうだね」
「……それはこっちの台詞です」
バクバクと騒がしくなる心臓を必死に落ち着かせながら、俺は隣で微笑む彼女を横目で見つめたのだった。
***
「……クラゲには心臓も血液もないんですって。それと脳みそも。その代わりに全身に神経が張り巡らされているんです。よくクラゲに刺されたって聞きますし俺も小さい頃に一回だけ刺されたことがありますけど、実はクラゲにとってはただ触れた箇所がエサだと勘違いして捕食しようとしただけみたいです。まぁ、痛いのには変わりないし近づかないのが無難ですね。水中にいるクラゲを水上から発見できるかどうかは別として」
「本当に詳しいねぇ」
引き続き緋奈さんと水族館デートを満喫していると、クラゲについて解説し終えた俺に緋奈さんは感慨深さそうに長い吐息をついた。
「意外と楽しいものですよ。生き物について知るって」
「ふふ。そんなに生き物が好きなら将来は獣医になってみたら?」
「飼育係じゃなくてですか?」
「それはしゅうくんの好きな道を選べばいいと思うよ。ぱっとその職業が思い浮かんだだけだから」
流石頭のいい人は発想から違う。獣医なんて選択肢、俺の頭には欠片ほど思い浮かばなかった。
「獣医かぁ。大変そうだなぁ」
「頭の隅に置いておくだけでもいいと思うよ。もししゅうくんが本当に獣医を目指すなら偏差値の高い大学に進学しなきゃいけないわけだし、そうでなくとも生き物に関わる仕事をしたいならそれに特化した大学に進む必要があると思うから」
「たしかに」
「でも今私が言ったことはあくまで私の意見だから、やっぱりしゅうくんの将来はしゅうくん自身が決めるべきことだと思うわ」
「いえ。とても参考になります」
これまでは将来なんて適当に大学か就職する程度にしか考えてこなかったけど、緋奈さんの言葉でまだ抽象的ではあるがやりたいことが定まった気がした。
「……獣医か」
「しゅうくん。勉強頑張ってるんだし、上を目指すなら目指した方が私はいいと思うよ。一般企業に就職するにせよ自営業するにせよ学歴は大事になるから」
「ですね」
緋奈さんといると、これまで
「でもしゅうくんはまだ高校一年生。進路を具体的に定めるのはこれからもっと色んな経験を重ねてからでもいいと思うよ」
「はい。でも、勉強は引き続き頑張ります」
「あはは。やっぱり真面目だね、しゅうくんは。分からない所があったら遠慮なく私に聞いてね。なんでも答えてあげる」
「流石は成績上位者」
よろしくお願いします、と頭を下げれば、緋奈さんは「喜んで」とくすくすと笑った。
「しゅうくんがこれからどんな大人になっていくのか、ずっと隣で見守り続けたいな」
「緋奈さんに見守り続けてもらえるなら何でもできそうです」
「――。……ふふ。じゃあ私がしゅうくんを見守り続けてあげる。ずっとね」
ぽつりと零れた懇願。それに苦笑交じりに頷けば、緋奈さんはわずかに目を見開いたあと、ゆったりと紺碧の瞳を愛しげに細めて、誓いにも似た約束を交わしてくれた。
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