第30話 その日を楽しみに
最近の俺の休日は、緋奈さんと過ごす時間が圧倒的に増えた。
「お昼ご飯できたよー」
「ありがとうございます」
キッチンからひょっこりと顔を覗かせる緋奈さんに新妻感あるなと苦笑しながら返事して、俺はぐっと背中と腕を伸ばした。
「今日のお昼ご飯はなんですか?」
「今日は混ぜご飯とつみれ汁だよ」
「やった。両方大好きなやつです」
「ふふ。今のうちにしっかりしゅうくんの胃袋掴んでおかないとね」
「もう
「ありがと」
未だに緋奈さんに昼食を作らせることに申し訳なさは覚えるものの、本人曰く「やりくてやっていること」なのでわざわざ追求する気はなかった。代わりに、食器洗いとこうして完成した料理を運ぶのを手伝っている。
料理を運び終えて席に座れば、緋奈さんもやや遅れて対面席に腰を下ろす。それから、二人の声を揃えて「いただきます」と手を合わせる。自分たちの血肉になってくれる命たち(俺は加えて料理を作ってくれた緋奈さんに)に感謝しつつ、楽しい昼食の時間が始まった。
「うっま」
お茶碗いっぱいに盛られた混ぜご飯。
まろやかに仕上げられた鰹醤油はほどよい甘さと塩味があり、鼻から吹き抜けるひじきの
噛めばしっかりと弾力のあるえんどう豆とこりっとした触感の刻みこんにゃく、それからだしのしみ込んだ油揚げの噛み応えがなんとも絶妙で、口の中が至福という味で満たされる。
「緋奈さんの手料理はほんと世界一美味しいです」
「ふふ。褒めてくれてありがと」
「うめぇ」
語彙力が壊滅的になるくらいには、緋奈さんの料理は絶品の一言に尽きた。
好きな人の手料理というバフもあるのだろうが、それを抜きにしても緋奈さんの料理の腕前は学生の域を優に超えている。
この領域に至るまでにいったいどれほどの歳月を掛けたのかは分からない。きっと、俺の想像している以上の年月を要したはずだ。だからこそ、彼女の努力をこうして堪能している者として、せめて心から思ったことと賛辞を何度も伝えようと思った。
「つみれ汁もいい塩梅です」
「ご飯がよく進むでしょ」
「止まりません」
「あはは。しっかりよく噛んでね」
「はぁい。……もぐもぐ」
頬が垂れ落ちる俺を見て、緋奈さんは満足げに薄く微笑む。慈愛を宿す
そうして食事もほどほどに進んでいくと、ふと緋奈さんがこんな質問を俺にした。
「そういえばしゅうくん。最近ご飯が出来るまでの間勉強してるよね?」
「もぐもぐ……作ってもらってる手前ゲームするのは申し訳ないですし、予習復習する時間に丁度いいので」
咀嚼中だったものを飲み込んでから答えれば、緋奈さんは「本当にいい子」と目を丸くする。
「べつにゲームとか動画観ててもいいのよ?」
「うーん。でもやっぱり気が引けます。それに学力も上げないといけないですし」
「うんうん。勉学に励むのは学生としての本分だし、そして立派な考えね」
「あはは。こう考えるようになったのも、緋奈さんとこうして一緒にいるようになってからですけど」
「なにそれすごく嬉しい。食べ終わったら抱きしめていい?」
「今日は我慢してください」
「むぅ。しゅうくんのケチ」
最近、緋奈さんの愛情表現が前よりも積極的になったし、それに増した気がする。
口を尖らせる緋奈さんの抗議の視線を意図的に無視すると、俺の耳にこんなぼやきが聞こえてきた。
「正式に付き合ったら覚悟しなさいよね」
「なにされるんですか俺」
「それは付き合ってからのお楽しみ~」
蟲惑魔が愉快げに口許を歪めて、俺はぞくっと背筋を震わせた。本当に何する気なんだ。
今からでも対処法を探ろうとするもそもそも何をされるのかが分からない。仕方なく諦観を悟るようにその未来に腹を括れば、緋奈さんは肩を落とす俺をなんとも楽しそうに眺めていた。
そうしてまた
「ねぇしゅうくん。私、来週行きたい所があるの」
「行きたい所?」
オウム返しする俺に緋奈さんはこくりと頷くと、
「水族館に行きたいな」
また珍しい、と俺は目を丸くする。……意外、いやそうでもないか。水族館はデートスポットしては定番だし有名だ。それに緋奈さんが水族館に行きたいとご所望であるなら、カレシである俺が従うのが道理。俺の方も来週は特に予定もないので特段拒否する理由もないので、
「いいですよ。行きましょうか。水族館」
「やった」
二つ返事で頷けば緋奈さんは無邪気な笑みを浮かべた。普段は容姿や相貌で大人びて見える彼女も、こういう時は16歳らしい年相応の女の子に見える。
目に見えてはしゃぐ緋奈さんは、声音を弾ませて俺に訊ねた。
「しゅうくん、生き物に詳しいでしょ」
「詳しいってほどでもないですけどね。でも魚は好きですよ」
「知ってる。だから誘ったの」
「緋奈さんは魚好きなんですか?」
「人並みかな。でもデートと言ったら水族館でしょ」
「定番ですしね」
「行くならやっぱりお互い楽しめる所じゃないとね」
「俺は緋奈さんとなら何処に行っても楽しいですけど?」
「キミはまたそんなこと言って……嬉しいから抱きしめていい?」
いけない。緋奈さんの性欲を刺激してしまった。
今日は我慢してください、と鼻息を荒くする緋奈さんを落ち着かせて会話を再開する。
「それじゃあ、来週は水族館に出掛けるということで」
「出掛けるなんてロマンのないこと言わないで。デートと言ってちょうだい」
「で、デートということで」
「ふふ。照れてるしゅうくん可愛い」
俺にとってはまだ歯に浮く単語を強引に吐かせる緋奈さん。頬を朱くした俺を見てご満悦に微笑む悪女に頬を引きつらせながら、俺はやり場のない感情を混ぜご飯ごと掻き込んだ。
「……いい加減。俺を揶揄う癖直してくださいよ」
「嫌よ。しゅうくんを揶揄えるのはカノジョ特権だもの」
「やめる気ないじゃないですか」
「しゅうくんが可愛いのが悪い」
べつに可愛くないと思うが。まぁ、年上からすれば年下は全員可愛く見えるのかもしれない。
「じゃあ俺が照れなくなったら止めてくれますか」
「その時は照れるまで揶揄い続けるだけよ」
この人なんで俺を揶揄うことにこんなに全力投球なんだろうか。本当に訳が分からん。
俺は
「はぁ、もういいです」
「ふふ。ということは引き続き揶揄っていいということね」
「止めろと言っても止めないんだから諦めるしかないじゃないですか」
「これも私の愛情表現だと思って受け止めて欲しいな」
「……まぁ、そういうことなら」
「ちょろいわね」
緋奈さんは「心配になる純粋さだわ」と憂慮を帯びた視線を向けてきた。べつに純粋って言うほど純粋でもないんだけど、俺。
俺が揶揄われることを甘んじて受け入れるのだって、いつか来る仕返しの日の為だ。その日が来たら、緋奈さんが泣き喚くほどイジメてやるつもりだ。もちろん、バイオレンスな方向ではなく、男としてロマン溢れる仕返しである。具体的な内容は当日のお楽しみにということで。ぐへへ。
そんな不埒な思考に耽っていると、緋奈さんが若干引きながらジト目を送ってきているのに気付いた。
「なーに笑ってるの?」
「べつに。何でもないですよ」
「嘘だ。なにかよからぬこと考えてるでしょ」
「さぁ?」
白を切る俺を緋奈さんは訝る視線で
「言っておくけどえっちなことはダメだからね?」
「分かってます。緋奈さんじゃないんだから」
「たしかに私はしゅうくんをそういう目で見てるけども」
「さらりととんでもないこと認めましたね⁉」
「当たり前でしょう。仮とはいえ付き合っている男女が一つ屋根の下にいるのよ! ぶっちゃけ襲いたい!」
「本当にぶっちゃけたよ⁉ つかなんで俺が襲われる前提なんですか⁉」
「べつにしゅうくんが主導権を握ってもいいよ。ただ、果たして私を満足させられるかしら?」
「うぐ」
そう言われると途端に自信がなくなる。
たじろぐ俺に、緋奈さんはその反応が答えだと愉快げに口許を歪め、
「ね。その時が来たら私が年上としてしっかりリードしてあげる」
「お、お手柔らかにお願いします」
「ふふ。それは未来の私に言ってちょうだい」
「今からすごく未来が怖くなってきました⁉」
きっと、いつかは緋奈さんと結ばれる日が来るかもしれない。そんな日が無事に訪れてくれることに期待を抱きながらも、ニコリと笑った彼女の底知れぬ性欲に戦慄が走らずにはいられなかった。
【あとがき】
昨日は7名の読者様に★レビューを付けていただきました。ご応援、本当に感謝申し上げます。そういやまだ付けて★ねぇやといった読者はこれを機にぽちっと。
そして、昨日のラブコメ部門・日間ランキングにて、なんと本作が12位に載ることができました。すげぇ。
ここまで本作がこれたのは皆さまのご応援やご支持があってこそでした。改めて、本作を常日頃から応援して頂き心より感謝……いや、土下座ですっ!
そろそろ1話更新に戻るかと思われる本作ですが、今後とも変わらぬご応援のほど頂けると執筆活動の励みになります。
では、次回からの水族館デート回をお楽しみに~。
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