第26話  ヤキモチ

「――ん。――うくん」

「…………」

「――しゅうくん」

「っ!」


 名前を呼ばれていることに遅れて気付き、慌てて我に返った俺を緋奈さんが憂いを帯びた瞳で見つめていた。


「すいません。ボーっとしてました」

「見たら分かるよ。何かあった?」

「……いえ、何もないです」


 脳裏に過り続ける神楽の俺をとがめる視線と柚葉の悔し気な顔を振り払いながら答えれば、緋奈さんは「少し休憩しよっか」と席を立った。


「待っててね。今、紅茶淹れてくるから」

「すいません」


 申し訳なさで頭を下げる俺に、緋奈さんは肩をすくめるとそのままキッチンへ向かった。

 ポッドが沸くまでの待ち時間。俺は振り払っても払えずにいる二人のあの顔を思い出して、唇を噛む。


「アイツら、本当に話しかけてこなくなりやがった」


 既に二人と話せないまま、一週間が経過しようとしていた。


 初めの数日はこれも気楽でいいもんだと悠々自適に構えていたが、三日目頃から唐突に不安が胸裏に渦巻き始めた。


 四日目になると流石に気まずいままの状態に気が引けて話しかけようと試みたが、露骨に避けられた。五日目もその繰り返しで、この土日でトドメの一撃を刺された感じだ。


「……俺、何も悪いことしてないだろ」


 苛立ちと疑念。それがずっと頭をぐるぐると回っている。


 何度考え、かんがみても俺に不適切だった箇所は見当たらないし、何度あの日の会話を思い出してみても柚葉が唐突に不機嫌になった理由が分からない。


 たしかに、何も言わない俺に不信感を抱いたのは分からなくもない。ただ。友達でも言えないことの一つや二つくらい抱えてているのは何ら不思議ではないはずだ。アイツらだって、俺に何かしらの隠し事や秘密事はあると思う。


 口外したくない事を露呈しろというのは、それはあまりに理不尽ではないだろうか。


 そんなのはもはや、友達ではない。対等なのが友達だと、俺はそう思う。


 だから柚葉や神楽が俺を咎めたのが理解できないわけで、こうして懊悩おうのうとした時間を送っているわけだ。せっかくの休日で、そして緋奈さんと一緒にいられるのに、この胸のもやもやが晴れないのはなんだか損した気分だった。


 緋奈さんにも心配を掛けさせてしまい、自責の念から思わず重たいため息がこぼれたそのタイミングで足音が近づいてきた。


「お待たせ」

「ありがとうございます」


 緋奈さんが両手にティーカップを持って戻り、湯立つティーカップを俺の前に置いてくれた。それに短くお礼を言うと、緋奈さんは微笑を浮かべながら席に座った。

 そして、緋奈さんは一息吐くと、ティーカップに手を添えながら訊ねてきた。


「それで、何があったの?」

「…………」

「もしかして私には打ち明けられないこと?」

「いや、そういうわけじゃないんです。ただ、この感情を言葉にするのが難しくて……」


 懸命に言葉を探す俺に、緋奈さんはゆっくりでいいよ、と待ってくれた。

 その包容力と器の広さに俺は思わず苦笑を浮かべながら、俺は瞳を伏せて言葉を紡いだ。


「……その、友達と、喧嘩っぽくなってしまって」

「喧嘩?」


 一大事ね、と目を丸くする緋奈さんに俺は慌てて弁明する。


「そんな派手なものではないんです。なんていえばいいのかな。俺とそいつらの間に、認識の齟齬そごがあるみたいな……」

「認識の齟齬……何かが上手く伝わらなくてぎくしゃくしてる感じかな?」

「そんな感じですかね」


 俺はこれを打ち明けることにわずかな躊躇ためらいを覚えるも、真剣に悩みを聞いてくれる緋奈さんになら伝えても構わないと決心して、


「その、そいつらは、俺がやる気を出したことが不満らしくて」

「なにそれ?」

「ですよね」


 はて、と小首を傾げる緋奈さんに俺も苦笑をこぼす。

 詳しく、と説明を促す緋奈さんに、俺は黄金こがね色の水面に視線を落としながら続けた。


「俺、基本何事もそつなくこなせればいいと思ってるんです。全力でやることを無駄だって思ってて、それでこれまでずっと、何もかも適当にこなしてきたんです」

「うんうん。それで?」

「でも最近、このままじゃダメだと思ったんです。自分を変えないといけないと思って。それで、頑張ろうと思ったんですけど……でも、そいつらはそんな俺に不満を抱いてるみたいで」

「――――」


 胸裏を吐露し終えて緋奈さんの顔色をうかがえば、彼女はしばらくまぶたを閉じていた。数秒経ってゆっくりと瞼を開くと、


「しゅうくんが頑張ろうとしてる理由って、ひょっとして私の為かな?」

「お恥ずかしながら」


 苦笑を浮かべながら肯定すれば、緋奈さんはくすくすと笑いながら、


「全然恥ずかしくなんかないよ。私としては嬉しい限りだもん」


 緋奈さんは「でも」と継ぐと、浮かべた微笑みを引っ込めて、


「たぶん。しゅうくんはその子たちの気持ち理解できないかな。でも、私は少しだけ分かるかも」

「え?」


 顔を上げると、今度は緋奈さんが顔をうつむかせた。


「たぶんだけど、その子たちは、ヤキモチを妬いてるんじゃないかな」

「……ヤキモチ、ですか?」


 緋奈さんの言葉に驚きながら復唱すれば、複雑な感情を宿した紺碧の瞳がそう、と肯定した。


「今までずっと変わらなかったしゅうくんが、自分たちの見てない所で急に変わろうとしてる。なんだか一人だけ急に大人になったみたいで、きっとびっくりしたのよ」

「……だからって、そんなの俺の勝手じゃないですか。成長することも前に進むことも」

「そうだね。成長は人それぞれだもん。でもね、ずっと一緒にいると、どうして突然? って納得いかないことがあるものよ。なんで自分たちには一言も相談してくれなかったんだ、って。それまでずっと一緒に色々なことを経験してきたのなら猶更なおさら

「――っ」


 ずっと、一緒。その言葉が、ひどく胸に突き刺さった。


 たしかにそうだ。俺は中学の頃から神楽と柚葉とは長い時間を共に過ごしてきた。学校での時間。放課後。休日。部活動。


 たまに喧嘩けんかして、たまにふざけて。たまに笑い合って――俺が想像していた以上に、俺は、アイツらとの時間を共有していた。


 高校さえ同じで、クラスでさえ一緒だったはずなのに。


 俺は、いつの間にかアイツらとの時間より、将来を優先していた。


 それに気付いた瞬間、後悔と深い吐息が零れ落ちた。


「はぁぁ。馬鹿は俺だった」

「ふふ。思い当たる節があったかな」

「ありすぎました」


 テーブルに突っ伏す俺を見て、緋奈さんがくすくすと笑う。


 まだ、正直にいえば納得できない部分はある。やっぱり俺は悪くないと思うし、責められるのは筋違いだとも思ってる――でも同時に、アイツらの主張が痛いほど理解できてしまって。


「……あれだ。神楽がいきなりカノジョできたって自慢してきた時と同じだろうな」


 あの時の俺は、不満と嫉妬と殺意で満ち溢れていた。一人だけなにリア充になろうとしてんだてめぇ、と。

 きっと、アイツらは今、俺にそれと似た感情を抱いている。

 だから。


「ちゃんと、謝らないとな」

「もう大丈夫そう?」


 テーブルにうずめていた顔を上げると、緋奈さんが唇に薄く弧を描きながらそう問いかけてきた。


「はい。おかげですっきりしました。月曜日。アイツらに謝ってきます」

「うん。しゅうくんはちゃんと謝れるいい子だもんね」

「頭撫でないでください」

「いいでしょ。相談に乗った報酬ってことで」

「……はぁ。好きに撫でていいですよ」


 やった、と俺からの了承を得た緋奈さんは、それから満足するまで頭を撫でてきた。


 とりあえず、やることは決まった。あとはアイツらが納得してくれるかどうかだ。


 緋奈さんに頭を撫でられながら、俺は覚悟を決めたまなじりを波紋を作る黄金色の水面に映すのだった。






【あとがき】

祝! ラブコメ部門、日間ランキング44位! うわぁ、すっごい不吉な数字!

皆様の応援のおかげで、本作は連載開始から17日目でここまで躍進することができました。


そして昨日、★レビューは7名の読者様に付けていただきました。こちらにも土下座レベルの感謝です。


本当に、日頃から応援して頂きありがとうございます。今後も命削って頑張るぞー。おー。


ps:そろそろピークすぎて落ち着いてくる頃だと俺は思ってる。


 

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