第23話 好きなケーキは?
「くんくん。いい匂いがする」
「うん。もう殆ど昼食の準備できてるよ。あとはパスタを茹でるだけかな」
玄関先での一幕からリビングへと足を運べば、さっそく香ばしい匂いが鼻孔を擽った。
今日、緋奈さんの家に呼ばれた理由はこれ。彼女が俺にまた手料理を振舞いたいということで、
「そうだ。緋奈さん。これ、よかったら食べてください」
「わぁ。わざわざ買ってきてくれたの? ありがとう」
箱の中身をケーキだと伝えると、緋奈さんは一層喜んでくれた。常人離れした存在感は休日においても
「あ、このケーキってもしかして駅前の有名なケーキ屋さんの?」
「そうです。緋奈さんの好みが分からなかったので、とりあえずショートケーキとガトーショコラ、それとチーズケーキとモンブラン買ってきたんですけ、ど……」
「…………」
購入してきた種類を列挙している最中、緋奈さんが驚いたような顔で俺を見つめていることに気付く。
「あ⁉ もしかして全部食べられないやつでしたか⁉ それともケーキ事体苦手……」
「違うのよ! ただちょっと驚いただけ!」
ケーキは好きだから安心して! と緋奈さんは勝手に慌てふためく俺を制止させると、
「まさかこんなに買ってきてくれるなんて思ってなくて。びっくりしちゃっただけよ」
「なら良かったです。ケーキ嫌いなのかと思ってひやっとしました」
ほっと安堵する俺に、緋奈さんは腰を折ると見上げるようにその顔を覗き込んできた。そして、好奇と喜びの入り混ぜた声音でこう言った。
「しゅうくんて、いつもたくさん買ってきてくれるよね。ひょっとして癖なのかな?」
「どう、ですかね。……あ、でも中学の時に神楽に同じこと言われたような気がしたな」
いつの日だったか。アイツが喉が渇いたから何か飲み物を買ってきてくれと頼まれたことがあった。その時は神楽の好みが分からずとりあえず二本買って持っていけば、神楽に「適当でよかったのに」と笑われたことがあった。
そんな懐かしい思い出を振り返りながら、俺は視線を緋奈さんへと戻すと、
「人の好みって知るまで分からないし、買ったのに食べられないものがあったら互いに損するなって思って。たぶん、それでつい色々買っちゃうんだと思います」
と自分の性格について語れば、緋奈さんは「じゃあ癖ね」とくすくす笑った。
「迷惑でしたかね」
「ううん。私は好きよ。しゅうくんのその性格」
「な、ならよかったです」
緋奈さんに肯定されることがたまらなく嬉しくて、なんだか照れくさくなる。
「ちなみに、私はチーズケーキが好きよ。あとモンブランと、ガトーショコラもショートケーキも好き」
「じゃあ全部じゃないですか」
「うん。しゅうくんが買ってきてくれたもの全部好き」
「――っ」
「すごいね。伝えなくても私の好きなものが分かるなんて」
「た、たまたまですよ」
「運命だって私は思うな」
緋奈さんはケーキが入った箱ではなく、それを持つ俺の手に自らの手を重ねながら微笑みを浮かべた。
「やっぱり私たち、相性いいかもね」
「まだお互いに知らないことだらけで、そんなの分からないと思います」
「それはこれからお互いに知っていくんだから心配しなくていいわ」
ふわりと、甘い香りが鼻孔をくすぐった。それはケーキの甘い匂いでも、キッチンから漂ってくるものでもなく、俺の耳元に顔を寄せた、緋奈藍李という女性が放つ、甘くて魅惑的な香りだった。
「私の為に、一生懸命選んでくれたんだよね」
くすっ、と耳元で蟲惑魔が微笑んで、
「キミのそういうところ、本当に可愛くて――好きだよ」
「――っ!」
鼓膜を震わせた
「照れてる所はもっと可愛いね」
「……可愛くなんてないです」
頬が熱い。彼女の顔が見れない。
真っ赤にした顔を腕で隠す俺を、緋奈さんは口許を緩めながら見つめ続けるのだった。
***
ケーキは食後のデザートとして二人で美味しくいただくことが決まり、改めて本日の目的である緋奈さんの手料理を堪能する至福の時間がやってきた。
「おお! すごく美味しそうです!」
「ふふ。見た目じゃなくて味にもちゃんと自信があるから楽しみにしてね」
テーブルに並べられた料理に涎を垂らさずにはいられず、そんな俺を見て緋奈さんは嬉しそうに微笑みを浮かべていた。
「でも、なんか申し訳ないです。また緋奈さんに料理を作らせてしまって」
「何言ってるの。そもそも私がしゅうくんに振舞いたくて誘ったのよ」
それにケーキだって貰ったんだから気にするな、と俺の額に指を押し付ける緋奈さんがジト目で
そんな献身的な彼女に俺は苦笑せずにはいられなくて。
「さっきは俺にあんなこと言いましたけど、緋奈さんだって人のこと言えないですよね」
俺からすればむしろ、無償で誰かに手料理を振舞う緋奈さんの方が変わってると思う。
苦笑交じりにそう言うも、しかし緋奈さんは俺にウィンクしてこう反論した。
「言っておくけどこんなこと他人にはしないわ。するとしても真雪かしゅうくんにだけ。つまり〝特別〟な人にしかしないんだからね」
「……俺は、緋奈さんの〝特別〟になれてるんですかね」
「もちろん。しゅうくんのことを〝特別〟だと思っているからご飯を作ってあげたいと思うし、甘やかしたいと思ってる。好きな人以外にはこんな気持ちは抱かないでしょ?」
「はい」
「しゅうくんはもう、とっくに私の〝特別〟な人だよ」
「――っ。……肝に銘じておきます」
「うん。ちゃんと胸にしまっておいてね」
彼女が俺にくれた〝特別〟という言葉が何度も脳内で
絶え間なく続く歓喜の鼓動。昂らずにはいられない心臓を必死に抑えながら、俺は見つめてくる紺碧の双眸に黒の双眸を交差させた。
あぁ、そんな目で俺を見ないでくれ。俺は、まだ何もかもが足りてないのに。
慈愛を宿す双眸と交差する黒の瞳に、刹那、不安が過る。
彼女に〝特別〟だと思われていることは嬉しい。けれど同時にこうも思う。――俺は、本当に彼女の〝特別〟に相応しい相手なのか、と。
その自分自身への問いかけが、確かに弾んでいた鼓動を瞬く間に正常に戻した。
「しゅうくん?」
「何でもないです」
俺の些細な心境の変化を察知したのか、緋奈さんが怪訝に眉尻を下げて顔を覗き込んでくる。俺はそれに取り繕った微笑を浮かべながら首を振ると、緋奈さんは「……そう」と複雑な顔はみせたまま追求するのは留めた。
ほんのわずかに俺と緋奈さんの間に降りる沈黙。しかしそれはすぐに機嫌を取り戻した俺の催促によって霧散された。
「メニューはこれで全部ですかね?」
「うん。今日はパスタにしてみました。しゅうくんはパスタ好き?」
「大好きです」
そもそも緋奈さんが作ってくれたものならダークマターでも食べられる自信がある。しかし緋奈さんの料理の腕前がプロに勝るとも劣らないのはこの舌で確認済みなので、その心配は無用だ。
そして本日。緋奈さんが振舞ってくれた手料理はトマトパスタだった。スープは野菜たっぷりのコンソメスープに、サラダの……
「これ、もしかしてルッコラですか?」
「ご名答。ルッコラのサラダよ。あ、もしかしてこれは苦手だった?」
慌てふためく緋奈さんに、俺は慌てて首を横に振って、
「ルッコラって初めて食べるので。どんな味がするのかなぁ、と」
「あー。まぁたしかに普段食べるものではないかもね。でも美味しいわよ」
「緋奈さんが作ってくれたものなら例え苦手でも全部食べます」
「嫌なら無理しないでね。体にもよくないから」
そんな会話をする間も、俺は目の前の野菜に興味津々だった。いや、ただルッコラだけだったら興味などなかったかもしれない。おそらく、そこまで魅力的ではない野菜が魅力的に見えるのは、色鮮やかに仕上げられたせいだろう。
苦々しい色を持つルッコラは、一口大にカットされたチーズとベーコンとともにオリーブオイルで和えられていた。その上にはクルトンが散りばめられている。
前菜にさえ手間暇かけられていることが一目で分かる一品だった。だからこそ、これが苦手だったとしても全部食べようと心の底から思った。食べきらなかったら、緋奈さんに失礼だ。
「本当に、俺の為にこんな手間暇かけてくれてありがとうございます」
思わず感謝がこぼれれば、緋奈さんは目をぱちぱちと瞬かせて、それからふっと笑った。
「手間暇かけて当然でしょ。だって、しゅうくんに美味しいって言って欲しくて作ってるんだから」
「なら、めっちゃ言います」
「まだ食べてもないのに美味しいって分かるんだ?」
「分かりますよ。緋奈さんが作ってくれるものに不味いものなんかありません」
「作ろうと思えば作れるわよ?」
「意図的に作るのは論外です」
良い雰囲気が台無しです、と嘆息を落とせば、緋奈さんは「ごめんね」と悪びれなく謝った。
そうしてお互いに微苦笑を見せ合うと、
「さっ。料理が冷めないうちに食べましょうか!」
「はいっ。超感謝して食べないと」
「ふふ、キミって本当に……」
良い子だね、と小さく呟いた緋奈さんは、紺碧の
それからそれぞれ席に着くと、「それじゃあ」と揃って両手を揃えて、
「「いただきます」」
それは楽しい朝食の時間を過ごしたのだった。
【あとがき】
いいか皆よく聞け。本作は一月末まで更新予定だ。つまり、カクヨムコンが終わるまでだな。そこまではこのキモイ更新ペースを維持するが、その後は分からない。俺は間違いなく意気消沈してるからな。
つまり、だ。この最高の二ヵ月間を心の底から楽しみにしていてほしい。
Rs:カクヨムコン終了したらたぶん一ヵ月くらい休載するww
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