第18話 仮の恋人として
――つき、あう? ……ツキアウ? ……突き、合う?
見つめてくる紺碧の瞳の熱量に戸惑いながら、俺の頭にはそんな言葉がぐるぐる回っていた。
「ねぇ、返事は?」
「…………」
「付き合うって、こんな時間にいったいどこに?」
「そっちの付き合うじゃないわよ⁉」
緋奈さんは伝わってないの⁉ と
「付き合うってそっちじゃない! 交際の方! 男女の恋愛の方よ!」
「猶更訳が分からないです⁉」
緋奈さんは若干苛立ちをはらみながら先ほどの言葉の意味を説明した。今度は俺の方が驚愕だった。
「なんでっ、急に俺と緋奈さんが付き合うんですか⁉」
「恋はいつだって急なものでしょう!」
「ゆっくり育んでいく恋が大半だと思いますけど⁉」
「じゃあ私たちは例外ってこと! いいじゃない少しくらい付き合ってくれても!」
「やっぱり付き合うってそっちの……」
「違うわ! 歴記とした男女の交際の申し出よ!」
「えぇ⁉」
訳が分からん、の一言に尽きた。
だって、そうだ。俺は緋奈さんに好感を持たれる何かを一つだってした覚えがない。今日のお出掛けだって緋奈さんは喜んでくれたけど、男性として彼女をしっかりエスコートできた自信はない。
「俺、緋奈さんに好かれるようなこと何もしてないです」
弱音でありながら本音をこぼせば、緋奈さんは呆れたとでも言いたげに肩を落とした。
「雅日くんて、真雪の言ってた通り自分を過小評価する癖があるのね」
「いや、これに関しては過小ではなくただ事実を述べているだけというか……」
「全然事実なんかじゃないわよ。キミはもう、とっくに私に好かれるようなことをしているわ」
「ありえないです……いてて」
「ありえなくない!」
即座に否定すれば、緋奈さんは俺を厳しく
「雅日くんは私が嬉しいって、好きかもって思えることたくさんしてくれたわ。それを否定するのは、例え雅日くんであっても許さないから」
「……だって、本当に思い当たる節がないから」
食い下がる、というつもりもないが反論すれば、緋奈さんは嘆息を吐いた。それから両頬を抓る手を離すと、ビシッと人差し指を俺に突き刺して、
「じゃあ、今から私が雅日くんのこといいなって思えた所一つ一つ挙げていくわね」
これ言うのすごく恥ずかしいんだから、と前置きしてから、
「まずお見舞いに来てくれた日のこと、覚えてるわよね?」
「はぁ。それなりに最近の出来事だったですし、何より初めて緋奈さんの家に行った日ですから。……緊張しててあんまり会話は覚えてないけど」
重要なのはそこじゃないから安心して、と緋奈さんは小さく笑みを浮かべると、
「あの日、雅日くんは熱を出した私の為にたくさん見舞いの品を持ってきてくれたでしょう」
「は、はい。どれがいいか分からなかったし、先輩を元気づけられそうなもの片っ端から買いました」
「そうね。雅日くんにとっては、ただそれだけのこと。でもね、私にとってはそれが嬉しかったのよ」
「――――」
微笑みを浮かべる緋奈さん。細まった双眸にあの日の
「仲良くもなければ友達ですらない。ただ真雪を通した知り合い程度の私なんかの為に、あんなにも心配してくれたのがたまらなく嬉しかった。雅日くんがあの日、お見舞いに来てくれたおかげで、私は寂しい思いをせずに済んだし、すごく元気がもらえた」
黙る俺に、緋奈さんはそれだけじゃない、と続けた。
「この前だってそう。私が雅日くんの家にお邪魔したとき、料理を振舞ったでしょ」
「はい」
「あの時、キミが私の作った料理を本当に美味しそうに食べてくれたのがすごく嬉しかった。全然大したものなんかじゃなかったのに。それでも人生で一番美味しいものを食べたみたいな顔をしてくれた雅日くんがね、ずっと頭から離れなかった。だからあの日、思い切って連絡先を交換しようと思ったの」
俺にとってはそんなことが、しかし緋奈さんにとっては胸に温かさを与えるほどの大切なことだったらしい。
語られていく想いに、驚愕は尾を引き続けたままで。
「真雪から雅日くんは女の子と一度も付き合ったことがないって聞いてたけど、正直不思議だった。こんなに優しくて可愛い人が、どうしてモテないんだろうって」
「それは、俺が緋奈さん以外には淡泊だからですよ」
「じゃあ、やっぱり雅日くんにとって私は〝特別〟ってことだ」
「――っ。……ノーコメントで」
恥ずかしくなって逃げてしまう俺に、緋奈さんは「いいよそれで」と追及はしないでくれた。
「今日のお出掛けの真の目的は、こうしてもっとキミを知って、私を少しでも知ってもらって、相性がいいか確かめるためだったの」
「じゃあ、告白したってことは……」
俺の言葉に緋奈さんはニコッと笑うと、
「相性、いいと思わない? 私たち」
「……どう、ですかね。やっぱり俺は、緋奈さんには不釣り合いだと思います」
認められている気がする。そうは思いながらも、やはり俺と緋奈さんには天と地ほどの格差がある。
緋奈さんは才色兼備で品行方正。学校では誰をも魅了する生徒。方や俺は、高校生になったばかりのカースト最下位もいいところの根暗無気力男子。
そんな彼女と俺が付き合うなんて、想像もしなければこんな展開になるなんてこの瞬間まで想像さえしてこなかった。いや、できなかった。
「緋奈さんは、俺にとってはずっと姉ちゃんの友達、くらいの認識でした。確かに好きって気持ちがあることは認めます。でも、きっとそれは緋奈さんに好意を持っている全員が持っているもので、俺も
「資格なんて必要ないよ」
「緋奈さんが必要としなくとも交際する側には覚悟がいるんです。優しいから付き合う資格があるなら、緋奈さんがこれまでフってきた人たちにだって
「――――」
その返しは予想していなかったのか、緋奈さんが口を
「緋奈さんが俺に好意を寄せてくれているのははっきり言って嬉しいです。でも、その好意に甘えて緋奈さんと付き合えば、俺はきっと緋奈さんに縋ってばかりになる」
人を好きになるってことが、いまいちよく分からない。唯一好きになった人は、ずっと憧れていた彼女だから。
こんな気持ちで付き合うのは、緋奈さんにも、そしてこれまで彼女がフってきた人たちにも、そして姉ちゃんにも不誠実ではないだろうか。
こんなチャンス二度と巡ってこないなんて分かり切っている。ここで頭を下げればもう緋奈さんは俺に興味を失って関わってくれなくなるかもしれない。
それでも、運や偶然に
「ごめ――」
「やっぱりいいわ」
緋奈さんとの関係が今日で終わる覚悟で頭を下げようとした瞬間、
決死の覚悟で閉じた
「雅日くんのそういうところ、すごく好き!」
「――うえ⁉」
唐突に、大胆な愛の告白をされた。
目を剥く俺に、緋奈さんはぐっと距離を縮めると、
「そういう、欲に負けないでちゃんと考える所がすごく好きなの!」
「こ、これくらい普通では?」
「キミの考えが普通なら私に告白してくる男子はもっと少ないと思うわ」
「……確かに」と思わず納得してしまった。
頬を引きつらせる俺を余所に、緋奈さんは嬉しそうに口許を緩めると、
「また一つ。キミの好きな所見つけられたな」
「――っ」
それは反則だろ。
俺なんかの良いところを見つけた程度のことで本当に嬉しそうにはにかんだ顔を見てしまえば、さっきまでの決心が揺らいでしまいそうになる。欲に負けて、この人と付き合いたくなる。
バクバクと、騒がしさを増す心臓を必死に落ち着かせる。そんな俺の胸中のことなんか知りもしない緋奈さんは、瞳を輝かせながら両手を握ってきて、
「やっぱり私の目に狂いはない。私は雅日くんのことがもっと知りたい……ううん。好きになりたい!」
「いや、でも付き合えな……」
「ならお友達……はダメね。他の人に
緋奈さんは数秒思案したあと、やがて名案を思いついたように目を見開き、
「それじゃあ、仮のお付き合い、なんていうのはどうかしら!」
「はぁ⁉」
どんな名案かと思いきや予想外の妙案に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「そんな、正式じゃなければなんでもいいと思ってませんか⁉」
「わりと思ってる」
「わりと思っちゃってるのかよ⁉ 仮なんて猶更ダメですよ!」
声を荒げて否定すれば、緋奈さんは不服そうに頬を膨らませた。
「なんで? いいと思わない? 友達以上恋人未満な関係! メリットしかないと思うの!」
「どこが⁉」
目を白黒させて訊ねると、緋奈さんは思いついたものを折り畳んだ指に乗せて挙げていった。
「色々あるわよ。そうね、例えば、これからは気軽に私の家に遊びに来れるし、好きなだけ連絡だってできる」
「たしかに魅力的ではありますけど……」
「それに手を繋ぐこともできちゃうわよ。言っておくけど、男友達だったら手はおろか体も触らせないからね」
「……ごくり」
「デートだってできちゃう」
「うぐぐ」
「こんな風に密着してもいいよ?」
「それはっ、流石に……」
「雅日くんが嫌でも私はするからね」
「緋奈さんて
「うん」
「うん⁉」
だって好きだもん、ともはや何の抵抗もなく好意を示してくる緋奈さん。これは正直感情のやり場に困る。
魅力的な提案を出しまくる緋奈さん。流石の俺も揺らぎ始めていると、そんな気配を察したのか緋奈さんがトドメの一撃にこんな最高の提案を出してきた。
「あとはそうね。私の手料理食べ放題よ」
「―――っ⁉」
まるで雷が落ちたような、そんな衝撃が全身を駆け巡った。
硬直する俺に、緋奈さんは追撃とばかりにこそっと耳元に顔を寄せ、こう
「雅日くんが友達がいいって言うなら私はそれでいいよ? でも、そうなると私としては変に勘違いしてほしくないし、ご飯は作ってあげられないなー」
「……ズルイですよ、それ」
睨む俺に緋奈さんは一歩も退かず、愉しそうにくすくすと笑う。
「退路なんて用意してあげないよ。私はキミを知って、好きになりたい。キミにも、私を知って、好きになってほしいと思ってるの」
もうとっくに好きだ。でも、ちっぽけなプライドが付き合うことを拒んでいる。
なんとも馬鹿らしい理由に呆れる。
けれど、そんな馬鹿野郎のことを諦めきれず手に入れようとするちょっと変わった女性が案外身近にいて。
「お互いのことをもっと知って、そして好きになったら正式に付き合えばいい。それまでは仮……お試しで付き合ってみない?」
「――――」
それもダメ? と潤んだ瞳が訴えかけてくる。
卑怯だ。狡い。なんて悪女だ。決心した心を揺るがせる魔性の女だ。緋奈さんは。
そんな魅力的な提案を悉くされて、諦めたくないと訴えられて、それで折れない屈強な精神を、生憎だが俺は持ち合わせていなかった。
「――念の為、言っておきます」
「なに?」
「このことは、他言無用でお願いしたいです。できれば、姉ちゃんにも」
「――っ! じゃあ!」
ごめん。緋奈さんに振られた、これまでの男子たち。そして彼女に恋慕を抱く男たち。
こんな、たかが友達の弟が、長年奪い合っていた一つの席を、誰も知らない間に座ってしまって。
でも、こんな熱いアプローチなんてされたら、誰だって折れるに決まってる。
「本当に、俺なんかでいいんですね?」
「うん。雅日くんがいい」
俺って優柔不断なのかと、呆れずにはいられない。けれど、そんな俺を好きだと、いい所はたくさんあると褒めてくれた彼女に、心は惹かれずにはいられなくて。
もっと、彼女のことを好きになりたくて。
「――なら、仮のお付き合いの話、お引き受けします。つか、させてください」
「あはは。変な雅日くん。私の方から告白したのに。でも、受け入れてくれるならなんでもいっか。こちらこそ。今日からよろしくお願いします」
「……夢みたいだ」
「夢じゃないよ。今日から、雅日くんは私のカレシだよ」
そう告げて、緋奈さんは嬉しそうに口許を綻ばせた。その微笑に、胸がざわつかずにはいられなくなる。
とにもかくにも、こうして俺と緋奈先輩は仮の恋人として付き合うこととなった。
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