第17話 告白
――夕焼けと夜空が入り混じる
「緋奈さん」
「ん? どうしたの?」
既にショッピングモールから遠く離れ、今は緋奈さんを自宅近くまで送り届けていた。その道中、彼女の名前を呼べば、今日は何度も見た柔和で可憐な微笑みが振り向いてくれて。
「今日は、どうして俺をお出掛けに誘ってくれたんですか?」
「――――」
ずっと気掛かりだった質問を今日のお出掛けの終幕間際にようやく口に出せれば、緋奈さんは少しだけ思案する表情をみせた。
じっと、緋奈さんが口を開いてくれるまで待つ。
時間にして五秒ほどか。うん、と短く相槌を打った緋奈さんが顔を上げて、
「理由は、すごく単純よ。私は、もっと雅日くんのことが知りたいと思ったの」
「それだけ、ですか?」
戸惑う俺に、緋奈さんはこくりと頷いた。
「ほら、私たちって、真雪を挟んでそれなりに面識があるでしょ」
「はい」
「でも、ちゃんとした交流は一度もしたことがなかったな、って」
「それで、今日のお出掛けを提案してくれたんですか?」
つまり、仲良くなるために、とうことだろうか。
そんな俺の推論に、緋奈さんはふるふると首を横に振り、
「半分当たってるけど、半分は違うよ」
と答えた。
緋奈さんは少し先を歩くと、そこでくるりとスカートを翻し、
「キミと仲良くなりたいと思ったのは本当。真雪からよくキミの話を聞いてね、そしてキミと顔を合わせる度にずっとキミを知りたいと思ったの」
「そんな。俺は緋奈さんが興味を抱くほどの人間じゃありませんよ」
何もない凡人です、と自嘲気味に言えば、緋奈さんはしかし否定してきた。
「ううん。キミは何もなくなんかなかったよ。優しくて、思いやりがあって、笑顔が可愛い子だった」
「それは……相手が緋奈さんだからです」
「あはは。それってつまり、雅日くんにとって私が〝特別〟ってことかな?」
「――っ」
悪戯な問いかけに言葉が詰まった。そんな俺を見て、緋奈さんがくすくすと笑う。
「その質問はズルイです」
「知ってる。雅日くんは知らないかもだけど、女っていうのはキミの思った以上に
「それでもし、仮にですよ。俺が肯定したらどうするんですか?」
「どうか……少なくとも私は――嬉しいかな」
「っ!」
先輩が勘違いさせてくる。その答えが、
きっと俺を揶揄って楽しんでるだけだ――そう思いたいのに、彼女の強い眦がそれを否定させる。
世界に一つしかない紺碧の瞳が潤みを帯びて揺れて、世界中どこを探してもいるであろう極々平凡な男子高校生をジッと見つめていた。
「分かりません。俺には。たしかに俺と緋奈さんは会話こそしたのは最近だけど、面識はずっと前からありました。でも、俺はアナタに興味を抱かれるような、好意があることを喜んでもらえるような人間じゃない」
「――――」
緋奈さんにとって俺は、ただの姉ちゃんの弟。そのはずなのに、なんで。
なんで、大して仲良くもない俺なんかに、まるで恋する乙女のような目を向けてくるんだ。
勘違いだと、何かの間違いだと、脳が否定を続ける。否定しないと、正常じゃいられなくなる。
「俺が先輩を〝特別〟だと思ってるのは認めます。先輩は超美人で可愛いし、
いつの間にか先輩呼びに戻っていることに気付かずに、俺は緋奈さんに好意を抱いていることを認めた。緋奈さんは一瞬ムッとしながらもすぐに微笑を浮べて。
「そうね。自分で認めるのもあれだけど、私は人からよく好かれるわ」
「美人も大変ですよね」
「うん。すごく大変。それで他の女子から疎まれることだってあるし」
「複雑っすね」
うん、と頷く緋奈さん。共感はできないけれど、同情はできた。
「でもね、例え数多の人から好意を受けても、それに誠意がないと意味がないと思わない?」
「そう、ですね。下心百パーで近づかれても不気味なだけでしょうし」
「でしょう。私に近づいてくる人たちは先に雅日くんが言ったように下心しかなかったわ」
そんなはずはない、とは言い切れないけど、中には純粋に緋奈さんのことを想っていた相手だっていたはずだ。けれど、結局緋奈さんの不信感は拭えず撃沈したんだろう。
「なら、俺が今、先輩と一緒にいるのは下心があるから、って認めたら、先輩はどうするんですか?」
「――――」
好意の確認をして、そしてそれを認めさせる問答を繰り返したんだ。ならば、この質問を予想していなかった緋奈さんではないはず。
緋奈さんは数秒黙り込んだあと、すぅ、と息を吐いてこう尋ねてきた。
「雅日くんは私と
「――っ⁉ ……その問い返しはずるいです」
真意を引きずりだすことに夢中になっている俺の意表を突いた問い返しに、思わず顔が赤くなる。緋奈さんは俺のその反応に「可愛い」と呟きながら笑い、
「それで? 雅日くんは私とそうなりたくて近づいたの?」
「……正直に言っていいですか?」
「うん。いいよ」
「……ぶっちゃけ、絶対できないって思ってます」
「ふぅん」
その言葉に嘘偽りはない。緋奈さんと付き合う妄想なんて、そしてそれ以上の展開なんて、微塵も想像できなかった。
だって、相手は遠く雲の上の存在で、高嶺の花で、凡人の俺なんかじゃ手が届かない存在だから。
緋奈さんの質問は俺にとって、極論を言えば『神様と交際を考えたことある?』という質問に等しかった。神様とそんな関係になるなんて、大抵の人は考えることは愚か妄想すらしたことがないはずだ。
「緋奈先輩は俺にとって、雲の上の存在なんです。今は少しだけ普通の女の子なんだなって思えますけど、でも、やっぱり俺にとって先輩は姉ちゃんのともだ――あっ」
緋奈さんは俺にとってどんなに手を伸ばしても届かない存在。奥歯を噛みしめながら情けなく現実を吐く俺に――いつの間にか、ゼロ距離まで詰めていた緋奈さんが、真剣な顔をして手を握ってきた。
「私は神様でも
「――ぅ」
壁まで追い詰められた。喘ぐ俺を鋭い視線で糾弾しながら、緋奈さんは五指を余すことなく絡めてくる。図らずも恋人繋ぎとなった手に、息が詰まった。
「私は今、キミの目の前にいるよ」
なんで俺、緋奈さんに問い詰められてるんだ? 頭の中でそんな疑問がぐるぐると回り続けている。
オーバーヒート寸前の頭に、銀鈴の、少し怒りを帯びた声音が続けた。
「私。今日雅日くんと一緒に遊べて楽しかった。ペットショップも、食事も、ゲーセンも、私を一生懸命エスコートしようとしてくれて、キミが私を必死に楽しませようとしてくれたことがすごく嬉しかった」
「――――」
「キミと仲良くなろうとして正解だと思ったわ。真雪は雅日くんのことを愛想がない
「それは……先輩が綺麗だからつい見惚れて」
「先輩じゃなくて、緋奈さん、でしょ?」
「……緋奈さんが綺麗だからで」
向けられた圧に耐えられず背筋を正せば、そんな俺を見て緋奈さんはクスッと微笑んだ。
光沢を纏う桜色の唇が怪し気に歪む様はなんて妖艶なのかと、思わず魅入ってしまうその僅かな間に、
「今日、雅日くん。私と合流する前に他の女のひとたちにナンパされてたよね?」
「――っ‼」
ぺろりと、舌を舐めずる緋奈さんと今朝の出来事が俺の脳内で似重なった瞬間だった。
緋奈さんの太ももが、俺の下半身に伸びていることに気付いたのは。
「男は猛獣ってよくいうけれど、女の子だって猛獣なのよ?」
「あ、緋奈さんは猛獣なんかじゃないです」
「どうしてそう言い切れるの?」
その質問に咄嗟に返すことができずに口を噤めば、蛇のようにゆるりと伸びた腕が俺の頬に添えられた。
「私は、キミが思っているよりずっと
「~~~~っ!」
クスクスと笑う緋奈さん。何もできず硬直する俺とどんどん距離を詰めていく。
「雅日くんは積極的な子は嫌い?」
「……いやっ、それは……っ」
「胸の大きな子より小さい子のほうがいい? 服従させるより従えたい派かな?」
「~~~~っ!」
「ちなみに私は前者かな」
一センチ。距離が近づくにつれて、緋奈さんの吐息が頬を撫でて、全身の産毛が残らず総毛立つ。
頭も、心の臓も、下半身も、体の全てが爆発してしまいそうなほど、熱が体中でうなる。
所詮は男と女。振り払おうと思えば力づくで振り払えばいいだけなのに、けれどできなかった。体に、力が入らなかった。
知らなかった。緋奈さんに、こんな一面があっただなんて。
学校でもそんな噂何一つとしてなかったし、姉ちゃんからもそんな話は一切聞いたことがなかった。
緋奈さんて、実はビッ――
「ぷっ」
「ぷ?」
唇が奪われる。その寸前にギュッと固く
奇妙な音に恐る恐る固く閉じた瞼をゆっくり開くと、そこにはお腹を抱えて笑う緋奈さんがいて。
「あはは!」
「~~~~~っ⁉ も、もしかして! 俺のこと揶揄いました⁉」
羞恥心の爆発で茹だった蛸のように顔を真っ赤にする俺に、緋奈さんは目尻に溜まった涙を拭いながら、
「ごめんごめん!雅日くんの反応があまりに可愛くて! つい揶揄いすぎちゃった」
「――くっそ⁉ これ以上ない恥辱ですよ!」
どっと深いため息を落とす。それと同時にいくらか落ち着きを取り戻した心臓が正常に脈を打ち始めた――その、瞬間だった。
まだ握られている手が、未だ妖艶に微笑む緋奈さんが、おもむろにまた顔を近づけてきて。
そして、鼻先に息が当たるほどの距離で、こう言った。
「でも、私が積極的っていうのは本当だよ」
「――っ!」
心臓が、またドクンと跳ね上がった。
「あと、服従させたいって欲があるのも本当」
見つめる瞳が、それは偽りではないと訴えかける。
「……そう言ってまた、俺を揶揄ってるだけじゃないんですか」
「信じてくれないんだ。私、無暗に誰かと手を繋ぐなんてしないのよ。男なんて猶更」
緋奈さんはそう言って、五指を余すことなく絡めた指を俺に見せつけてくる。
「心音も聞いて欲しいな。すごくドキドキしてるの」
「これ以上密着したら、セクハラになっちゃいます」
「私が承諾してるんだからセクハラじゃないわよ。確認する?」
「しないです!」
「残念」と緋奈さんはくすくすと笑って、そしてようやく手を離してくれた。
それと同時に密着していた体も離れていく。再び保たれた距離感に、俺は深い、深い呼吸を繰り返した。
「ふぅ。やっぱりこういうのは緊張するね」
「俺は心臓止まりかけましたよ。揶揄うにも程があります」
と糾弾すれば緋奈さんは両手を合わせて「ごめんね」と謝った。しかしその顔にはまだ笑みが残っている。反省しているようには到底見えなかった。
それからお互いに高揚した気分を落ち着かせようとしばらく無言の時間を過ごし、ようやく少し平常心を取り戻すと会話を再開した。
「それで、なんで急にあんなことしたんですか?」
「それは勿論。雅日くんに私のことを知ってもらいたかったからよ」
「……とりあえず緋奈さんが俺が想像しているより怖い人だということはよく分かりました」
そう答えると、緋奈さんは心外だとでも言いたげに頬を膨らませた。
「むぅ。私は雅日くんに好意があることを知って欲しかったんだけどなぁ」
「あんな攻められかたして好意があるとは思えませんよ⁉」
あれはエサを目の前にした餓えた猛獣の目だった。と言えば、ようやく緋奈さんは反省したようにしゅん、と項垂れた。
「ひ、引いた?」
「若干引きましたけど。まぁ、正直言えば悪くは……いえ普通に引きました」
悪くはなかった、と馬鹿正直に吐露しかけた瞬間、緋奈さんの目がぱっと輝いたように見えたので、慌てて意見を変えた。またあんなビッチみたいな揶揄われ方されるのは
「うぅ。気を付けます」
「本当に気を付けてくださいね。俺じゃなかったらそのままヤッてますよ」
「大丈夫! 雅日くん以外にこんなことしないから!」
「……余計ダメなんだよなぁ」
嘆息と同時に、疑問が生まれる。
それをどうしても彼女に確かめずにはいられなくて。
「あの、緋奈さん」
「ん? どうしたの?」
「……どうして、他にはこんなことしなくて、俺にはこんなことできるんですか?」
尽きぬ疑問。答えの出ない難題。その問題の出案者に解を求めれば、緋奈さんは静かに双眸を細めながら俺をジッと見つめて。
「ここまでしたのに、本当に答えに辿り着かない?」
「――――」
落胆、そんな声音をはらませた問いかけに俺は沈黙した。
答え、とはいかずとも、ある程度の回答は既に出ている。しかし、それはあまりに
緋奈さんの問いかけに答えるにはまず、いったい、いつから緋奈さんが俺をそんな目で見るようになったのか。それを導き出す必要がある。しかし、その時点から俺は分からなかった。
俺は、緋奈さんに好意を持たれるような何かをした覚えがない。
既知の仲となった期間はそれなりに長いが、こうして話すようになったのはつい最近だ。
逡巡する。そんな長い沈黙に飽きたのか、小さな嘆息をこぼした緋奈さんが一度開いた距離をまた詰めた。
「いいわ。雅日くんが答えないならもう私から言ってあげる」
女の子の返事に時間を掛けちゃダメ、と説教をもらいながら、緋奈さんはさらに一歩距離を詰めて。
息を飲んだ。宝石のように輝く瞳に見つめられて、一瞬で俺の世界が彼女ただ一人に埋め尽くされる。
緊張からかほんのりと朱く染まった頬。胸に添えられた手の温もり。首筋に当たる熱の籠った吐息。
眼前に移す光景があまりに美しくて、綺麗で、魅了されて、狂おしいほどに愛おしくて。
そして、バチっと、視線と視線が火花を散らすように交わった、その刹那――
「雅日……雅日柊真くん。私と、付き合ってください」
天地がひっくり返るような告白が、俺の鼓膜を貫いたのだった。
「――ぇ?」
【あとがき】
昨日は1名の読者様に★レビュー頂きました。
そしてこれまで本作に★をくださった読者様にも、遅れましたが応援ありがとうございます。
今後とも皆様の期待に応えられるような展開を書けるよう尽力していきますので、どうか本作と作者を見守っていただけると幸いです。
……エチチな回普通にあるから期待してろよ、野郎どもぉ!
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