第14話  先輩呼びは嫌だ。

 本日の緋奈先輩の衣装コーデは前回とはまた違った雰囲気だった。


 トップスは無地で滑らか感のあるTシャツ。紺色のジャケット。ボトムスはブラウンチェックカラーのフレアスカート。トップスとボトムスを結ぶ光沢のある黒ベルトが二者を強調させながらも絶妙なバランスで際立たせていた。靴はというと、今日は結構歩くと判断したのだろう。前回はヒールだったが、今回はブーツを選択チョイスしていた。


 髪型はいつも見る黒髪ストレートだが、左側に編み込みが施されていた。そして耳にはイヤリングを付けている。これは新鮮だった。


 うっすらと引かれたアイラインにリップが塗られた艶やかな唇――普段から美女なのに、こうして化粧を施せばそこにより美しさが乗算されて老若男女問わず振り向かせてしまう魔性の美女が誕生する。こんな絶世の美女が現実にいるのだから世界は恐ろしいほどに残酷だ。


 そんな世界さえも虜にしてしまう美女と共に行動している俺は前世で一体何をやらかしたんだろうか。魔王でも討伐したか、はたまた魔王自身だったか。


 そんな下らない妄想と共に可憐かつ目麗しい緋奈先輩に見惚れていると、


「どうしたの? 雅日くん」


 銀鈴の鳴るような声に意識を現実に引き戻されると、緋奈先輩が俺を見つめていることに気が付く。


「あ、すいません。じろじろ見ちゃって」

「何もないならそれでいいんだけど、やっぱりどこかおかしいところあった?」

「そんなことないです! 先輩は今日も綺麗です」

「そ、そうかな」


 先輩がちょっと照れたのか頬を朱くする。


「……幸せやぁ」

「み、雅日くん?」


 あまりに可愛すぎて直視できず、顔を両手で覆って悶える俺。

 今日もう死んでもいいや、とわりと本気で思っていると、


「あ、そうだ。ねぇ、雅日くん」

「は、はい。なんでしょうか?」


 不意に緋奈先輩に服を引っ張られて慌てて振り向くと、先輩は少しむっとした顔で言った。


「今日は先輩呼び禁止ね!」

「じゃあどう呼べと⁉」


 左右の指を重ねて×ばってんを作った先輩。

 俺はなんて高いハードルを要求してくるんだと目を剥く。

 困惑する俺に緋奈先輩は「どうって」と継ぐと、


「普通に苗字か名前で呼んでほしいな」

「そんな恐れ多いです!」

「キミは私を神だとでも思ってるの?」

「神ではなくとも聖母だとは正直思ってます」

「少なからずキミが私に恭しく接している原因が分かったわ」


 緋奈先輩は一つため息を落とし、


「だったら猶更、今日は先輩呼び禁止にしなくちゃね」

「じゃあ聖母って呼べばいいですか?」

「どんどん悪い方向に進んじゃってる⁉ 普通に名前か苗字で呼んで欲しいな」


 それも中々にハードル高いんですけど。


 ただでさえ雲の上の存在だと思っているのに、そんな急に距離を縮める真似なんて恐れ多くてできるはずがない。俺にとって先輩は先輩なのだ。


 しかし、そんな言い訳を先輩が許してくれるはずもなく。


「今から私のことを先輩以外で呼ぶまで一歩も動いてあげない」

「んなっ⁉ そんな急に子供っぽいことしないでくださいよ」

「あら。私って意外と子どもなのよ。普段は周りの目もあるから社交的に振舞ってるだけで、真雪と一緒にいる時なんかは結構駄々こねたりするのよ?」

「俺は姉ちゃんの弟であって姉ちゃんじゃないんですけど」

「でもキミからは真雪と同じ雰囲気を感じるわ。姉弟だから似てるのね」

「だからって……」


 狼狽ろうばいする俺なんてお構いなしに先輩は拗ねた子どもみたくそっぽを向く。そして本当にその場から動かなくなってしまった。この人、意外とワガママなのか?


 しかしせっかくの先輩とお出掛けなのにこんな場所で道草を食うのは惜しい。


 逡巡する俺を、緋奈先輩はちらちらと期待を宿した瞳で見てくる。……ああもう! なんだよその可愛い反応は! 卑怯だろ!


 俺は諦観を悟ったように深いため息を吐いて、先輩の期待に添えながらしかし尊敬の念を崩さない敬称で彼女を呼んだ。


「それじゃあ、緋奈さん……で、どうでしょうか」

「藍李って呼んでくれないの?」

「どうかこれで勘弁して頂けないでしょうか!」


 と全力で懇願すれば、緋奈先輩――改め緋奈さんはくすくすと笑って。


「ごめんごめん。ちょっと揶揄いすぎたね」


 そう言って目尻に浮かんだ涙を指で払うと、


「うん。今はそれで許してあげます」

「……ありがとうございます」


 今は、という言葉が気掛かりに感じたが、それを追求することは直感的に止めた方がいいと悟ってひとまずこの修羅場を潜り抜けたことに胸を撫でおろした――が、


「はい。それじゃあもう一回言って?」

「え」


 唖然とする俺に、緋奈さんはにこにこと笑いながら、


「もう一回。私のこと呼んで」

「いや、それは、あの……」

「呼べないの?」


 なんだこの威圧感は。拒否権があるのに、それを全く行使させる気がない圧は。

 潤んだ瞳が「呼んでほしい」と訴えかけてくる。こんなの、応えないとダメなやつだろ。


「……あ、緋奈さん」

「もう一回」

「緋奈、さん」

「ついでに下の名前も……」

「もうほんと勘弁してください!」


 羞恥心しゅうちしんに耐え切れず顔を真っ赤にして白旗を挙げれば、緋奈さんは「あははっ」とお腹を抱えながら笑った。


「悪魔ですか緋奈さんは⁉」

「ごめんごめん。キミに呼ばれることが思った以上に嬉しくて。それでつい調子に乗っちゃった」

「はぁ。俺に呼ばれたくらいでこんな喜ぶのなんて緋奈さんくらいですよ」

「えぇ。そうかな? 意外とキミに名前を呼ばれて嬉しく思う女の子いると思うけど」


 それはもう俺のことが好きなやつだ。そしてそんなやつはこの世界にはいない。


 ……ん? 待てよ。その理屈で言えば、緋奈さんは俺のことが好きになるってことになるな。……流石にそんなバカげた話はないか。俺がこの人とちゃんと話し始めたのもつい最近だし。


 そう簡単に人に好かれる性格ではないことは、悲しいことに自分自身の人生で体験済みなのである。故に、浮かれることはあっても己惚れはしない。


「満足してくれましたか?」

「うん。大満足。でも、もう一度だけ呼んでほしいな」

「もぉ。これでひとまず最後ですよ?」

「うん。もう一回、私のことを呼んで」

「――っ」


 刹那。その切望と熱を灯した紺碧の瞳に、思わず息を飲んだ。


 この世界のどの宝石にも負けない。、燦然さんぜんと輝く紺碧の瞳に宿る感情――それは親愛か、或いはそれに似た感情で。


 慈愛に満ちていて、羨望をはらんでいて、他人に望む愛慕を宿した、そんな瞳の揺らめき。


 どうして緋奈さんがそんな視線を俺に向けてくるのかなんてこれっぽっちも理解できなくて、遂に頭は思考を放棄した。いや、放棄したんじゃない。考えることに怖くなったんだ。踏み込めば己惚れると、錯覚してしまうと理解したから。


 脳が俺に下した命令は、ただ彼女の願いに応じることだった。


「――緋奈さん」

「うん。よくできました。雅日くん」


 こんなにも人に触れたいと思ったのは、きっと、生まれて初めてだった――。





【あとがき】

緋奈パイセンが可愛いなどの反応、超お待ちしてます。

PS:本作に興味を持ってくれて読んで頂いてる読者様のおかげでどうにかランキング乗り続けられてます!☆マジ感謝ッ!!☆

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