第13話  ちょっとしたハプニング

 ――土曜日。


「ええと、ここで合ってるよな?」


 緋奈先輩と出掛けることとなった当日。待ち合わせ場所に予定よりずっと早く着いた俺は、何度もスマホと集合場所を交互に確認しながらそわそわしていた。


「緊張して全然寝れなかったし、30分も早く着いちまった。つか、変な所ないよな?」


 普段はコーデなんて全く気にしないが、今日はそんな適当なことはできない。なにせ、今日のお出掛け相手はあの緋奈先輩なのだ。ならば、ファッションセンスなんてなくともそれなりに格好のついた服装で会わなければ釣り合いなんて取れない。ただでさえ俺なんて分不相応ぶんふそうおうなのだから、こんなものは必要最低限の礼儀だ。


 一応、俺の今日の服装を見せておこう。


 上半身は無地のTシャツにネイビーカラーのアウター。それとよく分からんネックレス。これはちょっとオシャレぽっく見えるかと思って着けてみた。下はカジュアルなデニムパンツ。靴下は新品で、靴は気に入っててまだそれほど汚れてないスニーカーを選んだ。


 髪も今日はセットした。久しぶりにやったもんだからセットするのに二時間も掛ったし、今日の格好をみた家族からは「アナタ、デートにでも行くの?」と目を疑われた。ちなみに、姉ちゃんはその時まだ寝ていて、おそらく今も爆睡中のはずだ。


 とにもかくにもイケメンではないがそれなりに様になっているのではないだろうか、と自分では思っている。まぁ、これを最終的に評価するのは他人でも俺でもなく、緋奈先輩だ。


「流石に早すぎたな」


 透明なガラスを鏡代かがみがわりに使って身だしなみのチェックをする。時刻を確認してもさほど時は進んでおらず、緋奈先輩が予定通り来るとしたらまだそれなりに時間がある。


 ひとまず近くの開いてる喫茶店でも行って時間を潰そうか、と考えていると、


「ねぇ、キミ何してるの~?」

「――っ!」


 不意に声を掛けられて、反射的に肩を震わせた。そんな驚愕する俺に、いつの間にか目の前に立っていた二人の女性がくすくすと笑っていて。


「な、何かようですか?」

「う~ん。用があるといえば用があるし、ないっていうならないかな」


 どっちだよ、と内心ツッコミながら警戒の色を濃くする。一歩後ろに下がる俺に、明らかに年上のお姉さん二人は不敵な笑みを浮かべると、


「ねぇ、キミ。ひまならお姉さんたちと一緒に遊ばない?」

「いえ、遠慮しときます」


 ナンパだった。

 つか、ナンパなんて初めてされたわ。

 よりによってなんでこんな大切な日に、と舌打ちする俺とは裏腹に、お姉さんたちは一向に退く素振りをみせず、何なら一歩距離まで詰めてきて、


「ねぇ、いいでしょ。もし友達と一緒に遊ぶなら、その子も一緒でいいからさ。お姉さんたちと楽しいことしない?」

「しないです。それに待ってるのは友達じゃありません」

「友達じゃないならカノジョ?」

「カノジョじゃないです」


 よく分からん、と首を傾げたあと、お姉さんは「まぁいっか」と自己完結して、


「なら猶更あたしたちと遊ぼうよ。きっと楽しいよぉ? 三人で頭がおかしくなるようなことしよ? こんな美人二人と相手できる機会滅多にないよぉ~?」


 あ、これそういうやつか、と理解と同時に身構えた瞬間、俺の下半身に意図的に太ももを押し付けてきたお姉さんがぺろりと舌を舐めずさる仕草を見せた。


 まるで獲物を見つけた狩人の目つきだった。


「――ひっ」

「反応可愛い~。あはは。すぐに食べちゃいた……」

「――うおっ!」


 首筋に熱い吐息が掛かり、迫り来る猛獣の毒牙に掛かりそうになったその寸前、誰かに手を掴まれて、そして勢いよく引っ張られた。


 咄嗟とっさのことにすべなく力の掛かった方へ引っ張られる体を抱き止めたのは、柔らかくて甘い香りだった。


「――私の弟くんに何か用かしら?」

「……え?」

「あ、これヤバ……」


 ハッと顔を上げた瞬間――それが誰なのかはすぐにわかって。


 そして、それと同時に彼女が今まで見たこともない形相ぎょうそうをしていることに息を飲んだ。


 只ならぬ圧を放つ女性――緋奈先輩に、息を飲んだのは俺だけじゃない。直前まで俺をナンパしていた女性たちでさえ委縮し、「失礼しましたァァァァ!」と尻尾を撒いて猛ダッシュでこの場から去っていった。


「――ふぅ」

「…………」


 ナンパをものの数秒で撃退し、安堵する緋奈先輩をただ茫然ぼうぜんと見惚れていると、先輩が俺のそんな視線に気づいた。


「大丈夫だった、雅日くん?」

「は、はいっ! おかげで助かりました」


 慌てて緋奈先輩から離れて、それからぺこぺこと頭を下げる。


「すいません。まさかナンパに遭うなんて想像もしてなくて」

「私もびっくりしたよー。なんか見慣れた人がいるなー、って思って近づいてみたら、それがまさか雅日くんだったんだもん」


 でもキミが無事でよかった、と柔らかく微笑む緋奈先輩。一方の俺は、先輩に助けてもらった事実に情けなさを覚えて奥歯を噛みしめた。


 いきなり先輩を幻滅させるようなことをしてしまった。


 そんな俺の悔悟かいごとは裏腹に、先輩はそっと腕を伸ばすと、紺碧の双眸そうぼうを細めながら頭を優しく撫でてきて、


「でもキミがナンパされちゃったのもおかしくはないかな。だって、すごくカッコいいもん」

「――っ! ……そ、そうですかね」

「うん。カッコいい」


 いつもと違くてびっくりしちゃった、と驚く先輩に、俺はその言葉が嬉しくて顔が見れなくなる。


 ――『先輩にカッコいいって言ってもらえた! なんだこれ、めっちゃ嬉しい!』


 先ほどの恐怖はいつの間にか消えていて、今の俺の胸中は高揚と歓喜で埋め尽くされていた。


 我ながらに単純だと呆れる。けど、それでいいと思えた。先輩にそう評価してもらえるなら、例えそれがお世辞だとしても、光栄なことには何ら変わりないから。


「先輩も、今日すごく綺麗です」

「ふふ。そう? 変じゃない?」

「変な所なんて何一つないです。本当に、すごく、すごく綺麗です」

「あはは。褒めてくれてありがとう」


 見視界が先輩一人で満たされてしまうほど、先輩は綺麗で、美しくて、可愛かった。


 くるりとスカートを翻してみせて、ウィンクして魅せる先輩。この人、やっぱ自分の可愛さ理解してるよな。それを惜しみなく魅せてくるから心臓に悪い。


 今日、ずっとこの人と一緒にいられるのか。


 胸には、緊張と嬉しさが同時に込み上がる。ごちゃまぜになった感情の中で、その二つが胸を満たして支配した。


「よし。それじゃあちょっと早いけど、早速遊びにいこっか」

「はいっ! 先輩となら何処にでも行きます」

「ふふ。嬉しい返事ね。そういうことなら、今日はとことん私に付き合ってくれるかしら」

「喜んで」


 くすりと微笑む先輩に俺は迷う素振りすらみせず頷いてみせた。

 それからゆっくりと歩き出す先輩の歩調に合わせて、俺も歩きだす。


「でも本当に大丈夫だった? なんだかあと一歩で襲われそう……というより食われそうになってたけど?」

「あはは。正直にいえばちょっと怖かったです」

「男の子だってそういうのに遭うんだからちゃんと注意しないとダメよ?」

「普段は全然絡まれないんですけどね。なんで今日はナンパされたんだろ?」

「……それはキミがカッコいいからじゃないかな」

「? 何か言いましたか?」

「ううん。なんでもない。私よりあのお姉さんたちと遊べた方がよかったかなって」

「まさか。緋奈先輩以外の誘いなんて光栄でもなんでもありませんよ」

「それは私としては嬉しい限りだけど、でも大丈夫? 学校で友達とちゃんと仲良くできてる?」

「それについては問題ありません。もとより友達は少ないので!」

「それを平然と言える雅日くんの精神に感服するわ……」


 和気藹々わきあいあいと会話を弾ませながら、歩調を合わせて歩いて行く。

 こうして、俺と緋奈先輩の楽しいショッピングが始まった。

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