第10話  美人先輩の連絡先 

「それじゃあ、雅日くん。またね」

「はい。今日は本当にあり……姉がご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」


 深々とお辞儀する俺に緋奈先輩は「気にしないで」と苦笑を浮かべた。


「真雪も電話で泣きながら謝ってくれてたから。それに、今日は予想外の収穫もあったから、私としては重畳ちょうじょうだったわ」

「……はぁ」


 予想外の収穫ってなんのことだろうか。

 首を横に捻る俺に先輩は意味深に口許くちもとを緩めていて、ますます疑惑が深まるばかりだった。


「あっとそうだ。ねぇ、雅日くん。レインやってるわよね」

「え? はい。やってます」


 突然そんなことを聞かれてぎこちなく頷けば、緋奈先輩は「それなら」と呟いて鞄からスマホを取り出した。

 そして、先輩はにこっ、と俺に笑いかけると、


「せっかくの機会だから、連絡先交換しましょ」

「うえ⁉」


 レインのQRコードをかざしながらそんな提案を唐突にしてきた先輩に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 狼狽する俺に、緋奈先輩は依然として意味深な笑みを浮かべまま、


「思えば雅日くんは真雪の弟くんなのに連絡先知らないのはおかしいかなって」

「や、そんなことはないと思いますけど……」


 緋奈先輩はあくまで姉ちゃんの友達であって俺の友達ではない。知り合いではあるが、連絡先を交換していいほど親密な仲でもないはずで。


 だからこそ、先輩が唐突に連絡先を交換しようと提案したことに驚愕した。


 無論、それは俺からすれば天からの恵み、奇跡に等しいものだ。緋奈先輩の手料理と同等、或いはそれ以上に価値のあるものに違いない。


 そんなものを、意図も容易たやすく手に入れてしまっていいのか。少々都合が良すぎる気がする。


「雅日くんが嫌なら残念だけど止め……」

「します! いえむしろこっちからお願いします!」


 逡巡など無意味に等しく、気付けば俺の方が全力で頭を下げていた。


 先輩の連絡先なんて簡単に手に入れられるものじゃない。男なら猶更だ。姉の弟特権だろうが奇跡だろうが何でもいい――この機を逃せば、二度と先輩に関われなくなる気がした。


 縋ることを情けないとは思いながらも、しかし心は欲求に従順だった。


 そうやって頭を下げる俺に、緋奈先輩はおかしそうにくすくすと笑って。


「もう。雅日くんはいちいち大袈裟ね。私の連絡先なんかで頭なんて下げなくていいのに」

「そんな。先輩の連絡先なんて、男が欲しいものランキング一位ですよ」

「喉から手が出るほど欲しいんだ?」

「はい。喉から手が出るほど欲しいです」


 もはや開き直ったように頷く俺に、緋奈先輩は「素直だね」と笑った。


「よし。ならさっそく交換しましょうか」

「はいっ」


 急いでポケットからスマホを取り出してレインを起動する。少し不慣れな手つきでQRコード画面まで来ると、先輩がそれを読み取った。


 俺のスマホに先輩の使っているレインのアイコンが、先輩のスマホに俺が使っているレインのアイコンが交互に表示されると、二人ほぼ同時に承認ボタンを押した。


 ……本当に、緋奈先輩の連絡先をゲットしてしまった。


「これでよし。雅日くんのアイコンってハリネズミ?」

「は、はい。前にハリネズミがいるカフェに行って撮ったやつです」

「へぇ。雅日くんはハリネズミが好きなんだ」

「好きです」


 こくりと頷けば先輩は「雅日くんはハリネズミが好き」と呟いて、それから唇に柔らかな弧を描いた。


「そっか。これでまた一つ、キミのことが知れたわ」

「――っ!」


 微笑みを向けられた瞬間、時が止まったような感覚を味わった。


 視界に映る景色がぼやけて、一人の女性しか鮮明に映さなくなる。車が通る音も、鳥の鳴き声も、周囲の家族連れの声も聞こえなくなって、世界から音が消えた。


 愛しさを宿したように細まった紺碧の瞳。それが見つめている相手が自分であると、彼女の瞳が否応なく伝えてきて。


 息を飲む一瞬がこんなにも長いと感じたのは、生まれて初めてだった。


「じゃあね。雅日くん。今日は楽しかったわ」

「は、はい。俺もすごく楽しかったです。気を付けて帰ってくださいね」

「ふふ。お気遣いありがとう。やっぱりキミは優しい子ね」


 最後に小さく会釈した先輩が「またね」と手を振る。俺はそれにほぼ反射的に手を振り返した。


 歩き出す先輩のその背中を、放心状態の俺は小さくなって曲がり角で消えるまで見届けていた。


 そして先輩の姿が視界から完全に消えると、俺は無言のまま、急ぎ足で玄関を抜けた。階段を駆け上がり自分の部屋に戻ると、倒れ込むようにベッドにダイブした。


「……緋奈先輩の連絡先。ゲットしちまった」


 放心状態のままスマホを点けると、映し出されたのは緋奈先輩のレインのアイコン画面で。


 夢じゃないよな。これ、現実だよな。


 本当に、あの緋奈先輩と連絡先を交換してしまった。


 その事実が、徐々に、時間を掛けて、ようやく飲み込まれた瞬間、


「うおっしゃあああああああああああああああ!」


 抑えきれない興奮を、俺は枕に顔を埋めて爆発させたのだった。




【あとがき】

明日12/5日はam7:20分頃に更新です。

もっと甘くなる本編を応援といった方は★レビューで期待を込めてくださると作者の創作活動の励みになります。

多くの読者の方とひとあまをもっと盛り上げていけたらいいなと思ってます。

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