第9話  憧れの先輩とお昼ご飯

 リビングでそわそわと待っている真雪の弟――柊真くんに思わずくすっと笑ってしまいながら、私は借りたエプロンを纏って調理に取り掛かった。ちなみに、私が借りたエプロンは真雪のものだ。勝手に借りてしまったから後で謝らないといけないけど、今日の一件を貸しとすればこれでチャラにしてあげよう。


 蛇足はほどほどに早速調理を始める。


「雅日くんに啖呵切ったんだから、ちゃんとしたもの作ってあげないとね」


 誰かの為に料理するなんて久しぶりだから、少し緊張する。

 両脇を引き締めて、まずは具材の調理に入る。


 ネギの葉を輪切り、冷蔵庫にカニカマがあったのでそれをチャーシューの代わりに入れることにした。タマゴ二つを容器に落として卵白と卵黄をしっかりとかき混ぜる。


 十分に熱したフライパンにサラダ油を注いで数秒待つ。サラダ油に熱が伝わったことを湯気で確認すれば、そこからはスピード勝負だ。


 最初に投入するのは溶いたタマゴ。ジュワッ、と高熱に焼かれる音が一気に広がって、フライパンの中で溶きタマゴが膨らむ。


 ある程度固まると次に投入するのは冷凍庫にあったお米。既に解凍しておいたそれを手早くフライパンに投入しタマゴと混ぜる。


 白米とタマゴが良い感じに混ざりあえば、あとは具材のネギの葉とカニカマを入れるだけ。フライパンを振って全体に均等に熱を伝えていく。


 最後に味付け。塩少々に香味ペースト。香りづけにごま油を小さじ一杯。隠し味にお味噌を小さじ一杯分入れる。


「よし。完成」


 一品目の料理は中華の定番、チャーハンだ。

 一応彼に持っていく前に味見しておく。……うん。バッチリ。


「お湯も、丁度沸いたわね」


 せっかくの昼食が一品だけでは味気ないので、ポットであらかじめ沸かしていたお湯を乾燥ワカメ、塩少々、粉末の鶏がらスープの素、ゴマを入れた容器に注ぐ。ごま油をさっと垂らせば。即席の中華スープの出来上がりだ。


 あとはチャーハンをお皿に盛りつければ、


「雅日くん。喜んでくれるかな」


 完成した昼食をトレーに乗せて、私はドキドキしながらリビングで礼儀正しく待っている弟くんの下に向かった。



 ***



 段々とキッチンから香ばしい匂いがリビングに伝ってきて、元々何も入っていない胃が更に小さな悲鳴を上げた。


 時折リビングから緋奈先輩を見ると何度か目があって、緋奈先輩はその度に微笑みを返してくれた。


「なんだこの幸せ空間は」


 まるで先輩と夫婦にでもなった気分だ。これが下賤げせんな妄想であるのは重々承知だと理解しているが、脳内に存在しない記憶が溢れ出していく。


 夢でもいいから醒めないでほしい。そう切に願っているとキッチンの方からトレーを持た先輩が戻ってくるのを捉えた。どうやら料理が完成したようだ。


 簡単には拝むことのできない緋奈先輩のエプロン姿をこれでもかと網膜に焼き付けているとほどなくして先輩が目の前にやって来た。


「お待たせしまし……ふふ。ちょっと待たせすぎちゃったかな?」

「いえ! 全然待ってません!」


 テーブルに項垂れる俺を見て先輩がくすくすと笑う。バッと勢いよく顔を上げると、先輩は俺の手元に完成した料理を置いてくれた。


「……チャーハンだ」

「うん。冷蔵庫見たら作れそうだなーと思って。お昼に丁度いいでしょ」


 眼前にはもくもくと香ばしい湯気を漂わせる二品が。一品は前述の通りチャーハンで、もう一品は中華スープだった。


 掛かった時間は体感で10分満たないくらいか。短い時間で二品を作り上げた緋奈先輩の手際の良さと料理の手腕に感服するばかりだった。


「これ、食べていいんですよね?」

「当たり前でしょ。見せびらかす為に作るなんて非道な真似しません」

「すいません。先輩の手料理食べられるとか光栄だから」

「おかしなこと言うのね雅日くんは。私はお嬢様でもなければお姫様でもないのよ。どこにでもいる一般庶民です」

「あはは。たしかに。お嬢様はチャーハンなんて作らなそうですもんね」


 先輩の軽口に苦笑を浮かべながらそう返すと、先輩は「でしょ」と口許を緩めた。


「ほら、ご飯が冷めないうちに食べて食べて」

「は、はい」


 先輩に促されるまま俺はスプーンを手に持つと、この状況と先輩の手料理を食べられることに心の底から感謝するように「いただきます」と両手を合わせた。たぶん、人生の中で一番深くその言葉を言った気がする。


 そして、いざ実食。


「はむ……もぐもぐ――うまあ⁉」


 スプーンで黄金の米を掬って、少し緊張で震える手を咥内に運んだ。それから思い切ってパクっと一口頬張れば、瞬間、舌が美味に歓喜した。


「よかったぁ」


 ほっと安堵する先輩には目もくれず、俺は一心不乱にチャーハンを頬張る。


 程よい塩味。香味ペーストの豊潤な香りと……たぶんこれは味噌か。濃厚でありながら全体のバランスを崩さない絶妙なコクが新鮮さと相俟って、スプーンを動かす手を止めさせない。チャーシューの代わりに入っているカニカマも程よい甘味をくれて、このチャーハンと抜群に相性がよかった。


「凄いです先輩! 俺何もないって諦めてたのに、こんなに絶品のものを作るなんて!」

「雅日くんが喜んでくれてよかった。自慢でもないけど、家にあるものでご飯を作るの得意なの」

「先輩は絶対将来いいお嫁さんになれますね」

「ふふ。雅日くんからお墨付きもらっちゃった」


 先輩が嬉しそうに俺を見つめているも、咥内に広がる至福の味を噛みしめている俺はその視線に気づかなかった。


 それから程なくして先輩も取り分けていたチャーハンを食べ始める。小さく零れた「おいし」に可愛いなと胸中で呟きながら、水分を欲しはじめた咥内に中華スープを注いだ。


「スープも美味しいです」

「これも作るのは簡単よ。ちょっとアレンジすればクッパも作れるのよ」

「クッパってマ〇オの?」

「違うわ。そっちのクッパじゃない。クッパスープの方のクッパよ」

「あそっちか」

「もう。わざとやってない?」

「いやいや! わざとなんかじゃないですって!」


 一瞬脳裏に浮かんだマ〇オの宿敵を緋奈先輩が即座に否定。嘆息を落とした先輩に俺はすいませんと頭を下げる。


「でも食べたことないなら馴染みもないわよね」

「食べたことならあります。でもクッパが自分で作れるということを初めて知りました」

「あはは。結構作るの簡単だから、雅日くんさえよければ後でレシピ教えてあげる」

「是非」


 それならお昼一人の時でも質素なご飯にならなくて済むな。それに先輩から教えてもらったんだから試さなきゃバチが当たる。


 そんな他愛もない会話を弾ませながら昼食を進めているとあっという間に皿の底が見えて。


「「ご馳走様でした」」


 食という時間を共に過ごしたからか、俺と緋奈先輩に当初あったぎこちなさはすっかりなくなり、食べ終わった頃には二人揃って手を合わせていた。


「ふぅ。先輩が作ってくれたチャーハン。この世で一番美味しかったです」

「もぉ。褒め過ぎだよ」

「それくらいしか俺にはできませんから。感謝の気持ちを伝えないとバチが当たりそうだし」

「雅日くんは本当に素直でいい子ね」


 そこは真雪とそっくり、と淑やかに微笑む先輩に、俺は思わずドキリとしてしまう。


 完全に異性としては見られてないけれど、でも先輩とこういう何気ない一時を過ごせるのは友達の弟特権と思えば悪いものじゃない。先輩の手料理なんて食べたくて食べられるものじゃないし。


 こんな機会早々巡ってくるものじゃない。ならば、この時間を少しくらい堪能してもバチは当たらないはずだ。


「あ、お皿片しますね」

「え、いいよ。私が片すわ……」

「何言ってるんですか。ご飯作ってくれた人に片付けまでさせる訳にはいきません」


 慌てて腰を浮かせた先輩をその場に引き留め、俺は食器を鳴らしながら纏めていく。


 楽しい食事だったとはいえ、先輩に迷惑を掛けてしまったことに変わりはない。これ以上先輩に甘えては男としての面子も立たなくなる。


 食器を片して洗う程度で全部の恩を返せると思ってないし、食後の飲み物を俺が用意するのも当然のことだ。


「先輩、食後の飲み物は何がいいですか? ……とはいってもコーヒーか紅茶くらいしか用意できるものありませんけど」

「そうね……なら、コーヒーをもらえるかしら」

「了解しました」


 まとめた食器を乗せたトレーを持って頷き、緋奈先輩ご要望のコーヒーを淹れる為にキッチンへ向かう。


「雅日くん」

「はい?」


 不意に名前を呼ばれて踵を返せば、先輩がわずかに戸惑いをはらんだ視線を俺に向けていて。

 けれどすぐにそれが振り切られると、先輩は淡く微笑んで、


「ありがとう」

「――こちらこそ。先輩と一緒にお昼ご飯を食べられて嬉しかったです」

「――っ!」


 ぺこりと頭を下げて礼を告げたあと、俺は高揚感に浮つく足でキッチンへと向かった。


 水を貯めた洗い桶に食器を入れて、ポッドのスイッチを入れる。先輩には聞こえないくらいの音量で鼻歌をうたってお湯が沸くのを待つ俺は、気付かなかった。


 リビングで静かに佇む、緋奈先輩から羨望にも似た熱い視線が送られていることに。


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