第6話 休日の訪問者

 俺が予感していた通り、その後に緋奈先輩とのイベントが起こることはなかった。


「しゅう。お昼出掛けるけど、アナタはどーする?」

「あー……俺はパス。行っても姉ちゃんの荷物持ちにされるだけだし」

「アナタもすっかり反抗期になっちゃって。たまには家族の買い物付き合いなさいよ」

「欲しいものがあったら付いてくよ。……あと息子が反抗期って分かってるならせめてドアノックしてから入って来て」

「自家発電するなら夜にしてちょうだい」

「……自家発電とか言うなよ」


 母親曰く反抗期の息子の文句に、母親は呆れながら肩を落とした。絶賛思春期の息子を相手によくそんな下ネタが言えるもんだ。もうちょっと配慮や気遣いってものを覚えて欲しい。


「分かったから早く出っていってよ」とベッドに寝転がりながらゲームする俺に、母さんは「はいはい」と嘆息を吐きながらリビングに戻っていった。


 出掛けるとなると今から約一時間後か。姉はそうでもないが、母さんの方は化粧やら着替えの身支度に掛かる時間が長い。その間、姉はスマホをイジっていて父さんは放心状態と化しているのが我が家の日常だ。


 俺があまり家族と出掛けたがらないのは出掛けると分かっているにも関わらず出発するのが遅いからだ。その時間の生産性のなさよ、と思うし、いざ買い物に出掛けてもやることも特にないので暇を弄ぶことが多い。だったら、こうして家でごろごろしてた方が百倍有意義である、というのが俺の見解だ。外食もあまり好きじゃないしな。俺は家でのんびり食いたい派なんだ。


 そうやって学生なりの休日の過ごし方に徹していると玄関の扉が開く音と「いってきまーす」と家族の声が聞こえた。


 それに一応は「うーい」と返事はしたが、たぶんその声が家族に届くことはない。


 ……ぐぅぅぅ。


 家族が出掛けてから約一時間後くらいか。浅い微睡まどろみに呑まれながら漫画を読んでいると不意にお腹の虫が鳴って、そこで俺は腹が減っていることに気付く。


「よいせ」


 漫画を枕元に置いてベッドから起き上がる。おっさんみたく腰を叩きながら部屋を出れば、静かな空間が胸にわずかな虚無感を駆り立てた。


 自分の足がぺたぺたと廊下を叩く音を聞きながらリビングに向かい、キッチンの棚を物色する。


「うわマジかよ」


 いつもなら買い置きしてあるはずのカップラーメン。それを昼飯にしようと思ったのが、まさかの棚の中はもぬけの殻だった。つまり、ストック切れを起こしていた。


「それじゃあ冷蔵庫の中は……あー。だから買い物に行ったのか」


 休日になるとよく冷蔵庫の中身が殺伐とするのが我が家の特徴。今日もそれに例外はなく、案の定冷蔵庫には飲み物と父さんの酒、あと調味料くらいしか目ぼしいものがなかった。


 一応冷凍庫に冷ご飯はあるものの、これだけで食べ盛りの男子の腹が満たされるはずもない。


 外に出たくないが、外に出なければまともな昼食にはありつけなさそうだ。


「はぁ。コンビニ行くか」


 冷蔵庫の扉を閉め、諦めてコンビニに行こうと部屋からパーカーと財布を取ってこようとした時だった。


 ピンポーン、と家のチャイムが鳴った。


「配達か?」


 家族なら普通に鍵を開けて入って来るだろうし、俺も誰かを呼んだ覚えもないのでインターホンを鳴らした相手の選択肢は必然と限られる。


 とりあえず対応しておくか、とリビングに設置されているモニターのボタンを押すと、


「うえぇ⁉ ……あ、緋奈先輩⁉」


 モニター画面が映し出した人物。それがあまりにも予想外すぎて俺は目を剥いた。


 なんで緋奈先輩が家に? いや、そんなことよりも先輩を待たせちゃいけない!


 慌てふためきながらも、俺は急ぎ通話ボタンを押した。


「は、はい?」

『あ、その声はもしかして雅日くんかな?』


 応答するや否や、モニター画面にぱっと顔を明るくさせた緋奈先輩が映った。可愛いすぎて悶絶してしまう。

 俺はこちらの顔が映らないのをいいことに悶絶する顔を両手で覆いながら、


「そうです。ちょっと待ててください。今門開けるので」

『ううん。このままで平気よ。それより真雪はいる?』

「姉ちゃんですか?」

『うん。今日真雪とお出掛けする予定で、それで一度こちらにお伺いしたんだけど』


 え?


「あの、姉ちゃんなら一時間くらい前に、家族と買い物に出掛けましたけど……」

『えぇ⁉』


 緋奈先輩の素っ頓狂な声がスピーカ越しにリビングに響いた。


『え、え? 本当に? 嘘ついてない?』

「ないです。姉ちゃん、今出掛けてます」

『嘘でしょぉ』


 先輩がガックリと肩を落とした。あの姉、どうやら完全に今日緋奈先輩と出掛ける予定を忘れていたらしい。


「とりあえず家に上がっていってください。今門開けますから」

『ううん! 気にしないで! 一度真雪と連絡取ってみるから!』

「なら猶更家に上がってください。家の中の方が落ち着いて連絡取れると思いますし、それにすぐ連絡が返ってくるとも限りませんから。……あの姉ですし」

「……あはは」


 その失笑だけで姉が先輩に日頃迷惑を掛けているのだと理解してしまう。姉よ。何故アンタが生徒会に入れたのか弟は不思議でならないよ。


 それから俺はモニター越しで申し訳ないが緋奈先輩に「すいません」と謝罪を一つ入れてから門のロックを解除。そして通話を切った。それから、掻け足でリビングから出て先輩の下へ向かう。


 クロックスを履き、勢いよく玄関の扉を開けると、その音に気付いた緋奈先輩がこちらに振り向いて会釈した。


「こんにちは。雅日くん」

「えっと、こんにちは、です」


 慌てて駆け付けた俺に緋奈先輩は「そんなに急がなくてよかったのに」とくすくすと口許くちもとを手で隠しながら淑やかに笑った。


 その笑みに思わず見惚れてしまうことおよそ二秒、ハッと我に返ると俺は全力で頭を下げた。


「ウチの姉がやらかしてしまい、本当にすいませんでした!」

「雅日くんが謝ることじゃないよ。悪いのはキミのお姉さんなんだから」


 顔を上げて、と催促されて、俺は渋々と顔を上げた。


「……怒ってますよね?」

「あはは。ちょっとだけね。でも真雪と一緒にいると時々あることだから。もう慣れたわ」


 なんだろう。この全力で土下座したい気持ちは。


 緋奈先輩の貴重な時間を潰した挙句本人は現在楽しくショッピング中とか、俺だったらしばらく口はきかないレベルのやらかし具合だ。それを笑って済ませてくれるとか、先輩は聖母か女神ですか。


「あの、先輩がせっかく遠路はるばる来てくださったのにそのまま帰らせるのは流石に姉の親族として面子が立たないので、せめてお詫びにお茶でも飲んで行ってください」

「雅日くんは真雪とは正反対ね。そんなに畏まらなくてもいいのに」

「このままだとお天道様に顔向けできなくなりそうなので」

「何も犯罪に手を染めたわけじゃないんだから……」


 ぺこぺこと頭を下げる俺に緋奈先輩は苦笑。それから、


「そうね。なら、少しだけお邪魔してもいいかしら?」

「つまらない家ですが是非っ」

「もう何度も雅日くんのお家には上がらせてもらってるけど、ここはずっと素敵なお家よ」


 約束を反故されたのに嫌な顔一切せず気まで遣えるとか、やはり緋奈先輩は女神の生まれ変わり……いや、女神そのものか。


 とにもかくにも女神を退屈させるわけにもいかず、俺は召使のごとくへこへこと頭を下げながら緋奈先輩を家に招いたのだった。


 そして、俺はこの後に気付く。


 自分が姉と同等レベルのやらかしをしているという、とんでもない事実に。

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