第5話  先輩の手作りクッキー

 ――昼休み。


 前の休み時間で神楽は他の友達と昼食を食べると言ったので、今日は俺一人の寂しく殺伐とした昼食を送ることが決まった。


 べつに教室の隅っこでご飯を食べるなんてことにいちいち気にするような性格タイプでもないので、弁当袋をリュックから取り出して机に置こうと――した時だった。


「姉ちゃん?」


 不意に、マナーモード中のスマホが机の上でブルブルと小刻みに震えた。


 真っ黒な画面から姉ちゃんがレインで使用しているアイコンと通話画面が映し出され、俺は疑問と一抹の不安を抱きながら恐る恐るスマホを耳に充てた。


「もしも……」

『あ! やっと出た! もうしゅう遅ーい!』

「そんなに待たせてないと思うんだけど」


 通話開始早々、ぷりぷりと怒っていらっしゃる姉。俺はやれやれと肩を落とし、


「で、貴重な昼休みなんかに電話掛けてきて何の用なの?」

『言い方に刺があるぞ弟よ。……まぁいいや。じゃあ単刀直入にお願いするんだけど、ちょっと生徒会室来てくれる?』

「生徒会室に?」


 なんで、と訊ねると、なんでもと適当に返された。


『いいから早く生徒会室に集合! すぐ済むから、友達とお昼食べるなら猶更早く来なさいよ!』

「今日は一人で食べるからゆっくり行ってもいい?」

『さっさと来い』

「……うぃっす」


 嫌な予感がするのでなるべく迂遠な言い回しで逃げようとしたのが、ドスの効いた声に釘を刺されてしまい退路が断たれてしまった。


『じゃあ生徒会室にすぐ来てね!』という一方的な言葉を最後に通話がぷつりと切られ、今から生徒会に行かざるをえなくなってしまった俺は「最悪だ」と愚痴をこぼして天井を仰いだ。


 ここで駄々をこねても姉ちゃんの機嫌を損ねるだけなので、俺は重たい腰を上げてさっそく生徒会室に向かった。


 この高校の生徒会は別棟の二階にある。俺たち一年生の教室は本棟の四階にあるので、そこに行くにはそれなりに時間が掛かる。


 少し急ぎ足で階段を降りて本棟と別棟を繋げる渡り廊下を抜けて、俺は姉からの指示があった生徒会室に着いた。


 道中、姉が俺をわざわざ呼びつけた理由を頭で考えていたが、やはりこれといった答えには辿りつけなかった。


 姉ちゃんが俺と学園で一緒にお昼を食べたい、なんて考えはまずないだろう。俺たちは姉弟の中ではそれなりに仲がいいと認識しているが、しかしだからといって校内で一緒にお昼を食べるほどブラコン&シスコンというわけでもない。


 なら他に誰かが俺に用があるのか? という疑問も即座に否定できるだろう。自分で言うのも悲しいが、俺の友人関係は希薄だ。まともな友達は神楽と柚葉しかおらず、他学年なんてもってのほかだ。


 結局頭の中で思案したところで解答は得られないと悟り、この生徒会室の扉を開ければ答えに辿り着けるならそれが手っ取り早いと理解すれば、既に手は扉に伸びていた。


 コンコン、と扉を叩き、「失礼します」と一報を知らせて扉を引いた。


 カラカラと軽快な音を鳴らしながら開けた扉の先で、俺はこちらに気付く姉ともう一人、意外な人物を捉えて目を瞠った。


「……緋奈あかな先輩」


 思わずその場に硬直してしまった。

 そんな俺に姉は「来たか弟よ!」と来訪を待ちくたびれていたようにはしゃぎ、緋奈先輩は淑やかに会釈した。


「なーにそんな所で呆けてんの。ほら、早く中に入った入った」

「あ、うん」


 困惑する俺を急かすような声が催促してくる。それにぎこちなく頷きながら一歩前に進んで生徒会室に入り、開いた扉をぱたんと閉じた。

 それから二人を凝視する俺の脳裏に疑問が浮かび上がる。


『……あれ。緋奈先輩って、生徒会の人だっけ?』


 先輩の隣に立っている少女、つまり俺の姉が生徒会に入っているのは既知。が、緋奈先輩もそうだったかと問われれば、咄嗟とっさに答えが出ない。


『……いや、緋奈先輩は生徒会のメンバーじゃないよな』


 ならば何故ここに彼女がいるのかと、次の疑問が浮かび上がった。


 即座に辿り着いた解としては、今日はここで緋奈先輩は姉とお昼ご飯を食べる為。

たぶん、これが一番妥当で、最も正解に近い答えだと思う。彼女の座る机には可愛いらしい弁当袋に包まれた弁当箱もあるし。


 おそらく二人が今日ここで昼食を取ることは確定だろう。生徒会室を私用に使っていいのかは疑問だが、完全に部外者の俺がそれについて真剣に審議する意味はない。


 そうして自分なりの答えに辿り着くも、頭にはまだモヤが残る。それは最初の疑問、つまり俺が姉に生徒会室ここに呼ばれた理由だ。


「で、姉ちゃん。俺に何か用?」


 あまり長居も良くないだろうと思い単刀直入に本題に入れば、俺の問いかけに答えたのは姉ではなくその隣に座っている緋奈先輩だった。


「あ、急に呼び出してごめんね。真雪まゆじゃなくて私が雅日くんに用事があったの」

「え? 緋奈先輩がですか?」


 その言葉にさらに混迷を深める。首を捻る俺に、今度は姉が答えた。


「ほら。昨日、しゅうに藍李あいりの看病行かせたでしょ。で、藍李が改めてそのお礼をしたいんだって」


 たしかに昨日先輩の看病に行った。まぁ、看病というほど世話なんてしてないし、何なら病人にお茶まで用意させてしまったけど。


 呼び出された理由に説明が付くと、胸の中で『そんなことか』と安堵する自分がいた。もしかしたら緋奈先輩に粗相をしてしまったのではないかと肝を冷やしていたが、その懸念は杞憂だったらしい。


「お礼なんて、わざわざしなくてもいいのに」

「ううん。雅日くんがお見舞いに来てくれて嬉しかったから。一人で不安だったけど、雅日くんが来てくれたおかげですごく元気もらえたのよ」


 だからきちんとお礼をさせてほしい、と頭を下げた緋奈先輩に、俺は照れくさくなってしまって頬を掻く。

 そんな俺と緋奈先輩の微妙な空気を察知した我が姉はにやにやと口許を歪め、


「私、出て行った方がいい?」

「ここに居てくれ!」「ここに居て⁉」


 二人きりにしてあげようか、と揶揄ってくる姉に、先輩と俺は揃って声を荒げる。


「もうっ。真雪がいないでどうやって雅日くんと話せばいいのよ」

「べつに私がいなくても話せるでしょ。それに聞くところによりますと、昨日も思いのほか話が弾んだみたいじゃないですかぁ」

「それはっ、私ばかり雅日くんに質問してただけで! 今となって思い返してみれば雅日くんにとってはただ煩わしかったかもしれなくて……」

「いや! そんなことないです! 先輩と話せたこと、俺は嬉しかったです」


 何の話をしていたかは緊張してあまり覚えてないけど。

 語勢が弱くなっていく緋奈先輩に慌ててフォローに入れば、


「そ、そう」

「は、はい」

「ふふ。ならよかった。雅日くんに嫌われてなくて」


 安堵に微笑みを浮かべる緋奈先輩に、思わず見惚れてしまった。

 そうして放心する俺を我が姉はニヤニヤと実に不快な笑みを浮かべながら見ていて、


「やっぱ私お邪魔かな?」


 と揶揄ってきた。


「俺で遊ぶのもいい加減にしろっ。はぁ、用が済んだならもう教室戻るけど?」

「あ、待って!」


 姉ちゃんにこのまま弄ばれるのも癪なので扉に手を掛けようとするも、退出を緋奈先輩に引き留められてしまう。


 緋奈先輩は鞄から何かを取り出すと慌てて席から立ち上がり、艶やかな黒髪を波打ちながら俺の下に寄って来た。


 一体何事かと身構える俺に、緋奈先輩がほんのりと頬を赤らめながら上目遣いで見つめてきて。


「これ。昨日のお礼にと思って。クッキーなんだけど」


 差し出されたそれに、俺はぱちぱちと目を瞬かせる。


「え? これって、その、もしかして……」

「うん。貰ってくれると嬉しいな」

「……いいんですか」


 これを断るやつはサイコパスだろ。

 俺の答えなんて一つしかなく、


「あ、ありがとうございます」


 ぎこちなくお礼を言って緋奈先輩の手から丁寧にラッピングのほどこされたクッキーを受け取ると、先輩はほっと安堵したように胸を撫でおろした。


「その、雅日くんの口に合うかは分からないんだけど……」

「えっ⁉ これ、先輩の手作りなんですか⁉」

「うん。ちょっとそういうのが得意で。一応、作る前に真雪にも雅日くんがクッキー好きか聞いて、それで好きって教えてくれたから」


 もじもじと恥ずかしそうに答える緋奈先輩。可愛い。


 というか、先輩の手作り食べられるって奇跡にもほどがある。前世の俺は一体どんな徳を積んでたんだか。いや、今回は現世の俺の功績か。役立たずというのが俺の見解だったが、緋奈先輩にとってあの見舞いは余程嬉しかったことなのだろう。


 見舞いの報酬、或いは対価として、このクッキーは有難く受け取ることにした。


「その、ありがとうございます。めちゃくちゃ味わって食べます」

「あはは。そんな手の込んだものじゃないから。気軽に食べて欲しいな」

「先輩の手作りってだけで味わう価値がありますよ」

「大袈裟だね」


 先輩は可笑しそうにくすっと笑った。見惚れてしまうほどに愛らしい笑みだった。


 たぶん、この話をクラスメイトにしたら血の涙を流すと思う。おまけにこのクッキーもハイエナの如く奪取されるだろう。


 先輩お手製のクッキーは家で食べるか、教室で何食わぬ顔で悦に浸りながら食べるかのどちらかにしよう。


「それじゃあね、雅日くん。昨日はお見舞いに来てくれて本当に嬉しかったわ。プリンも美味しかった」

「俺も先輩の元気な姿見れてほっとしました。お体気を付けてくださいね」

「ふふ。雅日くんもね。真雪にイジメられたら私を頼ってくれていいから」

「はは。それじゃあ、その時は先輩を頼りにしますね」


 別れ際、緋奈先輩と短い会話を交わす。相変わらず見惚れるほどに美しい微笑みを間近で拝めたあと、俺は先輩とついでに姉ちゃんにも会釈して生徒会室を出た。

 

 廊下に出ると、少しは落ち着くと思っていた心臓がまだ騒がしかった。


 それは先輩の微笑みを間近で拝めたからか。それともまた先輩と話すことができたからか。


 あるいは――、


「あぁくそ。食べるの超勿体ないな」


 緋奈先輩が俺の為に焼いてくれたこのクッキーのせいなのか。


 きっと、この心臓が騒がしい理由はその全部なんだろう。


 微笑みも、会話も、このクッキーも。緋奈先輩の一挙手一投足が俺を浮つかせる。


 けれど、先輩と関わるのはきっとこれきりだとも分かるから。


 緋奈先輩お手製のクッキーは、それはそれは噛みしめて食べたのだった。






【あとがき】*1/14(日)追記

本作は30話以上の更新が確定しているので今後の更新もお楽しみください。

今後とも本作の応援よろしくお願いしまぁす!


ここまでで本作の★レビューをまだという方は是非★評価を。


まだまだ甘さが足りないと思っている方はどんどん本編を読み進めていきましょう。

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