第3話 お見舞いと勘違い
インターホンを鳴らして数秒後。ガチャリと音を立てて扉が開かれた。
咄嗟に背筋がピンと伸びて、早鐘を打つ心臓が一段と強く跳ねた。
ごくりと、生唾を飲み込んだのとほぼ同時――開いた扉から女神が降臨する。
「いらっしゃい、雅日くん」
「――こ、こんにちは。
眼前に女神と呼んで遜色ない美女が出迎えてくれて、俺は強張った頬でどうにか無理矢理笑みを作りながら会釈した。
それから、俺の視線は無意識に緋奈先輩に注がれた。
おそらく今日一日部屋で安静にしていたのだろう。恰好はパジャマにカーディガンを一枚羽織っていて、部屋着というより寝間着に近かった。
新雪のような透明な肌はいつもより病的に見えて、俺に笑みをみせてくれてはいるがその表情もどこか辛そうにみえた。
「あの、これ見舞いの品です」
「わぁ。わざわざありがとう……こんなに沢山買ってきてたんだ⁉」
「途中で何を買えばいいのか分からなくなっちゃって。とりあえず風邪に効きそうなもの片っ端から買ってきました」
緋奈先輩はぎゅうぎゅうに詰まったコンビニ袋を見て目を丸くした。それから、先輩は俺に弱々しくもしかし見惚れてしまうほどに可憐な微笑みを浮かべると、
「きっと、私の為に真剣に選んでくれたんだよね。ふふ。嬉しい」
「――っ」
紺碧の瞳が慈愛を灯すように細くなった瞬間、心臓が勝手にドクンと跳ね上がった。
いつも遠くから羨望して見る緋奈先輩の微笑み。それがすぐ目の前にある事実に、俺の心臓は耳鳴りを覚えさせるほどに強く弾み、早く鼓動を刻んだ。
「その、えっと、それじゃあ、俺は帰ります」
「ぇ」
とてもではないけれど部屋に上がる度胸なんてなくて、とりあえず先輩の無事を確認できたし見舞いの品も渡せたから早々に退散しようと一歩足を退いた瞬間だった。先輩が寂しそうな声を上げた。
「もう帰っちゃうの?」
「は、はい。休んでる所にお邪魔するのもなんか悪いですし……」
「私の為にわざわざ家まで来てくれたんだから、せめてお礼はさせて……とはいっても、病人だからあまり手厚いもてなしはできないけど」
「病人なのにもてなさそうとしないでくださいよ」
でもお茶くらいは入れてあげられるから、と部屋に招き入れようとする先輩。しかもその目が雨に濡れた子犬みたいで、俺の決心を揺らがせてくる。
「――じぃぃ」
……うぅぅ。
数秒悩んだ末。
「……わ、分かりました。少しだけ、お邪魔します」
「本当!」
根負けした俺が頷くと、先輩はぱっと顔を明るくさせた。たぶん、病気で人に会えず心が弱っていたのだろう。そうじゃなきゃ俺が部屋に入るだけこんなに喜びはしないはずだ。
先輩に上がってと催促されて、俺は「まぁ病人を長い時間外に縛り付けるのも良くないし」と己に言い聞かせながら玄関に上がった。
「あ、重たいのに持たせてすいません。俺がリビングまで持ちます」
「平気。これくらいどうってことないから」
そう言ってレジ袋を軽く持ちあげてみせた先輩。
俺も無理矢理先輩から奪うことはよくないと判断し、渋々であるが緋奈先輩に持ってもらうことにした。
それから先輩の背中に続いて廊下を歩き、リビングに着いた。
「ひろっ」
ぽろっとそんな感想が思わず口から出てしまうくらいには広いリビングだった。
ぱっと見で30畳くらいはありそうだった。正面にはいかにも高級そうなソファーにバカデカいテレビがあり、それを挟むように漆塗りのテーブルが置かれている。
右を振り向けばダイニングテーブルが一台と椅子が四つ並んでいて、後方にはキッチンが設備されている。
俺の家のリビングもまぁまぁ広い方だけど、たぶん緋奈先輩の家のリビングの方が広いんじゃないんだろうか。なんだよ、一軒家よりリビングが広いマンションて。初めて見たわ。
圧巻の光景に茫然と立ち尽くしていると、ふと隣からくすくすと笑う声が聞こえた。
「ふふ。雅日くんのその反応。お姉さんと一緒だ」
「ぇ」
先輩は、まるで俺と姉ちゃんを似重ねてでもいるかのように双眸を細めた。
「
やっぱり姉弟って似るんだね、そう言って笑う先輩に、俺はむず痒さを覚えて頬を掻く。
「似てるのは反応だけで、性格は真反対ですけどね」
「そうかな。私は二人の性格も似てると思うけどな。真雪も私が体調崩すと心配して飲み物とかのど飴とかよくくれるの。こんな風にね」
俺と姉ちゃんが似ていると強調するかのように、先輩は手に持っているそれを掲げた。それは、俺が病気で寝込んでいるであろう先輩を
また、照れずにはいられない指摘をされてぽりぽりと頬を掻く俺。
「真雪が言ってた通り、雅日くんて優しくて思いやりの溢れた子なんだね」
「~~~~っ⁉ ……そ、そんなことはないですよ」
「えぇ。絶対にキミは優しい子だよ」
向けられた微笑みに、遂に俺の羞恥心が耐え切れず表情が決壊する。途端に顔が真っ赤に染まって、心臓が今にも飛び出しそうなほど高鳴る。
先輩としてはその言葉に他意は一切ないというのが余計に質が悪かった。おかげで、先輩はどうして俺が顔を赤くしているのか理解できずに小首を傾げている。
……完全に友達の弟と思われてるな。
意図せずそういう発言が出てくるのは、俺を異性としてはなくその面として見ていることが強いからなのだろう。実際、向けられる瞳には異性にではなく姉弟、或いはそれに近しい者に対する親愛が垣間見える。
『まぁ、一歳下の男なんて恋愛対象にはならないもんか』
緋奈先輩みたいな大人びた女性はきっと年上かタメ好きだろうと察すれば、この鼓動もいくらか落ち着きを取り戻した。勘違いはほどほどにってやつだ。
「とっそうだ。お客様をいつまでもリビングに立たせるのは悪いわよね。雅日くん。適当にくつろいでて。今紅茶淹れるから」
「本当に無理しなくていいですよ。先輩、体調悪いんですよね?」
「平気。薬を飲んで一日休んだらだいぶ楽になったから。お茶は入れられるくらいには元気になったのよ」
「はは。ならお見舞いに来なくてもよかったですかね」
「むぅ。そんな寂しいこと言わないで欲しいな」
「す、すいません」
浮かれてはいけない。それはここに来る前に何度も自分に言い聞かせたはずだ。
俺の任務は緋奈先輩の安否を確認することで、これを機会に距離を縮めることじゃない。
少しくらい好感度を稼ぎたい気持ちは正直あるが、しかし稼いだところでそれが活かされる機会が訪れることはないだろう。
俺は姉の使いではせ参じたただの召使。先輩にとってはただの友達の弟――
「――雅日くんが来てくれて、すごく安心したんだから」
――そういくら自分に言い聞かせても、しかし先輩の言葉が俺を勘違いさせる。
弾むな鼓動!
その言葉に他意はないんだ。その慈愛を宿す瞳に好意はないんだ。
俺と先輩は、誰もが羨む関係じゃないんだ。
俺と先輩は姉ちゃんを挟んだ赤の他人。言い聞かせなければ、この距離感に勘違いしてしまいそうで。
己惚れてはいけないと、必死に自分に言い聞かせる。
「そうだ。今更だけど、紅茶は飲める? コーヒーの方がいいかな?」
「……紅茶で、大丈夫です」
「分かった。それじゃあ少しだけ待っててね」
「ありがとうございます」
「お礼をするならこっちの方よ。今日は本当に、来てくれてありがとう。おかげでもっと元気になったよ」
「はは。俺の精気ならいくらでも吸ってください」
「……あはは。私は吸血鬼か何かかな?」
束の間に交わされる微笑み。先輩から向けられた柔らかな笑みを、俺はそんなもの何の意味もないと自分に言い聞かせるのに必死で、その後の紅茶の味はおろか、会話の内容すら覚えていなかった。
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