第2・5話   お部屋に着くまでの葛藤

「えっと、ここで合ってるよな?」


 学校から出ておよそ三十分後。俺は姉ちゃんからレインに送られたマンションの画像と眼前に捉えるマンションを交互に見ながら確認していた。


「でっけーマンションだな」


 最上階まで見上げれば首が疲れてしまうくらいには高かった。べつに今時高層マンションなんて珍しくもないけど、近くで見るとその印象が変わる。こういう所は金持ちが住んでいる場所なんだと、改めて実感させられた気分だった。


「っといけない。早く行かないと」


 綺麗な外観に思わず魅入みいってしまい、俺はハッと我に返るとかぶりを振った。再び歩き出す前に、俺はここに足を運ぶ途中に寄ったコンビニで買った物が入ったレジ袋の中身を確認した。


「ポカリにインゼリー。一応薬とそれからプリンとゼリー。あと冷えピタ。お腹空いてるかもしれないから念の為レトルトのお粥も買っておいたけど、これで足りるよな?」


 相手は姉ちゃんの親友で学校一の美女。何か粗相があってはいけないと思い、見舞いに必要そうな品はとりあえず全部買っておいた。しかし、不安は尽きない。


 やはりもう少し買っておいた方がいいかと思案しつつも、俺を急かすように夕陽が水平線に沈んでいく。


「はぁ。足りなかったら謝るか」


 諦観し、一つため息を地面に落として俺は歩きだした。


 少し……いや、かなり緊張した足取りでエントランスへと向かえば、すぐに各部屋に繋がる集合インターホンを見つけた。


 俺は手に持っていたスマホを点けて、そのままレインを開く。間違いはないようにと姉ちゃんから教えられた先輩の部屋番号を呟きながらインターホンのボタンを押した。


「214、と」


 それから、軽く息を整えてから呼出ボタンを押した。

 すると約十秒後。


『はい?』


 インターホン越しから緋奈あかな先輩の声が聞こえた。

 出てきたのがいきなり先輩だったので一瞬ドキッとしてしまいながら、俺は応答するまえに小さくかぶりを振るとややぎこちない語調で応えた。


「雅日柊真です。真雪まゆの弟の」

『雅日くん⁉』


 名前を告げると、先輩が驚いたように声を上げた。そりゃ当然だろう。だっていきなり友達の弟が押しかけてきたんだから。

 俺は先輩に同情しつつ「はい」と肯定すると、


「その、姉ちゃんから先輩のお見舞いに行けと言われまして。分不相応なのは百も承知でお見舞いに来ました」

『そうなのね。私、真雪からなんの連絡ももらってないんだけど』

 

 行けと言ったんだから先輩に連絡の一つくらい入れておいてくれよ。

 

 そんな愚痴を胸裏で吐きつつ、


「うちの姉がすいません」

『ううん。雅日くんは何も悪くないわよ。それにわざわざお姉さんの代わりに私のお見舞いに来てくれてありがとう。今ロック解除するわね』

「あ、ありがとうございます」


 インターホン越しに頭を下げたタイミングでエントランスの扉が自動的に開いた。 

 

 インターホンにタッチパネル箇所が設けられている時点で薄々勘付いてはいたが、やはりこのマンションのエントランスを抜けるには住人の承認が必要みたいだ。徹底した防犯対策に「家賃高そう」という印象がより強まった。


『部屋の前に来たら一度インターホンを鳴らしてくれるかしら』

「分かりました」

『あ、部屋の番号……はエントランスで呼び出せたんだから分かるわよね』

「はい。大丈夫です」

『それじゃあまた後でね』


「はい」と返事して、通話が切れる。先輩との短い会話が終わったことを遅れて実感すると、無意識に深い吐息が口から洩れていた。


「やっぱ緊張するな、先輩と話すの」


 それと同時に、こうも思った。


「……通話越しでも、先輩の声綺麗だったな」


 銀鈴の音が鳴るような透き通った声を思い出して、俺はその場に立ち尽くしてしまう。控えめに言ってずっと聞いていたくなるような声音だった。先輩の囁きボイスが5000円くらいで売ってたら絶対買ってる。


「いかんいかん。先輩が待ってる。早く行かなきゃ」


 下らない妄想から慌てて我に返り、俺は少し急ぐようにエントランスを抜け、各階層に繋がるエレベーターの『⇧』ボタンを押した。


「あと少しで先輩の部屋。……落ち着かねぇ」


 エレベーターが先輩の住んでいる部屋の階層に着くまでのわずかな時間はそわそわしっぱなしだった。


 間もなくしてエレベーターが止まり、扉が開く。出て左側最奥、つまり窓際の部屋が先輩の住んでいる所だ。


「平常心。平常心」


 もうすぐ、先輩が住んでる部屋に辿り着く。ただの見舞いだというのに、握る手には緊張で汗が滲んでいた。


 何度も何度も自分に「落ち着け」と言い聞かせるも、先輩の部屋が近づく事に心臓は早鐘を打つ。緊張で眩暈までし始めた。


 それでも向かう足は歩くのを止められない。そして遂に足が止まり、緊張で強張った身体は一つの扉の前で佇んだ。


 そして。


「せめて、病人の前でゲロ吐きませんように」


 そんなことを願いながら、俺は先輩の部屋のインターホンを押した。

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