第1話  モブ男子の密かな楽しみ

「うっわ最悪。すり抜けた」


 俺の名前は雅日柊真みやびしゅうま。この春、高校に進学したばかりのピカピカの一年生だ。


 いや。高校生になればもはやピカピカでもなんでもないか。15歳なんてまだ子どもだと世間一般は嘲笑ちょうしょうするが、その世間一般が想像するよりも俺たちは大人――ではないが、ませた思考は持ってしまっている。故に、本当にピカピカの一年生が通用するのは小学生までで、今時の中学一年生でさえピカピカかどうかは怪しい。


「せめてすり抜けても刻晴なら許せたのに」

「でた推し差別。どのキャラも平等に愛さないとまたすり抜けるよ」

「次は確定だっつぅの」


 まぁ、そんな俺たちにもピカピカと言える部分はまだある。


 例えば、制服。降ろしたてのシャツはまだシワも少なく、汗で黄ばんですらなく今日の青空のように真っ白だ。それを見る度に「あぁ、自分は高校生になったんだな。時が経つのってなんで歳を重ねる毎に早く感じるんだろ」とおっさん地味た感想が口からこぼれてくる。


「この日の為に三ヵ月ガチャ我慢したんだから、マジで頼むぞ運営」

「神頼みは無課金、微課金の基本だよねー。僕もそろそろ引こうかな」

「お前も爆死しろ」

「親友に対して容赦ないな柊真は」


 高校生になっても、俺の日常は大して変わらない。


 中学の頃からの友人である梓川神楽あずさがわかぐらと毎日こうして昼休みにソシャゲをしながらメシを食い、ラブコメも起きなければ青春なんて青臭い日々がやってくることもない、退屈でけれどほどほどに充実している毎日を送っている。


 ピカピカなのは制服だけ。

 俺自身はピカピカではなくサビサビ。


 キラキラしているのは周りと隣で神引きした爽やかイケメン友人だけ。

 俺自身はキラキラではなくカラカラだ。


「ところで、柊真は来月の一番くじはどーするの? 引く?」

「そんなの一々聞くなよ。引くに決まってるだろ。……つっても貧乏学生にリアルガチャ引く回数は限られてるからな。予算は5000円。つまり6回しか引けん。お前は?」

「僕はちょっと無理かも。今月もピンチ」

「流石はリア充。暇人の俺とはちげぇや」

「相変わらず皮肉屋だねぇ。そんなんだからモテないんじゃない?」

「余計なお世話だ」

「顔だけはいいのにね」

「顔だけ言うな。べつに顔もよくねぇよ」


 高校に進学して早々に青春を謳歌する日々は俺にはやってこないと悟った俺は、今日も今日とて趣味に時間と金を費やす生き方にシフトチェンジ。俺のこの生き方に隣で悪戯小僧のように笑う親友は認めつつも時々諭そうとしてくるのがたまきず


「あっ。しゅうじゃーん」

「……姉ちゃん」


 中庭で神楽と駄弁だべる俺の耳に聞き慣れた声がして、気付いた俺は自然と視線をそちらに移した。


 声がした方向へと振り返ってみれば、そこには咲き誇る美しき二輪の華が咲いていた。


 まるで、向日葵と青薔薇のような二人だった。その内の一輪。向日葵のような少女は俺の実姉だった。名前は雅日真雪みやびまゆ。客観的に見ても家族贔屓かぞくひいきで見ても愛らしい顔立ちをしている。天真爛漫てんしんらんまんな少女だ。


 やっほー、と手を大振りする姉ちゃんに俺はひらひらと小さく手を振り返す。


「元気にやってるかー。我が弟よー!」

「やってねー」

「あははっ。我が弟ながら今日も根暗極めてるねぇ。もう午後だぞー! そろそろ目覚めろー!」

「姉ちゃんが元気過ぎるんだよー」


 家族ならでは、姉弟ならではの会話が中庭に木霊こだまする。そんな俺たちの会話を、もう一輪の華が淑やかな笑みを咲かせながら聞いていた。


「相変わらず弟くんと仲いいね」

愚弟ぐていだけど放っておけないんだよねー」

「真雪はいいお姉ちゃんだね」

「ふっふーん。そうでしょ」


 遠くで何故かふんぞり返っている姉は意図的に無視して、俺は青薔薇のような少女を見つめる。


 彼女は俺の姉の友人だ。名前は緋奈藍李あかなあいりさん。名前からしてもう可愛く、そして言わずもがな美人な先輩だ。


 腰まで届く艶やかな黒髪。

 長いまつ毛の下には蒼海を彷彿とさせる紺碧の瞳がめられている。

 小さく整った鼻梁びりょうに淡くも鮮やかな唇。

 新雪のような白い肌。制服の上からでも分かるモデル顔負けの抜群のスタイル。首から下の豊満な胸となまめかしい生足は常に制服とニーハイソックスに包まれており、彼女の魅惑みわくの肢体を男が覗けることは決してない。

 容姿端麗ようしたんれい成績優秀せいせきゆうしゅう才色兼備さいしょくけんびに秀でた学年一――否、校内一の美女。それが、緋奈藍李先輩だった。そして、俺の憧れの先輩でもある。まぁ、俺の事情はどうでもいいか。


 学校では仲良し美人二人で有名な俺の姉と緋奈先輩。方や俺は無名もいいところ。モブの中のモブ。吾輩は凡人。名前だけは一丁前に有るってな。


 自分を胸裏でたっぷりと嘲弄ちょうろうしながら、姉ちゃんとの会話を続ける。


「じゃあ午後の授業もちゃんと受けるんだぞ、しゅう! それと神楽くんもー元気でね!」

「姉ちゃんはあんまはしゃぎすぎんなよー」

「余計なお世話だー!」


 姉と緋奈先輩がこそこそと話す。おそらくは先約か、或いは別の用事が控えているのだろう。こくりと頷いた姉がもう一度俺に大きく手を振ると、俺はそれに今度は敬礼で返した。姉ちゃんはふざけた俺にケラケラ笑って、その隣では緋奈先輩が口許を緩めていた。


「じゃあね、雅日くん」

「――っ」


 ここからでは遠くて聞こえない。ただ、大きく手を振る姉の隣で緋奈先輩が何かを告げるように口を動かして、淑やかに手を振った。俺は、それに思わず息を飲んだ。


 硬直。俺の強張った筋肉が弛緩しかんしたのは、姉と緋奈先輩が俺から視線を切り離し、二人が話しながら歩き出した時だった。


 二人の姿が中庭から完全に消えたのと同時、俺はほぉ、と深い息をついた。その隣では神楽がトリップした熱い吐息をこぼしていて。


「今日も二人とも美しかったねー」

「お前には既にカノジョがいんだろうが」

「そりゃいるけど。でも志穂しほは可愛い系で、美人ではないから」

「それ戸倉が聞いてたら殴られるぞ」


 美人と可愛いは別、と言ってけらけら笑う神楽に俺はやってられんと肩を落とす。

 絢爛けんらんの華たちが中庭から去り、俺と神楽の他愛もない雑談がまた再会される。


「というか柊真もそろそろカノジョ作れば? せっかくの高校生活。ゲームが趣味だけじゃ勿体ないよ」

「作ろうと思って作れたら苦労はしねぇんだよ。お前、俺が中学三年間バレタインチョコ家族と柚葉からしかもらったことないの知ってんだろ」

「知ってる」

「腹抱えて笑うなっ」


 神楽の態度が気に入らなくて、一発ゲンコツを食らわせた。イテっ、と神楽がうめく。


 これで少しは反省したかと思いきや、神楽は何事もなかったようにこの話題を続けた。


「柊真ってなんでモテないんだろうね。顔はたしかに高校生に似つかわしくない仏頂面だし死んでるけど、でも悪くはないし、性格だって根は優しくていい奴なのにね」

「ならそれをクラスの女子に広めてくれ。そしたら俺にもモテ期がくるかもしれないだろ」

「えぇ。面倒だからやだ」

「じゃあもうこの話は止めだ。止め。俺にモテ期は一生来ねぇよ」


 モブ中のモブである俺に、運命のような出会いなんてものはきっとこの先訪れない。ないとも言い切れないけど、現状は限りなくないに等しい。自分で言ってて悲しいなこれ。


「――はぁ。ガチャ引こ」


 未来なんてそんな先の見えないことに全力を注ぎ込む気にならない俺は、今日も今日とて退屈で穏やかな日常を過ごす。


『……緋奈先輩。今日も綺麗だったなー』


 そんな退屈で穏やかな日常の中で、ごくまれに拝む事ができる麗しき一輪の華が、俺にとっての密かな楽しみだった。


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