閑話 "天才子役"浅見麻衣 2
「あ、浅見さん――」
「すみません、荒河さん。急いでおりますので」
帰り際に声をかけられましたが、私はついそんなことを言って、逃げるようにその場を去りました。
――はぁ、何をしているんでしょう、私は。荒河さんは悪くないのに、避けるようにするなんて……。
よくないことだとは分かっていました。でも、私にはどうすることもできませんでした。
◇
「――それでは失礼いたします」
ある日、帰る前に職員室で先生と面接しなければなりませんでした。主に、子役としての仕事と学校の両立についてです。
話し合いは10分ほどで終わり、私は急いで教室に戻り、そのまま帰路に着きました。
――今日は大切なお稽古があります。遅れるわけにはいきません。
私は早歩きで、通学路を通り家へ急ぎました。
「……っ」
私の前方に、荒河さんたちが固まって歩いていました。私はずっと荒河さんを避けてきたので、なかなか追い越しにくいです。
ですが荒河さんたちはお喋りをしながら歩いていたので、その歩みは非常にゆっくりなものでした。
――本当はダメだけど、別の道で帰りましょうか。
急いでいるから仕方ありません。
荒河さんたちが話しているのをしり目に、私は細い路地へと入っていきました。
◇
大通りではないので、全然人に出会いません。
少し不気味な気持ちになりながらも、私は家へと急ぎました。
「――浅見、麻衣ちゃんだよね?」
いきなり声をかけられたので、驚きながらも、私は声が聞こえた方を向きます。
そこには、20代ぐらいに見える、優しそうな男性の方がいました。
「そうですが、一体なんでしょうか?」
「いやなに。君のお父さんに、迎えに行くように言われたんだ。僕は君のお父さんの友達だからね」
「友達……」
「そうさ、友達さ。だから僕の車に乗りな? 送って行ってあげるよ」
優しそうな笑みを浮かべる男性。――しかし、私には分かります。
「嘘ですよね? これでも役者の端くれです。そんな演技が通じると思わないでください」
それに、もし本当に迎えが来るなら、通学路を辿ってくるはずです。
私がそう言ったとたん、男性の雰囲気が変わりました。
荒々しく髪の毛をかきむしり、私を睨みます。
「チッ! 小賢しい奴だ。まあいい。どうせ君は逃がさないよ?」
「ひっ……!」
初めて身に浴びる、本物の暴力の気配。
私は逃げようと思いましたが、足が思うように動いてくれません。
ポケットに携帯はあるのですが、通報なんてできませんでした。
――最近不審者の目撃情報がありましたので、寄り道なんて絶対するんじゃありませんよ?
この前、ママに言われた言葉を思い出します。
ああ、私が通学路から外れたから、こんなことに……!
「さぁ、僕について来い!」
男は私の腕をつかみ、無理やり歩かせようとします。
「いやっ! 離してっ!」
「うるせぇ!」
パチン、と私の頬が叩かれました。
――怖い。怖い。助けて。怖い。怖い。誰か。怖い。怖い!
「ひひっ、その涙目そそるなぁ?」
「――おい。何してんだ、お前」
――え、なんであなたがここに?
「おいおい、お嬢ちゃん。困るなぁ……。しょうがない、お前も連れていくか」
「荒河、さん?」
「おう、浅見さん。助けに来たぞ」
いつも通り、堂々とした荒河さんがそこに立っていた。
「に、逃げて!」
――私のせいで、荒河さんを巻き込むわけにはいかない!
そう思い、私は叫びました。
……ですが、そんな私の不安を無くすように、荒河さんは不敵な笑みを浮かべます。
「大丈夫、安心しろ。すぐ助けてやる」
こんな状況だというのに、不覚にもドキリとしてしまいました。
「はははっ! これは面白い! お前が僕を倒せるとでも? ……舐めんなよ、ガキがッ!」
「きゃっ!」
男は私の手を乱暴に振り払い、私は尻餅をついてしまいました。
男は荒河さんに近づき、サッカーボールを蹴るように、足を動かしました。
怖くなって、私はギュッと目をつむります。
「ガッ――!」
ですが、聞こえてきたのは荒河さんではなく、男の悲鳴でした。
気になって目を開けると、男は股間を手で押さえて辛そうです。
そして荒河さんは、無慈悲にも男の首に回し蹴りを叩きこみました。
呆気なく、男は地面に倒れ伏しました。
「よし、終わりっと。浅見さん、あまり動かないで。腫れた頬を見る限り、叩かれたようだけど、もしかしたら首までダメージが残っているかもしれない」
「え、あ、はい」
言われてみれば、頬が痛い。そうだ、殴られたんだった。
「――警察と救急車を呼んだ。これでもう大丈夫だ」
そうして荒河さんは、私に近づき、私を抱擁します。
「怖かったよな。ごめんな、助けるのが遅くなって」
「……っ! わぁああぁああ!」
巧美さんの温もりに包まれて、私の緊張が解けました。
そしてそれから警察たちが来るまで、私はひたすら泣き続けたのです。
◇
誘拐されかけたと知った、ママとパパは大慌てで警察のところまで来ました。
そして、私が通学路を外れたことを、こっぴどく叱られました。
なぜ、通学路を外れたのかと聞かれましたが、今思うと恥ずかしい理由だったので、なかなか言い出せませんでした。
そして、私がどうやって打ち明けようかと悩んでいると、荒河さんとそのパパ、そしてまた別の男性の3人がやって来ました。
なんと、荒河さんのパパは、日本最強のハンター武神だったのです。そりゃあ、娘の巧美さんも強いわけです。
そして、もう一人の男性も見たことがあります。西園寺財閥の会長さんでした。確か、パパの知り合いだと言っていた気がします。
「この度は娘を助けていただき、ありがとうございました!」
ママとパパが勢いよく頭を下げ、慌てて私もそれに続きます。
「娘さんに大きな怪我がなくて、なによりです。巧美、よくやった」
「おう、そうだろ洋介? ……それで浅見さんに一つ聞きたいことがあるんだが」
「はい、なんでしょうか」
「なんで最近、俺を避けていたんだ?」
「……っ!」
――バレてた……!
恥ずかしくて、顔が赤くなるのを感じます。
「どういう事だ、麻衣? ……もしかして、それが通学路を外れた理由か?」
ああ、これは隠せそうにありません。
「その、巧美さんは悪くないんです。ただ私が演技力で負けたのが悔しくて、それで……」
「それで、俺を避けていたと」
「……はい」
うぅ、恥ずかしいです。
私が演技力で負けたと言うと、パパとママ驚いたように巧美さんに注目します。
そして西園寺さんは――
「――何を子供相手にムキになっているんですか、大人気ない!」
「痛ぇ!」
「え、ちょ、え?」
なんと西園寺さんは、巧美さんにゲンコツをしたんです。
「仕方ないだろ! この子の才能が凄かったんだから!」
「だから気分が良くなって、こんな少女に挫折を味合わせたと?」
「いや……その…………すまんかった!」
巧美さんは流れるように土下座をしました。
武神は呆れたように額に手を当てており、私たちは何が何だか分かりませんでした。
「おい、巧美、洋介。隠す気はないのか?」
「別に浅見相手ならいいだろ」
「ですね、彼らは信用できますし」
「はぁ……2人がいいなら良いのじゃがな」
そう言うと、いきなり外の音が聞こえなくなりました。
「これは、遮音結界? いや、それよりももしかして……」
「おう、久しぶりだな浅見。俺は、鈴木巧の生まれ変わりだ」
「――え?」
生まれ変わり? 転生したってこと? いや、それよりも!
「鈴木巧って、あのアクション俳優の? 10年ほど前に失踪した」
「おう、それで合っているぞ」
えぇ……? そんなことあるの?
「やっぱり、そうですか。いや、雰囲気は似ていましたが、西園寺さんとのやり取りを見て確信しましたよ」
え、本当に……?
「まぁ! そうでしたの。お久しぶりです、巧さん。随分と可愛らしくなりましたね?」
「そうだろう? 最後に会ったのは、麻衣ちゃんを身ごもったと判明した時だったか? いや、もうこんなにも大きくなっていたんだな! 初めて麻衣ちゃんを見た時は驚いたよ」
――なんでパパもママもすんなり受け入れられるのよ!
……というか、私。
「麻衣……巧さんにはそりゃ勝てないよ」
「言わないでよ、パパ!」
あぁ、穴があったら入りたい。
――それにしても、巧美さん、かっこよかったなぁ……。
「……あの、巧美さん?」
「なんだ?」
「これからは、お姉様とお呼びしても?」
「え? まぁ、いいけど」
「ありがとうございます!」
私はそう言って、お姉様に抱きついた。
お姉様もそんな私を跳ね除けることなく、受け止めてくれた。
――あぁ、この温もり。安心するなぁ。
「ふふふ」
「あらあら」
「なっ……巧さん! 娘は渡しませんよ!?」
「巧美、あなたって人は……」
「お主なぁ……」
「なんで俺が悪者みたいになってんの?」
――それからというもの、お姉様のお陰で、クラスに友達がたくさんできました。
聞いてみると、どうやら私は怖い人に感じていたようです。話してみたら、すぐに仲良くなれました。
ふふふ、お姉様――私の救世主。
このご恩は、一生をかけて、お返ししますね?
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