第12話 潤んだ瞳とお返しの紙束

 その日の夜、卓上ライトだけが付いた部屋で、白河は受け取った原稿を読んでいた。


 空と言う檻から逃げ出したいと足掻く少年。


 好きな子を失ってしまった後悔と絶望から逃げ出したいと思いながらも、逃げられないとどこかで諦めてしまっている少年は、それでもどうにか生き続けていた。


 そんな少年の姿にいつしか白河は取りつかれ、ページをめくる手を止めることは出来なかった。


 数時間後、深いため息とともに原稿を机の上に置いた。


 そして、自分の瞳が少し潤んでいることに気が付いた。


 いつの間にか主人公に感情移入しすぎてしまっていたらしい。


 目尻に浮かんだ涙を服の袖で拭いながら、お茶を一口飲んで再び原稿に目を通し始めた。


 彼方の作品は物凄く上手と言うわけではなかった。


 正直に言えば、自分の方が優れていると思った。


 ただ、人の心を掴むのが上手だと思った。


 それは白河の作品よりも優れていると、そう思った。


 「…悔しいな」


 それは心からの声だった。


 自分よりも優れた部分を持つ人に初めて直接出会った。出会ってしまった。


 負けたくない。


 自分だって誰かの心を掴むような、そんな作品を書きたい。


 「だから、まずは…」


 まずは、自分の心を掴んでくれた彼にちょっとした仕返しをしようと思った。




 次の日の放課後、文芸部部室では部員の半数が机に突っ伏していた。


 「では、これで今回の講評を終了する」


 「ふぅ…。終わったな」


 「ああ…。本当に疲れた…」


 「精神的に来るわよね…」


 「先輩たちの言っていたことがよく分かりました…」


 疲れ切っている祐介たちの背後では、ずっと全員の講評をしていた九道と七深がお茶を飲んでいた。


 「他人の作品を評価すると言うのは、やはり疲れるな」


 「そう?私はあなたの作品を酷評するの楽しいけど」


 「それは楽しいではなく、愉しいだろ」


 「どっちもよ」


 何でお茶を飲みながら殴り合いみたいな会話をしているんだろう…とその場にいた全員が思ったが誰も口に出すことはしなかった。




 休憩が終わり、再び全員が席に着くと、次の活動についての話が始まった。


 「これで、恒例行事の一回目が終わったわけだが、次の活動は賞への応募作品の作成となる」


 「はい。まあこちらは任意ですので、基本的に全員で何かをするのは次の恒例行事ですかね」


 「というわけで、今回賞への応募を希望するものは手を挙げてくれ」


 その呼びかけに答えて手を挙げたのは、六人中一人だった。


 「そうか。今回は一宮だけか」


 「あー…。俺も写真部のコンテストと重なってなければ、俺の俺による俺のための作品を応募して大賞取ってたのになあ…」


 「いや、それはないから。でも本当にこの時期はタイミングが悪いのよね」


 「確かにそうですね。3年生は受験もありますし、1年生も入ったばかりで賞への応募は少しハードルが高いですからね」


 「ああ。というわけで、締め切りは夏休みの終わりまでだ。期待しているぞ、一宮」


 「ほどほどに頑張ります」


 彼方は苦笑いしながら、部長の言葉に答えた。


 「それでは、今日の活動はここまで。次回、全員が集まるのは1学期最後の日だ。それまでは各自、自由に部室を使ってくれ」


 活動が終わると、まだ時間が早かったからか部室ではまだ帰ろうと言う人はいなかった。


 みんな思い思いに好きなことをして、適当にしゃべって放課後を過ごしていた。


 そんな中、彼方は帰り支度をしていた。


 「あれ?彼方、もう帰るのか?」


 「ああ。夕飯作らないといけないからな」


 「そっか。じゃあ、また明日な」


 「ああ。また明日」


 軽く挨拶をして、彼方は部室から出た。




 それから程なくして、部室のドアがノックされた。


 「はーい。…って、あれ?」


 ドアを開けた二葉は、目の前にいた人物に驚く。


 「──────」


 「え?彼方なら今ちょうど帰ったところだけど」


 それを聞くと、その人物はお礼を言って走っていった。


 「え!?ちょっと!!」


 「何だって?」


 「んー…。何だろうね…?」


 二葉は何となく面白い予感を感じていたが、それをあえて言うようなことはしなかった。




 昇降口で靴を履き替えて外に出る。


 少しだけ夏に近づいてきたのか、外は少し暑かった。


 学校には色々な声が響いていた。


 その声を聴きながら彼方は、帰路に着こうとした。


 「─────────」


 彼方は誰かの声が聞こえたような気がして振り返る。


 しかし、後ろには誰の姿もなかった。


 彼方は首をかしげながら再び歩きだした。


 「──────って…!待って、彼方、くん…!」


 彼方が校門を出ようとしたところで、そんな声と共に服の裾を摑まれた。


 「え?」


 彼方が振り向くと、そこには息を切らした白河がいた。


 「白河さん…!?」


 「間に合って…よかった」


 よく見ると、白河は上履きのままだった。


 「そんなに慌ててどうしたの…?」


 「…これ」


 白河が手に持っていたのは彼方の原稿だった。


 「これって、俺の…」


 「うん。読み終わったから」


 「え!?もう!?!?」


 「途中から手が止まらなくて…」


 「そっか…。ちょっと嬉しいな。えっと、感想聞いてもいい?」


 「…すごくよかったよ。私が嫉妬するぐらいすごく…」


 「あ…えっと…あり、がとう…」


 彼方は白河の感想に、ぎこちなくお礼を言った。


 白河が自分の作品を読んでくれたこと、その上で自分の作品に嫉妬してくれたこと。


 それが嬉しくて、言葉に詰まってしまった。


 そんな彼方を見て、白河は背を向けてしまう。


 「えっと…私の用はこれだけだから…。ばいばい」


 「あ、また明日!」


 白河は彼方の声を聴きながら校舎に戻っていった。




 教室に戻った白河は少し赤くなった頬を抑えて窓の外を眺めていた。


 「ただ感想を言っただけなのに…。あんな緩んだ顔するなんて…。見てるこっちが恥ずかしくなっちゃった…」


 そんなことをぼやきながら、ため息をついた。


 外はまだオレンジ色の空が広がっていた。


 その空を眺めながら、何故自分があんな行動を取ったのか分からなかった。


 それにいくら呼び止めるためとは言え、下の名前で呼んだのは恥ずかしいことをしたなと後悔していた。


 それと同時に、下の名前で呼んだことに気が付いていなかったことに少しだけ不満を覚えた。


 そんな色々な感情が渦巻いて頭の中をぐるぐる回っていた。


 何分の間そうしていたのか分からないが、気が付けば空は少し暗くなり始めていた。


 「ふぁ…。やっぱり徹夜は、よくない…」


 白河は眠そうな目をこすりながら、帰り支度をして教室の鍵を閉めた。


 校舎の外に出ると、まだ運動部が部活をしているのか、グラウンドや体育館から大きな声が聞こえた。


 その声を聴きながら、白河は家に向かった。


 もやもやした思いを抱えながら。


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