第10話 文芸部活動報告④
全員の手元に原稿が渡ったのを確認して、彼方は説明を始めた。
「今回の作品のテーマは“空の檻”です」
「空の檻?」
「はい。大体の人が空に抱く印象は、広いとか、果てしないとか、そういう印象だと思います。それもポジティブな意味での印象です」
「まあ、普通そうだよな?」
「でも、みんながみんなそうじゃない。ネガティブな意味で、空が広い、果てしないって思う人もいると思うんです。だから、今回はそういう空の広さゆえの逃げられないというか、そういうものを書きたいと思ったんです」
彼方の書いた作品は、説明通り、空に囲まれた世界から逃げたいともがき足掻く少年の話だった。
中学生の時、主人公はヒロインと、幼い頃から二人で通っていた秘密基地にいた。
そこで、ヒロインは主人公に、この世界から一緒に逃げようと言う。
主人公は何を言ってるのか分からず断ってしまう。
ヒロインは悲しそうな顔をしながら秘密基地から出て行く。
主人公はその時に見えた空とヒロインの顔が忘れられなかった。
次の日、ヒロインを含む一家全員が亡くなった。
ヒロインはひどい虐待を受けており、耐え切れなくなったヒロインが家族を殺し、その後に自分も自殺したというのが主人公に伝えられたことだった。
しかし、主人公にはそんなことはどうでもよかった。
あの日、自分が一緒に逃げていれば死ななかったのではないか。
何で何も言ってくれなかったのか。
何で最後に見せた顔があんなに悲しそうな表情だったのか。
主人公は無我夢中で走った。
空のない場所を目指して走り続けた。
空を見るたびに、あの悲しそうな顔を思い出してしまうから。
だが、走っても走っても空はずっとそこにあった。
前にも、横にも、後ろにも、上にも、空はあり続けた。
走ることに疲れた主人公は下を向いて歩いた。
しかし、下を向いても空はあった。
水面に映った空。
まるでそこから逃げることは許さないと言わんばかりに、空は、彼女の顔は決して消えなかった。
主人公は、この世界から逃げることを決意する。
かつて彼女の手を取れなかった主人公は、たった一人でこの世界から、この空の下から逃げ出した。
「やはり、一宮の作品は一味違うな」
「優秀な編集の指摘を先に受けているので」
「また千沙ちゃんに言われたのかよ」
「恒例行事だからな」
「何ていうか……私たちの空に対する印象って前向きなものばかりだったから、何かこう……ぞわっとするわね」
「分かります分かります! 空が底なし沼みたいに思えてきて、心がずんって重くなるんですよ!!」
「確かに、これは空の檻ですね。普通に生活しているだけなら、誰しも空からは逃げられない。盲点でした」
「ところで……何故、十野はまた泣いているんだ」
「だって!! この結末、俺には耐えらえないですよ!!」
「まあ、祐介は泣くと思ったけど」
彼方の書いた作品の結末は、どうなったか分からないようにぼかされていた。
結局、空から逃げることは出来ず、ずっと心が空に囚われたまま生きていた
そんなある日、主人公は街で死んだはずの少女を目撃する。
少女は主人公の方を横目で見ると、どこかに歩いて行ってしまった。
主人公が少女を追いかけると、そこは二人しか知らないはずの秘密基地だった。
そこで彼女は待っていた。
夢か、幻か。主人公は目を疑った。
主人公は彼女に問い詰めるが何も答えない。
ただ、静かに微笑んであの日と同じ質問をするだけだった。
『ねえ。私と一緒にこの世界から逃げてくれる?』
主人公は今度こそその手を取って答えた。
『ああ。君と一緒ならどこまでだって逃げてやる。だから、行こう』
その後の彼らの行方を知る者はいない。
だが、主人公は空の檻からは抜け出せたのだろう。
彼方の作品はそんな一文で締めくくられていた。
「これって結局二人は駆け落ちしたってこと?」
「二葉先輩、こういう終わり方の作品で、作者に答えを聞いちゃダメですよ! こういうのは読者だけで色んな予想を立てて、話し合うのが楽しいんですよ」
「あ……。確かにそれもそうね……。ごめん。今のは忘れて」
「まあ、別に俺は話しても良かったんだけど。千沙はガンガン聞いてきたぞ」
「一宮妹は本当に編集者のようだな」
「実際、僕の作品に一番厳しいのはあいつですからね。あながち間違ってないかもしれません」
「そうか。いい妹を持ったな。さて、これで全員の発表は終わったが、時間は……」
九道が現在の時刻を確認するために時計を見る。
時刻は19:30を過ぎていた。
「……白熱しすぎましたね」
「……ああ。今から全員分の講評をしていたら、20時を過ぎてしまうな」
「講評は次回にした方がよさそうですね」
「そうだな。というわけで、本日の活動はここまでとする。次回の活動は明日とする。講評は早めにやった方がいいからな」
「賛成です」
「分かりました」
「了解です!!」
「はい」
「明日っすね! 分かりました!」
各自が九道の言葉に返事をし、帰り支度を始める。
その支度の途中で、彼方が小さく「あ」という声を出した。
「ん? どうした、彼方?」
「いや。何でもない」
彼方はカバンのチャックを閉めて、祐介に言った。
「そっか。じゃあ、さっさと帰ろうぜ~。もうくたくただよ……」
「私も……。何か色んな感情がごっちゃになって疲れた……」
「発表ってこんなに疲れるんですね……」
「大丈夫だ、健也。講評の方が100倍疲れるぞ……」
「祐介は講評が終わると、ほとんど魂が抜けているからな」
「ご、ゴクリ……」
「ほら、さっさと出ろ。鍵を閉めるぞ」
九道の声により、全員が部室から出てくる。
全員が部室から出ると、九道が部室の電気を消して鍵を閉めた。
「俺と七深は鍵を返してから帰る。みんな、今日はお疲れ様」
「気を付けてね」
九道と七海は彼方たちと別れ、職員室に向かった。
残った4人は早く帰ろうと言いながら、昇降口に向かった。
先に靴を履き替えて、外に出た彼方は、何となく校舎を見ていた。
いくつかの教室はまだ明かりがついていた。
「意外と残っている人いるんだな」
そんなことをぼやいていると、祐介たちが昇降口から出てくる。
「おまたせ。帰ろ」
「ん? ああ」
「一宮先輩、何見てたんですか?」
「ちょっと校舎をな。意外と電気がついてたから」
「ん? あー。確かに。この時間にしては結構残って……」
「どうした、祐介」
校舎をぐるりと見ていた祐介が動きを止めて、ある一点を凝視していた。
不思議に思った彼方たちが同じ方向を見ながら祐介に質問する。
「え? あ、いや。あの教室、俺たちの教室じゃないかって思って」
「あ、本当だ。あれ、私たちの教室じゃん。でも、この時間まで残ってるような人いたっけ?」
「……」
「彼方?」
彼方には心当たりがあった。
この時間まで残って作業をしていそうな女子に心当たりが。
「悪い。教室に忘れ物したの思い出した。ちょうどいいから取りに行ってくるよ」
「え? あ、うん。待ってようか?」
「いや、先に帰っててくれて大丈夫だ。じゃあな」
彼方は足早に自分の教室に向かっていく。
「ちょっ、彼方!?」
「お疲れ様です、一宮先輩!!」
「……まさか、な」
走り去っていく彼方の背中に、残された三人は三者三様な反応をするのだった。
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