第5話 肉じゃが

そのまま時間は流れ、放課後。


 教室では、部活に向かうもの、遊びに行くもの、はたまた補習で居残りをするものなど様々だった。


 そんな中、彼方は帰り支度を進めていた。


 そこに、二葉がやってくる。


 「あれ? 彼方、今日部活じゃないの?」


 「ん? ああ。今日は夕飯作らなきゃいけないから、休ませてもらった。部長にももう伝えてある」


 「そっか。毎日大変だね」


 「そうでもないよ。千沙がいてくれるからな」


 「ふーん。まあ、困ったことがあったら言ってね。いつでも手伝うから」


 「ああ。ありがとな、二葉」


 「うん。じゃあね」


 「おう。また明日」


 お互いに別れの挨拶をして、帰り支度に戻ったところで一つの違和感に気が付いた。


 その違和感を確かめるために、彼方は教室を出て二葉を呼び止めた。


 「おーい、二葉―!」


 「ん? どうかした?」


 そこそこの声で二葉を呼び止めて、足を止めた二葉の方へ歩いていく。


 「いや、大した用じゃないんだけど。祐介はどこ行ったんだ? あいつも部活休むのか?」


 「あー。それは本人に聞いて。多分あと10秒ぐらいで気がついて教室の外に飛び出してくるから。じゃあね」


 うんざりとした顔でそれだけ言って、二葉は部活に向かった。


 「……? 一体どういう……」


 一体どういうことなのか、彼方が考えようとしたとき、遠くから彼方を呼ぶ声が聞こえてきた。


 その声は速度を増して、急接近してきていた。


 「ふぅぅぅぅぅぅたぁぁぁぁぁぁばぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 「祐介!? どうした!!」


 「くそっ! 逃げられた!! でも彼方がいてくれてよかった


 「全く状況がつかめないんだけど。一体何なんだ?」


 「……勉強を、教えてくれ!!」


 「……は??」




 教室に戻ってきた彼方と祐介は机を向かい合わせていた。


 「で、どういうことなんだ?」


 「だから! 今から! 英語の補習があるから! 勉強を教えてほしいんだよ!!」


 「今からか……」


 「本当なら二葉に教えてもらうつもりだったんだけど、面倒だから嫌だって……」


 「祐介。お前、何回も何回も頼んだだろ?」


 「え? うん。まあ、俺も補習をどうにか突破したかったからな」


 「お前、それ今日思い出しただろ?」


 「いやー! すっかり忘れててさ!」


 「……そりゃ嫌だって言われるわ。まあ、諦めて今から勉強しろ。俺も少しなら手伝うからさ」


 「それしかないかぁ……。よし! 補習まであと1時間ぐらいあるし頑張るか!!」




 ──という意気込みから十分後。


 「あぁーーー!! もう帰りてえ!!」


 「諦めるのが早いぞー?」


 補習をクリアする条件は、補習の最後に出される小テストでほぼ満点を取ることだった。


 「お前の英語の苦手っぷりを忘れてたよ」


 「一年の時から英語だけは苦手なんだよ……。どうしよう……」


 「補習の範囲だけならどうにかなるんだが、一年の内容から分かってないみたいだから」


 自分の手には負えないと思った彼方は、誰か頼りになる人が残っていないかと教室を見渡す。


 彼方と祐介の他に教室に残っていたのは白河だけだった。


 彼方の視界に白河が入った瞬間、昨日の会話を思い出した。




 『ちょっと教室で見かけて気になったんだよ。一人で何かやってたから居残りか何かかなと思って』


 『ふーん……。白河さんが居残りって意外だな。だってあの子成績トップ10に入るぐらい優秀だよ?』




 「あ」


 「どうした、彼方……?」


 「いや、えーっと……。なあ、祐介」


 「何だよ……。名案でも思い付いたのか?」


 「まあ、そんなところだ。祐介。どうしても補習突破したいか?」


 「はあ? 当たり前だろ!! じゃなきゃこんな必死に勉強しねえよ!!」


 「そうだよな。よし、分かった」


 その言葉を聞くと、彼方は自分の英語の教科書を持って立ち上がった。


 「祐介、補習の範囲ってこれであってるよな?」


 「え? ああ、うん」


 「よし。お前は少し自分で勉強してろ」


 「お、おい、彼方!! 何する気なんだ!? おーい!!」


 彼方は祐介の呼びかけに答えずに白河の方に向かっていく。


 白河の元に向かう彼方の胸中は複雑だった。


 話すきっかけができた、こんなことで話しかけて迷惑じゃないか、そもそもどうやって話しかけよう。


 そんなことを考えていると、いつの間にか白河の元にたどり着いていた。


 教科書を持つ彼方の手は緊張で少し震えていた。


 一度だけ深呼吸して、彼方は口を開いた。


 「あ、あの、白河さん!」


 その声に反応して、ゆっくりと白河は彼方の方を見た。


 「……何ですか?」


 「えっと……ここからここの範囲で補習のテストやるって言ったら、どこが出ると思う?」


 「……」


 白河は教科書を見つめたまま黙っていた。


 そのまま沈黙がしばらく続く。


 まるで時間が止まったようだった。


 静寂の中で聞こえるのは外から吹き込む風となびくカーテンの音、お互いの息遣いだけだった。


 その音ですら、この静寂の中では雑音にしか聞こえなかった。


 「あ、あの……」


 「……多分、ここかな?あと、ここも出ると思う。他は……うーん……」


 深い深い海の底のような静寂と、閉塞感に限界が来て、彼方が口を開こうとした瞬間、白河が口を開いた。


 「ちょっと借りてもいい……?」


 「え? あ、うん」


 「ありがとう」


 白河は彼方から教科書を借りると、パラパラとめくり、印をつけ始めた。


 「……うん。これで大丈夫だと思う」


 白河は彼方に教科書を手渡す。


 その様子に彼方は完全に固まっていた。


 彼方の白河に対する第一印象は、高根の花と言った印象だった。


 しかし、実際に話してみると、少しだけのんびりとした性格の普通の女の子という印象に変わっていた。


 そして、彼方は白河に一目惚れしてしまっていたことを認めるしかなくなっていた。


 「……一宮、くん?」


 「……あ。えーっと、うん。ありがと。……白河、さん」


 「うん。どういたしまして」




 彼方は白河から教科書を受け取って祐介の元に戻っていく。


 「はあーーーーーーー」


 「そんな深いため息つくならやめとけばよかったのに」


 「誰のためにやったと思ってんだ」


 「自分のためだろ?」


 「半分自分のためだ」


 「あ、こいつ開き直った!?」


 「ほら。残り時間で印のついてるところ丸暗記しろ」


 「おう! ありがとな、彼方! 白河さんもありがとう!!」


 祐介は教科書を持って、白河に向かってぶんぶんと手を振る。


 それに気が付いた白河が小さく手を振る。


 「よーし!! 絶対一発で終わらせてやるからな!!!」


 「おう。頑張れ」


 消えかけた気合が戻った祐介と、どっと疲れて机に突っ伏す彼方、いつも通り作業をする白河という珍しい構図は祐介が補習に向かう時間まで続いた。




 「よっしゃ!!! 全部覚えた!! 行ってくる!!!」


 「おう。行ってらっしゃい」


 印のついた箇所をすべて覚え終わった祐介が、忘れないうちにと補習に向かう。


 彼方はその背中をいつも通り送り出した。


 教室には彼方と白河だけが残った。


 白河は相変わらず黙々と作業をしていた。


 彼方も祐介が来るまで、時間を有効に使おうと思い作業を始める。


 作業中の彼方の脳裏には先ほどの白河とのやり取りがぐるぐる渦巻いていた。


 そんな彼方に白河からの視線に気が付けるわけもなく、そのまま時間は過ぎていった。




 「終わったああああ!!」


 そんな叫び声をあげて、祐介は教室に戻ってきた。


 「おかえり。どうだった?」


 「ふっ。ま・ん・て・ん!!!」


 祐介は後ろに隠し持っていた小テストを彼方にドヤ顔で見せつけた。


 「おおー。まさかここまで当たるとは……。白河さんに感謝しろよ」


 「白河さーーーーん!! ありがとーーーー!!!


 白河に向かって祐介はぶんぶんと手を振る、


 白河はゆっくりと両手で手を振り返してくれていた。


 その様子を見て、彼方は心底可愛いと思っていたが、その胸中を知る者はいない。


 「よし! じゃあ俺部活行くわ。彼方は今日はこのまま帰るんだろ?」


 「ああ。晩御飯作らないといけないからな」


 「オッケー。じゃあ、また明日な!」


 「おう。また明日」


 祐介はパパっと支度をして、去り際に手を振ってから教室を出ていった。


 彼方も帰り支度を始める。


 ささっと帰り支度を終わらせて、白河の方を見る。


 白河さんはまだ残って何か作業をするんだろうか?


 もしもう帰るなら鍵を閉めないといけなかったからだ。


 まだ少し照れくさいが聞かないといけないことは聞かなければと、彼方は白河さんに近づいた。


 「白河さん、まだ残ってる? もう帰るなら鍵閉めちゃうけど」


 「……もう少し残っていくから大丈夫だよ」


 「そっか。じゃあ、また明日」


 「うん。ばいばい。……一宮くん」


 白河の声を聴いて立ち去ろうとした彼方は、あることを思い出して立ち止まった。


 「ねえ、白河さん」


 「……?どうかした?


 「あの、さ。夕飯何食べたい?」


 「……???」


 「あ、いや!今日夕飯作らなきゃいけないんだけど、何作ろうか思いつかなくて。ちょっと誰かの意見が欲しいなぁ……って」


 「………」


 「………」


 彼方と白河は見つめ合ったまま静止していた。


 何秒の間見つめ合っていたのか分からない。


 もしかしたら何分も経っていたのかもしれない。


 沈黙に耐えられず、照れくさくなり、自分の行動が突拍子もない上に迷惑だったと思った彼方が先に口を開く。


 「あ、あの、変なこと聞いてごめん……!」


 「肉じゃが」


 「……え?」


 彼方が足早に逃げようと後ろを向いた背中に、白河の声がかけられる。


 幻聴かと思って振り返った彼方は再び白河と目を合わせた。


 「肉じゃが……が食べたい、かな?」


 そんなことを言いながら、白河は優しく微笑んだ。


 そんな初めて見る表情に、彼方は完全にノックアウトされていた。


 「一宮、くん……? 顔、赤いよ?」


 「え!? あ、うん。大丈夫! 平気!」


 「……?ならいいけど。参考になった、かな?」


 「うん。ありがとう。参考になった」


 「そっか。よかった」


 「っ!? じゃ、じゃあ、俺帰るから。また明日!」


 恥ずかしさが限界を超えた彼方は、お礼を言って足早に立ち去った。




 教室に残された白河は、深く息を吐き出して窓の外を見た。


 空はオレンジに色づき、夕日が教室を照らしていた。


 夕日に照らされた白河の頬は少しだけ赤くなっていた。


 それが夕日に照らされたせいなのかは本人しか分からない。


 「……もう少し、話してみたいな」


 沈みゆく夕日を見つめながら、白河はそんなことを考えるのだった。




 「で、かな兄は何で机に突っ伏してるの?」


 チーズハンバーグを食べながら、千沙は彼方に問いかける。


 「いや、まあ、ちょっとな……」


 「ふーん。あ、肉じゃが美味しいね!!」


 「そりゃよかったよ」


 もぐもぐと美味しそうに肉じゃがを食べる千沙を見て、彼方は少しだけ勇気を出してみるのも悪くないのかと思った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る