人が人としてあるために

「それで、国を逃げ出したはいいけれど、食料もなく、行く当てもない。運よく廃墟にたどり着いたけど、飢えをどうにかするために、年長の3人で戻ってきたと・・・」

「情けない限りです。国に潜入できたのは良かったのですが、まさか貴族の追手に、早々に捕まるなんて」


大筋を話し終えたロイスは、酷く疲れた様子だった。彼女自身も、相当な苦痛を味わっていたのだ。それを思い出しながら語るというのは、想像以上に堪えたのだろう。


「捕まったって言うけど、その辺どうなのさ?あのフリーデって子は、どうしてあんな状態になっているの?」

「っ・・・それは」


ロイスは口ごもっていた。ハルも、彼女から真実を聞けるとは思っていない。客観的に見ても、彼女たちは被害者であり、黒く染まることについても、知るはずもない者たちだ。

だが、事実をもとになんでこうなってしまったのか。それを知っているはずだ。


「・・・フリーデは、最初はわたくしたちと一緒に逃げていましたわ。ですが、急に苦しみだして、言葉が通じなくなったのです」

「正気を失ったってこと?」

「たぶん、・・・そうだと思いますわ・・・」

「ふーん」


彼女たちが貴族とやらの元でさせられていた仕事。それを考えれば、フリーデがあんな風になっているのにも、ある程度推測がつく。彼女の黒く染まった具合を考慮すれば、今まさに転化しようとしているのも頷ける。


「それで?あなた達は、あの子を連れ戻そうとしているのね?」

「そうですわ。」

「・・・そう」


ハルは、正直迷っていた。真実を告げるべきかどうか。


コルクとリースには、必ずロイスたちを連れて帰る、とは約束していない。できる限り尽力はするけれど、ハルにだって、どうにもできないことがある。だから、現状無事なロイスとゴッシュだけでも、連れて帰れば、コルクたちも文句は言わないだろう。


問題は、そのロイスとゴッシュを、どう説得するかだ。


「あの、えっと・・・」

「・・・ハルよ。」

「・・・ハル様。わたくしは、どうしてもあの子を、助けたいのです。そして、今度こそ、自由を手にし・・・」

「無理ね」


ハルは、きっぱりと言った。


「・・・・・・・・・えっ?」

「あの子の状態、見たでしょう?あれは、獣人特有の禁断症状とは違う。あの子は、元には戻れない」

「ど、どういうことですの?」

「呪われているんだよ。あの子は黒く染まり過ぎた。既に転化も始まってる。やがて黒い靄によって形成された影に肉体が融合し、人ならざる者に変わってしまう。そうなれば、もう自分が何者であるかも覚えていない、ただの化け物に成り果てる」


ハルの見立てでは、既に影が形成されていた。フリーデの体に重なるように黒い靄が形を形成している。影はやがて肉体に変化をもたらして、その姿に成り替わるだろう。


しかし、それを二人に言っても、理解できないだろう。


「呪いですって?そんな!どうして!いつ、いつからそんなことに・・・。その呪いを解く方法はないのですか!?呪いは、あの子は、もう正気を取り戻さないっていうんですか?」

「そうだね。こういう言い方はあれだけど、手遅れだよ」


ハルの赤いローブの襟を掴んでくるほどに、ロイスは激高していた。だが、現実を突きつけられると、ゆっくりとその手を離し、膝から崩れ落ちた。ゴッシュがロイスに駆け寄って、支えていたが、彼女の目にも不安と焦りの色が見て取れた。


「つい昨日のことなのに。どうして・・・どうして、こんなことに・・・」

「ロイスさん・・・」


ハルは、二人に哀れみの眼差しを向けていた。彼女たちの心中は理解できるが、彼女たちに罪はないし、ましてや希望を持てだなんて言える訳もない。


今でこそ、ハルはあのフリーデの状況をよくわかっているが、昔は自分も、彼女たちと同じ側にいたのだ。

黒く染まるということ。その存在すら知らず、友人たちが狂っていく様を、ただ見ているだけしかできなかった時代が、ハルにもあったのだ。


「あの子を止めないといけない。だから、邪魔はしないで」


ハルは静かにそう告げた。


「とめる、って?あの子を殺めるというのですか!?」

「そうよ」

「そんなことさせませんわ!!わたくしたちは、こんな・・・。こんな惨めな運命を歩むために、生まれてきたのではありませんのよ!!」

「ロイスさん・・・落ち着いて・・・」


ゴッシュに制止されながらも、じりじりとロイスはハルの襟を再び掴み、鬼気迫る様子でまくし立てた。


「あなた方のような、心無い人たちに、踏みにじられて!おもちゃのように弄ばれるために生きているわけでもない!いったいどうして、わたくしたちの自由を、あなた方は奪っていってしまうのですか!!」


涙ながらに訴えかける彼女の瞳の奥に、暗い感情が湧き出ているのが、ハルには見えた。彼女もまた、染まっている。その程度は、ヒストリアやフリーデほどではないにせよ、確かに染まっている。何らかの実験を施された存在なのだ。


ロイスの訴えは、きっとハルに向けられたものではない。この国でネクサスと呼ばれる者たちが、日々受けてきた行為を以て、彼らに溜まり溜まった鬱憤がそうさせているのだ。


だからハルは、ロイスにそんな大声で言われても、反発したりしないし、申し訳ないと思うこともない。ただ哀れに思い、自分にできることをするだけだ。


「ロイス、あなたが何と言おうと、私はあの子を、フリーデを止める」

「っ!?」

「そうしなければ、あの子はこの国の住人たちを、一人残らず殺しつくしてしまう。その中には、当然あなた達も含まれる」

「そんなの出鱈目ですわ!あの子は、そんなことをする子ではありません!」


現実を受け入れられないなら、それでもいい。だけど、ハルは彼女たちを見殺しにするつもりはない。


「あの子はもうあなたの知る子じゃない」

「いいえ!フリーデはわたくしのお友達ですわ!!」

「あなたの大事な友人は、こんなことをする子だったの?」


ハルはそう言って、ロイスが巻いてくれた包帯を解き、未だ傷が癒えない、ぐちゃぐちゃな右腕を見せた。

その無残な姿と、生々しい血の匂いに、ロイスもゴッシュも本能的に鼻を抑えた。彼女たちは獣人だ。他の人種よりも嗅覚が強い。獣人の種類によっては、血の匂いで錯乱する者もいるくらいだ。

こんな至近距離で、血をだらだらと滴らせれば、下手に息を吸うのも躊躇われるだろう。


「これが今のあなたの友人がする全てよ。あの時私がとっさに腕を伸ばさなければ、あなたの顔面は、半分無くなっていたかもしれない。あの子の友人だというのなら、せめてあの子が、これ以上悪行を重ねる前に、止めてあげなさい」

「・・・・・・なんで、・・・どうして・・・」


泣き崩れるロイスをみて、ハルは包帯を巻きなおした。

おそらくロイスには、フリーデは殺せない。所詮はうら若い小娘だ。まぁ、見た目で言えば、ハルの方が小娘だが、彼女からは、友人を断ち切るだけの覚悟は生まれない。


人には向き不向きがある。誰もが平気で人を殺められるわけではない。もちろんハルも、望んで人を殺そうだなんて思っていない。人殺しは、絶対的な悪であり、罪である。だが、殺しをしなかった結果、自分が、あるいは誰かが死んでしまうような状況ならば、それは意味のない善悪の価値観に変わる。


彼女にはそれはできないだろう。


「・・・ゴッシュ。魔法を解いて」

「えっ?」

「あなた達は、必要な物資を奪って、この国から出なさい。真西へ向かえば、コルクたちが見つけてくれる」

「で、でも・・・」

「できることをしないさい。ロイス、あなたもよ」

「・・・」

「ロイス、確かに私がしようとしていることは、独断による偽善的な行為だわ。この国にまともな法律があったら、私は間違いなく極刑を言い渡されるでしょうね。・・・ねぇ、ロイス。あなたは信じられないかもしれないけど、私は、フリーデのような、黒く染まってしまった者たちを救う方法を探して、旅をしているの。人に憑りつく黒い靄を制御する方法をね。だけど、今はまだ、何の成果も得られていない」

「・・・だから殺すというのですか」

「いいえ、そうしないと、今度はあなた達が、同じようになってしまうかもしれないの。黒い靄に体を奪われて、世界の全てを憎むような、そして、人類を滅ぼす災厄と成り果てる」

「・・・???」

「あなた達も、その黒い靄を持っている。そして、私の中にも・・・。ロイス、ゴッシュ。私は、この先あなた達が、無事に国を出て、自由を手にすることを祈っている。ただその先で、一人の友人を踏み台にしてきたことを、忘れないでほしい。そして、それを楔のように思わないで。あなた達が悲しみや憎しみ、苦しみと言った、負の感情を覚える程、黒い靄は大きくなり、やがてあの子のようになるでしょう。けど、だからと言って、それを忘れるために、喜びや感動、幸福に浸ってもダメ。」

「苦しい過去を忘れずに、一生背負い続けて生きて行けというのですか?」

「そうよ。全てを認めるの」

「認める?」

「悲しみも、幸福も、全て、人として当然の意思よ。その意思には、善悪はなく、感情を持つ者であれば、何ら不思議じゃない。怒りを覚えることは、悪ではない。喜びに浸ることは、善でもなければ、それが幸福をもたらすわけじゃない。人としての、善と悪。その二つを、決して否定してはダメ。そのどちらかを捨て去ってしまえば、私たちは人でなくなってしまう。私はあなた達が、そうならないことを祈ってる」





ゴッシュが魔法を解いてくれて、ハルは再び炎に身を包んだ。背中に生えた翼をはためかせ、空へと飛びあがる。言うべきことは言ったから、跡はロイスたち次第だ。ハルはそこまで面倒を見るつもりはない。コルクたちには、連れ戻すと言ったけれど、とにもかくにも、フリーデをどうにかしなければ話にならない。


上空から見ると、ケルザレムの西区の労働所で、いたるところ煙が上がっていた。気になったのは、先ほどよりも、天気が悪くなっていることだろうか?今にも雨が降りそうだ。


「さて、少し無駄足を食っちゃったかな」


どうやら兵隊たちは、西区の労働所に集まっているようだった。あのクソ婆ぁは、ハルよりもフリーデの方が脅威と見なしたのだろうか。それとも、それも全部、婆ぁの仕業か・・・。


「クワァー!」


唐突に、ハルの背後から、一羽のカラスが現れた。カラスはハルの燃える肩にとまると、ハルに視線を向けてきた。


「・・・ふーん。ヒスが頑張ってるんだ。でも、フリーデも随分暴れているみたいだね。・・・アキ?・・・そう。わかったわ。は、あの隠見婆いんけんばばぁの方をお願い」


カラスは、そのままどこかへ飛んで行ってしまった。


カラスの子からの情報によれば、フリーデはかなりの数の、ケルザレム住人をやってしまっているらしい。完全に転化するのも時間の問題だろう。


「それにしても、ヒスはなかなか情報取集がうまいね。・・・か」


ハルは、激戦区となっている、西の労働所へ急行した。



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