獣人たちの真実
労働所は瞬く間に戦場と化した。戦場と言っても、二つの勢力がぶつかり合っているのではなく、たった一人の乱入者が、無防備な人々を虐殺している、一方的な戦場だ。
最初、衛兵たちは取り押さえようと棒状の武器で立ち向かったが、誰一人として、乱入者には敵わなかった。衛兵たちは決して戦闘訓練を受けているわけではなく、単なる監視者だ。
乱入者は少女だったが、黒い兎の耳を持つ獣人で、人並み以上の戦闘能力を有していたのだ。
衛兵たちも横にされているネクサスたちと同様に、無残な姿へと変えられていった。
「逃げろ!逃げろぉ!!」
そうやって声を掛けながら、ネクサスたちをたたき起こす者もいれば、彼らを縦にして逃げおおせようとする者もいる。窮地に追い込まれたとき、人は人の醜さを見せるものだ。
ヒストリアも、人の群れに交じって、中央市街方面へと逃げていた。しかし、どういうわけか、労働所と市街を隔てる門が閉じており、みんな立ち往生しているのだ。
「なぜ門が明かない!?」
「このままじゃ、みんなやられるぞ!」
不安がる声がいたるところから聞こえる。目覚めたネクサスたちも一緒に逃げているが、彼らの様子もおかしかった。どこかうつろで、意識が朦朧としているようだ。ヒストリアの魔法による影響は、もう抜けているはずなのに。彼らも再び暴れだすかもしれない。
人が他者を押しのける。そうしてでも、自分だけは生き残ろうという姿を見て、ヒストリアは委縮してしまっていた。
ついさっきまで、慌ただしくもどうにか場を鎮め、一休みしていたはずなのに。
「このままじゃ、みんなやられちゃう・・・」
「ウ~・・・」
ヒストリアの足元で、アキが悲し気な声を上げた。この子も人の狂気を感じ取っているのだろう。
そんなのを他所に、ヘイモアは変わらず、あの獣人の少女を望遠筒で観察していた。こんなに離れていても見えるとは、かなり度が強いのだろう。
研究者として、ヒストリアは彼に感心していた。情に流されず、成果だけを求める彼の姿勢は、何かを極めるうえで重要な
しかし、同時にヒストリアは、彼を一切信用していなかった。彼だけではない。ネビルと称される、この国の監視者たちを、誰一人として信用ならなかったのだ。
それは、彼らの行いが非人道的なことだからではない。ヘイモアの言う通り、他に生き方を知らず、それしかないと聞かされれば、同情くらいはする。
しかし、彼らの人間性を信じるには値しない。何より、彼らには、黒い靄が一切存在しないのだ。
何度かあのガラスで黒い靄を見せてもらったが、そこに映るのは、ネクサスだけではない。
ネビルたちからは、その兆候すら見えなかった。
黒く染まるのが、心の傷が原因だというのなら、彼らは自分たちの行いに、まったく痛みを覚えていないということだ。
それが仕事だというなら、ヒストリアとしても否定はしない。けれど、彼らを信頼するには至らなかったのだ。
(ヘイモアさんは、自分の姿を見たことがあるのかな・・・)
彼があれほどまでに、乱入者にご執心なのを見ると、彼女はよっぽどの染まり方なのだろう。
ここからは、もう彼にすり寄ることはしない方がいいかもしれない。
黒い靄についての情報は、あらかた聞いたし、あとは自分の目で確かめるしかない。
ヒストリアは、大きく深呼吸をして、再び杖を呼び出した。
(・・・コルクの時のように・・・。落ち着いて、冷静に・・・)
先生は、うるさいくらいに言い聞かせてくれた。もし、万が一、離ればなれになるようなことがあり、命の危険を感じた時は、躊躇わずに魔法を行使しなさいと。
他人の命を考えず、例え殺しをしてでも、生き残ることを考えなさいと・・・。
あの時の、先生のまっすぐで真剣な瞳は、恐ろしさを感じる程だった。旅が始まってから、命を失うような危険に、いつか直面することになると思っていた。今までは先生がいてくれたけど、今は違う。
「おいで、アキ」
ヒストリアがアキに声をかけ、中央市街への門を叩く人々の群れから離れた。戦うにしても、逃げ続けるにしても、密集した場所では何もできない。この小さな相棒に頼ることも出来ないだろう。
当のアキは、尻尾を立ててやる気満々のようだが、大型犬くらいの体格しかない狼には、あの獣人の怪物とやりあうことはできないだろう。
ヒストリアは、杖を地面に突き立て、魔力を集中させた。
「空より出でし、雷光の輝きよ。我が意に応えよ」
自分が持てる最高の魔法で、あの獣人の少女を迎え撃つ。
魔法士の弱点は、その速度だ。魔法を唱えいている間、基本的に何もできない。だからこそ、先手を打つ必要がある。彼女がこちらへ目を向けてからでは遅いのだ。
ヒストリアの杖の先から、青白い光が放たれ、空高くへ舞い上がった。光はみるみるうちに上り、空の彼方、雲の中へと消えていく。すると、どこからともなく雷の鳴る音がした。空には暗雲も雨雲も見えないが、それでも、嵐のような重苦しい大気の重圧が、空から降ってきた。気圧が変わり、風が吹き始める。ヒストリアの近くにいるアキの毛が逆立ち始めた。それは、彼が毛を逆立たせているわけではない。大気中の静電気が、そうさせているのだ。
ヒストリアも、杖を構え、そして、今しがた多くの人々を手にかけた少女の元へ歩み寄った。
ヒストリアの赤い瞳と、血走ったような少女の視線が絡み合った。
ハルが連れてこられたのは、武器庫だった。無数の槍や、棒状の武器、ボウガンとその矢が乱立している。しかし、中に兵隊はおらず、それどころか、人の気配すらなかった。
「ここなら、誰も来ませんわ」
「どうしてそう言い切れるの?」
「ここ数日、わたくしたちがねぐらに使っている場所だからです」
それは答えになっていないような気がするが、その意味は、ぶかぶかな鎧を着たゴッシュが示してくれた。
ゴッシュは何かぶつぶつと詠唱を唱えると、武器庫の入り口に魔法をかけた。扉が壁に変わり、密閉された空間になったのだ。
なるほど、コルクたちがいたあの小部屋は、彼女が作ったものだったのか。
「面白い魔法ね。物質を作り出す魔法と、幻影を作り出す魔法。二つを重ねがけして、視覚的、物理的に遮断するなんてね」
「あなたは魔法に詳しいようですね」
「それほどでもないよ」
コルクたちがいた、あの教会跡の部屋には、二つの魔法が掛けられていたのだ。だから、ヒストリアが解除魔法を唱えても、幻の壁は消えなかった。ヒストリアは魔法によってつくられた物理的な壁だけを解除したのだ。
「この国の様子を見れば、主に使われている魔法の特性を知ることが出来る」
「うん?」
「兵隊たちが使っている魔法の矢。あれは物質を作り出す魔法と同じものでしょう?無限に矢を番えることが出来て、着弾すれば魔法が解けるよう細工してある」
国の魔法形態は、ある程度一貫しているものだ。魔法の論理に疎いハルでも、これだけ共通点があれば、それくらいは見破れる。
「魔法が使える子に、責任感の強いリーダー。それと、あのフリーデって子は戦闘員かしらね。確かに、あなたたちが力を合わせれば、潜入して食料を手に入れることが出来たでしょうね」
ハルがそう言うと、ロイスは痛いところを付かれたようにうなだれた。実際はできなかったのだ。落ち込むのも無理ないだろう。
「・・・コルクと、リースは、今どこに?」
「ケルザレムから西へ1日くらいのところの森の中だよ。河が近くにあって、水には困らない。一応、罠の作り方や、魚の釣り方とか教えてきた。あの子たちがまともなら、飢えて死ぬような状況にはならないと思うよ」
「・・・そう、ですか」
実際には、コルクたちと別れたのは昨日のことだ。ハルたちは、今日明日にはロイスたちを連れて帰る予定だったのだから、飢え死にすることは無い。むしろ、獣たちを追いかけたりして、怪我をしないかどうかの方が重要だ。大怪我をすれば、彼女たちではどうにもできない。
だから、出来る限り早く、ロイスたちを連れ戻したいのだが、3人のうち一人が、既にあんな状況になっているとは・・・。
「それで、どうしてあのフリーデって子と、離ればなれになっているのか。話してもらえるかしら?」
ロイスは、浮かない顔で、話すことを渋っていたが、ぽつりぽつりと事の顛末を話し始めた。
わたくしたちは、もともと、生まれも育ちも異なる獣人でした。奴隷として売られ、偶然このケルザレムで出会い、いつしか、姉妹のようにお互いを慕う存在になりましたわ。その時は、この国で何が行われているのかは、さっぱりわかっていませんでした。でも、働きさえすれば、食事は与えられるし、必要な衣服や、寝床だってありました。もちろん、生活が苦しくなかったわけではありません。寝食を除いた時間は、ほとんど働いておりました。必要以上に休むことも許されず、娯楽なんてもってのほかです。いつか訪れる命の終わりの瞬間まで、こうして働き続けることに、絶望したりもしました。ですが、わたくしは、コルクとリース、ゴッシュにフリーデの、彼女たちと共にいられる時間だけで、どんな困難も乗り越えていけると、そう思っていたのです。
ある日、フリーデが学生として、貴族の元へ連れていかれました。学生がなんであるのか、わたくしたちは知りませんでしたが、貴族の元へ行けば、もっと良い暮らしができる。そう思って、わたくしたちはフリーデを見送りました。
その次の日です。今度はリースが、同じ貴族の元へ召し上げられました。その次に、ゴッシュが。また次の日に、コルクが。そして、最後にわたくしも、貴族の元へ行くことになりました。
学生となったわたくしたちの生活は、確かに変わりましたが、その本質は変わっていませんでした。国の労働力として働かされていたのが、貴族の召使に変わっただけ。わたくしたちは、見たことも会ったこともない貴族と言う存在のために、訳の分からない仕事をさせられていました。
わたくしは、家畜の動物に鞭を打つ仕事をさせられました。指示された通りの回数、鞭を振るい、家畜がわめく姿を見せられました。
コルクは、変な部屋に閉じ込められて、レバーを引く仕事をしていました。レバーを引くと、隣の部屋で大きな音がするだけで、実際何をしているかはわかりませんでした。
リースは、くじ引きを引く仕事をしていました。数本のくじの中からいくつかを選ぶ。ただそれだけの仕事です。
ゴッシュは、魔法の才があったので、幻影の魔法の訓練をさせられていました。一個のレンガの見た目を武器に変える仕事です。
そして、フリーデは食事をする仕事を請け負っていました。ただ、食事をするだけです。1日3回。出された料理を平らげるだけの仕事でした。
わたくしたちは、それが何を意味するのか、分かっていませんでした。貴族の元へ来てからは、お互いに干渉することも許されませんでしたから。ですが、ある時偶然。コルクが、見てしまったのです。フリーデが、仕事をしている場所を。
コルクは、私たちの中で一番年下で、一番好奇心旺盛な子ですから。仕事を早めに終わらせて、貴族の館を探索に出ていたのでしょう。そして、偶然にもフリーデの仕事場を覗いてしまいました。
そこにいたのは、血まみれの物体を頬張るフリーデがいました。
コルクがわたくしの元へ来たのはその時です。仕事も抜け出して、わたくしたち全員を連れ出して逃げようと、提案してくれました。獣人の身体能力をもってすれば、この館から抜け出し、国の外へだって逃げられると。
そして、わたくしたちは、再開し、逃亡を図った際に、自分たちが何をさせられていたのかを知ったのです。
わたくしが鞭を振っていた相手は、家畜ではなく、外から連れてこられた奴隷の人でした。幻影の魔法で、家畜の姿に見えていただけだったのです。
コルクが引いていたレバーの先には、絞首台がありました。レバーは、その床板が落ちるためのものだったのです。
リースのくじ引きによって選ばれていたのは、ネクサスの人のなかでも、高齢の方たちでした。おそらく、増え続けるネクサスを、人知れず間引いていたのでしょう。
ゴッシュは、魔法の訓練をさせられていると、思わされていましたが、実際には、幻影魔法によって姿を変えられていたように見える奴隷に、さらなる幻影をかけているに過ぎなかったのです。
そして、フリーデ。あの子は、あの子が食べさせられていたのは、見た目は野菜のサラダだったり、肉団子だったり、スープだったりしたそうです。ですが実際には、見るも惨い、正体の分からない物資を食べさせられていたのです。
事実をしって、その裏にある真実を突き止める勇気は、わたくしたちにはありませんでした。
だから、国を逃げ出したのです。
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