負の遺産
ヘイモアの自宅兼監視所。
憂いの表情を浮かべるヒストリアを前に、家主は口をぽかんと開けて、開いた口がふさがらなかった。
ヒストリアも、全てを語ったのだった。さすがのヘイモアも、邪龍だの亡き国の話だのを聞かされて、思考回路が滞ってしまったのだろう。話し終えてもしばらくは何も言わずに、じっと何かを考えているようだった。
「・・・・・・、あの。何かありますか?」
「うぇ!?あぁ、えっと・・・」
頭の中で話が整理できていないのか、感想を求めても、ヘイモアは黙ったままだった。
ヒストリアも、他人にこの話をするのは初めてだったから、いかにこの話が異質で、非現実的なことなのかがよくわかる。
客観的に見ても、ヘイモアの精神状態は異常だと、ヒストリアは思っている。人に苦痛を与えることを生業としている研究を、彼は生きがいだと言っていた。もちろんそれを否定するつもりはないし、本人も理解の上だろう。それでも、決して褒められた言動に思えないのが人というものだ。
そんな彼でさえも、理解に難しい実情が、ヒストリアのそれだ。初めて自分が聞いた時も、信じられないと、耳を疑ったものだが、己の現実として無理やりにでも受け入れたものだ。
「・・・なんていうか、話してくれたのはいいけど、辛くは、ないのかい?」
「・・・・・・辛くないと言えば、嘘になります。でも、必要なことと割り切れば、そんな痛みは大したことありません」
そうは言うものの、実際はかなり強がっていた。自分が一番、現状を信じていない。生まれも、余命も、何もかも信じちゃいない。ヒストリアが信じているのは、言葉なんかではなく、ただ一人の女性だけだ。
「そ、そうかい。・・・ごめんよ。あいや、謝る必要はないのかもしれないけど・・・」
「ありがとうございます。それで、何か気づいたこととかありますか?」
「そうだね。君の話も長いものだったからね。ちょっと、整理させてほしい」
重要なのは、ヘイモアの研究と似通った点がないかだ。ヒストリアも、改めて彼の話と自分の実状を照らし合わせることにした。
彼の研究では、黒く染まった者は、精神的苦痛を受けることで、靄が大きくなり、また、年齢に比例して徐々に低下していく。靄が一定の大きさまで育った若いネクサスは、学生として貴族に迎えられる。
相対して、ヒストリアの情報では、ほとんどハルの受け売りだが、人を殺すことで、魔力が変質する。それは、心と魔力が密接な結びつきを持っている可能性があるからであると。
心の傷が、魔力に影響を及ぼし、それが黒く染まる原因になるであろうということ。
それから、ヒストリアが生まれつき染まっている理由だ。邪龍との戦いを経て、それでも我が子を産もうとした人間のエゴが、邪龍の呪い、もとい、黒い靄を受け継がせてしまった。
ヘイモアの研究では、どうやって人は黒く染まるのか、という点については、あまりわかっていなかった。しかし、給食、とやらを与えられることで、ネクサスは黒く染まり始めるらしい。
「共通点があるのは、心の傷が黒い靄を増長させているという点ですね。そのほかの話は、似通ってはいませんが、不可逆ということでもないですし、それぞれ黒く染まった者の特徴と考えても問題なさそうですね」
「・・・・・・」
「・・・?ヘイモアさん?」
彼はどうしてか何も言わなかった。その顔を覗くと、何か考えが思い浮かんでいるように見える。うまく言語化できないのだろうか?それとも、何か画期的なことに気づいたのだろうか?
「ヘイモアさん」
「あ、ごめん。つい、考えこんじゃって」
「何かわかったんですか?」
「それが・・・。君、お母さんから、その、邪龍の呪いを受け継いでしまっている、と言ったね?」
「はい。そうですね」
「・・・・・・そうか。・・・受け継いでしまうものなんだね?」
「えっ?」
最初は何を言っているのか、よくわからなかった。自分の中で、受け継いでしまったという認識はあっても、それが重要なことのようには思わなかったのだ。
「君の黒い靄は、君が生み出したものじゃないってことだね?」
「そう、・・・なりますね」
「・・・僕の認識とは異なるな。黒い靄は、ネクサスそれぞれが生み出し、育むものだと考えている。人から人へ移ることなんて、想像もしなかった」
「でも、私のは、母からの遺伝、と言うことで片づけられるんじゃないですか?」
「いいや、君のそれは遺伝なんかじゃない。君の誕生は、君の先生による、わけの分からない魔法の力によるものだよ。仮に遺伝したんだとしても、君のお母さんは、その、邪龍とやらの呪いを受けていたんだ。その時点で受け継いでしまったと、言えるんじゃないかな」
流石は研究者の視点と言うものか。あんなにややこしいヒストリアの出生についてを理解できるとは。その上、自身の研究と照らし合わせて、冷静に分析を計っている。正確には難があるが、やはり彼の能力は利用して、損はないだろう。
ヘイモアの言うように、ヒストリアが黒く染まっているのは、ヒストリアが殺しをしたからでも、わけの分からない給食を食べさせられたわけでもない。全て生まれつきのものだ。
ハルは、当時身籠っていたヒストリアの母親に、邪龍によって滅ぼされた国の、生き残りたちの命を、ヒストリア誕生の資源として使った。その生き残りたちも、一人残らず邪龍の呪いを受けていたはずだ。
「黒い靄を、受け継ぐ?」
「うん。いろいろ表現はできると思う。黒い靄は、受け継ぐものであって、受け継げるものでもあり、もしかしたら、受け継がれてしまうものなのかもしれない」
「・・・えっ?」
「あぁいや、表現の話だよ。受け継ぐものも、受け継げるものも、受け継がれてしまうものも、全部意味が違うだろう?でも、君の話は、それら全ての可能性があるってことだよ」
なんてややこしい。けど、研究とはそういうものなのだろうか。そうやって一個一個検証していって、正確な情報を調べていくのだろう。
「まだ仮定の話だけど、黒い靄が受け継ぐものなのだとしたら、もしかしたら僕のさっきの話は、あながち間違っていなかったのかもしれない」
「どういうことですか?」
「黒い靄が大きくなったネクサスは、学生として貴族に献上されるっていったよね?」
「はい」
「学生になりえるネクサスの年齢は、みんなとても若く、一定の年齢層に留まっている。大体、17歳から20歳くらいの人たちだ。子供過ぎず、大人にもなりきらないくらいの年齢だ。だけど、ほとんどネクサスは、黒い靄が減少する傾向にあり、40歳のころには、ほとんど観測できなくなる。僕はそこに、靄が減少する何らかの理由があると思ってたんだけど、それが受け継がれてしまったのだとしたら、学生になりうる者が、若年齢なのも納得がいく」
「・・・年相応の子供は、感受性が豊かだから、黒く染まる影響を受けやすいってことですね」
「そうだね。それもあると思う。そして、他人からも靄を受け継いで大きく膨れ上がっていくんだとしたら・・・」
「・・・だとしたら?」
「・・・・・・・・・僕の研究は、まるで意味が無い事に思えるんだ」
なるほど、ヘイモアが何に気づいたのか、ヒストリアにもわかった気がする。
彼が行っているのは、黒く染まった者の、黒い靄をお置きすることだ。彼はその方法を模索し、あらゆる方法を試してきたはずだ。その結果、他の区よりも多くの学生の排出に成功した、ようにみえた。
そこへ、ヒストリアが持ち込んだ情報に晒されて、その研究の根本がずれて居ることに気づかされた。黒い靄が、受け継ぐものであるならば、一人一人の靄を観測する必要なんてないはずだ。学生が、感受性の強く、精神の弱い特定のネクサスに収束していくのであれば、今まで学生となりうる者が生まれてきたのは、単なる偶然ということになる。
「僕が、ネクサス一人一人の傾向を見ずとも、大勢いるほとんど靄が増えずに、単なる労働者として暮らしている者たちの母数が増えれば増える程、学生は生まれやすくなるはずだ」
「つまり、ヘイモアさんのような、ネビルがいなくとも、学生は生まれるかもしれないと・・・」
もしそうなんだとしたら、その学生と言う存在が何なのかが気になってくる。貴族に献上とは言うが、黒い靄を放つネクサスに、何をさせているのだろうか。
もちろん、黒い靄が受け継がれる条件なども、わかっていない。全部推測に過ぎないが、人から人へ移るという可能性は否定できない。それに、ヘイモアの研究は、目立った成果を出していないことを考慮すると、彼自身も、貴族の思惑に踊らされていることになる。
この国の貴族は、初めから何もかも知ったうえで、ネビルに管理させ、ネクサスの黒い靄の育成を行っていたのではないだろうか。そんな疑念が浮かんでくる。ネビルは、ネクサスを管理する立場でありながら、彼らもまたこのケルザレムの中での、一つの歯車に過ぎないのではないかと。
そんな憶測を立てているときに、突然、けたたましいベルの音が鳴り出した。
「な、なんですか?」
「あぁ、魔導振動装置、えっと、僕の同僚からの連絡だよ」
魔導振動装置、とやらに付いている金属部品が、小刻みに震えている。ヘイモアは、その横に付いている別の部品を手に取って、口元に当てた。
「僕だ。何かあった?」
「ヘイモアさん!大変だ。ネクサスたちが、急に苦しみだした!」
「え?なに、どういうことだい?」
「わからねぇよ。みんな息苦しそうにしてて、とにかく、どうしたらいいんだ?」
装置越しでも聞こえてくる声は、明らかに狼狽している。同僚と言っていたが、そこそこ慕われているのだろうか。いや、そんなことは今はいいだろう。
「ヘイモアさん?」
ヒストリアが声をかけると、ヘイモアは同僚に簡単な指示を下していた。すぐに連絡を切ると、例のガラスを取り出して、それを望遠筒にはめ込んだ。外に見える労働所を覗き込んでいた。
「な、なんだこれ!?」
「何が見えるんです?」
「ネクサスたちの靄が、・・・なんて言えばいいんだろう。何かに引っ張られてる。こんな現象、初めてだ」
ヒストリアも望遠筒から見えるネクサスたちを見せてもらうと、彼の言う通り、彼らの纏う靄が、上空へ向かって伸びている。引っ張られているという彼の表現は、正しいだろう。だが、そこには何も見えない。空へ向かって伸びる靄は、どこかへ消えていっている。
「いったい何がどうなって・・・」
「僕にもわからない。とにかく、現場に行かないと」
何かが起きていることを、ヒストリアは感じていた。それを裏付けるかのように、大きな爆発音が轟いた。
「うひぃ!」
「何?」
情けない声を上げたヘイモアを他所に、ヒストリアは、労働所の反対側に見える、国の中心地の方の窓を見た。
やはり爆発があったのだろう。煙が上がっている。だが、遠すぎて、何が起こっているかまではわからない。しかし、彼女には、ある予感があった。きっとあそこには、あの人がいると。
「ヘイモアさん、私も労働所に行きます」
「ふぇ?いや、でも君、・・・その格好じゃ。」
「大丈夫です。さっき、面白い魔法見せてくれましたよね?」
「え?」
ヒストリアは、少しだけドヤ顔をすると、どこからともなく杖が出てきて、それをくるりと回転させると、
「はぁ、ふぅーーー。・・・はっ!」
詠唱なし、一瞬で光がヒストリアを包み込み、その姿を、赤毛の若い青年へと変えた。
「えっ?」
「・・・私、魔法士なんで」
「それ、さっき僕が君にかけた」
そう、これはヘイモアが見せてくれた幻影の魔法だ。ケルザレムへ来る前、教会跡で見た時から、面白い魔法だと思っていたが、ヒストリアは、己の理論と経験だけで、それを自分のものにしてしまったのだ。
「これで私も、地上へ行けます。連れて行ってくれますか?」
ヘイモアは、しばらくぽかんとしていたが、すぐに笑顔になり、首を縦に振ってくれた。
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