Ⅹ
ギンディルが連れてこられたのは、玉座の間だった。手足を鎖で繋がれ、暴れられないように首輪までされている状態だ。それ以前に、体の自由も効かず、暴れる体力も無くなっていた。
鎖を持っているのは、当然人間達で、彼らの顔に見覚えはなかった。
「彼らはいったい・・・」
見た目はヘロボロスの国民と大して差はない。日に焼けた肌に、丸みのある顔立ち。間違いなく砂漠の人間だ。だが、その身に纏う衣装は、この国のものではない。色味はともかく、ヘロボロスの文化には無い、重ね着の一張羅。型のある固い繊維の衣類は、一目で外界の人間であるとわかる。
しかし、外界の人間がこの国に来ることは絶対にありえない。それは、レシア大砂漠を領土としているヘロボロスに対する侵略と同義だからだ。
広大な砂漠全てを監視しているわけではないにせよ、この砂漠はヘロボロス帝国のものなのだ。現に2000年の歴史の中で、帝国が砂漠の周辺国と長期的な戦争になったことは、一度もないとされている。
それ故に、砂漠に訪れる者らは、どこに所属するでもない、旅人や、流れの傭兵。あるいは、正式に交流を持とうとする異国の使者だけだ。
だが、彼らの重ね着の衣装は、帝国が長年貿易を行っている国のものではない。仮にそうだとしても、この宮殿で、腰に湾刀を差すことなど許されることではない。
「紹介しましょう、ギンディル様。彼らが、私たちの新しい隣人です。今後は彼らと、有効な関係を気づいていこうと考えています」
「有効な、関係?リーゲル。お前は、何をしようとしているのだ」
「まるで何もわかっていないような態度ですね。豪胆なあなたでも、今の状況が何を意味するか、分からないことは無いと思いますがね」
ギンディルは、玉座の間を見渡す。いたるところに倒れている同胞たち。羽扇を持つ踊り子たちの姿もない。そして、玉座に鎮座している者は、ずっと頭を上げず、うなだれたままだった。
「父上!」
ギンディルの力の無い叫びに、ジルファは答えなかった。
「国王陛下は、既にお眠り頂いております」
リーゲルがギンディルの耳元へ自分の口を近づける。
「永久の眠りにね」
その言葉を聞いて、ギンディルは目を大きく見開いた。そして、その瞳は段々と蛇の如く鋭く細くなっていく。
「リーゲル。お前ぇ!!」
「言ったはずですよ。ここは、人間の国になるのです、と」
ギンディルの瞳から、大粒の涙が零れ始める。
「おやおや、あなたのような人でも、涙を流すことがあるのですね。その涙は、父親を殺された怒りです?それとも、王家のプライドから、国を奪われた事への憎しみですか?あなたはそういったものとは無縁な方だと思っていましたが。人であることには、変りないのですね」
ギンディルは今にも目の前で講釈垂れる、この人間を殺してやろうと、体を奮い立たせていた。しかし、未だ体力は戻らず、鎖を引きちぎることはできなかった。
小さな抵抗を見せるギンディルを見て、異国の剣士等がその湾刀を抜き、ギンディルの首元に、その刃を押し付けた。
「くっ・・・」
「ギンディル様、あなたはこの国民を懸命に守ってくださいました。いえ、あなたからすれば、民を守っていた、という認識はあまりないでしょう。私たちを奴隷と言う物としてしか見ていないあなたには・・・」
「違う!私はお前たちを物のように扱ったことなど、断じてない!」
力の限り反論するギンディルに、リーゲルは冷酷な視線を向けていた。
「そうでしょう、そうでしょう。ですか、あなたの同族の方々は?」
「・・・何?」
「蛇人は、何もあなただけではありません。ヘロボロスの人口の2割が蛇人族です。その全てが、あなたのような思想を持っているとお思いですか?」
「彼らは、・・・彼らがお前たちに何をしたのだ。」
「ええ、教えて差し上げますよ。蛇人族は、何もしていないんですよ。私たちが、奴隷でありながら、生涯を尽くして仕えているというのに。私たちは友人のような関係を結べているのに。あなた達蛇人は、道具を道具のままにしていたんですよ。それが、どれだけ我々の気持ちを踏みにじっているか。あなたにわかりますか?」
ギンディルは、頭を金づちで殴られたような衝撃を受けた。
彼にとって奴隷は、道具だなんてかんがえたことはない。だが、リーゲルの言うように、他の同胞たちがどのように考えているかは知らない。
それでも、この国には、笑顔が絶えなかったはずだ。長年付き添っているムンファだって、何も求めてこなかったじゃないか。
ギンディルは多くの言い訳を考えた。その言い訳は、確かに間違ってはいない。奴隷たちを物としていたことも事実だし、それでうまくいっているからと、そのままにしておいたのも事実だ。
だが、それが良いことだと、自分勝手に決めつけていたのだ。
国王であるジルファも、道楽に時間を割くばかりで、決して奴隷制度の改正など、考えもしなかった。
「私たちは奴隷です。物です。主人である蛇人から、褒められることはあっても、自由になることなどない。それは、私が生まれた時から決まっていたことでした。これまでずっと、そうしてこの国は回ってきたのでしょうね。私たちは物として生まれ、物のまま生を終える。そんな虚しい人生は、悲しいと思いませんか?例えどれだけ生活に不自由がなくとも、自由の無い箱庭で終える命を!」
感情が高ぶったリーゲルは、ギンディルの頬を力任せに殴っていた。人間の力で蛇人を叩いても、怪我を負わすようなことにはならに。しかし、放心しているギンディルは、容赦なく倒れこんだ。
「はぁはぁ、ご安心ください、ギンディル様。蛇人族を皆殺しにするようなことは致しません。特にあなたは、国民の人気者だ。そんなお人が、急にいなくなれば、国の情勢も不安定になります。ただ、しばしの間は、・・・黙って我々の指示に従いなさい」
もはや、リーゲルの言葉は、ギンディルには届いていなかった。
リーゲルが異国の剣士たちに向き、顎をくいっと差し出すと、彼らは意図をくみ取り、ギンディルをどこかへと連れて行った。
「さて、それでは、掃除を始めなければいけませんね」
玉座の間は、静かに彼の言葉を木霊し、殺伐とした空気を宮殿緒外へと解き放っていった。
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