体が思うように動かない。こんな経験は初めてだった。

俺たち蛇人は、生まれた時から戦士だ。力であらゆることを解決し、何事にも屈することはない。それを可能にするだけの生命力が、俺たちにはあった。


どれだけ戦いに身を投じても、体は疲れることを知らず、むしろ昂るばかりだった。


俺たちの力は、先祖である巨龍から授かった恩寵だ。それは決して、己が欲のために行使していいものではない。弱者を、あるいは同胞を、それを守るためにあるのだ。


同胞とはなにか?それは、単に蛇人族のことを指して言うのではない。志を同じくする者たちのことだ。例え種族が異なろうと、同じ国に生まれ、国家のために生き物たちは、皆俺の同胞だ。彼らが奴隷と言う種族であっても、俺にとっては、大事な同胞なのだ。




ギンディルは、牢に鎖で繋がれていた。反逆者や、罪人を捉えるための部屋に、まさか自分が放り込まれるとは、思ってもいなかった。


鉄の鎖を引きちぎろうにも、体にうまく力が入らず、軋む音すら鳴らすことが出来ない。天下の蛇人族が聞いてあきれる。どうしてこんな体の状態になっているのか、どうしてこんなことになっているのか、ギンディルには見当もつかなかった。


今日起きたことを、何度も思い返していた。

客人を案内し、共に食事を、民衆たちの事故に手を貸し、一日を終えるはずだった。だが、宮殿に戻ってからの記憶が曖昧で、どうやって今に至るのかを覚えていなかった。


力づくで牢屋に放り込まれたのか?

力でギンディルに適うものなど、この国にはいない。一対多の構図でも、数人の同族相手になら、まだ勝てる自信がある。そもそも、蛇人の同胞たちが、自分を牢に閉じ込める理由が見つからない。

なら奴隷たちが?

それこそ不可能というものだ。人間の力で、蛇人に適うはずがない。それに、従士たちや奴隷たちが、自分を裏切ったことを、信じたくなかった。

まさか、侵略者が訪れたとでもいうのだろうか。たった一日の内に、何者かが侵入し・・・。いや、全て自分の不安によって引き起こされる憶測に過ぎない。


ギンディルはとにかく情報が欲しかった。暗い牢屋の中ではいったい何が起きているかさえ、見当もつかない。宮殿の地下にある牢屋には、地上の出来事は全く聞こえてこない。記憶は曖昧だが、時間的に夜だということはわかる。だが、いかに夜の宮殿だとしても静かすぎる。


「誰か!誰かいないのか!?」


大きな声を上げて、もしかしたらいるかもしれない牢屋の衛兵に声をかけた。声は自分でも思っても見ないほど、弱弱しかったが、それでも密閉された地下牢に響くには十分な声量だった。


しかし、答えるものは一人もいなかった。昨日までの賑やかな宮殿が嘘のように、物音一つしなかったのだ。


ギンディルの不安は大きな確信と共に、ボロボロと崩れ落ち、次第に恐怖と絶望に変わっていった。

生まれて初めて感じる心理的な恐怖に、ギンディルは体を震わせていた。

国に一大事が起きている。そう確信していながらも、体を思うように動かず、ただ牢に鎖で繋がれている状況に、どうしようもない恐怖を感じていたのだ。

圧倒的な無力感に、抗うことも、狼狽えることもできず、ただただ暗い鉄の床を見つめるだけで、ゆっくりと時間が流れていく感覚が、彼を大きな絶望に墜としていっているのだ。




人が歩いてくる音が聞こえる。人間達が履く靴の音だ。蛇人の足音は聞こえない。こつこつと規則正しい歩行音は、ギンディルの牢屋の前で止まった。

そこでようやく、彼は自分が眠っていたことを理解した。いったいいつから寝ていたのか。恐怖と絶望に打ちひしがれ、眠れるはずがないと思っていたのに、自分では気づかない体の消耗が、そうさせていたのだ。


顔を上げると、少しばかり、部屋が明るく感じる。朝になったのだろうか?眠っていた自覚もないから、まるで時を渡ったような感覚になる。

牢屋の前に立っているのは、大臣と、見慣れない人間達だった。彼らの首に、奴隷の証である、鉄の輪は存在しなかった。


「おはようございます。ギンディル様」

「リー・・・ゲル?なぜ、ここに?」

「あなたさまを迎えに来たのですよ。このような暗く狭い部屋では、大変お辛いでしょうから」


そこには、かつての大事の姿があった。父親のジルファに使え、王や自分の些細なわがままを、必死に叶えようとしてくれた、有能な大臣の姿が。

それを見た途端、ギンディルは大きく息を吐いた。


短い夢だったのだ。自分を夢を見ていた。何かの手違いで、こんな場所に放り込まれただけだ。いや、きっと父上のお叱りを受けたのかもしれない。父は寛大な王であるけれど、起こった時のジルファは、とても怖い。子供のころのはしょっちゅう叱られていたのだ。

きっと、ここで反省させようとしたに違いない。

だから、リーゲルが迎えに来てくれたのだ。


「すま・・・ない・・・。リーゲル。体が、思うように動かんのだ。手を、かして・・・」

「しかし、地中で暮らす蛇には、お似合いの場所かもしれませんな?」


感傷に浸っていた体から、さーっと血の気が引いていくような感覚がした。再び檻の向こうを見ると、そこには見たこともない笑みを浮かべたリーゲルの姿があった。


「ギンディル様。私は、あなた方の覇道を、信じておりました。ですが、虚言で民を征服する者らに、信じて使える程、私は愚かではありません」

「な、何を言っているのだ、リーゲル。俺は・・・」

「ギンディル様。あなた方は、龍の末裔なんかではない」


リーゲルの言葉は、ギンディルに理解が出来なかった。なぜそんなことをいうのか。龍の加護を以て、2000年もの覇道を突き進んできた自分たちが、龍の末裔でない?


「あなた方は、ただ蛇の見た目をした、化け物に過ぎないのですよ。・・・かつて、このレシア大砂漠を我が物とした巨龍は、長き生涯を終え、砂漠の砂の下へと眠った。あなた方は、その龍の末裔だという話だが、どうして龍の子孫が、蛇なんかに取って代わるのだ?」

「俺たちを、我らを愚弄する気か?リーゲル。我らの肉体は、彼の龍の・・・」

「知っておりますか?ギンディル様。レシア大砂漠の西には、大きな熱帯雨林が広がっております。西と言っても、かなりの距離がありますから、私たちがそこへ向かうことなんてほとんどありはしませんが。しかし、そこにはスケイラーと呼ばれる原住民族が住まわれているのですよ」


リーゲルの笑みは、不敵なものへと変わっていく。それに相対し、ギンディルは冷や汗を浮かべていた。聞いてはいけないことを聞いているような、そんな感じだったのだ。


「現地民の言葉で、スケイラーは、と言う意味を持つそうですよ?なぜ自分たちのことを、そんな卑下するような名前で呼んでいるか、貴方様にわかりますか?」

「・・・それが、何だというのだ」

「はっはは。そのままの意味ですよ。彼らは嘘をついてきたのです。ずっと長い間。気が遠くなるほどの悠久の時代を。彼らの言う嘘とは、何なのでしょうねぇ?」


ギンディルは信じたくなかった。そんな話、リーゲルが勝手に思いついた出まかせだと。確かに、砂漠の外のことは良く知らない。砂漠が主な生息域だからこそ、それ以外に目を向けたこともない。だが、同族が砂漠以外で暮らしているという話なんて聞いたこともない。だから、彼の言うことが正しいのか、間違っているのかも判断できない。


「お前の目的はなんだ、リーゲル」


ギンディルにできるのは、せいぜい強がることくらいだった。


「私はただ、仕えるべきものを見定めているだけですよ。龍と言う偉大な生物。その末裔に仕えられるなら、私の人生も意義あるものだったことでしょう。ですが、私は嘘つきで偽物の種族に仕えるつもりはない。それが、人間を奴隷としか見ていない種族ならなおさらです」

「待て、リーゲル。お前は、奴隷であることに、不満があったのか?なぜ、言葉にしてくれなかった。お前たちが望むなら、俺は、父上だって言い負かして見せるぞ。」

「そんなことを言っても、命乞いのようにしか聞こえませんよ?」

「違う、そんなんじゃ・・・」

「もう結構ですよ、ギンディル様。私たちは、既に意を決しています。今日この国は、人間の国になるでしょうね」


人間の国。それがどういうことを意味するか。意識がおぼつかない状況でも、はっきりとわかる。ヘロボロスは、蛇人族の国だった。そこに住む人間たちは、皆奴隷だった。彼らは正確には国民とは呼ばれない。


ならば、リーゲルの言う人間の国で、蛇人はなんとよばれるのだろうか?


ギンディルは、この国における最高の狩猟者だった。故に彼は、狩られる立場の心境を知らない。

ギンディルは初めて、形容しえない感情に押しつぶされていた。彼は戦士であるがゆえに、死に対する恐怖はない。しかし、死よりも恐ろしいことを知らない。


彼は、悪意の刃の切っ先に触れているのだ。その刃がどんな痛みをもたらすのかを、想像させられている。そして、その痛みに対抗する術は、存在しないのだと、思い知らされたのだった。


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