その日、ヘロボロス帝国から、日常に歓声が消え去った。


宮殿前の大広場で、新国家の設立が宣言され、国王ジルファが崩御したことが告げられた。新たな国王は、国民の手によって決められるべきだというリーゲルの主張には、疑念の声が上がったものの、否定する者の声はなかった。

蛇人族が龍の末裔ではないこと、帝国の起こりは単なるおとぎ話に過ぎないと、発表され、同時に、奴隷という身分からの解放が成された。


首輪が外され、それ事態に喜びはあっても、国民たちは複雑な表情を浮かべていた。ただ、一部人間たちは大いに喜び、人間の時代がやってきたんだと、高らかに歌っていた。

その日は間違いなく、革命が起きた日と呼べるだろう。


地下蚕鍾で、死銀鉱の毒素を吸った蛇人族は、脆弱化しているうちに、牢へ放り込まれ、逆らった者は皆その場で処刑された。

一夜にして成された奴隷解放は、人々の心に大きな変化をもたらすだろう。




ギンディルは、宮殿の地下牢ではなく、地下蚕鍾の下層に設置されたみすぼらしい鉄の折に閉じ込められていた。檻の周りには、いくつかの蝋燭が立てられている。


「起きているか?ギンディル殿?」


下層に降りてきたのは、リーゲルと、その仲間たち。それから異国の剣士が数人。


「・・・私を処刑しに来たのか?リーゲル」

「処刑?言ったはずだ。あなたは殺さないと。あなたには、まだやってもらうことがたくさんあるのでね」

「毒で弱らせて、その上何か仕事を頼むのか?簒奪者様は、随分優しいお心のようだ。」


ギンディルが皮肉を言っても、彼らは笑みすら浮かべない。


「仕事。確かに仕事ですな。これからあなた方には、多くの仕事をやってもらわねばなりません」

「ふんっ、食料の調達か?それとも、荷運びか?アプケロの代わりに俺たちを使うというのなら、笑えない話だ」

「そんなつまらない事には使いませんよ。それに、あなたはともかく、死銀鉱の煙をすった者たちは、もう以前のような力は出せないでしょう」


ギンディルは、リーゲルたちに聞こえないように、小さな舌打ちをした。

死銀鉱。見た目は鉄鉱石とほぼ同じの特殊な銀鉱石だ。銀と違い、加工がしずらく、火にくべると、有害な毒素をまき散らす。生物によっては、一度その煙を吸っただけで、死に追いやられる。人間でも短時間煙の中にいるだけで、致死量へと達する危険な鉱石だ。

鉄と間違えて製鉄炉へ入れてしまい、炉周辺の人々全員が死亡する事故が起きることもある。適切な処置を施さなければ、鉱石としてはまともに使えないものだ。


「蛇人にとっては、体の自由が利かなくなる程度でしょうが、我々からしたら十分です」

「地下蚕鍾に死銀鉱の煙を蒔いたのだろう?よくここまでこれたな」

「一日もすれば、死銀鉱の煙は中和されますよ。それに、ここには地下蚕鍾がある」

「・・・?」

「ふっ、何もわかっていないという顔ですな。ギンディル殿?地下蚕鍾は、天然の浄化装置です。これだけ深い地下空間で、生物に有害なガスが無いとでも思っているのか?死銀鉱でなくとも、人体に有害な鉱物はいくらでもある。地中にそれらのガスが溜まっていることだってある。そうでなくとも、ここは風も起きない無風の場所だ。砂煙や空気に交じって雑菌やら何やらが埋没していてもおかしくはないだろう?それでも、この場所は、いつだって澄んだ空気のままだ。循環しているのだよ。砂も、水も、空気もな」


リーゲルの口調は段々と砕けて言っている。もう主人と会話をしていないからだろう。彼は人間としての地位を勝ち取ったのだ。

ギンディルからしてみれば、理解が難しい話だ。こういった自然物の構造や、学問的なことには疎いのは間違いない。それを馬鹿にされたところで、それほど苛立ちはしない。

むしろ、彼を気落ちさせているのは、人間と言う自分たちよりも弱い種族が、知恵と策略によって、蛇人たちと対等に並び、形勢を逆転させたことだった。


「所詮あなたは、戦いしか知らない。龍の加護だなんて大げさに吹聴していたが、単に化け物種族で生まれたが故の能力だ」

「・・・」


言い返すことはできない。リーゲルの言葉は何もかも的を得ている。


自分で認めるのも変な話だが、蛇人族は、知性が人間よりも劣っている。論理的な思考能力が弱い。それは、蛇人族が動物的な側面を持つ種族だからだ。


「あなた方は国政の一部を、私たち奴隷に行わせていた。それは私たちを信じていたが故のことでしょうが、初めからそうだったわけではないはずだ。かつてあなた方の先祖に敗れた、私たちの先祖。虜囚となり、奴隷となった後も、どこかで反逆するか、逃げ出すかの機会を窺っていたはずだ。そう、はじめは信頼関係などなかった。だが、いつの間にか、奴隷が国政を担うようになった。そうしなければ、この国はとうに国家として破綻していたからでしょう。ジルファ国王はその点、優秀な方であったが、歴代の王たちもそうだったわけではない。奴隷である人間の力を借りてようやくまともな国として機能していた時代もあったはずだ」


リーゲルの言う通り、この国は蛇人の栄光の国ではなかった。蛇人と人間が共に、協力し合ってきたのだ。だからこそ、リーゲルらが反旗を翻した理由は明確だろう。なぜ自分たちは、奴隷のままなのか。


これまでの2000年の歴史の中で、リーゲルと同じことを考えた人間達は、一体どれくらいいたのだろうか。それを願っても、たった一人では成し得ないことだからと、諦め、甘んじてその生を全うした人間達は、どれくらいいたのだろうか?


「・・・その者たちの紹介はしてくれないのか?」


ギンディルは、リーゲルの後ろで控えている、無言の異国の剣士を見て言った。


「ああ。彼らは、遥か東の国の者らです。私たちの信念に共感し、手を貸してくださった。王朝の撲滅に成功した暁には、同盟国としての条約を結ぶ手筈になっているのですよ」


そこまで話が回されているのか。ギンディルは再び屈辱的な気分を味わった。ヘロボロスには、同盟国は存在しない。その必要性を感じなかったからだ。龍の末裔である蛇人がいれば、国は安泰。そんな何の根拠もない信頼が国を支えていたのだ。要するに、自惚れていたのだ。他国を見下しこそしなくとも、必要以上の交流を持たなかったのもそのせいだ。


「俺たちにはできない芸当だな。ふんっ、どこまでも巧妙な奴だ」

「そうでしょうとも、これこそが人間の強みです。知性を生かし、謀略を企てる。腹の内を知らない他人でも、目的が重なれば手を取り合うことだってできる。それが人間だ」


返す言葉もなかった。リーゲルたちは、いったいどれくらいの準備を整えていたのだろうか。後ろ盾があったことも気づけなかった。そういった国家間の腹の探り合いなど、いままで蛇人はしてこなかった。しようと思っても出来ないのだ。


「それで、ここへはなにしにきたんだ?」

「一つ、お伺いしたいことがあるのですよ」


今更何を聞こうというのだろうか。人間よりも知性の劣った種族に、人間が知りたいことなどないだろうに。


「・・・地下蚕鍾の最下層へ続く道はどこある?」

「最下層?ここのことじゃないのか?」

「巨龍の亡骸があるとされている、砂漠の伝説をご存じないですか?このレシア大砂漠のどこかに、最下層に続く道があると」

「・・・お前たちの狙いは、先祖の亡骸か?」


そんなものをいったい何に使うのだろうか。ギンディルには見当もつかない。そもそも、龍と言うものがどういう存在なのかも知らない。見たこともないし、結局のところ、伝説の中でしか聞かない存在だ。


「龍には、強大な魔力があるとされています。あなた達蛇人族には縁の無いものでしょうね。だが、私たちは違う」


リーゲルはそう言って、空中を指でなぞり始めた。

指から光が軌跡を描いて文字が浮かび上がった。ヘロボロスの文字だ。そして、文字はすぐにその言葉が表す、となってギンディルへ向けて放たれた。


ガキンッ、ガキンッ!


ギンディルを閉じ込めている檻が、突然金属音を鳴らした。金属同士がぶつかり合うような音だ。しかし、見た目は何も起こっていない。


「魔法か・・・」

「これもまた、あなたには縁遠いものでしょうね」


鋭い刃、と言う言葉の通り、姿形の無い斬撃が、飛んできていたのだろう。蛇人族は魔力が極端に低く、魔法を発動することなどできない。むろん、その程度の魔法では、蛇人族の赤黒い甲殻を切り裂くのは簡単ではないが、肉弾戦を得意とする、蛇人族にとって、魔法は唯一の弱点ともいえるだろう。


「私たちの目的は、無限の魔力を有する巨龍の魔力を手に入れ、ここに人間の魔法国家を作り上げることだ。ヘロボロスは、大国であるにも関わらず、文化的には他国と後れを取っていますからな。舞や大道芸のような、娯楽ばかりで、知性が感じられない。もっと教養を身につけなければならないのだよ」

「そのために、巨龍の亡骸を・・・」


しかし、ギンディルはそんな話は聞いたことがなかった。代々王家に伝わっているのは、ヘロボロスの建国起源だけだ。それこそ、リーゲルが言うように、知性の低い蛇人が、おとぎ話以上のことを考えていたとは思えない。龍の亡骸は砂に埋もれてしまっている。それを見つけたければ、このレシア大砂漠の砂を全て掘り起こさなければならないだろう。


「ふむ、どうやら知らないようですね。ですが、あまり期待はしていませんでした。どうせあなた達には働いてもらわねばなりません」

「・・・まさか、それを俺たちに探させるつもりか?」

「ふん、自身のご先祖に会えるのですから、本望でしょう?あなた達にできることなんて、力仕事以外無いでしょうから」


リーゲルはそう言い残して、地下蚕鍾を上っていった。


「我が、同胞たちはどうなった!」


リーゲルの背中に、ギンディルは吠えるように叫んだ。


「宮殿の牢で、静かにしてくれていますよ。あとで採掘具と一緒にお届けします」


簒奪者は、決して振り向くことなく、それだけを冷徹に告げた。彼にとって、蛇人族は、もはや採掘具と同じ扱いだ。ギンディルは初めて自分の存在が認められない感覚を味わった。


「・・・まるで、アプケロのようだな」


簒奪者がいなくなった地下蚕鍾の下層は、とても静かだった。もう横穴にすむ蛇人たちもいない。きっと人間達が来ることもないのだろう。ここは、ただ水と砂を地上へ送るだけの自然に変わる。いずれここで、砂を掘り続けることすら忘れ去られるのかもしれない。


「哀れだな。実に哀れだ・・・」


ギンディルの悲痛なつぶやきを聞く者は、誰もいなかった。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



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