黒い靄

「お名前は?」

「ヒストリアです」

「そ、それじゃあ、まず、君の生い立ちなんかを、聞かせてくれないかな?」


始まったのは、事情聴取のようなものだった。面倒くさいと感じたものの、下手に口走らないかも心配で、ヒストリアはかなり緊張していた。


「生い立ち、ですか?」

「そうなんだ。黒く染まったきっかけを知るにはその人の生い立ちを知るのが一番なんだ君の出身親子関係どんなふうに育ったかどんな国だったか何を経験してきたかそれに僕は共通点があると思っているんだだから君のその溢れんばかりの靄がどうやって生まれたのか話してほしいんだ!はぁ、はぁ、はぁ・・・」


ヘイモアは息を切らしていた。・・・そんな早口で言わなくても。生い立ちを話すのは、別に構わなかった。しかし、本当のことを語るつもりはない。アールラントはもう存在しない国だ。その国の元王女がどうして旅をしているのかなど、それこそ面倒くさい。そもそも、こちらの目的がヘイモアから情報を引き出すことだから、本当のことを話す必要はないはずだ。


「小さな村の出身です。」

「村?どうして旅をしているんだい?」

「あー、両親が亡くなって・・・」

「お姉さんがいるのに、村をでたの?」

「姉?」


思っていた以上に嘘をつくというのは難しいらしい。ヘイモアが言っているのは、おそらくハルのことだろう。確かに特徴が似ているから、そうみられてもおかしくはないだろう。


「あの人は、・・・お姉ちゃんは、優秀なんで。私とは違いますから。私は一人じゃ生きていけないんで、お姉ちゃんについていくしか、なかったんです。」

「ふーん・・・」


・・・お姉ちゃんか。年齢不詳に赤の他人をそう呼ぶことに、ヒストリアは羞恥心を感じていた。端から見れば、姉妹と取られてもおかしくはないけど、あの人を姉と呼ぶことには、やや抵抗があったのだ。


「じゃあ、次。・・・えっと、とても不躾な質問をするけど、事実だけを答えてくれればいいから」

「・・・?」

「君は、君の身近な人が亡くなった経験はあるかい?」

「・・・ある、と言えばあります」

「うん。よし。じゃあ、君は人の死に関わったことがあるかい?」

「それは、どういう?」

「間接的に人を殺したころはあるか、って話なんだけど・・・」


直接ではなくて?それが、黒く染まることと何か関係があるのだろうか?

事実を言えば、ヒストリアは人を殺した経験がある。人と呼んでいいかわからない亡者だったが。少なくとも、ヒストリアの認識では、自身の母親を殺めたということになっている。

その認識は、間接的ではなく、直接的な殺しだ。ヘイモアの質問とは異なっている。


「・・・いいえ、そう言うことは無いと思います」

「ふん、そうか。それは残念だな・・・あっ」


自分で言ってから気づいたのだろう。ヒストリアは気にしないが、まるでヒストリアが間接的な死を経験してほしかったと、取られてもおかしくはない。質問の内容と言い、確かに不躾だ。


「立て続けに質問するけど、人を殺したことは無いよね?」

「・・・・・・あるわけないじゃないですか」


ヒストリアは、顔の表情が崩れないように必死だった。嘘をつく、と言うことがこんなにも難しいことだと思いもしなかった。

ヘイモアは、そんなヒストリアのすら気にせず、相変わらず口の中でもごもご何かを言っている。


やはり、人の死が、黒く染まることに関係があるというのだろうか?


(結局先生は、何も教えてくれないし・・・)


あの人は、未だ多くのことを隠している。私に話す必要がないと思っているのか。気を使って話さないのかはわからない。けれど、ヒストリアは決して、あの龍族を疑っているわけではない。もしかしたら、彼女も、本当は何もわかっていないのかもしれないし。


「あの、私からも、質問していいですか?」

「んえ!?あ、ああ。いいよ。何か、気になることでもある?」


出してはいけない情報。それを頭の中で確認してから、ヒストリアは慎重に言葉を選んだ。


「ヘイモアさんは、私を今までにない素材だって言っていましたけど、どんな研究をされているんですか?」

「え?ああ、それは、君が黒く・・・あっ!」

「・・・?」


黒く染まっている、と言おうとしたのだろうか?どうして隠す必要があるのだろうか?まぁ、これまでの話を総合すれば、人に話して受け入れられる様な事ではないのは確かだ。


「・・・僕の研究は、人が纏う靄を引き出す方法を探すことなんだ」

「靄、ですか?」

「そうだよ。人はみんな、黒い靄を纏うんだ。多かれ少なかれね。たいていの人はほとんど見えないけれど、特定の経験を経た人は、その靄が大きくなっていく」

「経験・・・」

「・・・と、僕は考えているんだけど・・・。君は、その靄が、今までに無いほど、大きく出ているんだ。だから、君の身の丈を知れば、より効率的に黒い靄を引き出せると思ったんだ」


そういう彼は、変らずどもり気味ではあるが、表情は真剣そのものだった。


「僕が行っている研究は、たぶん、君たち他所の人たちからすれば、決して褒められたものじゃない。だけど、僕にはとっては生きがいだし、唯一の生き方なんだ。だから、旅人である君から得られる情報は、なんでも欲しい。疎んでくれても構わないし、途中で嫌気がさしたなら、君には執着しないと約束するよ」


真摯な対応。先ほどまでの態度とは違って、彼はどうやら研究に対しては、そういう人物なのだろう。そのおかげで、人と接する能力が欠如してしまっているのは、滑稽だ。

ヒストリアからすれば、彼がどんな研究をしているか、まだ聞かされていない状況だ。いや、会って早々に矢継ぎ早に話をし始めた時に、いろいろ言っていたのかもしれないが、覚えていない。できることなら、簡潔に内容を聞かせてもらいたいものだ。


「黒い靄って言うのは、なんなんですか?」

「ああ。それはね・・・」


ヘイモアは、懐からモノクルのガラス部分のようなものを取り出し、それを差し出してきた。


「窓の外のネクサス・・・あぁ、労働者たちを見てごらん」


言われた通りのガラスを通して窓の外に見える労働所で、せっせと動いている人々を覗いた。度があっていないため、明瞭に見えるわけではないが、そのガラス越しの視界には、確かに普段見えるはずの無い、靄のようなものが見えた。

ネクサスに纏わりつくようにして、靄は体から放たれているように見える。すぐに空気に溶け込んで、本当に僅かにしか観測はできなかった。


「これが、黒い靄?」

「そう。それが、黒く染まった者だ。僕たちはそう呼んでるよ」


黒く染まった者。先生と同じ言い方をしている。間違いなく、この国のネクサスと言う人種は、自分や先生と同じ、黒く染まった者たちだ。

それが、まさかこんなガラス一枚で見分けられるとは。なんとなくだが、長年、魔法大学に在籍していたおかげで、ヒストリアはガラスの性質に気づいていた。

魔法によって物質を作り出すことは非常に高度な技術だが、不可能ではない。このガラスは、魔法によってつくられたものだ。


普通のガラスと何が違うのかと言うと、おそらく本来の用途とは違うものが見えるように魔法で細工されているのだろう。ヒストリアは、モノクルの原理は知らずとも、それが視力を高めることが出来るものだと知っている。だが、このガラスは、黒い靄を見るためのモノクルとして、魔法で生成したのだろう。


正直なところ、黒い靄よりも、このガラスの生成方法の方が、ヒストリアには興味があった。


「入国した時、望遠筒で君たちを見ていてね。あ、いや、監視していたわけじゃないよ?どんな人たちか、仕事場から見えたから、見ただけで・・・」

「は、はぁ。それで、私にも黒い靄がみえたと」

「そうだ。それも、とても大きな影に見える程のものがね。ネクサスの監視を任されてからずいぶん経つけど、君程黒く染まっている人は、初めて見たよ」


その理由は、おそらく邪龍の呪いが関係しているのだろう。先生も、自分程黒く染まって生まれてきた者はいない、と言っていたくらいだ。さぞ大きな靄が溢れていたのだろう。


(なんか嫌だな・・・)


自分の体から靄が出ている光景を想像して、少しだけ恥ずかしくなった。別に匂いとかは無いのだろうが、普通の人には見えないのは救いと言えるだろう。


ただ、少し不可解な点がある。ヘイモアの言い方だと、おそらく入国直後の自分をそのガラスで見ていたのだろう。

なら、なぜ自分だけが黒い靄を放っていたのか?先生は、自分も染まっていると言っていた。自分だけが彼の元へ呼ばれるのはおかしくないだろうか?


「あの、せ、・・・お姉ちゃんは染まっていなかったんですか?」

「ん?ああ、黒い靄が見えたのは、君だけだったよ。あ、そうか。そう言うことなら、お姉さんにも同席してもらった方がよかったなぁ。詳しい話を聞けるかもしれないし」


ヘイモアの様子から、嘘をついてるようには見えない。なら、先生が染まっていると言ったのは、嘘だったのだろうか?

そこまで思考して、ヒストリアは考えを振り払った。今はそれを突き詰める時ではない。もっとヘイモアから情報を探らなければ。


「ヘイモアさん」

「なんだい?」

「ヘイモアさんは、この黒い靄を引き出す研究をしていると言いましたよね?」

「そうだね」

「・・・さっきの質問をしたってことは、ヘイモアさんは、ネクサスの人たちに、殺しをさせているんですか?」

「いや、違うね。」

「えっ?」


てっきりそういうものだと思っていたのだが、これには驚きだった。


「僕はそういう実験は行っていないよ。確かに、人を殺すことで、この黒い靄が大きくなることは知っているよ」

「・・・つまり、他に何か方法があるということですか?」

「うーん、そうとも言えるんだけど、まだ確証がなくてね。実験を繰り返しているんだよ」

「それは、どういう実験なんですか?」

「そ、それは言えないよ!」


突っぱねられてしまった。さすがに内部事情までは探れないか。あるいは、人に見せられる様なものじゃないのかもしれない。


「それに、僕はその実験が、非人道的なものだって認識してる」

「・・・ん?」

「研究に犠牲はつきもの。心を鬼にして挑まないと、結果は手に入らないんだよ」


(・・・それ、言っていいやつなのかな?)


なんとも間抜けな告白だ。詳細を言っているわけではないから、なんとも言えないが、その言葉だけで、彼らが酷いことをしているのが容易に想像できる。


「だからこうして、君に聞き取りを行っているんだ。他所の人間にまで、そんな実験を行わないためにね」

「は、はぁ」

「だから、君には、嘘を付かずに、本当のことを話してほしいんだ!」

「えっ!?」


ヘイモアは勢いよく、ヒストリアに詰め寄った。嘘?まさか、適当なことを言っていることに気づかれていたのだろうか?初めから、全部こけおどしで、誘導尋問するために?最初のどもった態度も、こちらの油断を誘う演技だったというのだろうか?


彼を甘く見ていたのは事実だった。ヒストリアにとって、彼が優秀な大人には見えなかった。むしろ、人付き合いの希薄な、変な大人にしか映っていなかった。だから、彼のどもり具合も馬鹿にしたし、なんなら、適当にあしらってやろうと思っていたのに。


「・・・いつから、私が嘘を付いていたって、気付いていたんですか?」

「・・・・・・えっ?」

「・・・えっ?」


彼の真剣な表情は、一瞬にして崩れ去った。その瞬間、ヒストリアは、やっちまった感を否応なく味わっていた。


「嘘?全部?」

「・・・・・・あーっと、はい、全部、嘘です。」

「どこから?」

「・・・全部、です」


あーあ、台無しだよ・・・。


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