白蝕龍の残滓

監視者の仕事

朝。日の出と共に、僕の日常は始まる。ケルザレムの城壁の最上階層の監視塔。そこが僕の家であり、仕事場であり、人生の全てだ。

監視塔からは、眼下に広がるネクサス労働所が一望できる観測機がある。これは、幾重にもガラスを連ねて、遠くを見ることが出来る望遠筒だ。肉眼では、蟻のようにしか見えないネクサスも、これを通してみれば、目の前に対峙しているかのように、近距離に見えるのだ。

もっとも、僕の仕事は彼らをただ観察するだけじゃない。この望遠筒にケルザレムで作られた、特殊ガラスを一枚差し込む。するとどうなるか。ネクサスの体から、黒い靄の様な煙が溢れているのが見えるのだ。もう慣れた光景だ。初めて見た時は、気味が悪くて見るのも嫌だったが、観察を続けているうちに慣れてしまい、むしろ今は、日に日に変化していく靄の姿を確認しようと、熱心に望遠筒を覗き込んでいるものだ。


「今日も、大した変化はないな」


黒い靄は、見ていると目が疲れるため、特殊ガラスをすぐに引き抜いた。

誰もいない静かな監視塔は、大量の書類で埋め尽くされている。もうすぐ定期報告があるから、ネクサスの成熟度合いを、まとめなければならないだろう。

地味で代わり映えの無い日々ではあるけれど、僕はこの仕事がとても気に入っている。どんな仕事かと言われると、説明が難しいのだけど、監視と観察を行っていると言えば、わかりやすいだろう。

ケルザレムの心臓部ともいえるネクサス労働所では、日々多くの人員が肉体労働を行っている。ネクサスと呼ばれる彼らは、人種も出身もみんな異なる人々だ。彼らには、名前こそネクサスと言う、それらしいものが与えられているけれど、その実態は奴隷と大して変わりない。彼らには労働以外の人生の選択肢はない。僕らの様に、将来を考えて日々を送れるわけではない。

ああ。ちなみに僕は、いずれケルザレムの第一研究所の所長になることが決まっている。ネクサスの研究成果がようやく実を結び、貴族たちに興味を持ってもらえたのだ。彼らが望んでいるネクサスの真なる姿を成すために、僕は邁進しているんだ。


「とはいえ、こうも変化が少ないと、今後の研究は、長い時間がかかりそうだな」


視線をレンズから傍に置いてあった資料へ移すと、そこには自分の書き殴られた文字がこちらを見つめている。

僕は、ネクサスがどうやってネクサスになるのか知らない。あの黒い靄は、僕たちネビルには存在しないのだ。あの黒い靄の実態も、はっきり言って僕にはわかならない。僕が研究しているのは、あの黒い靄をネクサスから効率的に引き出す方法だ。なぜそんなことをしているかって?ケルザレムの貴族たちが、それを求めているからだ。

客観的に見ても、ネクサスの実態は、あまり気持ちのいいものではない。けど、僕にはそれをどうにかする力はないし。事実僕も、貴族たちの甘い蜜に吊られて、監視という仕事を任されているのだ。彼らが望む成果を提示すれば、僕らは、一生涯それほど苦労せずに暮らしていける。食うに困らず、人として当たり前の生活が保障される。ネビルの数はそれほど多くはないけれど、この国においては、ネビルはそうやって、権力者の犬になって生きていくものなのだ。


監視塔に設置されたベルが、唐突に鳴り出した。正式名称は魔導振動装置だが、僕は簡単にベルと呼んでいる。ベルが鳴るのは、今見えているネクサス労働所から、同僚が連絡を送ってくる時だ。ベルの振動に合わせて、装置にセットされた木簡に文字が掘られていく。

チーン、と甲高い音が鳴り、木簡が排出される。そこには同僚の知らせが書いてあるのだ。


「入国者、アリ。二名。労働所ヲ通過スル」


僕は再び観測機のレンズを覗き込んだ。望遠筒を操作して、労働所の中央通路の先、この国の入り口の一つの外門を見た。そこには確かに、こちらへ向かって歩いてくる、二人の見慣れない少女たちが見えた。

双子か、いや、背丈に差があるから、おそらく姉妹だろう。白い髪に赤いローブをお互い被っている。顔立ちはあまり似ていないが、仲睦まじそうに話をしながら歩いている。

ここ最近、ケルザレムへの来訪者はほとんどいなかった。この国は、他所へその名が知れ渡る程、観光の名所があるわけでもないし、かといって、悪目立ちしているわけでもないと聞く。来訪者自体は歓迎するが、閉鎖的な国であるのは間違いない。


「この国に来るなんて、変わり者なんだろうな」


僕はそう言いながら、習慣なってしまっている観察を始めてしまった。そして、再び特殊ガラスを望遠筒に差し込んでしまったのだ。


「えっ!?」


それは、文字通り衝撃だった。黒い靄、と今まで表現してきたそれは、今までに見たこと無いほど鮮明に具現化していた。

彼女は、僕が観察してきた、いや、ケルザレムで観測されてきたどのネクサスよりも、巨大な影となって、彼女に纏っていた。

それを纏っていたのは、妹の方だった。姉の方には、まったくと言っていいほど靄は見られない。それには別に、驚きはしないのだが。いったいどうして、あんな少女が、あそこまでしまえるのか。

その少女が、レンズ越しにこちらを見た。


「っ・・・」


僕は慌てて望遠筒から顔を離して、監視塔の影に隠れた。すぐに、何をしているんだ、という自問が僕の羞恥心をくすぐってくる。望遠筒でようやく見える距離なのに、向こうがこちらを視認できるはずないだろう。たまたま、こちらに視線が映っただけだ。

僕は改めて、彼女たちを望遠筒で見てみた。やはり彼女たちはこちらを見ているように見えるが、別に、監視塔からのぞき見ていることに気づいたわけではないようだ。

おそらくケルザレムの中心部を覆っている巨大な城壁を見ているのだろう。監視塔と同等の高さを誇る城壁だ。視線がこちらに向ているように見えても不思議じゃない。

僕は大きな息を吐いていた。どうしてそんなに緊張していたのか。改めて、妹の方に纏う黒い影を観察した。


「あんなにも、明確に姿を見せるなんて。いったい彼女はどんな経験を積んできたんだろう」


黒く染まる条件を、僕は正確に理解しているわけではない。ただ、それでも気持ちのいいことではないことを知っている。

彼女について、それを鑑みれば、驚きよりも恐怖心の方が優ってくる。あんな可憐な出で立ちをしていながら、人生これからという幼顔で、いったいどんな生涯を送ってきたのだろう。

僕の心には、強い好奇心の様なものが渦巻き始めた。彼女のことを知れば、今後の研究の指針に、光明がみえるかもしれないと。


僕はすぐにベルを使って下層部の同僚へと連絡を取った。ベルに取り付けられている子機を取り、同僚たちが持つ受信機に向けて、魔導振動を用いた通話チャンネルを開いた。

いてもたってもいられなくなったのだ。どこか確信めいたような予感が、僕の脳裏をよぎっている。彼女こそが、この研究の鍵となると。


「・・・・あっ、僕だ。さっきの入国者なんだけど・・・」





青年は何も知らなかった。


ケルザレム。

一部の、貴族と呼ばれる者たちによって統治され、ネビルと言う監視者と、ネクサスという労働者を使って、その国は大いなる研究を行っていた。その実態を知る者は、ケルザレムにおいて、ほとんど存在しない。


「まさか、悠久の時を経て、この国に龍がやってくるなんてねぇ」

老婆の様な声が、そこに響いた。そこは、ガラスに囲まれた空間だった。ガラスの向こう側は、空と、城壁に囲まれたケルザレムが見下ろせる。

「・・・白髪、紅色の瞳。へっへっへ。これも、運命かねぇ。まさか、白蝕龍はくしょくりゅうがここまで来るとはねぇ」

声の主は、鏡越しにその来訪者が来るであろう方角を覗き込んだ。

「大いなる研究が、捗るねぇ。お前から始まった、この研究が、お前によって完成するんだよ。白き神、レイナよ」

声の主は、高らかに声を上げながら笑っていた。ガラスで囲われたそこには、いつまでもその声が反響し続けていた。


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