ケルザレムへ

夜の教会跡は、とても暗かった。もともと窓が少なくて光があまり入ってこない構造になっているから、ほとんど真っ暗だ。ヒストリアに松明を持たせて、ハルたちは例の部屋まで戻ってきた。

そこには、ガチャガチャと鎖を引きちぎろうと暴れているリースの姿があった。


「匂いがしたから、起きてたのかな」

「リース・・・落ち着いて・・・」


怖がりながらもコルクは、リースをなだめようとしているが、今の彼女には人の言葉は届かないだろう。

目が猫や蛇のようになっている。八重歯がむき出しになって、喉の奥から獣の唸り声の様な音を出している。耳がピンと後ろを向いて、髪の毛と言っていいのか、頭部の毛が逆立っている。鎖と縄に縛られていなければ、彼女はすぐにハルたちに襲い掛かっていただろう。


「リース。おとなしくして。たくさんお肉を持ってきたから、安心しなさい」


ハルは前に進み出て、リースの前に骨付き肉をチラつかせた。だが、彼女はおとなしくならなかった。より一層、縛りを破ろうと大暴れし始めた。


「これじゃ、しつけのなってない犬と同じね」

「先生、それは言い過ぎじゃ・・・」


ヒストリアも、気持ちはわからなくはないのだが、それ以上にこの少女が哀れで仕方がなかった。これもある意味、彼女たち獣人のあるべき姿の一つだ。人でありながら、獣であらなければならない。理性で本能を抑えることが出来ない種族の、ごく普通の一面なのだ。


「これ食べて、おとなしくしなさい」


ハルはそう言って、リースの口に骨付き肉を突っ込んだ。


「むぐっ・・・」

「えっ?」


すると不思議なことに、先ほどまで威嚇しまくっていた状態だったのに、口の中に肉が入ると、萎れた花の様にシュンとなって、おとなしく肉を噛み始めた。耳が垂れ、無表情で肉を食べている。


(なんか、餌をあげているみたい)


ヒストリアは心の中でそう思ったが、言わないでおいた。


「どう?おいしい?」

「モグモグモグモグ・・・・うまい」

「リース・・・よかった、正気に戻ったんだ」

(・・・突っ込んだ方がいいのかな)


ハルは、愛玩動物に対してするあれだし、コルクは友人が元に戻ったことに喜んでいる。しかし、端から見ているヒストリアには、縛れらている少女の口に、肉を押し込んでいる、なんともシュールな絵面に見えていた。


「ングングングング・・・もっと」

「はいはい。たくさんお食べ」


そのままリースは、持ってきた肉の大半を平らげて、ようやく鎖から解放してやることが出来たのだった。




「本当に、ごめんなさい」


一息ついて、焚火に戻ってくると、コルクは深々と頭を下げてきた。


「いいって。別に怒ってないし。生きるためには、時には暴力だって必要な行為だよ。こっちだって、ヒスが魔法で痛い目に合わせちゃったからね。お互い様だ」


立場はともかく、きっとハルも同じことをしていたかもしれない。相手が敵かどうかなんて気にしている暇があったら、さっさととどめを刺してしまった方が、確実に身の安全を確保できる。心身に余裕がなければ、なおさら強硬策に出ただろう。


「コルクが世話になった」

「体は痛くない?お腹はもう平気?」

「腹いっぱい。怪我もない」

「それは良かった」


リースの方も、あんな状態だったにもかかわらず、腹を満たしたことで、元に戻ったようだ。単純というか、子供っぽいというか。コルクがそれなりに成熟しているので、よりリースがそう見えるだけかもしれないが。


「さて、それじゃあ。コルク。さっきの話の続きと行こうか。ケルザレムっていうのは、国の名前なの?」

「うん。ここから東に歩いていけば、一日くらいでつく距離だよ。とても大きな国で、たくさんの人が住んでるんだ」

「ネクサスって言うのは?」

「・・・ネクサスは、ケルザレムで働いている人たちの総称だよ。ケルザレムには、主に2つの人種に分けられているの。一つが、私たちのネクサス。労働者の役割を担っている。いろんな種族の人たちが、ここに含まれていてね?主に人間や獣人が多いけど、珍しい種族の人も、管理されているんだ」

「人間もいるんだ?」

「うん」


つまり、ネクサスと言うのは、種族的な差別で分別されたわけではないということか。そうなれば、必然的にもう一つの人種とやらも役割が見えてくる。


「もう一つが、ネビル。労働者を管理しているケルザレムの少数派の人種だよ」

「少数派?管理している側の方が少ないの?」

「そうだよ?」


それはなんだか、妙な話だ。ネクサスがどのように管理されて暮らしているのかは、まだわからない。けれど、奴隷と主人の関係であれば、主人の側の力が弱まれば、必然的に革命が起きるはずだ。それとも、ネクサスの人々は現状に不満を持っていないのだろうか?

どれだけ有能な兵器があろうと、人と人の争いにおいて、多勢には無勢で勝つことはできない。それに、強力な力で、労働者たちを根絶やしにできるのだとしても、それでは何の意味もない。管理する側は、労働の成果を享受できなくなるのだ。だから、ある程度の飴と鞭を成立させなければ、大規模な奴隷化は実現不可能だ。


しかし、コルクたちは現に逃亡を図り、ケルザレムの貴族とやらに追われているのだ。彼女たちはいったい何を経験したのだろうか?


「あなた達は、ケルザレムで何をさせられていたの?」

「私たち、学生だったんだけど・・・」

「学生?」

「うん。労働者で、一部の子供たちは、学生の役割を与えられるんだ。学生の役割を与えられると、肉体労働を免除される代わりに、貴族の仕事の手伝いをさせられるの」

「貴族の、ね」

「うん。・・・それで・・・・・・」

「それで?」


コルクは、急に顔色が青ざめて、口を閉ざしてしまった。隣に座るリースが、コルクの背中をさすってやっている。どうやら話の信管は、ケルザレムの貴族様にあるようだ。


「いいよ。それ以上話さなくて」


ハルがそう言うと、コルクは安心したように息を吐いた。まだ全てを理解したわけではないが、概ね何が起こっているのかは把握できた。問題は、食料を探しに行ったロイスたちだ。


「それで、ロイスさんたちは、いつ頃ここを経ったの?」

「・・私たちがこの教会跡に着いたのは1週間くらい前。その時にはもう、手持ちの食べ物は何もなくて・・・。ロイスさんが、フリーデとゴッシュを連れて、ケルザレムに戻ったのは5日前だよ」


つまり、この二人は、5日間、自力で狩りをしていたが、その成果はあの部屋の中だけだったということか。部屋の感じからして、火も通さずに獣を食べていただろうから、相当追い込まれていたのだろう。獣人特有の丈夫さで、変に腹を壊すこともなかったのだろうが。

1日もあればつくケルザレムへ、5日前に向かったというのであれば、ロイス一行が戻ってきてもおかしくはないはずだ。だが、現状帰還できていないとなると、何かあったと考えるのが妥当だろう。


「そっか。ありがとう、話してくれて」

「・・・先生、どうするんですか?」


ヒストリアが心配そうな顔をハルを見た。教え子からしても、今後の旅の予定に関わる話だと思ったのだろう。実際、この教会跡は、寝床にできても、住処にするには、少し不便だ。食べ物は、気合でどうにかするとしても、もって数日だろう。必然的に、1日でつけるケルザレムへ向かうのが賢明だ。ついた先で、何も起きないことが前提条件だが。


ハルとしては、特に考える必要はない。自分一人であれば、どのような状況でも解決できるだろう。しかし、今は少なくとも一人ではない。人間である教え子を連れて、今まで通りの行動はできないだろう。


「私は行くつもりでいるよ?ほかに選択肢もないし。それに、行く価値はあると思ってる」

「価値・・・ですか?」


ケルザレムの問題云々を差し置いても、ハルにはそこへ行くべきだという思いがあったのだ。




月明かりが照らす夜。コルクとリースは身を寄せ合って、ハルが貸した赤いローブに包まって教会跡の壁際に、寄り添って眠っていた。ハルとヒストリアは、火が弱まり、明かりの役目を終えた焚火で、少しだけ話をしていた。


「ケルザレムに行くとしたら、あの二人も一緒ですよね?」

「ロイスさんとやらが、帰ってこないとなるとね。ここに置いておいてたら、あの子たちじゃ生きていけないでしょ」


獣人故に、狩りの心得があるのだとしても、結局彼女たちは子供だ。全てを何不自由なく行えるわけじゃない。せめて、川の近くに隠れ家を見繕ってやるべきだ。


「ヒス。あなたはどうしたい?」

「え?私は、行きますよ?私だって、あの子たちと大して変わりませんし」


ヒストリアは平然とそう言ってのけた。わかっていないのだろうか。これから向かう場所は、おそらくヒストリアにとっては、初めて経験する、世界の理不尽を味わう場になるはずだ。


「覚悟はできてるの?旅人とはいえ、ケルザレムが私たちに牙を向かない保証はないんだよ?」

「そうだとしても、私が行く道は、先生と同じです。前にも言ったじゃないですか。私は先生を信じていますから」

「楽観的ね・・・。どうしてそこまで、私を信じるの?」


ハルは教え子に何をしたわけでもない、そう思っていた。必要であれば厳しく教えたこともあるし、不必要に優しくした覚えもない。ハルにとって、ヒストリアは人間の子供という認識なのだ。

だが、ヒストリアは、ずっとハルのことを見ていた。ずっと、と言えるほどの時間は経っていない。だけど、彼女が慈しむように、あの言葉を言う姿を、何度も見てきたのだ。


「うーん。難しいですね。なんとなくですよ」

「なんとなくで、人を信じるの?」

「そういうものじゃないですか?信じるって。それに、私のこと、足手まといだって思ってるの知ってますからね?不安なら、アカハネの加護を、私にくださいよ」


ヒストリアが言うと、ハルは呆れたように息を漏らした。


「・・・あなたにアカハネの加護はいらないわ。わかった。あなたがそう言うなら、もう何も言わない。ひどい目に合っても、泣き言は無しだよ」

「はーい」


その後も二人は、焚火の火が完全に消えるまで、他愛もない話を続けていた。

周囲は月の光に包まれた大草原。風が吹き、草花が靡く中、その話し声だけが、静かに響いていた。



ハルとヒストリアは、出発の準備と共に、教会跡周辺の探索を始めた。今すぐケルザレムへ向かうのは、無謀と言うことで、最低限の準備をすることにしたのだ。その準備の片手間で、ハルはコルクとリースに、僅かな生存術を教授することにした。

昨日仕留めた大兎の残りを、昨夜から塩をまぶして干して置いてある。ハルたちの食料はどうにでもなるのだが、コルクとリースの分は、どれだけあっても足りないだろう。

探索をして、川を見つけると、ハルは二人に釣りの仕方と竿の作り方を教えた。土中にいる小さな虫を餌に、魚をおびき寄せる方法も。そして、釣った魚の簡単なさばき方。鱗と内臓は食べないこと。魚は足が速いから、その日の内に食べること。骨や食べ残しは、土に埋めてお祈りをすること。それらを実践して見せて、教え込んだ。

それから、ナイフの研ぎ方や、火を簡単に起こす方法など、様々な知識をハルは獣人の少女たちに叩きこんだ。

これらを知っているのとそうでないのとでは、いざという時の対応力が格段に上がる。一緒に連れて行くにしても、ケルザレムの中へは入れられないのだ。教えておいて損はないだろう。


全ての準備が終わったのは、2日後のことだった。


「さてと、それじゃあ、ケルザレムへ行こうか」

「はい」

「コルク、リース。案内頼んだよ?」

「うん」

「まかせろ」


白髪の一行は、新たに獣人の少女を二人連れて、東にあるというケルザレムへと、歩き始めたのだった。




「ところで先生」

「何?」

「前に言ってた、ケルザレムへ行く、価値ってなんなんですか?」

「ああ。・・・もしかしたらなんだけどね・・・」

「・・・?」

「そこで、あなたの呪いに関して、何かわかるかもしれないのよ」

「えっ?・・・どうして、ですか?」


ハルは、後ろの方で、楽しそうにおしゃべりしながらついてくる、かわいらしい獣人二人を見て、哀れむような眼を向けた。


「あの子たち、染まっているのよ。少しだけね・・・」

「えっ・・・。それって・・・」

「ケルザレムの貴族がさせているのか、ネクサス全員がそうなのか。・・・ただ、一つ言えるのは、ケルザレムでは、それを人為的に行っているということ。それが、私が思う価値よ・・・」






            ――― 次章へ続く ―――






エピソードⅤ『黒く染まった者』を読んで頂きありがとうございます。

珍しく二部構成ですので、良ければ次のエピソードにもお越し下さい。


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