獣人たちの旅路

いろいろと込み入った話をした後で、ある程度お腹もいっぱいになった頃、教会跡の玄関から、こちらを覗く者がいた。

教会跡の中で、熊耳の少女を眠らせた後。ハルとヒストリアは、少女の持ち物を確認して、危ないものは全部、壊すか没収していた。最初に撃たれた矢も、教会跡にボウガンらしきものがあったので、全て破壊した。ヒストリアに向けていたナイフは、今ハルが、肉を捌くのに拝借している。一応、身包みも剥いで確認したから、武器の様なものはないはずだ。


玄関の扉から、頭だけを覗かせて、こちらを見ている少女は、いかにも子供らしい姿だった。先ほどまで怒りに身を任せて、ヒストリアを襲っていたとは思えないほどに。


ハルが立ち上がると、少女はびくっと体を震わせて警戒した。


「嫌われちゃったかな」

「どうするんですか、先生?」


危険な行為をしたことは確かだが、相手は子供だ。対応を間違えれば、少女の価値観に大きく影響を及ぼしてしまう。

ハルたちの立場からすれば、それは考慮すべきことではないかもしれない。身を脅かされたのはこっちだ。あれだけのことをすれば、正当防衛は容易に認められるだろう。

しかし、ここは法の下にあるわけではない。人と人の問題は全て、力ずくか、話し合いで解決しなければならない。そして、少なくともハルは、あんな幼い子供に、暴力を振るう気は無かった。


「おいで。仲直りをしよう?」

「・・・うぅ」

「あなた達、お腹空いてるんでしょう?」

「・・・どうして?」

「建物中を見せてもらったけど、食料らしきものは一切なかったからね。食うに困ってるのは一目瞭然だよ」


獣の死体も、あの不思議な壁の向こう側にしかなかった。彼女たちはあの空間に潜伏していたのだろう。理由はわからないが、推測できることと言えば、ケルザレムの貴族、とやらに追われているということくらいか。


「怒ってないの?」

「あなたが私たちに酷いことしないって、約束するなら、私たちは何もしないよ」


そう言ってなだめてやると、少女はゆっくり扉の陰から姿を見せてくれた。


こうしてみると、かなりやせ細っている。たぶんハルたちよりも、食べていない期間が長いだろう。ほんの数日の誤差だろうが、ハルたちがここを訪れなかったら、この子たちは、飢え死にしていたかもしれない。それくらい筋肉の付き方が異様だった。


「あなた、名前は?」

「・・・コルクだよ」

「ふーん。よし。じゃあ、これをお食べ」


ハルは切り分けた骨付きの兎肉を手渡した。コルクは、かなり困惑した様子で、それを受け取ったが、今にも食いつきたそうに、息を荒くさせていた。


「いいの?」

「遠慮しない。ガツンとかぶりつきなよ」


コルクは、手渡された兎肉をまじまじと見つめた。すこし焦げ付いた表面には、肉塊から溢れた油が、焚火の火に照らされて、艶のある輝きを放っている。構内に溢れ出る唾液を飲み込み、コルクは勢いよく肉に噛みついた。


「・・・・・・」


噛みついたまま、ゆっくりと租借を始めたコルクは、噛む速度が徐々に早くなっていく。飲み込むのと嚙み切るのを同時に行い。口の端から油や唾液が溢れるのもお構いなしに、ひたすら夢中になって食べ続けていた。

溢れ出ていたのは、唾液だけではない。コルクの目には、大粒の涙が浮かび、洪水となって流れていた。

いったいどれだけ、辛い思いをしてきたのか。それは、ハルにもヒストリアにも想像はできない。幼い子供がナイフを以て、他者を脅すほど追い込まれる状況など、聞いて気持ちのいい話ではないだろう。

食べ方も、食器が無いから仕方がないけど、どこかぎこちない。人間の食べ方とは違う。獣のように貪る食べ方だ。彼女の種族的な部分もあるのだろうけど、痛々しい姿に見えてならない。食べ終わったコルクの口元を、ハルは袖で拭いてやった。


「たくさんあるから。ゆっくり食べなさい」


ハルは、切り分けておいた兎肉を、コルクに分け与え続けた。少女の食欲は留まることを知らず、その涙も、枯れることはなかった。

ハルは、これを施しと言うつもりはない。少女を哀れんでもいない。コルクが、何もかもに絶望していて、食べることすら拒んでいたら、きっと何も言わずに見捨てていただろう。だけどコルクは、遠慮しながらも生きようという意思を見せたのだ。

生きたいと思うことに理由なんかない。獣であろうと、人であろうと、それは同じだ。ハルがコルクに優しくする理由は、それだけで十分だろう。




いったいこの子のどこに、あんな大きな兎をしまう場所があるのだろうか。そう思うほどに、コルクは兎肉の半分近くを食べてしまった。なかなか食べっぷりだから、ハルもヒストリアも感心してしまっていた。


「あの、ありがとう」

「いいんだよ。お腹いっぱいになった?」

「うん」


それは良かった。となると、後はあの部屋で縛られている子の方だ。


「ねぇコルク。あの部屋にいる子は、どうして縛られてるの?」

「・・・リースは、禁断症状がでてるの」


穏やかじゃない言葉だ。コルクの言葉から、彼女たちが何らかの奴隷的な扱いをされていることはわかっていた。薬か、実験か、あるいはもっとひどい事かもしれない。


「禁断症状?」

「私たち獣人は、お腹が空くと、自分を抑えられなくなるの。だから、ああやって縛っておかないと、何をするかわからなくて・・・」


それを聞いて少し安心した。種族的なものであれば、少しは対処のしようがある。


彼女たち獣人について、ハルはある程度知識があった。もともと獣人はこの世界でも、それほど珍しい種ではない。人間ほど反映しているわけではないけれど、どこの国に行っても、それ知る者がいるくらいには、多数派の種族だ。

獣人の特徴は、その名の通り、人と獣の特徴を持つということだ。彼女の身包みをはいだ時にも確認したが、人間でいうのあたりに尻尾が生えており、頭部には獣の様な耳もある。当然、人間の耳はない。それ故に半獣や、人外種などと呼ばれることがある。

身体的な特徴意外にも、人でありながら、獣の要素を持っている一面もある。感情の起伏が、人よりも激しく、気が高まると瞳が猫のように鋭くなる。肉体は人よりも頑丈で、能力もずば抜けている。

そういった特徴のせいで、一部からはかなり差別的で、畏怖してみられることも少なくはない。

おそらくコルクの言う禁断症状と言うのは、飢餓状態が長く続いたせいで起こるものだろう。人間であれば、どれだけお腹が空いても、気が狂って誰かれかまわず襲ったりはしない。理性があるからだ。しかし、獣人はその理性の部分が、人間よりも弱いのだ。野生の獣は、得物を前にして遠慮などしない。自分が生き残るために命懸けで襲い掛かる。獣人も同じで、相手が人間であろうと、知り合いであろうと、自身が生きるために、襲ってしまうのだろう。


「ロイスさんたちと一緒にいた時は、大丈夫だったけど、みんなが食料を探しに行ってから、あんなことになっちゃって・・・」


コルクはそう言って、手を顔を覆って、再び泣き始めた。


「ロイスさんって?」

「私たちの先輩。他にもフリーデとゴッシュがいる。三人は、食べ物を探しに東へ向かったんだけど・・・」

「まだ帰ってきてないと。ふむ」


段々と彼女を取り巻く状況が読めてきた。


コルクたちはケルザレムからの逃亡を図り、逃亡自体は成功した。しかし、ほとんど強行軍だったため、手持ちの準備が足りず、身を隠せる教会跡にたどり着いたものの、食料に困り果てていたということだろう。


「ロイスさんは、私たちのリーダーみたいな人で、勇敢で、とても正義感が強い人だから。きっと、食料を手に入れるまで、帰ってこない」

「東に向かったって言ったけど、当てはあるの?」

「・・・東に、ケルザレムがあるの」

「・・・」


ハルたちが想像する以上に、彼女たちの状況は思わしくないらしい。確かにケルザレムへ行けば、確実に食料はあるだろう。だが、それらを必ず持ち帰れるのかという、疑念はなかったのだろうか。冷静さを欠いていたとしても、無謀な行動に思えてならない。ただ、この辺りの地理は、ハルたちが歩んできた道のりを考慮しても、人が住んでいる形跡はなかった。ハルたちの様に魔法の力があったり、狩りの心得があれば、野外でも困ることは無いだろうが、彼女たちには、そんなものはなかったのだろう。


「そっか。まぁ、今はそれよりも、お友達のリースの面倒を見てあげないとね」

「えっ?」

「あの子もお腹が空いているんでしょう?お肉を持って行ってあげよう」


兎肉は、まだ半分ほど残っている。ハルはヒストリアに肉を切り分けるのを指示して、自分は食べられない部位の後処理を始めた。


「あの部屋の掃除も、後でしないとね。あんな血だらけのままにしておくのは不衛生極まりないわ。体に良くない」


兎の頭部や内臓、それらをまとめて、ハルは魔法の火で燃やしてしまった。焚火の火とは違い、ゆらりゆらりと燃えるその火は、火特有の赤色の中に、僅かに金色の輝きを放っているようだった。そのせいか、コルクの眼差しを釘付けにさせていた。


「きれい・・・」

「そう?ありがと」


ハルは、燃える兎の頭部を目に跪き、目を閉じて短い黙とうをしていた。それに習って、ヒストリアも両手を合わせて祈りを捧げていた。

ハルは、旅をする前からしていた習慣だが、ヒストリアにとっては、つい最近覚えたものだ。別に強制はしていないし、宗教みたいに長々とするわけじゃない。ほんの少しの祈りを捧げているだけだ。


「さて、それじゃあ、リースのところに行こうか」


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