呪いを解く術
一番の問題は、食糧問題だ。アクシデントこそあったものの、ハルとヒストリアは休める場所を見つけられた。教会風の建物、この際、教会跡と呼ぶが、そこには先客がいた。名も知らぬ殺人者。ではなく、何らかの迫害を受けた少女と、そのお仲間らしき、縛られた少女。彼女たちのことは謎ばかりだが、ハルたちにとって、今はそんなことを考えている暇はない。腹が減っているのだ。すぐに狩りに向かった二人は、手ごろな獣を仕留め、教会跡に持ち帰ることに成功したのだった。
「これ、全部は食べられませんよね?」
教会跡の外で、ハルは即興の肉焼き機を作っていた。教会跡にあった残骸で、仕留めた野兎を吊るして焼いていたのだ。
「これだけデカければね。お腹いっぱい食べられる」
仕留めたのは兎なのだが、滅茶苦茶デカかった。太っているとか、そういう話じゃなく、体躯がそもそも兎のそれじゃない。見た目は茶色い兎そのものなのだが、ヒストリアの身長の半分以上もの全長がある。子熊のようだった。
兎を解体している間、ハルは上機嫌だった。よほど腹が減っていたのか、皮をはぎ、脂の乗った肉質を見て、唾を飲んでいたのだ。
焼き目がついてくると、火に油が滴り、いかにもな香ばしい香りがしてきた。
「いい感じ」
「食べてもいいですか?」
ヒストリアも、目の前の光景に、もはや我慢が出来る状態ではなかった。ハルがゴーサインを出すと、ヒストリアは子供みたいに兎の肉にかぶりついた。口元に肉汁がつくのも気にせず、骨ごと噛み砕く勢いで、命の味を堪能していた。
「おいしいぃ・・・。なんか、今まで食べた料理で、一番おいしいかもしれません」
「大げさな。こんなの、料理じゃないよ。肉を焼いただけだもん。誰だってできるよ。・・・いただきます」
ハルも手ごろな肉塊をナイフで取って、一口大に切りながら食べ始めた。体がデカい割には、油の乗りもいいし、獣くさい匂いもしないから、とてもおいしい肉だった。
すでに周囲は夜闇が包み込み、空には星々が煌めいているが、夜風が靡く、気持ちのいい時間だった。物静かで、久々の食事に没頭することが出来る。旅をしていて、こういった時間が一番安堵できるものだ。
「問題はいろいろあるけど・・・」
「何か言いました?」
なおも肉にかぶりついているヒストリアを見て、ハルは状況を整理していた。
まず、旅の本来の目的。空腹で考えるのも億劫だったが、元々、ヒストリアの呪いをどうにかするために旅をしているのだ。
彼女の持つ呪いは、かつてアールラントを襲った災厄、邪龍の呪いだ。
このまま何も見出せなければ、ヒストリアは呪いに蝕まれ、いずれ彼女の母親の様に、人でない何かに変貌して、実質的な死を迎えるだろう。それをどうにかするのが、彼女の両親との約束でもある。そして、ハルにとっても、重要なことだ。
「ねぇ、ヒス」
「はい」
「今後のことだけど。あなたの呪い。どうやって治すか、考えていかないとね」
急に真剣な話を振ったからか、ヒストリアの肉を食べる手が、少しだけゆっくりなった。
「・・・本当に治るんでしょうか?」
「治らなければ、あなたは死ぬわ。死んでもいいって言うなら、残り短い余生を謳歌すればいいと思うけど、そうは思ってないでしょう?」
「っ、当たり前です」
辛い思いをするくらいなら、死んだっていい。それは生を否定する言葉だ。言うのは簡単だし、ある意味非常に合理的な判断でもある。しかし、それでも死にたくないと考えるのが生き物だ。
ましてや知性のある人間であれば、死は簡単であるからこそ、そう簡単に選んではいけない選択肢だと思うだろう。
「おさらいだけど、あなたが持つ呪いは、邪龍の呪い。怒りや憎しみによって生み出された、負の感情が作り出す。どす黒い力よ」
「・・・それについて、まだ、よくわかっていないんですけど。そもそも邪龍ってなんですか?」
そう言えば、そういう話も、まだしていないのだった。
「・・・龍を見たことある?」
「翼竜の骨格標本なら。ちっちゃいやつですけど」
「翼竜と龍は、まったく異なる存在よ。なんて言えばいいかな。龍って言えば、想像の通りの生物なんだけどね」
「・・・化け物ってことですか?」
ヒストリアの言葉に、ハルはにやりと口角を上げた。
「なかなか的を得ているね。そう。要するに化け物よ。人間からしたら、目撃例だってほとんどないし、本当に存在するかもわからない。だけど、時代の大きな転換点や、人類の歴史上に必ずその存在が示唆されている。伝承や、おとぎ話になったりして、姿、形を変えて現代に伝わっている。龍はそういうものよ」
「火を吐いたり、人を食べたりですか?」
「ふふっ。それは、まぁ、それがイメージなら、そうかもだけど」
龍を説明するのは難しい。おそらくこの世界で最も謎に満ちた生物だろうから。解説のしようがない。
「その龍が、邪龍と呼ばれるものになる、条件みたいなものがあるんだけど、なんだかわかる?」
「・・・人間の、街や国を襲うこと、ですか?人間によって、そう語りつがれるから、邪龍と呼ばれるようになる、とか?」
「そうね。間違いではないかも。ただ、人の視点で邪龍と呼ぶんじゃなくて、生物として邪龍と呼ぶべき理由があるの。そして、街や国を襲うのは、一つの手段であって、目的じゃない」
「目的?」
「邪龍と呼ばれる龍も、元は普通の龍だった。だけど、あることを続けることによって、龍は邪龍へと変貌する」
「・・・まさか、人を殺すことですか?」
ハルは、小さく頷いた。ヒストリアは察しがいい。これまでのことをもとに、そこへ辿り着けるとは。
以前、彼女にも言ったことがある。彼女の呪いを解く足がかりとして、まず最初に、人を殺してもらうと。
あの時は、廃墟と化した、亡国アールラントに残った亡者たちを一掃する目的もあったけど、本来の目的は、ヒストリア自身にそれをさせるのが目的だった。
「龍は、人を殺し続けることで、邪龍に成ってしまう。その理由は、生物として持っている魔力が原因だと、私は思ってる」
「魔力、ですか?」
「そう。人を殺すと、何が起こるかっていうと、魔力が変質するの。黒く、淀んだ魔力にね」
かなり抽象的な話をしているせいか、ヒストリアは口を開かなくなった。しかし、おそらく理解はしていると思われた。真剣なまなざし、兎を食べる手も止め、焚火の火を見つめている。
「人を殺すこと、ヒスはとても嫌がったでしょう?それはどうして?」
「どうしてって、普通に嫌じゃないですか。なんていうか、・・・言葉に、出来ませんけど」
「うん。それでいいんだよ。人を殺したくない理由を無理に作ろうとしなくていい」
人は、人を殺していはいけないと言う。なぜ、と問われても、その答えを明確に答えられるものなど存在しない。人を殺すことは良くない。それは、人が古きより決めた暗黙のルールのようなものだ。倫理観によって生まれた概念で、論理的に説明できることではない。
それ故に、人を殺すことに対して、はじめは抵抗も嫌悪もある。なんなら、それだけで気が狂うことだってあるだろう。それくらい、感情に大きな傷を残す行為なのだ。
「誰だって人を殺したくない。殺しに慣れることはあっても、殺しを受け入れられる人はそういないよ。そういう嫌な気持ちとかが、心に大きな影響を及ぼすんだよ。人を殺すたびに、心が、感情が荒んでいく。そうやって荒んでいくと、どいうわけか、魔力が染まっていくんだ。黒く、重く、鉛のような不快なものにね」
「魔力が染まる・・・。魔力と心は、密接な関係にあるってことですか?」
「魔力は、種族によっていろいろ呼び方があってね。精力だったり、生命力だったり、いろいろあるんだ。魔力は単に、魔法を使うためのものじゃない。生物の生態に様々な影響を及ぼしている。その逆も然り。心や体の影響が、魔力に及ぶこともあると思うの。だから、人を殺すことによって生まれた心の傷が、魔力を黒く変質させているとしたら。龍が邪龍に成るのも辻褄が合うと思わない?」
あくまでハルの憶測によるものだ。ややこじつけの様な所があるのも否めない。だけど、ハルは自分の理論に自信があるように思えた。何か確信めいたものがあって、そういう思考に至ったのだと。
「龍は、人を殺し続けて邪龍になる。その名の通り、災厄と呼ばれるような邪悪な存在にね。だけど、同じことが人間にも起きるとしたら?ここで、最初の話に戻すよ。あなたの呪いは、邪龍の力そのものだ。だから、あなたも人を殺して、魔力を変質させ、黒く染めれば、その力を制御するか、あるいは克服できるかもしれない。私は、そう思って、どうにかしようとしているんだけどね。あなたはどう思う?」
どうと言われても、ヒストリアには実感のわかない話だ。憶測に過ぎないのであれば、まだまだ何とも言えない。かなり危険な賭けでもある。ハルの言うように、魔力が黒く染まって、邪龍の様になってしまったら?呪われた両親の様に気が狂って、人でなくなってしまうかもしれない。
結局のところ、推測に推測を重ね、実証していくしかないのだ。少なくとも、ハルの憶測があるおかげで、何をすればいいかわからないという事態にはならないのが救いだろう。
それ以上に、この件は、ハルにとっても、大きな意味を持つことなのだと、ヒストリアは薄々気づいていた。
「あの、先生」
「何?」
「・・・先生は、・・・・・・・・・先生は、私を、実験台にしようとしているんですよね?」
「・・・どうしてそう思うの?」
「だって、先生も、邪龍の様に、黒く染まっているんですよね?」
ヒストリアは、決して目を逸らさずに、恩師を見つめていた。そしてハルも、そんな真剣なまなざしを、真摯に受け止めていた。容姿が似ているせいもあって、まるで鏡写しの様な二人だった。
「いろいろ知っていて、そこまで憶測できるのは、当事者だからですよね?でなきゃ、ここまで私によくしてくれる理由が思いつきません」
そう言ってヒストリアは、少しだけ、寂しそうな笑顔を見せた。
前にハルは言っていた。私も同じだったから、と。ヒストリアは、ハルの多くを知らない。だけど、不思議なことに、彼女の言動は覚えている。些細な言葉も、とても印象強く覚えているのだ。
「ほんと、察しがいいわね」
「ごめんなさい。言っていいか、迷ったんですけど」
ここまで自分を守り、親の様な、姉の様な、多くの役割を担ってくれている恩師を、試すような言い方が、ヒストリアは苦しかった。そしてこれからも、きっと長い時間を共にする彼女とは、腹を割って話したかったのだ。
「いいんだよ。ヒスはそれで、子供なんだから、遠慮なんかする必要ない。悪いのは私の方。・・・あなたの言う通り、私は黒く染まっている。私はこれまで、多くの人を殺してしまった。殺し過ぎた。だから、自分が邪龍に成らない方法を探していた。そして、あなたを見つけてしまった」
ハルは、もう隠す必要もないと思った。きっと、目の前の教え子は、いずれ己の力で、ハルの真実に辿り着く。そんな予感がしていたのだ。だから、今ここで打ち明けても問題ないだろうと思ったのだ。
「私は、あなたを使って魔力が黒く染まることの解明をする。それが私の旅の目的の一つだから。あなたを引き取ったのも、そういった打算的な考えがあったから」
「・・・先生は、龍、なんですか?」
「そうだよ。龍族の一人。こんな姿じゃ、あんまり信じてもらえないだろうけどね。正真正銘の龍だよ」
ハルは決して、優しさなんかでヒストリアを引き取ったわけではない。邪龍に呪われても、子供に未来を与えたいという思いに、同情したわけでもない。成り行きで庇護を失った少女を助けたいと思ったわけでもない。
ハルは、ヒストリアが生まれるずっと前から、呪いを引き継いで生まれてくる者を利用しようとしていたのだ。
「あなたはまだわからないだろうけど、私にとってあなたは、とても価値のある存在なの」
「まるでモルモットですね」
「そうね。でも、他にない、唯一無二の素体よ。あなたほど生まれつき黒く染まって生まれてきた存在はいない。これは、私にとって、またとないチャンスなの。だから、私はあなたの身の安全を保障するし、あなたが死なないために尽力する。あなたに非情な行いをするかもしれない。理不尽なことを押し付けるかもしれない。だから、その時は憎んでくれて構わない。それでも私は、やめるつもりはない」
ハルは、まったく感情の無い表情で、ヒストリアに宣言した。彼女が見せる狂気的な一面を、教え子に見せつけたのだ。
ヒストリアは、少しだけ悩んでいた。何者かわからない、師の秘密を知れて、少しだけ安堵している自分がいた。それと同時に、彼女は自分を実験対象にしか見ていないことを知って、疑念が浮かび上がっている。ハルが、自分をそういう風にする光景が思い浮かばないからだ。
彼女と共に旅をして、まだそれほど多くの時間は経っていない。だけど、そんな短い時間の間でも、彼女の人柄は見えてくるものだ。
ヒストリアから見て、彼女はとても優しい。彼女が言うほど、ヒストリアはハルを非情な人だとは思わない。まだ何も実験的なことをしていないからかもしれないが、それでも、ヒストリアは、ハルに親愛の情を抱いているのだ。きっと、彼女はそれに気づいていない。いや、気付いていながら、無いものとしているのかもしれない。
「先生は、何事に対しても、けじめをつける人なんですね。私を連れて行ってくれる時も、私の意思を引き出してくれましたよね。その意志がなければ、意味がないって」
「・・・そうね。人は、意志によって動くものだから。そういう信条なの」
「だから、先生も自分の意思を伝えてくれているんですよね。隠し事をしたままにしないために。これからの関係をよくするために」
「そんなんじゃないよ。あとからいろいろ言われるのも面倒だから、こうして説明しているだけ」
「でも、私、運がよかったなって思いますよ?」
「・・・」
面倒を見てもらっているだけでなく、こうして話し合いもしてくれる。それはきっと、とても幸運なことだと、ヒストリアは思う。
そもそも自分は、ハルがいなければ、路頭に迷い、人知れず朽ちていなくなっていたかもしれないのだ。故郷は亡くなり、面倒を見てくれる人もいない。そんな中で、人攫いや、奴隷商人の様な輩に捕まる可能性だってあった。死ぬだけならまだしも、生きたまま地獄の様な人生を歩む可能性だってあった。
それと比較すれば、彼女の様な師と出会えたことは、幸運と呼ぶほかないだろう。
「私は、先生を信じます。信じるしかないんです。私が先生のお役に立てるなら、好きに使ってください」
自分でも、それを言えたことに、とても驚いていた。
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