自分がされて嫌なこと、他人にするもんじゃない
教会の玄関口は、建物相応の広さがあり、一般の民家よりも相当な広さがあった。床には泥が足形に残っていて、そこからは人がいる気配を感じる。だが、それらは全部外へ向かっている。何者かが出かけた後、ということだ。だが、それとは別で、建物内には、かなり匂いが充満していた。
「・・・死臭だね」
「えっ?」
「肉が腐る匂い。それも、一体、二体どころじゃない」
こんな大きな建物内で、入り口である玄関口にまで匂いが漂っているとなると、相当な数の死体があると思っていいだろう。
考えられるのは、訪れた者を片っ端から襲う狂人だろうか。この世界では、殺しは、案外平然と行われている。ここのような秩序の無い自然のど真ん中では、顕著に多い。もっとも、そうでもしなければ、生きていけない世界であるのも事実なのだが。
だからと言って、殺しが許されるわけではないけれど。
ハルはヒストリアを後ろに、教会を探索し始めた。中はかなり荒れていた。壁に飾られた絵画の額縁は傾き、暖炉は崩れ中が滅茶苦茶になっている。人が住んでいるような雰囲気ではない。それに、建物の見た目は教会のようだったが、中はそうでもなかった。祈りを捧げる場所もないし、神を象徴するものもない。
一階を見終えて、教会の大体の構造図が分かったところで、二階への階段を見つけた。
「・・・いるね」
階段の上のすぐそこではないけれど、人の気配を感じた。
「さっきの狙撃手ですかね?」
「そうだね。・・・他にもいそうな感じがするけど。なるべく音を立てないようにね」
ハルとヒストリアは、足音を殺して階段を上っていった。ハルはともかく、ヒストリアは完全に音を消し切れてはいなかったが、上階にいる気配が襲ってくることはなかった。さっきまでの殺気はどこへやら。
二階は居住区のようだった。とはいえ、ベットはボロボロで、骨組みが露になっている。毛布もなく、床板も所々剥がれ、もはや廃墟と言ってもいいだろう。
一つ一つ部屋を見て回ったが、狙撃手の姿はどこにも見当たらなかった。
「いませんね。逃げた、とか?」
「いや、まだいると思うよ」
ここは二階だが、建物が教会風なせいか、天井が高くかなりものだ。窓から飛び降りて逃げられなくはないが、並の人間なら、怪我をしかねない高さだ。まぁ、相手が人間であればの話だが。
しっかり二階を探したが、どの部屋にもいなかった。死臭ばかりがするおかげで、匂いで探ることも出来ない。しかし、怪しい場所はあった。
一階の構造を考えれば、二階の構造も自ずと見えてくる。どの部屋にも属さない空間があることだって、わかるものだ。
「ここの壁の向こう側。部屋になってるかも」
「壁って・・・。何もないですけど」
ヒストリアは、壁を手でとんとん、と叩いてみたが、反響音はしなかったし、ただの壁にしか見えなかった。
ハルは魔法の力だと踏んでいた。ただ、初めて見る魔法だから、対処法はわからない。力ずくで強引に突き破るのも無理そうだった。どうしたものか考えていると、ハルの背中に隠れていたヒストリアが、何かブツブツと唱え始めた。
「何?」
「真なる姿を見せよ」
ヒストリアがそう言うと、魔法で出来た壁が、ぐにゃりと歪んだ。しかし、すぐに元の姿形に戻ってしまった。
「魔法?」
「はい。壁にかけられていた魔法を解きました」
ハルの目には何も変わっていないように見えるが、ヒストリアがゆっくり壁に手を伸ばすと、その指先が、壁の中へと入り込んだ。
「おぉ。やるじゃん」
「えっへへ。大した魔法じゃないですけど・・・」
不思議な壁だった。魔法を解いたはずなのに、見た目は壁があり、実際は何もない。・・・正直意味が分からないが、不思議なものだ。
ヒストリアにとって、魔法を褒められるのは、初めての経験だった。そもそも、大学で学んでいた頃は、ただひたすらに探究をしていたに過ぎない。それを何に役立てるのか、何のために魔法を学ぶのか、考えてすらいなかった。こうして他人に披露するのだって初めてだったのだ。
ヒストリアは、そのまま手を壁の中へ突っ込もうとした。しかし、ハルがそれを腕を掴んで止めさせた。
「油断しない。私が先に行くよ」
「は、はい」
再びヒストリアを背中に構え、ハルはゆっくりと刀を壁の中へと突っ込んだ。壁の向こう側が見えない以上、後は運任せだ。
恐る恐るではなく、勢いよくハルは上半身を壁に入れて、向こう側を覗き込んだ。そこにはやはり部屋と呼べる空間があった。部屋の中は壁で囲まれていて、かなり暗い。他より一層死臭が漂い、いくつかの死体が転がっていた。血塗られた床を踏みしめると、血は完全に乾ききっていることがわかる。おそらくこの惨劇は、ここ数日のことではないだろう。
それに、幸いというべきかどうかはわからないが、死体と思われるものは、人間のものではない。残された骨や骨格からして、獣であるのは間違いない。
そして、一番異様なのは、部屋の奥で、縄と鎖で縛られている少女がいた。少女の身なりは、薄汚れたシャツに短いスカートを穿いていて、黒い上着、靴、靴下、帽子まで被ったままだ。
少女に意識は無く、うなだれているように頭を下げている。その頭部からは、馬の耳のような尖った三角形の耳が生えている。見た目はほとんど人間に近いが、彼女の種族とは異なるだろう。
少女は置いておいて、部屋の中に敵の姿はなかった。すぐにヒストリアの手を引っ張り、部屋の中へと入れた。
ヒストリアは、その惨状に息をのみ、何かを吐きかけたが、寸前のところで堪えたようだ。無理もない。匂いだけでも吐き気を催すほどだったのに、これだけ無残な死体と血を見せられれば、そうなって当然だ。
「大丈夫?」
「平気、です。前の亡者に比べたら・・・」
あれはあれで気色が悪いが、こちらの比ではないだろう。生々しさがある。ただ、彼女も少しは強くなっているのだろう。
ハルは、部屋の奥で吊るされるように縛られている少女に近づいた。いったいどうしてこんなことになっているのか。不思議なことに、少女はいっさい怪我を負っていなかった。縛られている箇所には、鬱血が起こっているが、それ以外はきれいなものだ。意識が無いだけで、たぶん死んでいない。
うなだれた顔を覗き込むと、口元が血だらけだった。しかし、殴られた跡はない。頬も晴れていない。これは子供が液状のものを食べた時と同じ理屈だろう。
口元に着いた血を指先で触れると、それもまたほとんど乾いていた。つまり、かなり長い間、こうやって縛られていたということだろうか。理由は見当もつかない。
その時だった。
先ほどの殺気が、後方から伝わってきた。ハルは、ヒストリアの手を取ろうと後ろを振り向くと、形の無い壁の反対側から、熊のような耳を頭部に持つ、もう一人の少女が飛び出し、ナイフのような得物を、ヒストリアの首元に当てていた。
「しゃべるな!動くなよ。お前はこっちにこい!」
少女はそう言って、ヒストリアの手を取って、ナイフを首元に当てながらハルから遠ざかった。
顎を抑えられたヒストリアは、声を上げることすら出来ず、再び恐怖に染まった顔で、血の気が引いていた。
「お前たち、誰だ。なんでここに来た」
少女の表情は、怒気に満ちたものだった。年相応の顔立ちをしているにも関わらず、まるで何もかもを憎んでいるかのような、怒りの感情が見て取れる。
しかし、ナイフを持つその手や、頬の感じや、足の細さなどを見ると、とても健全そうには見えなかった。彼女は見た目よりもかなりやせ細っている。よく見れば目元には隈が出来ており、大して熱くもないのに、額に汗を浮かべていた。
「私はハル。旅人だよ。その子は私の教え子、名前はヒストリア」
「私たちを殺しに来たのか?」
「知りもしない相手を殺すって?たまたまここを通りがかっただけだよ」
人質を取られている以上、ハルは無暗に少女を刺激するようなことはしなかった。冷静でない少女をどうやって抑えるかは、なかなか難しいものだ。しかし、少女をだけを始末するのは、ハルにとって造作もないことだ。
彼女の行動は残念ながら何の意味も持たない。仮に、少女がヒストリアを殺せたとしても、ハルはそれすらもなかったことにできる。
もっとも、ハルは教え子にそんな恐怖体験をさせるつもりはないから、どうにか、なだめようとしているのだが。
「嘘をつくな!人間の言うことなんか、信じられない。ケルザレムの貴族たちから、私たちを殺すよう命令されてきたんだろう!」
(ケルザレム?)
聞いたことのない名前だ。おそらく、国か都市の名前なのだろうが、ここいらの地域に馴染みのないハルにしてみれば、そういった固有名詞を知っているはずがない。これはますます危うくなった。下手にそんなものは知らないなどと言ってしまえば、彼女は余計に逆上するだろう。
「旅の途中、食料が無くなってね。まさか、殺人者の巣に入っちゃうとはね。私たちも運がないよ」
「殺人者だって?・・・」
悪手だったようだ。少女の瞳から涙が零れだした。同時にその瞳が、猫のように細くなっていった。
「人殺しは、お前たち人間の方だ!!私たちネクサスを、使い捨ての道具のように扱い、私たちが泣きわめこうが、血反吐を吐こうが、私たちの意思は認められない。そうやって私たちを壊して、好き勝手使って、最後にはゴミの様に捨てる。それがお前たち人間が他種族に対する接し方なんだろう!」
少女の怒りは大分エスカレートしている。彼女がヒストリアに手を掛けるのは、時間の問題だ。だが、ハルはそれほど危機感を感じていなかった。少女が抱えるヒストリアの表情に落ち着きが戻っていたからだ。
出会ってまだ数か月も経っていない教え子だが、それなりに教養はあるし、魔法大学でも相当優秀だったみたいだから、その気になれば、そこいらの子供たちよりも状況把握はできるだろう。
「ねぇ、あなた。人間のこと、人殺しって言ったわね」
「そうだ!お前たちは、そういう生き物だ!」
「確かに、人間は人を殺すわ。でも、あなたも、その子を殺そうって言うの?」
「っ・・・」
なるほど、この少女は案外もろいのだろうと、ハルは胸の内で安堵した。
「この際、私が人間かどうかなんてどうだっていいけど、今ここで、あなたがヒストリアを殺したならば、私は今後、道行く人々に、ネクサスっていう人達は、平気で人を殺す種族だったって言うと思うよ」
ハルの言葉に、少女は苦しそうに表情をゆがめた。少女は若い。たぶんヒストリアよりも2、3歳下だろう。ネクサスというのが、少女たちの種族を指すかはわからないけど、相当凝り固まった思想が根付いている。同時に、子供であるが故に純粋で、正論で返されると、脆く崩れる。
少女が人間にされた仕打ちを想像することしかできないけれど、少女がどうしてこんな状態になっているのか、常識的な者ならばすぐにわかる。例え差別や迫害、奴隷などの現実を知らない平和ボケした人たちでも、少女に同情するだろう。
「殺したければ、殺せばいい。ヒストリアに恨みがあるんでしょう?今日あったばかりの、たまたま出会った旅人が、人間だったから。憎くてしょうがないんでしょ?」
「・・・うるさい!」
「やりなよ。持ってるナイフを、その首に突き刺すだけだよ」
「うるさい!」
少女の視線が左右に揺らぎ始めた。瞳はまだ、猫のようにとがったままだが。その意識は、完全にハルへと向けられてる。
「ふーん。ここまでして、やらないんだ。いいよ。別に。抵抗しないんなら、やりやすくて助かるからね」
「は?」
ハルはゆっくりと刀を構えた。
「なに驚いているのさ。自分が何をしているのか、わからないわけじゃないでしょ?今の状況、その子の首にナイフが刺さるのを、私は防ぐことはできない。だけど、その後に、あなたに敵討ちをするのは、そう難しい事じゃないわ。」
ハルはゆっくりと少女に近づいた。
「う、動くな!」
「いやならその子を返しなさい。それで全部解決する」
そう言ってハルは決して歩みを止めなかった。少女はなおもナイフをヒストリアの首元に当てていたが、それがヒストリアの首に刺さることはなかった。距離にして数メートル。一歩踏み込んで刀を振れば、少女のナイフを持つ腕を切りつけることが出来る距離だ。そこでハルは止まり、教え子を盾にする少女を睨んだ。
少女はそれに臆したのか、ついにナイフを首元からハルへと向けて突き出した。しかし、その瞬間、少女の体に青紫色の稲妻が走った。
「あうぁっ!!」
うめき声と共に、少女は糸が切れた人形のように崩れ落ち、持っていたナイフも手放して、地面に伏した。ハルは軽く口笛を吹いて、教え子の魔法を賞賛すると、刀を鞘へと納めた。
「あの、先生。少し、大人げなかったんじゃ?」
ようやく解放されたヒストリアが、おずおずと倒れた少女を診ながらいった。少女は既に気を失っていたが、息はあるようだった。
「この子が子供だからよかったけれど、相手が戦い慣れた人だったら、あなた今頃死んでたわよ」
「うっ。ごめんなさい。」
「まぁ、私も警戒を解いてしまってたからね」
気配を感じていながらも、ヒストリアから離れてしまったのが、そもそもの原因だろう。ハルの中では、ヒストリアが死に至る怪我を負わされても、どうにかなるという怠慢が招いた結果だ。
「いいタイミングだったね。良く落ち着いていたし。詠唱しなくても、意識を刈り取る程の威力があるんだ」
「・・・この子の、私の顎を抑える手、震えてました。生身の人に、こんなことをするのは初めてです。あまり、気持ちのいいものじゃありませんね」
ヒストリアはそう言うが、それは相手が子供だからだろう。ヒストリアと少女の年齢は近い。心情的に共感できる部分はあるのだろうし、僅かな情報から、ヒストリアは彼女に同情してしまったのだ。
「さてと、どうしたものかな」
倒れた少女と、縛られている少女。その二人を見て、ハルは思わずため息を吐いていた。
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