黒く染まった者

新たな邂逅

「汝と、汝を慕う子らに、アカハネの加護があらんことを」


とある村の、とある孤児院の修道女さんと子供たちに、先生はそう言って別れを告げた。先生は、さして子供たちとも保母さんとも、仲親し気にしていた様子はなかったのに、そう言った時の先生の表情は、慈愛に満ちものだった。





一緒に旅をして、先生は何度その文言を口にしただろう。別れの時、人が亡くなったとき、慰めるとき、応援するとき。状況は多々あれど、まるで口癖のように先生は、アカハネの加護があらんことを、と言ったのだ。


私には、そもそもアカハネが何なのかを知らない。以前聞かせてくれた雪食いの話では、火の神様の名前と言っていたけど、同時に先生は、火の神様の信者でも眷属でもないと言っていた。

私は、神様を信仰したことは無いから、信仰心とか宗教とか、そう言うのはわからない。けど、客観的に見ても、先生からはそういった信仰深い人の雰囲気がしない。

だから、誰かれかまわずそんな祝福の言葉を贈るのが信じられなかったのだ。


とにもかくにも、私はまだ、この人のことを何も知らない。唯一の肉親であった父を失い、故郷を失い、帰る場所も無くなった。私からしてみれば、この人を頼る他、生きていく選択肢が思いつかなかった。必然的に先生についていくことにしているけれど、己の足で道を切り開いていく旅は、想像以上に大変だった。




「せんせい~。もう無理です。少し休みましょうよ」

「泣き言言わない。目的地はもうすぐなんだから。頑張りなさい」


ここはどことも知れぬ街道。どこへ向かっているのか、私は知らない。ただ先生についてきただけ。それは、仕方がないとして、とてつもない空腹にさいなまれている。食料が尽きたのだ。それがちょうど昨日のこと。なぜそんなことになっているのかと言うと、理由はいくつかある。

その1。私の歩きが遅いから。旅をしてみてわかったことだが、私はとにかく軟弱な肉体の持ち主であった。まぁ、日がな屋根の下で本を読んで過ごしていれば、当然だ。

その2。先生が道に迷ったから。途中、なぜか街道が途切れていて、訳の分からない森の中へ入ってしまったのだ。おかげで、予定よりも数日遅れてしまった。先生の昔話を聞けたのは良かったけど、その後こんなつらい思いをするなんて。

最後にその3。旅の道中、動物たちに餌をやり過ぎた。アホか!

餌と言っても、携帯食料を千切って渡していたのだ。携帯食料の正体は、穀物を蒸して火を通したものを、練り固めたものだと教わっていたから、動物も食べられるのは知っていた。

フトットルという、丸い毛玉のような小さな小動物の群れと遭遇し、どういうわけか先生はかなり懐かれていたから、つい、とのことだ。気持ちはわからなくはないけど。あのふさふさの毛並みは手に抱いていて、なんとも言えない喜びがあった。その代償が、今の空腹なのだとしたら、許せるような気がする。そうやって理論武装しても、空腹はまぎれないのだけど、・・・お腹空いた。


「目的地はあの峠の向こう側だよ。・・・たぶんね」


先を行く先生が、今上っている峠の頂上を指さして言った。登り切ってしまえば、後は下るだけだから、それまでの辛抱だろう。


「たぶんって、自信なさげに言わないでくださいよ。食料が手に入らなかったら、飢え死にしちゃいます」


緊張感のない会話だけど、実際私たちはかなりの窮地に追い込まれている。ずっと街道を進んできていたのだが、人と出会うことがほとんどなかった。街道というからには、それなりに人の往来がある者と思っていたのだが、それすらもないとなると、この道の先には、いったい何があるというのだろう。

もしも、無人の廃墟なんかだったら、それこそ、ハルとヒストリアは終わりだ。

嫌なことを想像しないうちに、昨夜煮沸した川の水を入れた水筒を煽る。水に塩を溶かしてあるから、何かを食べた気分にはなれるが、そう長くは持たないだろう。


ハルは既に峠の頂上にたどり着いていた。空腹と長期にわたる徒歩を経ても、彼女の足は決して遅くはならなかった。立ち居振る舞いも、ほとんど疲れた様子もない。彼女と共に旅をし始めて、まだ1か月ほどだけど、いずれ自分もあんな風になれるのだろうか?


ようやくヒストリアも登り終え、ハルと同じ景色を見ることが出来た。


下り坂の向こう側には、大きな建物がそびえていた。城、という程ではないが、教会のような造りをしている建築物が一件。周囲に集落は無く、それだけだ。それが開けた草原のど真ん中に突っ立っている。


「あれ、ですか?」

「・・・たぶんね」


先生は、珍しく顔を歪めていた。いつもは何食わぬ顔で肯定してくれるのに。もしかして、聞いていた話と違うのだろうか?

改めて教会を見ると、建物自体は古く、自然に侵食されている。草木が壁を伝い、窓ガラスなんかも割れている。端から見れば放棄された建造物に見えるが、本当にあそこに人が住んでいるのだろうか?

まだ日は明るく、周囲は見渡す限りの大草原。とても景色のいい場所だし、休めるならどこだっていのだが、食べ物をどうにかしなければいけない。


「行くよ」


先生は、たぶん警戒していると思う。いつもの明るさが表情にない。私は先生に続いて、一歩後ろを続いた。建物に近づくにつれて、その構造が見えてくる。レンガ造りの教会風の建物なのは間違いないが、所々ひびが入っているし、かなり老朽化しているのは素人目にもわかる。中を見ていないから何とも言えないけど、こんなところで暮らしている人などいるのだろうか?


そんなことを考えていると、突然先生は足を止めた。教会の玄関口はもうすぐそこまで来ているのに。


「先生?」

「・・・」


先生はじっと一点を見つめていた。教会の2階の窓のあたり、ガラスは割れて半分ほど欠けているし、日の光が反射してガラスの向こう側は真っ暗で見えない。しかし、それでもそれは一瞬で迫ってきた。


ヒュンッ


風を切る音が聞こえたと思ったら、ヒストリアの顔面へ矢が飛んできていた。その一瞬は、まるで永遠に感じられるほど長い時間に感じた。矢が、ゆっくりと自分の目に向かって飛んでくる。恐怖を感じる間もなく、ヒストリアの心が死を予感させていた。


キンッ


しかし、矢は空中で叩き折られた。ヒストリアの目の前を刀が振り下ろされ、矢は勢い殺されて地面へと落ちていた。

視線だけをそちらへ向け、そこでヒストリアはようやく、自分が息を止めていたことに気づいた。額に汗がにじみ、何が起きたのかを理解するのには、さらに時間がかかった。

ハルが矢を刀で叩き落したのだ。一瞬の早業で太刀筋など見えはしなかった。


「随分な挨拶だね」


ハルはそれだけ言うと、なおも視線を窓の向こうへやっていた。殺気を感じたのはついさっきだ。あくまで経験がそう感じさせただけだが、もし自分が狙撃手だったら、あの窓は絶好の位置だと思ったからだ。案の定、ガラスの向こうには、何者かが潜んでいたようだが。


「せ、先生・・・」

「・・・大丈夫よ。もう行ったみたい」

「行ったって・・・。建物の中にいるってことですか?」


怯えたヒストリアをなだめるのは後にして、とにかく、敵の目的が知りたかった。逃げるのは悪手だ。後ろは大草原。隠れる場所はない。下がるにしても、背中を向けずにゆっくりと下がらなければならない。それなら、いっそ建物の中に入ってしまった方がやりやすい。連れがいなければの話だが。


(やりずらいな・・・)


ハルは初めて守るべきものができて、困惑していた。自分一人であったなら、強行突破して中にいる敵をどうにかできる。しかし、ハルの後ろにいるのは、戦いを知らない少女だ。訓練を受けた新兵よりも頼りなく、おそらくハルが離れれば、瞬く間にやられてしまうだろう。

何かを守りながら戦うというのは、普通に戦うよりも困難なものだ。


「ヒス。このまま聞いて」

「は、はい」

「建物の中に入るから。私の背中に張り付くようについてきて」


ヒストリアは、ゆっくりとハルの後ろへ回った。刀を持っていない方の手を差し出すと、彼女はその手をおずおずと握ってきた。


「いい?絶対に離れないで。それと、大きな声も出さないように」


ハルがそう言うと、ヒストリアはうんうんと黙ってうなずいた。細かい作戦を言っても、どうせ今のヒストリアじゃ、理解できないだろうし、怯えてまともに動けないだろう。


「行くよ。前に教えたこと、それだけを頭に置いておいて」


ハルはヒストリアを引っ張るようにして教会の玄関へ進んだ。木製の扉には、鍵が掛けられていたが、少し扉を揺らすだけで、がたがたと鍵が外れかかっているのがわかった。

思いっ切り扉を蹴り飛ばすと、案の定扉は外れ、大きな音を立てて倒れこんだ。ハルは、それと同時に刀に火を纏わせ、戦闘態勢に入る。


(さて、何がいるのやら)


玄関口には誰もおらず、とても静かなものだった。しかし、ハルは感じていた。建物の奥底から、こちらを狙う獰猛な気配を。



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