火葬
ムンバイの家への道中、彼は唐突に足を止めた。彼の家はすぐそこだというのに、急に挙動不審になりだした。
「どうしたの?」
「・・・いや、客が来ている」
ムンバイは家の方を見ていた。洞穴を隠すように並べられている丸太の隙間から、灰のような煙が上がっているのが見えた。ただ、物が燃えるような匂いはしないから、火を焚いているわけではないようだった。
「泥棒とか?」
「いや、たぶん妹だ」
「えっ?」
彼は困ったようにため息をついて、家へ向かっていった。
この距離で、中にいる者の気配を感じ取れるのはすごいが、たぶん、今回が初めてではないのだろう。その、妹とやらが訪問してくるのが。
家に近づくと、向こうも気配に気づいたのか、妹らしき雪食いが出てきた。
「お久しぶりです。ムンバイ」
「・・・ミコ。何の用だ?」
(妹さんの名前はミコって言うんだ)
名前の通り、巫女のような恰好をしている。いや、服を着ているわけではないのだが、彼女の纏う氷柱や雪玉が、なんとなく巫女のような格好に見えているというだけだ。
実際、ムンバイよりも細身で、身長も小さい。ハルよりははるかに大きいが、その容姿は、ムンバイと似たような所があった。確かに兄妹と見て間違いなさそうだ。
「家族なのですから、兄の心配をして様子を見に来るのは当然だと思いますが?」
「・・・仲間たちの元へは戻らないぞ?」
ムンバイは面倒くさそうにため息を吐いて、ミコの横を通り抜けて家の中へと入っていった。それに続いて、妹も入っていく。
ハルはどうしたものかと家の外で、しばし考えていたのだが、
「兄の、お客様ですね。お気になさらず、お入りください」
ミコからそう呼ばれてしまったので、とりあえず洞穴に入ることにした。ムンバイと違って、ミコはとても知的なしゃべり方をする。他の雪食いを知らないから比べようがないが、もしかしたら、ムンバイは言葉を覚える前に群れから離れたのかもしれない。もっとも、今の彼はやさぐれているようにも見えるから、単純に荒っぽいだけなのかもしれないが。
「不思議な方ですね。お名前は何というのですか?」
「私は、ハル。旅人よ」
「ハル。美しい名前ですね。わたくしたちとは縁の無いものですが、その響きだけで、あなたの人柄が見えてくるようです」
ミコは本当に知的、というより、詩的な言い回しをする。口には出さないが、これではムンバイが馬鹿に見えても仕方がないだろう。
「ミコって呼んでもいい?」
「ええ。もちろんです。ハルさん」
「ミコとムンバイは、本当に兄妹なの?」
「はい。同じ親から生まれた正真正銘の兄妹です」
不思議な存在だ。雪食いという、理解も難しい生物であっても、そういう文化的な繋がりがあるのだ。ハルの常識では計れない存在に見えてくる。
「やっぱりすごいね」
「はい?」
「ううん。こっちの話」
兄がむくれっ面で妹を避けているような態度も、なんとなく愛嬌があるように感じる。人間でも似たような兄妹はいるだろう。
ムンバイの家の中は、ミコが入ってきたおかげで、やや窮屈だった。それも含めて隅へ追いやられているムンバイは、不機嫌になっているのだろう。
「ミコ。さっさと要件を言え。何しにここへ来た?」
「ムンバイ。そう邪険にされても困ります。いいではないですか。妹が兄に会いたくなったというだけで。わたくしは、こうしてあなたに会えたことを嬉しく思いますよ?」
美しい兄弟愛、と言うわけではないだろう。たぶんミコがムンバイをからかっているのだ。ハルは完全に蚊帳の外だが、こういうブラコンは見ていて微笑ましいものがある。
「お前が来るときは、いつも何か厄介事が起きた時と決まっている」
「・・・」
「また村が滅んだか?」
(また?)
いきなり物騒な話になった。ハルは決して平静を崩さなかったが、ムンバイとミコの表情は、険しいものになっていた。
「この辺りの、人間の集落です。ここから一番近い、・・・あなたもご存じのはずです」
「俺がやったというのか?」
「いいえ、村の状況を見る限り、あなたの仕業ではありませんでしょうから」
「火でも焚かれていたか?」
「ええ。村全体が燃えて、焼死体で溢れていました。」
「・・・そうか」
ムンバイが呟くようにそういった時、一瞬だけ、ミコがハルをチラリと見やった。当然、ハルもそれには気づいていた。その冷たい視線を見て、疑われているのだろうということはすぐに分かった。おそらく彼女がここに現れたのも、ハルを探ってのことだったのだろう。
「嫌だと言ってもやってもらいますよ。埋葬の御役目を」
「ふん、別に面倒だとは思ってない。ハル、悪いが役目をこなさなければならない」
「役目?」
「ああ。雪食いの、習わしとでもいうか。俺たちが信じる、火の神の眷属の務めだ」
ハルとムンバイと、そしてミコは、燃え盛る村の跡にたどり着いた。既に火は下火になっていて、灰と炭と煙だけが燻っていた。
ミコの言う通り、至る所に焼死体が転がっている。空気中には、肉が焼ける匂いも漂っている。ひどい有様だった。大人から子供まで皆殺しだろう。小さな村だったが、四、五十人はいるだろう。
「二人は大丈夫なの?」
素朴な疑問だが、極寒地帯でも火が回れば周囲の気温は高くなる。氷点下を上回る気温になれば、彼らの肉体はどうなってしまうのだろう。当然、髭のように伸びている氷柱は溶けるだろうし、体温が氷点下だというのなら、やけども負うかもしれない。
「このくらいでくたばらない。火は嫌いだが、俺たちの命を奪うような火は、そうそうない」
「正確には、わたくしたちの放つ体温が熱された大気と相殺しあっているのです。ハルさんは、あまり感じないかもしれませんが、雪食いは、常に冷たい空気を纏っているのです」
「ふーん、なるほどね」
そうは言ったものの、全てを理解したわけじゃない。おそらく雪食いが体から放っているのは、冷気ではなく、魔力だ。魔力を本能的に纏うことで体温を調節している。そう考えれば、とりあえず理屈として通る。そうじゃなければ、話にならない。ハルの常識では計れない事象だ。
「それで、御役目って?」
「死者の埋葬です」
ミコが真剣な面持ちで答えてくれた。
「わたくしたち雪食いが、神と崇める火の神は、死してこの世去った者を、火で焼くという葬送を行ったそうです。火葬は、人間たちの間でも、時々行われてはいましたが、本来は罪人に対しての葬儀です」
「そうだね。人間は、棺に遺体を入れて、土に埋める葬儀を行うのが基本的だ。まぁ、地域によって、いろいろあるみたいだけど」
「火葬は、死した肉体を滅し、彼の者の生きた証を消し去る悪しき風習だと言われています。しかし、我らの主は、自身の火を分け与え、それすなわち、祝福を与えられるのと同義だという、教えを作ったのです。死後の世界でも、主が共に歩んでくれると」
「・・・」
「火の神の眷属である我々は、その教えに従って、死者は火葬にすると決めています。火葬は神からの祝福であると、そして、こうやって人間の方が亡くなったときは、教えに従い、その祝福をおすそ分けしているのです」
それが、火の神を信仰する者たちの宗教観ということか。その名の通り、火の神らしい考え方だ。それ自体に疑問はないのだが、火とは懸け離れた雪食いが、それを信仰しているというのが疑念だった。
考えられるのは、初めて会ったムンバイが、極端に火を恐れているだけだということ。もう一つは、ミコや他の雪食いたちも、ムンバイ同様、火や雪を溶かす存在を毛嫌いしているものの、教えを優先させているかということだ。
前者に関しては、ありえない話ではない。二人以外の雪食いを知らないので、なんとも言えないが。後者は、よくある狂信者のそれだ。だが、ムンバイはともかく、ミコほど理性的な人が、そんな狂信に走るとは思えない。
そんな教えを、ムンバイも従っている。いったいどういうことだろうか。
「でも、あなた達は、火が嫌いなんでしょう?」
「ああ。嫌いだ」
ムンバイは即答したが、ミコはやれやれといった様子で、首を振っていた。
「確かにわたくしたち雪食いは、雪を食べで命を繋ぎます。しかし、さっきも言ったように熱いものや火そのものに近づいても、私たちは死に絶えるわけではありませんし、わたくしたち雪食いも火を扱うことが出来ます」
要するに、雪は溶けるが生命活動に支障でるわけではないということだろう。それだと、雪が溶けるから火が嫌いと言っているムンバイが、ただ食い意地が張っているだけに聞こえてくる。
「ふんっ!」
それを察したのか、ムンバイは一人で村の中心部へ行って崩れた民家から、木材を集め始めた。これから大規模な火葬を行うのだろう。
「兄は幼いころに父を亡くしています」
「・・・うん?ミコにとってもお父さんなんでしょ?」
「少し、ややこしいのですが、わたくしたちの父が亡くなったのは、わたくしが母の腹の中にいた頃です。父は火の中に消えて亡くなったそうです?」
「どういうこと?」
「兄が幼いころ、雪食いの住処に火の神の力が襲いました。岩石の波が、高温を伴って流れ込み、多くの雪食いが巻き込まれたと聞いています。その中にわたくしたちの父も」
「自然災害か。災難だったね」
「はい。災難、としか言いようがありません。兄の目の前で、父は兄を庇って死にました」
よくある話、で済ますのは簡単だ。ムンバイは幼いころのトラウマによって、火への恐怖を植え付けられ、火の神への信仰心を失くした。子供の頃ゆえか、極端な思想になってしまったのかもしれない。自分の父親は死んだのに、それでも火の神を信じる仲間たちが許せなかったのかもしれない。
しかし、端から見ればそれは、被害者の立場に甘んじているだけに過ぎない。いつまでも過去を引きずり、変わることを選択しなければ、ムンバイのこの先は運命は、決して明るいものにはならないだろう。
ハルがそれについて、何を言えるはずもない。それはムンバイにしか変えることのできないことだ。他人がどれだけ正論を述べたところで、当事者には綺麗ごとにしか聞こえないからだ。
「ただ、そんな兄にも、思い入れがあるのが、この埋葬です」
「それがわからないんだよね。火葬には火を使うんでしょう?ムンバイにしてみれば、忌み嫌う行為だと思うけど?」
「わたくしたち雪食いが、葬送を行う際に発する火は、普通の火ではありません。雪食いが唯一使える魔法、
ミコは、おもむろに手を伸ばすと、何の前触れもなく、その手を発火させた。ハルの視点では突然火が付いたようにしか見えない。間違いなく魔法の力だ。同じような力を使えるハルには、確信めいたものがあった。
ハルの火の魔法と違う点は、その色と性質だろう。ミコが発した火は、普通ではありえない青白い輝きを放ち、その火からはほとんど熱を感じなかった。
「それが、あなた達が火の神の眷属である所以なんだ」
「・・・そうです、ハルさん。あなたにもわかるはずです。同じ、火の魔法を統べる者として。あなたもまた、火の神と所縁ある方なのでしょう?」
ミコが手に纏う、霊火の魔法のせいなのか、空気が一段と寒くなったように感じた。ミコは気づいていたのだろう。何を根拠にそう結論付けたのはわからないが、ミコは、ハルが人の姿をした、ただの旅人ではないと、知っていたのだ。
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