銀世界の日常
ムンバイに連れられてたどり着いたのは、小山に掘られた空洞だった。雪国特有の針葉樹を丸ごとバリケードにして蓋をしてあるが、丸太を立てかけてあるだけで、隙間が無数にあり、風を凌げるようにはできていないように見えた。彼らにとって、家は雨風を凌げる場所ではなく、住処としての意味合いが大きいのだろう。
「ここが、俺の家だ」
丸太の隙間から器用に中に入るムンバイに続き、ハルも空洞の中へ入った。
空洞と言っても、そこはムンバイがすっぽりと治まる程度の広さで、中には人の営みを感じられるほど物は置いていなかった。
壁に立てかけてあるのは、ムンバイの体に合わせて作られた槍の様な武器が数本ある。狩りをするのだろうか?しかし、雪食いは雪以外を食べないと聞いているが、自衛用だろうか?
他にあるものと言えば、寝床だけで、本当にそれらしい物はなかった。
「食べ物とか置いとかないの?」
「外へ行けば、どこでも食べられる。家の中に持ってくると、溶けてなくなる」
確かに、年中雪が降っていれば、雪を保存しておく必要もない。部屋の中の温度は、外とほとんど変わらないが、雪が解けて水になるには十分な気温だろう。
「それで、何かわかったのか?」
「えっ?」
「雪食いを知りたいんだろう?」
「そうね。・・・どうして、人間が嫌いなの?」
素朴な疑問しか思いつかなかった。だが、とても重要な質問だろう。
世界を牛耳っているのは、どこでも人間だ。人間が一番繁殖し、世界中に蔓延っている。それを嫌うということは、世界を敵に回しているといっても過言ではないだろう。
「人間は火を使うから嫌いだ」
「火?」
「火は嫌いだ。雪を解かす。俺たちは、水は飲む。だけど雪を食べないと、生きていけない。だから、火を使って、雪を溶かそうとする人間が嫌いだ」
ムンバイはそう言って、立てかけてある槍を手に取り、穂先をいじり始めた。
ムンバイの言っていることは、筋は通っている。火を扱う生き物は、そういない。人間はその才たるものだろう。多くの生物は、むしろ火を恐れるものだ。
しかし、人間が積極的に雪を溶かそうとするだろうか。生活圏に積もった雪であれば、除雪したりして排除しようとするだろう。しかし、これだけの豪雪地帯の積もった雪を解かすほどの火を、人間が起こせるとは思えない。木で燃やした程度の火では、火の方が先に消えてしまうだろう。
「ねぇ、ムンバイ。雪以外に食べられるものはないの?」
「・・・前に、人間からもらった、魚や緑の葉っぱを食べたことがある。まずかった。おまけにほとんどそのまま排泄された。腹を下すことはしなかったが、腹の虫は止まらなかった」
そのままということは、消化器官が存在しないのだろうか。肉体を持っているのに、不思議なものだ。いったいどのように雪から栄養を取って、体を構成しているのだろうか。
「だから俺たちは、雪以外は食えない」
「そう。・・・」
客観的に見ても、ムンバイ達雪食いは、人間ではない。人間と同じ食べ物を食しても、それが食べられるものかどうか確かめることはできないだろう。人間は、基本的に雑食だが、食べても腹が膨れない、栄養にならない食材を食べたりするはずだ。
だが、雪食いにとっての雪は、食べなければいけない食べ物であると、ムンバイは言っている。彼自身、それが正しい事なのかはわからないのだろう。実際に、雪以外のものを食べた経験は在れど、それが生命活動にどう影響を及ぼしているか、確認できたわけじゃないのだ。
どうしてこうも疑ってかかっているかと言うと、本当に雪しか食べられない、あるいは食べなければ生きていけない生物ならば、そんなのすぐにでも絶滅しているとおもったからだ。
雪しか食べられない生物が、極寒の雪原に生息しているのはわかる。だが、雪というのは水と同じ物質のはずだ。水を飲むのと、雪を食べること、いったい何が違うというのだろう。
「仲間はいないって言ってたよね?」
「ああ。俺は、ここで一人で暮らしている」
「寂しくないの?」
「・・・。」
ムンバイは少し疲れたような表情になった。聞いてはまずいことを聞いただろうか。
彼が生物である以上、当然親と呼ばれるものか、生み出した存在がいるはずだ。情報を得た村からも、雪食いは群れで行動すると言っていたから、ムンバイにも仲間がいたのかもしれない。
「ごめんなさい。聞かなかったことにするね」
そう謝ると、ムンバイは洞穴の天井を見上げた。天井には、太陽の様な不思議な模様が描かれていた。
「俺も昔は、仲間たちと行動していた」
そして、ゆっくりと話をしてくれたのだ。
「生まれた時から、ずっと雪を食べていた。それが普通なんだと思ってた。自分が、雪食いと呼ばれる種族であることを知ったのは、仲間たちと別れてからだ」
「どうして別れたの?」
「仲間たちの行動が、理解できなかったんだ。俺たちは雪を食う。なのにあいつらは、火を起こしていた。とても大きな火だった。周りの雪がどんどん溶けていって、恐ろしかった」
つまり、雪食いが火を扱ったということか。火を使って何をしようとしたのだろう。彼らは生の食材に火を通すことはないはずだ。ムンバイが魚を食べた時だって、お腹を壊すこともなく排出された。
周りの雪を溶かすほどの大きな火を、一体何に使ったのだろう?
「それから俺は、仲間たちと別れた。もうずっと昔のことだ」
ムンバイはそう言うと、洞穴を塞いでいる丸太を少しずらして、外に見える山を指さした。
「あの山からきた。ずっと坂を下って」
「じゃあ、あそこがあなたの故郷なのね」
「そうだ。・・・。」
大きな山脈だった。いくつもの山が連なっていて、頂上付近は、雲を被っている。雪原ばかりのこの辺りと違って、人間にとってはさらに過酷な環境に違いない。
「ここはとても静かでいい」
「故郷の山は、そうじゃなかったの?」
「ああ。地響きのような音が、時々なったりした。そして、火の神の力も溢れていて、雪が積もらない地帯もあった」
「火の神?」
「ああ。仲間たちがそう呼んでいた。俺たちは、火の神の眷属なんだそうだ。火の神は、山から炎を噴出させるから、俺はアイツが嫌いだ」
ということは、火の神の力というのは、噴火のことだろうか。確かに噴火は、雪を溶かしてしまうし、彼らの生活圏を脅かす存在だろう。しかし、その眷属ということは、雪食いは火の神とやらに仕えているか、あるいは、火の神の力によって生み出された生物なものなのかもしれない。
神が自らの眷属の生活を脅かすというのも、どうにも信じられない話だが。
「アイツが極北に姿を現したのは、今から数百年も前の話だ。それ以来、あらゆる山で炎が噴き出したと言われている。それなのに、仲間たちは、自分たちの神が健在であることを讃えていた。俺には理解が出来ないことだ。俺たちの大事な食料を溶かすような奴が、俺たちの神なものか。だから、仲間たちとは別れた」
「・・・」
ムンバイは心の底から憎んでいるようだった。雪を溶かすような奴とは言うが、雪はまた降る。この極寒地帯では、雪が全て無くなるようなことはありえないだろう。
ムンバイの気持ちはよくわかるが、火の神を、そう毛嫌いするほどのことではないように思えた。それに、彼の仲間は、火の神を崇拝しているのなら、なぜムンバイのように怒りを露にしないのだろうか?
おそらくだが、ムンバイの知らない何かがあるのだろう。彼は、こういっては何だが、知性が足りないところがある、と思う。本人には言わないが。だから、強い思い込みで、火の神に対しても、何か誤解があるのかもしれない。
ウオォォォォォン・・・。
「何?」
「来たか。」
どこからともなく、遠吠えのような雄たけびが聞こえてきた。狼の様な、ゴリラの様な、よくわからない声だったが、何か巨大な生き物の声なのは間違いないだろう。
地鳴りがするほどの大きな遠吠えで、恐怖こそしないものの、尋常じゃない生物なのは、察することが出来た。
ムンバイは洞穴に立てかけてある槍を手に取った。
「なんなの?」
「名前は知らん。人間達は、グレイなんたら、とか言っていた。俺たちの天敵だ。」
ムンバイの表情は一層険しくなり、勢いよく洞穴を飛び出していった。
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