少女の名は「亡国のヒストリア」
港へ帰ったのは日がちょうど真上に上ったころだ。ハルは波が高くて難しいと言っていたくせに、どうやったのか身が引き締まった魚を三匹ほど釣り上げていた。
「いい時に来たね。もう少し帰りが遅かったら、私が全部食べちゃってたよ。」
「いや、別にいいですけど。釣れたんですね。」
既に焚火の中であぶられている魚は、相変わらず油を滴らせて入るものの、見た目はそれほどおいしそうに見えない。この辺りの海産物は、どうなっているのだろうか。元のアールラントでは、見た目も実際の味も、申し分ないものだったのだけど、同じ海なのに、こうも違いが出るものだろうか。それとも、あの海産物でさえ、全て偽物だったというのだろうか。
「これ、なんて魚ですか?」
「しらない。アジに似てるけど、同じ魚とは思えないし。」
「あじ?」
ヒストリアが細長い串のような枝にささった焼き魚を取ろうとすると、ハルは片手で制止してきた。
「まだ中まで火、通ってないよ。」
「少しくらい生でも大丈夫じゃないですか?」
「牛肉じゃないんだから、ダメに決まってるでしょ。・・・あなた、料理できないでしょ?」
「うっ・・・。」
彼女の指摘通り、料理は出来ない。そもそもしたことが無いし、どういうものかもわかっていない。今までは城の料理人に頼むか、金を払えばどこでも食べられたものだ。そんな生活をしてきたから、料理なんてものとは縁遠い。料理と呼んでいいかはわからないけど、大学で薬学を少し学んでいたが、薬の調合などはできる。それと似たようなものと思っているがどうなのだろう。
ハルがいいと言うまで、待たされているのはなんだか犬になった気分だった。
「そろそろいいかな。食べよっか。」
最後に少しばかりの塩を振りかけてくれて、串を手渡された。皮目がぺりっとめくれ、中から火の通った魚肉が覗いている部分にかぶりつく。やはり、味がしない。塩の味以外、何も。ほんの僅かに魚臭さは残っているため、目を瞑っていても魚だとわかるが、そうでなければ何を食べているかわからなかっただろう。つまるところ、
「あんまり、おいしくないです。」
「贅沢言わない。食べないよりはマシでしょ。食事はお腹を満たすためだけにするんじゃない。体作りにも欠かせないんだから。」
そうは言いながら、ハルも同じようにかぶりついてはいるが、その表情は、決しておいしそうには見えなかった。これを食べて顔色一つ変えないとは。こういう食事をするのもなれているのだろう。まず飯も平気で食べられるくらいに。
朝食には少々遅い食事だったが、三匹の内、二匹を貰ったので、お腹の虫は泣き止んだ。何より胃に暖かいものを入れたおかげで、身体に精気が戻ってくる。この感覚は、携帯食料では味わえないものだ。
「それで、私はこれから、どうすればいいのですか?」
最初の目的であった殺しをした。それにどんな意味があるのかまだわかっていない。呪い解くための足掛かりと言っていたが・・・。
「わかってると思うけど、もうあなたには、帰る場所がない。」
ハルに言われて、改めて自分の置かれた状況を理解した。お母さんが作り出してくれた故郷は、もう存在しない。家族も、家も、憎たらしいくらいうざかった学友もいない。全部、消えてなくなったのだ。
「あなたに残されたのは、あなたの記憶と、その体だけ。」
「・・・そう、ですね。ちゃんと覚えてます。体も、まだ残ってる。」
「けど、その体を蝕む呪いが残ってる。」
実感はわかない。その呪いとやらが、自分の命を脅かそうとしていることなんて。だけど、このままではいけないことくらい、ヒストリアにもわかる。例え呪いが無くたって、今の自分には、世話をしてくれる従士もいなければ、温かく面倒見てくれる保護者もいない。きっとこの身は、人知れず朽ちていくだろう。
だが、幸運にも、そんな自分を助けてくれてくれようとする人が近くにいる。彼女の正体は未だわからない。これから先、何をさせられるかもわからない。だけど、今の自分にできるのは、このハルという女性に、物乞いのように慈悲を請うしかないのだ。一人で生きていけるほど、ヒストリアは大人ではないのだから。
「私、・・・私を、連れて行ってください。」
ヒストリアは、ハルの前で膝を折って、首を垂れた。幼いころに叩きこまれたおうぞくの礼儀作法。従属を意味する姿勢だ。ハルは驚いていた様子だった。
「・・・頭を上げて、私は王族じゃないんだから、そんなことしなくていいよ。」
「私は、何も知りません。」
彼女が王族であるかどうかは関係ない。これが、ヒストリアなりのけじめのつけ方なのだ。
「生き方も、どうすれば呪いを克服できるのかも。料理だってできないし、長時間歩くことだってできません。たくさん、迷惑をかけてしまうかもしれません。それでも、死にたくありません。お父さんとお母さんが残してくれたこの命を、捨てたくありません。だから、私を、あなたの旅に連れて行ってください。」
人生で初めての懇願だった。誰かに、ここまで願ったことはないだろう。自分でも自然に言葉が出てきたことに驚いていた。
ハルはしばらく、頭を下げ続けるヒストリアを見つめていた。
「・・・もっと、子供だと思っていたんだけどな。」
「・・・。」
ハルからしてみれば、彼女は、子供同然だ。知り合いの子を預かっただけ。ヒストリアは面倒見てやらなければ、野垂れ死ぬような子供だった。そう思っていたのに、彼女は少しばかり、急激な成長を遂げたのだろう。
自分を支えていてくれた家族や身分や思い出が無くなり、己の力だけで支えなければならなくなったため、そうせざるを得ないのだ。これは彼女の意思に関係なく、生物としての本能に近い。仔馬が生まれてすぐ立ち上がろうとするのと同じで、彼女は生きるために、ハルに頼ったのだ。
その行動が、この服従の姿勢なのだろう。人間らしいと言えば人間らしいが、ハルからすれば醜くも哀れにも見えるのが悲しいところだ。
「顔を上げなさい、ヒストリア。あなたのことは、あなたのお父さんから託されているんだから、そこら辺にほっぽりだすようなことはしないよ。」
ハルがそう言うと、ようやくヒストリアは顔を上げた。今にも泣きだしそうな顔をしている。これくらい子供っぽい方が、年相応で安心する。もっとそのままでいればいいと思うが、茶化すような空気でもないだろう。
「ヒストリア。私と一緒に旅をしましょう。あなたを救う手立てを探すために。」
「いいんですか?」
「いいもなにも、初めからそのつもりだよ。偽物のアールラントを出た時から、私はあの国が消えてなくなることを知ってたんだから。」
もっと言えば、20年前に、レイヴン・スクロースと出会ってから、こうなると知っていたのだ。彼と、彼の愛したヒストリアの母親から託されたこの奇跡を、ハルは利用するつもりでいるのだから。
「とにかく、堅苦しいのはなしだよ。」
ハルがヒストリアに手を伸ばした。困惑したような彼女の瞳に、自分はどう映っているだろうか。親代わりになるつもりはない。だって、ハルも子供を産んだことはないし、誰かの保護者になることだって、初めての経験になる。
だけど、今のヒストリアの瞳を見ると、なんとなくだが、かつての自分もこんな目をしていたのだろうと、気付かされるのだ。
だから、ハルも、遥か昔に、自分を助けてくれた人たちのように、手を差し伸べ、そして彼女の意思を確かめるべきだ。
「手を取って、ヒストリア。私はあなたの保護者じゃないわ。あなたは、私の旅の仲間になるの。それは、私がそうさせるからじゃない。あなたの意思で、私の仲間になりさい。あなたから、この手を取るの。そして、一緒に生きていく、努力をしなさい。」
「私の意思?」
「生きる意志の無い者に、この過酷な世界を生きていくことはできない。この先、辛い人生を歩むと思っているのなら、今ここで命を絶つ方が幸せかもしれない。けど、安心して。あなたの運命は、確かに残酷で歪んだものだけど、・・・。」
ハルは、これまでになくらい、満面の笑みをヒストリアに向けた。
「きっと、想像していたよりも楽しくて、笑い話にできるような、不思議なものなるはずだから。」
そんな物言いをするハルに、ヒストリアは呆気に取られてしまった。言い方がおかしいだろう。ちっとも安心なんてできない。なのに、彼女は笑っている。本当に美しい顔で笑っている。
そんな笑顔に釣られて、ヒストリアは自然とハルの手を取っていた。光に引き寄せられる虫のように、その温かい手を取ってしまったのだ。
ヒストリアの手を掴むと、ハルは、そのまま彼女を起こし、立ち上がらせた。まだすこし受け身に感じられたけど、今は良しとしよう。
「これからもよろしくね、ヒストリア。」
「・・・・・・はい。」
ようやく、ヒストリアが笑ってくれた。自分のやり方が不器用だってことくらいはわかっているつもりだ。素直に優しくできないのは昔から。もともとひねくれた性格なんだから、これくらいでじゅうぶんだろう。
「さてと、食事が終わったら、さっそく出発しようか。」
「どこへ行くんですか?」
「どこへでも、気の向くままに。それが旅だからね。」
風が急に強くなってきた。街道を歩く二人の赤ローブは、その白い御髪を悠然と靡かせながら、西へ歩みを進めていた。
ヒストリアはおもむろに、今しがた後にした廃都へ振り返った。全ての始まりで、自分に生きる理由を与えてくれた廃都を。多くのものを失い、代わりに多くのものを得た。今もまだ、運命に縛られたままだけど、それでも奇跡は続いている。
「早くしなさい、ヒス!」
「ま、待ってくださいよ、先生。」
ヒストリアはハルを先生と仰ぎ、ハルは彼女をヒスと、そう呼ぶようになった。二人の関係は単なる師弟に過ぎない。しかし、彼女達が世界に大きな変革をもたらしてしまうことを、二人はまだ知らない。いや、少なくともヒストリアは、何も気づいていない。この美しい笑みをこぼす、ハルという者が、何者であるのかを。
――― 亡国のヒストリア ―――
エピソードⅢ『亡国のヒストリア』を読んで頂きありがとうございます。
たった一人の命の為の奇跡は、皆さんの目にどう映りましたか?
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あなたにアカハネの加護が訪れるように_____
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