少女の真実
目を覚ましたのは、海鳥の鳴き声が聞こえたからだ。昨日まではそんな生き物の息吹は感じられなかったのだが、どこからやってきたのだろう。
机を寝台にするにはやはり無理があったのだろう。背中は痛いし、頭がぼーっとする。だが、魔力消耗による身体疲労と頭痛は大分収まっているようだ。おかげで昨夜から何も入れていない胃袋が腹の虫を鳴かしている。
小屋の中に、ハルの姿はなかった。いつもはぐっすり眠っているというのに、今日はいったいどこへ行ったのだろう。
朝日を見ると、やけにまぶしく感じられた。それに、空気も昨日より澄んでいるような気がする。一日でこれほどの変化が起こるのは些か妙ではあるが、それよりも今は彼女を探さなければ。実際、ハルは堤防で釣竿を垂らしていた。またあの変な魚を釣って食べるつもりだろうか。正直、あれを食べるくらいなら携帯食料の方がまだましだと思えるが、致し方あるまい。そんなことよりも、彼女は珍しく赤いローブを纏っていなかった。
白い髪を悠然と海風に靡かせ、季節外れの半袖のシャツのおかげで、彼女の白い腕が目立って見える。下も膝が隠れる程度のズボンを履いていて、いかにも寒そうだった。シャツは白、ズボンは茶色で、決して上流階級の身なりには見えないのに、彼女の場合、その容姿と特別な髪の色だけで美しく見えてしまう。いったい彼女は何者なのだろうか。
「おはようございます。」
「おはよう。気分はどう?」
「大分、よくなりました。・・・釣れそうですか?」
「うーん、ダメね。昨日より波は高いけど、私には難しすぎる。」
そう言う割に、ハルはなかなか真剣に竿の先を見つめていた。まぁ、釣れれば釣れない時間も釣りの醍醐味とよく言うし、腹の足しが増えるのはいいことなのだろう。といっても単なる焼き魚だが。
楽しそうに釣りをするハルの隣に、ヒストリアは座りこんだ。
正直何から話せばいいのか、わからなかった。昨日起きた出来事は、あまりにも衝撃過ぎて、受け入れることも、受け止めることも難しい。あの化け物の姿をした人は何者なのだ。自分はいったい、どんな運命を背負って生まれてきたのか。
「この廃都は、アールラントと関係があるんですか?」
「そう。ここはかつて、災厄と呼ばれる邪龍が殺戮の限りを尽くした国。あの物語の実際の舞台よ。」
「邪龍?」
「災厄って言うのは、絵本で誇張されているだけ。本当に襲ったのは、人類の敵である龍そのものよ。」
「龍が、アールラントを襲って、滅ぼした。」
淡々と話してくれているが、それはありえない話だ。アールラントは現存する。今もなお、少なくともヒストリア生まれてからずっと存在している。ハルの言うこととは、話が合わない。
ハルが話してくれた物語は、絵本だから、所々に脚色が加えられているのだろう。
「物語に出てくる騎士は、あなたの父親、レイヴン・スクロース。」
「スク、えっ?」
「そして、騎士の愛する者がお母さんね。」
「それは・・・おかしいです。父の名はアールラントです。レイヴン・アールラント。私と、同じ・・・。」
「確かにあの男の名前は、レイヴン・アールラントよ。」
「・・・そっか。血がつながっていないから・・・。」
失念していた。ずっと家族だと思っていたから、そういうものだと思っていた。いや、家族ではあったのだけど、血のつながりのない、養子の関係だったのだった。
物語の舞台は、この廃都だ。ここは、ハルが言うには、龍に襲われ滅ぼされてしまった。しかしハルは、こうも言った。‘‘龍がアールラントを襲い滅ぼした‘‘と。
ここが、アールラント?
「待ってください。滅ぼされたアールラントが、ここだとして、今まで私が住んでいたアールラントは、どういうことなんですか?」
「・・・あれはね・・・。あの国は、奇跡なんだよ。」
一体ハルは何を言っているのだろう。彼女の言葉の意味が理解できなかった。
「あの国はね、この国が滅んだ後に生まれた、偽物のアールラントなんだよ。」
二十年ほど前、神聖王国アールラントに邪龍が攻め込んできた。邪龍は人類の敵であり、そして、人類からすれば決して敵うことのない強大な存在。王国はありったけの軍隊を率いて討伐に向かったけれど、邪龍にとってそんなものは全く脅威にならない。軍は壊滅。国は瞬く間に滅びへ向かっていった。あなたの父親は、その時の軍隊の生き残り。誰よりも身近で死を経験し、怒りと憎しみに囚われていった者。彼と共に、彼の恋人であったあなたのお母さんも、同じように邪龍と戦っていた。あなたのお母さんは立派な魔法士だったから。二人は、可能な限りの反抗をしたけれど、邪龍を討伐するまでには至らなかった。戦えば戦うほど多くの犠牲を払っていき、何とか撃退することは出来たけれど、その時には国民のほとんどが亡くなっていた。
国としての機能もほとんどなくなり、生き残った人々はあなたの父親とお母さんを、主とはいかなくとも指導者としてついていくようになった。邪龍との戦いの功績を考えれば、それが妥当と言えば妥当だけど、二人はそうは思っていなかった。あなたの両親は、憎しみ囚われて、自分で自分を抑えられなくなっていたの。それが邪龍の残した呪い。人を変質させるほど、暗く淀んだ心に変えてしまった。淀んだ心は、人から生きる力を貪り、記憶や思い出を憎しみが塗りつぶしていく。自分の意志とは裏腹に危険な言動をしてしまうことに耐えられなくなっていく。それが二人をおかしくさせてしまった。そして、その呪いは二人だけに取りついたわけじゃない。大勢の、愛する者を失った生き残り全員が、その呪いを受けていた。呪いは疫病のように、生き残ったものたちに広がってしまった。
呪いを受けた者たちは、一人、また一人と狂っていった。中には正常な思考を保っている者もいたけれど、それでも徐々に衰弱していき、やがて命を落としていった。自ら命を絶つものや、誰かに殺してほしいと願うものさえいた。誰も呪いに逆らえなかったの。最後に生き残ったのは、何の運命か、あなたの両親だったわ。
「私があなたの両親と出会ったのはその頃よ。」
あの物語の題材がこんなにも惨い話だなんて、思いもよらなかった。事実は小説より奇なりとは言うが、こうも現実は違うのだろうか。
「出会った時すでに、二人の力は尽きていたよ。姿こそ人の姿だったけれど、ここにいた亡者とさして変わらないくらいに。」
ハルの言うことが本当だとしたら、自分はいったいどういう存在なのだろう。どうやって、いや、何のために生まれたのだろうか。
「父と母は、・・・そのあとどうなったんですか?」
「惨い話よ。生きたまま死を経験するような思いをしたはず。けれど、その前に多くのものを残していった。」
「多くのもの?」
「ええ。・・・残してしまったのよ。」
誰もいない国の中で、唯一見つけた命があなたの両親だった。城の中で、平凡な夫婦のように、二人は最後の時を待っていた。意外なことに、何とか意識を保っている状態だった。その代わりある一つのことに強い執着を持っていた。その時既に、お母さんのお腹の中にあなたがいたわ。二人は、子供の命だけでもどうにかしようと、薄れゆく命をどうにか繋ぎとめていた。けれど、それほど弱った体で子供産むのは不可能だし、そもそも臨月も迎えていない赤子を無理やり生まれさせたとして、長く生きられる保証はなかった。
それでも、あなたの両親は子供のためだけを想って、譲らなかった。だから私は二人に提案をした。この国で死んだ人々の魂を糧に、子供を生まれさせることが出来るかもしれないと。あまりにも無謀な賭けだったよ。私自身、そんな魔法を使ったこともないし、可能なのかどうかもわからない。けど、そんな理屈は私にとっても、二人にとってもどうでもよかったのよ。あなたの両親は子供を産ませる代わりに、私に赤子を託すことを約束した。
出来る限りの、人間の魂をかき集め、私はそれを母親の子宮の中へ注ぎ込んだ。その結果、無事にあなたという存在は生み出された。うまくいくとは正直思っていなかったわ。なにせ、人の出産とはあまりにもかけ離れたものだったから。ただ、同時に母親はとんでもないものをこの世に生み出してしまった。それが、元の姿の神聖王国アールラント。そこに住んでいた人々。あなたが育ったあの偽物のアールラントを、あなたの母親は蘇らせてしまったの。
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