少女の母親
一人、また一人と、何の抵抗もしない亡者たちを魔法で貫いていく。正確には抵抗しないのではなく、できないのだ。雷を放つ魔法。対峙してからそれを放つまでほんの数秒もかからない。人が歩く速度よりも遅い亡者は、こちらにたどり着くことすらできない。抵抗の意志があったとしても雷の速度には、どんな生き物だろうと届かないだろう。けれど、それはあまりにも残酷な行いのように思えてきた。いや、人殺しという行為自体、残酷な行いなのだ。今更なにも考える必要などない。自分はやれと言われたことをやっているだけ。それだけを考えればいい。
そうやって十数人を屠ったあたりで、意識がふらふらとし始めた。
「そろそろ限界?」
「はぁ・・・はぁ・・・後、数発くらいなら。」
杖を握る手が小刻みに震えているのがわかる。魔法を使いすぎた影響だろう。ヒストリアは、長年の訓練とその才能から、並の魔法士よりは多く撃てる。だがそれでも、一日中魔法を使っていられるわけじゃない。
「他に殺傷性のある魔法はないの?」
「ありますけど、一撃で仕留められる様なものは・・・。」
「ふーん、別に一撃じゃなくてもいんだけど、どっちにしろ効率悪いか。」
「少し休めば、魔力も戻ります。」
「いいよ。あと一発撃てれば十分。城の奥へ行くよ。」
そういって彼女はゆっくり歩き始めた。何もしていいない彼女は当然全く疲れていない。ただ、歩みを合わせてくれている。。そういう気づかいに感謝しながらも、自分の不甲斐なさを初めて思い知った。まさかこんなにも限界が近いとは思ってもいなかったのだ。
あと一発撃てればいいと、ハルは言っていたが、一発でも撃てば、まともに歩くこともできなくなるかもしれない。魔力の枯渇は、生命力の枯渇と等しい。それは大学に通うものが初めに知る事実だ。魔法を使い続ける危険性をヒストリアは十分理解している。
廃都の城内は比較的きれいだった。きれい、というのは掃除が行き渡っていて、今も人が住んでいるような状態にある、という意味ではない。元の原型からそれほど崩れていないという意味だ。だからこそ、嫌でも気づいてしまう。この城は、アールラントの、自分が生まれ育った城とそっくりだということを。廊下の繋がり方、部屋の配置、壁ガラスの模様まで。なんども目にしてきたアールラントの城と何も変わらない。同じものだ。
「どうしてこんなものが・・・。」
「どうしてって?」
「だって、この城、私が住んでた城と同じで・・・。」
誰もいない城内。不気味な静けさに恐れを抱くほど臆病ではない。そうではなくて、同じものがここにあり、その片方は自身が慣れ親しんだものであり、片方はこのような朽ちた有様になっている。まるで悪夢を見せられているかのような感覚にある。何か悪いことの不吉な予兆を示しているかのようで。
「あなたは、この城と貴方の国の城が同じだというのね?」
「同じに見えるってだけです。造りとか装飾とか・・・。でも、ここは・・・違いますよね?何か言ってくださいよ。この廃都は、アールラントと関係が・・・。」
――― ヒストリア ―――
唐突に声がした。耳に響いた声ではない、頭の中に直接語りかけてくるような声だった。声がした方へ向くと、そこには大きな扉があった。
「なに?」
「あそこか・・・。あの扉の奥だね。行くよ。」
「あそこって、あっ、ちょっと、待ってくださいよ。」
ヒストリアは知っている。この城が、アールラントの城と同じ構造だというならば、あの先には玉座の間があるはずだ。けれど、それを信じたくはなかった。何せ自分は、ここへ来るのは初めてのはずなのだ。そしてここはアールラントじゃない。絶対に、違うはずだ。
――― コッチヨ ―――
声は女の様な声だった。玉座の間の扉から、その声が響いてくる。
「行くわよ。ヒストリア。」
「この先、何がいるんですか?」
「さぁね。何がいようと、あなたがやることは変わらない。一発は打てるんでしょう?さっさと終わらせよう。」
彼女はそう言って、扉に手を掛けた。心の準備もできないまま、ヒストリアはその扉の先の暗闇に視線を奪われた。玉座の間は文字通り暗闇だったのだ。そこは壁に装飾ガラスが使われていて、昼間であればどこからか光が差し込んでくるはずなのに、それをかき消すほどの暗闇が玉座の間を包み込んでいたのだ。
足を踏み入れると、暗闇の正体はすぐにわかった。玉座に座っているというべきか、玉座を押しつぶして鎮座しているというべきか。それはそこにあった。
その姿は異形と呼ぶにふさわしい。海の軟体生物のような下半身が、まるで木の根のように張り巡らされていて、その体の先に、人の上半身がくっついているのだ。下半身の足から漏れ出るように暗い靄があふれ出ていて、それがこの玉座の間に不可解な暗闇を生み出していた。上半身は女の体で、彼女の目はもはや人の者にはない光を宿している。亡者とは比べ物にならないほど、この世のものとは思えない存在だった。
女との距離はかなりあるというのに、僅かな腐臭が鼻を突いてきた。彼女の肌は緑がかっていて、黒い斑点模様が所々に浮かび上がっている。
「ば、バケモノ・・・。」
思わずつぶやいたヒストリアの言葉に反応するかのように、女が顔を上げ、見つめてきた。
「ヒス・・・トリア・・・。」
「え?」
彼女の声は、頭の中に響いてきた声とは違い、人間の声をしていた。声はか細く弱弱しかったが、それは確かに自分の名を呼んでいた。
「・・・アリガ・・・トウ・・・。ア・・・カハネ・・・。」
途切れ途切れの彼女の言葉は、聞き取るのも難しい。だが彼女は確かにこちらを見て話をしていた。
徐にハルが大きなため息をついた。ハルに振り向くと、そこには今まで見たことない彼女の渋々しい表情があった。
「・・・ヒストリア。」
「あの人を?」
ハルはため息をついてから頷いた。あれを殺せと。いや、雷の魔法を使えばそれも難しくはないだろうが、けど、あの女は自分の名前を呼んでいたのだ。
「あれは亡者と同じ。あなたが終わらせてあげるの。」
ヒストリアは、今一度、異形の姿をした女を見た。
「ヒス・・・トリア・・・。」
やがて女はヒストリアに向けて手を伸ばし始めた。すると、下半身根の様な触手が動き始め、ゆっくりと近づき始めたのだ。
「・・・ヒスト・・・リア・・・。ワタシ・・・タ・・・チノ・・・ヒス・・・リア。」
「い、や。何なのよ。」
「やるのよ。」
異形の女の表情は、どこか安らかな笑みを浮かべていた。それが何を意味しているのか、なぜ自分の名前を呼ぶのか。わからない。わからないことだらけで、何を信じればいいのかがわからない。
「ヒス・・・トリア・・・。」
「やるのよ!ヒストリア!」
「う、うわぁぁああああああああああああああああああああああっ!」
無我夢中で杖に魔力を集結させ、詠唱も忘れてただひたすらに自分の魔力の全てを撃ち放った。雷の魔法は、その体を成さず、雷はまばらになって異形の女に襲い掛かった。直線状に飛ばなかったものの、その巨体に帯電し、攻撃としては申し分ないものだった。
雷が放電しきると、異形の体から煙が上がり、同時に肉が焼ける臭いが漂ってきた。手を伸ばしていた女は糸が切れた人形のように前のめりになり、しかし、僅かに顔を上げヒストリアを視界に捉えているようだった。
絶命させることは出来なかったが、おそらく致命傷にはなっただろう。人とはいえ、下半身があれだけ巨体ならば、中途半端な魔法では殺しきれなかったのだ。
最後の魔力を使い切ったせいか、頭が痺れるように痛み出した。息も絶え絶えになんとか立っているような状態だった。急に脇に腕が回され、ハルに体を支えられていた。
「しっかりしなさい。もう、終わりだから。」
「でも、まだ生きて・・・。」
「・・・もう、終わったから。」
ヒストリアとハルは、異形の女へ視線を向けた。女は口をぱくぱくさせって、何かを伝えたいようだった。だか、その喉から空気の振動は起こらず、目の光は徐々に消え失せていった。
――― ヒストリア ―――
女の命が消える、そうなると思った瞬間、再び頭の中に声が響いてきた。声は玉座の間に入る前の声ではなく、間違いなく生きた女の声だった。
――― オオキク ナッタノネ ―――
慈愛に満ちた声と、死にかけでも優し気な表情を浮かべている。口を開いて、そして声は出てこない。だが、女の意識が消えかかる最後、その口の動きが何となくわかったような気がしたのだ。
その後、どうやってその場を去ったのかはあまり覚えていなかった。なにせ、魔力を使いきってしまったのだから、そうなるのも当然だ。朦朧とした意識の中で覚えているのは、力強い腕がずっと肩に回されていたという感覚だけ。体格も年齢もそれほど差がないであろう彼女にこれほどの安心感を覚えたのは初めてだった。気づけば港の掘っ立て小屋に戻っていて、ヒストリアは机の上に横になっていた。
「気が付いたようね。」
「ハル・・・さん・・・。」
彼女は、また昨夜のように、椅子の上で丸くなっていた。目が覚めるまで、ずっと傍にいたのかと思うと、少しばかり甘えたくなる気持ちが湧き上がってくる。きっと彼女は、母親のまね事なんてしてくれはしないだろうけど、少しだけ頼ってしまいたくなった。
ちらっと視線を小屋の入り口に目を向けるとどうやら夜のようだ。
「今は寝てなさい。魔力が空になった体の疲労感は、そうあまいものじゃないよ。」
言い方はそっけないけど、その声音はとてもやさしかった。
それっきり何も言わなくなったハルに背を向けて、ヒストリアは必死に頭の中で考えを巡らせていた。目が覚めたら、向き合わなければならない問題、それをどうハルに聞き出し、何をすればいいのか。たった一日のうちに得た経験は、あまりにも大きすぎる。予想はしていたことだけど、これから幾度となくこんな経験をしていくのだろう。もう後戻りはできないのだ。
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