少女の人殺し
廃都で迎える朝は非常に肌寒かった。ここまでの道のりも海からくる風が強かったが、ここはまた別格だった。小屋の中なため、風はそれほど気にならないが、気温そのものが冷たいのだ。おかげで余計に眠りが浅く、ヒストリアはまるで寝た気がしなかった。
「寒ぅ。なんでこんなに・・・。」
冬にはまだ早すぎるし、昨日はそんなに寒くなかったはずだが、この夜の間に何があったというのだろう。
「それに・・・。」
ヒストリアは、なおも椅子の上で丸まっている赤いものに目を向けた。
「なんでこんな寒くてもぐっすり眠れるの。」
昨夜の状態から寸分の違わない状態のハルがそこにいた。小さな寝息が掘っ立て小屋の中に響いている。いずれ自分も彼女のようになれるのか。なりたいとは思わないけど。
またも一足先に起きてしまったから、とりあえず準備をすることにした。準備といっても、癖になった髪をとかしたり、ハルから渡されている携帯食料をかじったりなどしかできないのだが。このしっとりとしていて、ぱさぱさした食べ物にも幾分慣れてきたものだ。味は期待していたほどではないが、中に乾燥させた果実が練りこんであるため、話に聞く携帯食よりましなように思えた。だがそれも今の内だけだろう。旅の中で幾度となくこれを口にしなければならないのかと思うと、ため息をつきたくなる。人のいる街に着けば、相応の食事を楽しめるだろうが、彼女は何というか食に関してあまり頓着しないような気がするので、期待しないでおこう。
ヒストリアは先に小屋を出て、港だった街を歩いて回ることにした。人が離れて数か月、下手をすれば一年以上は経っているだろうか。あんな亡者がいる都市の端っこで一体何を目的として住んでいたのか見当もつかないが、海が汚れている様子もないから、別段不漁になったわけでもないだろうに。夜な夜な亡者に襲われでもしたら逃げたくなる気もわかるが。考えてみれば、その可能性を考えていなかった。昨夜は一応扉は閉めてあったが、何者かに襲われる可能性だってあったのに、まったく気にしなかったとは。自分はともかく、彼女もその可能性に気づかなかったということはないはずだ。どれくらい彼女が旅をしているかは知らないが、相当の熟練者だろうに。
一通り港を回ってから、ヒストリアは寝泊まりした小屋へ戻ってきた。
「おかえり、朝の散歩?」
どうやら今日はそれほど長寝ではないようだ。野宿の時は散々ゆっくり眠っていたのに。
「あんまり眠れなくて。」
「これだけ冷えればね。」
ハルは、そういうものの全く寒がる素振りも見せず、するりと椅子から降りると、ローブの中で丸まっていた白髪を優雅に靡かせた。やはり彼女のそういった仕草は、平凡さの欠片も見られない。
(その気になれば、あれくらいできるのかなぁ。)
揃えるのが面倒という理由で、ヒストリアは、襟の長さで切りそろえてたのだ。伸ばせば洗うのも大変になるから、あまりしたくないのだが、彼女を見ていると少しばかり憧れてしまう。
「さてと、それじゃあいきますか。」
「はい。」
「・・・物怖じしないのね。」
「今更・・・じゃないですか。」
ここまで来て、やっぱり嫌ですなんて言ったって、何にもならない。それに、対象が人っぽい何かと言うことがわかったのだから、それほど気を張る必要もない、と思いたいのだが、今一度確認を取っておきたい。
「亡者、でしたっけ?あれを殺せばいいんですよね?相手が人間じゃないなら、そんなに惨いことじゃないと思いますし。」
そうね、と簡単に肯定してくれることを願っていたのだが、彼女の表情はそれほど柔らかくならなかった。
「人だった者って、いったよね。」
「いや、聞きましたけど、よくわからないですよ。」
「そうだね。人を殺すのは、つらいことだから。あなたの気持ちはわかるよ。あれをどうにか、人じゃないと思いたいっていう気持ちはね。」
彼女の言いたいことはわかっている。それはたぶん、呪いの話云々ではなく、この旅で最も重要なことかもしれない。
「・・・私も手を貸すから、お得意の魔法で一人ずつ確実にね。でも、あなたがやらないと意味がないんだから。怖気づいたりはしないでね。」
「やっぱり、そうですよね。」
「大学じゃそこそこいい成績だったんでしょう?どんな魔法を使うか見させてもらうよ。」
彼女の言葉を聞いて、殺し方について考えていなかったことに気づいた。
(そうだよ、魔法があるんだよ。)
人殺しと聞いて、真っ先に刃物で刺傷させるようなことばかり考えていたが、自分にはもっと手っ取り早い方法があるではないか。学生時は、対人魔法の使用を禁止されていたため、そのことをすっかり抜かしていたのだ。
「ここには、あなたを縛る法律も世間の目もないんだから、好き放題できるよ。」
「・・・頑張ります。」
ハルの言う通りだ。自由に魔法を放てるというのは魔法士からしてみればこの上ない快感だろう。まぁ、それで人を殺めなければならないのは些か複雑ではあるが。
都市部に戻ってきたはいいものの、亡者の姿は見当たらなかった。
「・・・いないですね。」
「今日は冷えるからね。外へは出たくないのかも。」
そんなまさか。人じゃあるまいし。いや、彼女曰く人らしいが。気温で外へ出る出ないを判断するような生き物じゃないだろうに。室内と言ったって、この都市にはまともな建物はもう・・・。
街並みを見渡して、ふとヒストリアは足を止めてしまった。
「どうしたの。」
振り返ったハルがそう聞いてくる。到着した時にも思ったが、この都市は似ているのだ。アールラントに。街並みだけでなく、建物の特徴、配置、全てにおいて、十五年間生まれ育ったあの国とそっくりなのだ。普段街に出かけることは少なかったが、それでも鮮明に覚えている。今いるこの廃都は、鮮やかなその記憶とうり二つ。腐敗していることを除いてすべて同じもののように見える。
「あの、この街って、・・・。」
あまりにも似すぎている。まるで同じものをもう一つ作り上げたといっても過言はないくらいに。
「・・・この国が滅んだのは、二十年くらい前の話だよ。」
「二十年。・・・どうして滅んだんですか?」
「災厄が訪れたんだ。」
「・・・。」
災厄という単語を聞くと、ハルに聞かされた物語が思い浮かぶ。災厄と呼ばれる存在が、国一つをまるまる滅ぼしてしまったという。彼女がそれを口にするということは、同一の存在がこの国を襲ったということかだろうか。それとも、もしかしてこの廃都が・・・。
「あのハルさん。もしかして・・・。」
最後まで聞く前に、前方から今回の目標が姿を現した。といっても、眼前に飛び出してきたわけではない。相も変わらずゆっくりと建物の影から出てきただけだ。だが、その姿を認めてしまったため、気が逸れてしまったのだ。亡者は、すぐにこちらに気づき、その歩みがこちらに変わった。
「この人を・・・。」
「・・・怖い?」
「いえ、やります。」
別に誰をやったって同じだ。ヒストリアはどこからともなく、空中から杖を取り出し、それを地面に垂直に立たせた。
「へぇ、便利な魔法だね。さて、どうなるか・・・。」
後ろでハルが何かを言ったような気がするが、すでに魔力を集中させていたため、よく聞こえなかった。
対人魔法、というわけではないが、初めて魔法を使った時からずっと研鑽を積んできた魔法。人を殺めるには十分すぎる力。ハルに披露するにはいささか大げさかもしれないが、それでも得意とする魔法だ。大学で使えるようなものではなかったから、今は思いっきりやってやろうと思った。
自身の体を通して、杖に魔力を流し込む。人間の魔力を魔法として形どるには相応の訓練がいる。杖に集中した魔力は、眩い光を伴いながらその姿を変えていく。青紫色の雷が宿っていく。やがて雷は飽和し始め、腕や体に巻き付くように荒ぶっていく。
「空より出でし、雷光の輝きよ、・・・。」
杖を亡者へと構え、狙いを定める。
「我が意に答え、敵を貫け。」
言葉と共に青紫色の雷は、生き物のようにうねりながら放たれた。その光が亡者へと到達したのは瞬きをする間よりも早く、目に焼き付いた残光が辛うじてその軌跡を追えるだけだ。光に貫かれた亡者は、うめき声も上げることなく全身を痙攣させると、逃げ場のない熱量によって火がついた。干からびた亡者の体面を瞬く間に火が拡がっていく。火だるまと呼ぶには些か火力が無いが、生き物を絶命させるには十分なものだった。
倒れた亡者から徐々に火が消え、その亡骸はもはやなんと呼ぶべきか。もともと干からびた体だったため、もはや炭のようになってしまっていた。
「やった・・・。」
人を殺したという感触は全くなかった。あまりにもあっけない。いつも魔法を使う感覚と同じ。その結果、亡者を殺害してしまっただけだ。
「随分無駄の多い魔法ね。」
「無駄?」
「詠唱っていうんでしょ?私はよくわからないんだけど、言霊を使って魔法を発現させるんでしょ?」
無駄というのは、そんなもの必要ないということだろうか。彼女は以前、詠唱も使用せず、突然火の魔法を発現させていた。確かに彼女の魔法は、自分たちと使っているものと少し違うのかもしれない。
「そうですよ。魔法は確立された理論があるんです。詠唱も、決して無駄なんかじゃありません。」
魔法にもたくさん流派があるのはヒストリアも知っている。国が違えばその国で研究された発現方法があるのだろう。だが、無駄と評されるようなことじゃない。人間が長い年月をかけて導き出したことを無駄扱いされるのは、あまりいい気がしない。
「ごめんて。次行くよ。」
「あの、これでいいんですか?」
「うん。もっと街の奥へ行こうか。王城があるはずだから、そこにたくさん集まっているのかも。」
そう言って彼女はさっさと歩き始めた。なんのためらいもなく倒れた亡者の横を通り過ぎていく。ヒストリアはそのあとを恐る恐るついていった。倒れた亡者が再び動き出すのではないかと思ったのだ。改めて近くで亡者を見ると、惨いことをしたものだと思わずにはいられなかった。
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