少女の疑念
港にはいっさいの船が無く、いくつかの掘っ立て小屋が残っているだけだった。それらの小屋は人が住んでいた形跡があり、朽ちてはいない。けれど、人の気配はなく、港は静寂に包まれていた。
「誰もいませんね。」
「船がないから、たぶん、放棄したんだろうね。何年か前には、ここで暮らしている人たちがいたんだけど。」
ハルと共に、ヒストリアは小屋の中へに足を踏み入れるが、中はもぬけの殻だっだ。そこには、確かに人が住んでいた形跡が見受けられた。埃をかぶっているし、小さな虫とがいそうだけど、正直、こんなところで寝泊まりするのは気が引ける。
「今日はここで寝ましょう。好きなとこ使っていいよ。」
好きなところと言われても、寝藁でもあるわけでもないし、せめて寄り掛かれればいいのだが、汚れた椅子や机しかない。そもそも、ここへ住んでいたという人達は、なぜこんなところで暮らしていたのだろうか。都市の中には正体不明の亡者がいるし、好き好んでこんな廃都に住むことないだろうに。
ハルは、まったく躊躇することなく、気に入った椅子に腰かけ、腰に差している刀を手入れをし始めた。今更だが、ハルは剣士なのだろうかと、ヒストリアは疑問に思った。
彼女の様な若い女性があんな得物を持ち歩いているのは珍しい。護身用にも見えないし、その刀身は彼女の身長の半分以上の長さがある。飾りというわけでもないだろうから、鞘から抜かれたその諸刃も、決して出まかせの代物ではないだろう。しかし、彼女が剣を振る姿など想像に難しかった。
身体の丈夫さに良し悪しはあっても、肉体を鍛えるというのは、また別の話だ。ましてや武術を体得するというのは、そう簡単なことではないはずだ。そんなことに時間を割く暇があれば、一つでも新たな魔法を習得したほうがいい。ヒストリアであれば、そう考えるものだ。
だが、ヒストリアの想像を、ハルは容易く裏切った。彼女は剣の手入れをしながら、片手間で焚火の準備を始めたのだ。掘っ立て小屋の入り口のすぐそばで、燃えそうなごみや流木を集めてきて、小さな陣を組んだ。
「濡れた流木じゃ、火打石で火をつけるのは難しいんじゃないですか?」
「大丈夫だよ。ちょっと時間かかるけど。」
そういってハルは、組んだ陣の流木を一本、手で握りしめると、不思議なことが起こったのだ。
ハルの掌から、僅かな火花が散ったかと思うと、その手に火が付いた。
「えっ!?ちょっ、ハルさん!」
「大丈夫。私の魔法だよ。」
「・・・魔法?」
それは魔法というには、あまりにもでたらめなものに思えた。ヒストリアの知る魔法と、あまりにもかけ離れていたのだ。
「あの、手、燃えてますけど。」
「平気だよ。自分の魔法で自分を焼くようなことはしないよ。」
そうは言うが、僅かにハルの手は黒く焦げているような希ガスのだが。それでも、確かにその手は、燃え続けたまま、燃え尽きていなかった。
代わりに、握りしめた流木が、じゅーっと音を立てながら、その水分が蒸発していく。燃えそうになかった流木は、乾いた音を放ちながら、パチンッと音を立てて、木の芯の方から、燃え始めた。
しっかり火が付いたのを確認したハルは、ゆっくりと流木を陣の中へ戻すと、そのまま全体に火が回るまで、その手を火の中に突っ込んでいた。彼女の皮膚だけでなく、赤いローブまで、燃えたまま燃え尽きない。一体どういうことなのだろう?
「・・・ハルさんも、魔法士だったんですね。」
「魔法士だなんて。そんな大層なものじゃないよ。単に魔法が使えるってだけ。この魔法だって、あなたの知る魔法とは、大分違うでしょ?」
彼女の言う通りだった。ヒストリアが大学で学んできた魔法とは、似ても似つかない現象だ。それに、火の魔法は、とても珍しいとされている。
水を操る魔法や、雷を呼び起こす魔法など、危険な魔法は多々あるけれど、火を起こす魔法は、どういうわけか、現代の魔法では不可能とされているのだ。その理由も不明。まれに、火を操る魔法の使い手がいるらしいが、火を起こすことはできないらしい。ヒストリアも、初めて魔法で火を起こすところ見たのだった。
剣の手入れを終えたハルは、慣れた手つきで食事の支度を始めた。
「魚釣ってくるから、夜まで好きにしてていいよ。あ、都市部には近づかないでね。亡者たちに追い回されたら面倒だから。」
そう言って、みなとの堤防の方へ行ってしまった。
(不思議な人だな・・・。)
剣も魔法も、同等に扱えるというのは、決して悪いわけではないが、歴史的に見ても、そういった人物が名を馳せた事例は聞いたことない。もっとも魔法は、人類にとってまだまだ研究の進んでいない学問であるため、偉人と呼べる人も、そうそういないのだが。剣士では他国にまで名が知れることはそう珍しくない。現に父も勇猛な騎士として、かつて国のために戦ったと言っていた。
仮にどちらも心得があるとしても、彼女の様な女性には荷が重いように思える。うまく表現できないが、客観的に見ても彼女はそこいらの娘たちよりも美しい。似たような特徴を持つ身としては少し羨ましくもあるくらいだ。性格や態度はともかく、見た目だけなら、どこぞの貴族出身と言われても遜色ないだろう。それくらいハルはきれいな女性だ。そんな人が、ぼろ、ではないが安物のローブを身に纏って、旅をしているというのは、娯楽小説の登場人物のようだ。彼女がどんな家柄かは知らないが、いかにも不釣り合いというものだ。一種の偏見なのだろうが、そんな風に思ってしまう。
掘っ立て小屋から、堤防のあたりで、ごみを漁り釣り竿らしきものを自作している彼女をみて、単純な好奇心が湧いてくる。赤いローブに、純白の髪。血のように赤い目。父と知り合いだというから、見た目ほど若くはないのはわかるが、ヒストリアからすれば、少し年上の少女にしか見えない。
「本当、なんでこうもそっくり・・・。」
やることもないから、ヒストリアもハルの近くへ行って、釣りを眺めることにした。彼女はすぐに気配に気づいたけれど、何も言わずに楽しそうに釣りを続けていた。
静かな海だった。反対側の都市では、亡者の様な怪物が歩き回っているのに。空は曇っているけれど、時化るような雰囲気ではなかった。
「何か言いたそうね。」
「えっ?」
釣りをしながら、その視線を水面から離さずに、ハルは聞いてきた。
「遠慮することないよ。なんでも答えてあげる。」
「いや、その。同じですね。髪の色。目の色も、上着も。・・・偶然もあるんだなぁ~、と思って。」
冗談半分でそういってみた。
「・・・私のは種族的なものよ。あなたのは・・・たぶんアルビノね。」
「アル・・・ビノ?」
「白皮症、って言ってもわからないか。生まれつきの欠陥のようなものよ。真っ白いうさぎや蛇を見たことある?それと同じものが人間にも現れる時があるの。」
「欠陥って、でもそんな大仰なことじゃ・・・。」
「実例が少ないから、信じられないのも無理ないね。実際、そこまで深刻な欠陥じゃないし。でも、酷い場合は日の光に照らされるだけで皮膚が炎症を起こしたり、特定の食べ物を食べると発作を起こしたりすることもあるから、バカにできるものじゃない。」
そんな欠陥を生まれつき持っていたなんて。今更ながらに自分の体が恐ろしくなってくる。ただでさえ呪いとやらを受けてしまっているのだから。こんな生を受けてしまったことをどう受けと笑めればいいのか。
「まぁあなたは、生きづらいって程のものじゃないでしょ?」
「そう、ですね。いろいろ弊害はありましたけど。」
大学では散々同年代の子供がいじってきた。それもこれもこの体のせいなのだ。
「思春期の青少年なんてそんなものよ。女受けは悪くても、男子からはそこそこよかったんじゃない?」
「え、ええー?そんなこと・・・。」
王女というのは伏せていたから、そこらへんもたいして変わらなかったと思う。学舎にいた子供は皆それなりに裕福な家の子供が多かったから。勉学に勤しむ自分を好いていた同級生がいたとは思えなかった。
「今の内だけよ、好きなようにできるのは。いい人なんてそういないんだから。楽しめるうち楽しんでおきなさい。」
「は、はぁ・・・。」
ヒストリアからしてみると意外な会話だった。こんな、学生のどうでもいいような与太話を彼女とするなんて。ますますハルのことがわからなくなる。
「明日、あの亡者たちを、殺さなくちゃいけないんですね?」
「そうね。死ぬに死ねなくなったあの人たちをあなたが終わらせてあげるの。」
ハルはあれを人だった者と呼んだ。何をどうしたらあんな姿に変貌するか、ヒストリアには想像もつかなかったが、人ではないというのであれば、少しは気が楽になるような気がした。
ハルはその後、見事に魚を釣って見せた。小さくて、あまりおいしそうではなかったけど、火で焼いていくうちに、油を滴らせ始めた。
「食べていいよ。」
「っ・・・いただきます。」
口に入れると、生臭さはなく、代わりに脂の乗った身が口の中でほどけていった。
「どう?」
「うーん、塩の味だけです。」
身は魚っぽいのに、味はほとんどしない。食べられなくはないけど、おいしくはなかった。
「しっかり食べなきゃだめだよ。ヒストリアは細すぎ。」
「そんなお母さんみたいなこと、言わな・・・・・・。」
「うん?」
「いや、なんでもないです。」
何気なく出た言葉だが、そんな可能性は考えもしなかった。ありえない、と思いたい。けど、確証もない。年齢的には、・・・見た目が若すぎるせいで、実感はわかないけど、彼女の言っていることが全て真実なら、ありえない話じゃない。
(お母さん・・・か。)
食事を終えて、他愛もないを話しているうちに、ハルは眠りに付いてしまった。丸まったテルテル坊主の状態のまま器用に椅子の上で寝ている。ヒストリアも壁際の長椅子に横になってみたが、生憎柔らかな寝台の上でしか寝てこなかった身だ。すんなり意識を手放すことは出来なかった。ここへ来るまでの野宿だって、常に夜風に晒されてまともに眠ることが出来なかったのだ。おかげで疲れが取れた気がしない。
けれど、いずれそう言ったことにも慣れてしまうのだろう。この都市で亡者を殺し、その先に何をさせられるかわからないけど、きっと長い長い旅路が待っているのだろう。どれだけ多くの経験をするのかわからない。歩くのに疲れたり、してしまったことを後悔する暇もないくらい、想像を絶する旅になるのだろう。そんなことを考えながら、ヒストリアは一人、掘っ立て小屋でぼーっと過ごしていた。
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