少女の故郷
災厄によって、滅びの危機に瀕した国は、僅かな生き残りと、勇敢な騎士によって立ち上がりました。
勇敢な騎士は、剣を魔法使いへ渡し、騎士ではなくなってしまいましたが、代わりに愛する者と愛を育みました。しかし、愛する者は不治の病に侵されてしまいました。彼女だけではありません。生き残った国民も、同じ病に掛かってしまいました。病は人々を貪り尽くし、死へと追いやりました。人々は悲しみに暮れましたが、偶然にも国を訪れた聖職者の不思議な力により、死した者たちが蘇ったのです。もちろん、その中には指導者の愛する者も・・・。三度、平穏を取り戻した彼らは、幸せに暮らしましたとさ。
・・・。
・・・・・・・。
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暮らせる、はずだったのです・・・。_____。
空を見上げれば、清々しいくらいの曇天。彼方まで灰色の雲が覆い尽くし、唸る風鳴りは海と大地が喧嘩をしているかのようだった。日が昇って早数時間、ヒストリアは火の消えた篝火を前に、ぼーっと座り込んでいた。というのも、肝心のハルが未だ目を覚まさないでいた。彼女は、昨夜眠りについた状態のまま、微動だにせず寝ている。ずいぶん深い眠りだ。昨夜はそんなに遅くはなかったはずだが、普段からこんなにも長く寝ているのだろうか。それともいやがらせか・・・。
別に急いでいるわけでもないし、彼女が起きるまでのんびり海でも眺めていようとヒストリアは考えた。急いではいないが、彼女によれば自分はそのうち命を落とすらしいが、それは具体的にどれくらいの時間なのだろうか。人はいつか死ぬ。そんなこと、幼い頃は考えもしなかったが、この歳になればそれくらい考えずとも理解できる。そのうえで死にたくないなどと思ったりはしない。諸行無常を憐れんだりはしない。だが、人並みの寿命を全うできないというのは、いまいちピンとこないし、死への恐怖が湧き上がってこないのだ。
仮に、明日死んでしまう運命だったとしても、どうしてか受け入れられてしまう気がする。緊迫感が無いのだ。いや、現実味が無いと言った方がいいかもしれない。
かつてアールラントを襲った災厄の呪いによる死。不治の病のように、徐々に体が衰弱しながら、やがて息を引き取るのだろうか。心臓をナイフで刺されたかのように、突然もだえ苦しみながら死ぬのだろうか。目に見えないものなんて、存在しないのと同じだ。少なくともヒストリアはそう思っていた。自分の体を見返しても、呪いなんてものは見当たらない。それこそ、眠っているうちに命が終わっていれば、さぞ安らかな死に方だろうに。
彼女、ハルについていくと決めたものの、考えてみれば故郷を飛び出したのは初めての経験だ。これからどんな旅になるか想像もつかないが、実際どうすればいいかわからないことだらけだ。例えば、今目の前で燻っている篝火。昨夜はハルが何気なく火を起こしていたが、その手際は手慣れすぎていて一連の動作にまごつきが見られなかった。彼女からしたら息を吸うのと同じくらいのことかもしれないが、ヒストリアからすれば着火の原理すら知らないし、その要領だってわからない。頭で考えてできる様な事ではない。旅をしていればそんな課題とどれだけ向き合うことか。想像しただけでも焦りが募ってくる。もっとも、彼女に教えを請い、少しずつ学んでいければいいのだろうが。そのあたりは、大学の時と同じだ。一つずつ自分に足りないものを補っていき、目標へ到達する。それがヒストリアにとっての学びというものだった。
だがヒストリアは理解していなかった。自分の学びの理念が通用するのは、最低限の素質を兼ね備えていればこその話だということを。
足の裏がびりびりする。膝ががくがくする。歩くという行為がこんなにも苦痛に感じたことはない。
「本当に、先が思いやられるね。」
ハルのため息交じりのつぶやきが嫌に心に刺さる。まさしく自分も同じことを考えていたところだ。出発してまだ幾時も経っていないのに、すでに屈みこんでしまうなんて。
「大丈夫です。・・・大丈夫。あぅ・・・。」
とか言いながらも小さな小石に躓く有様だ。今はまだ比較的歩きやすい、と思う道なのだが、
「すいません、はぁ。なんか・・・はぁ、いろいろと・・・はぁ、はぁ。」
「別に謝る必要はないけど。ゆっくりでいいから、ちゃんとついてきなよ。」
彼女はそう言って、振り返りながらなんども気遣ってくれた。歩く速度も昨日よりはゆっくりで、気を使われているのがわかった。ただ、その分申し訳なさもあって、なんとも気まずい雰囲気だった。自分がこんなにも柔な体をしていたことには心底失望した。普段から黒麦を練って焼いたお菓子しかまともに口にせず、食事をするくらいなら魔法書を読みふけるほうが有意義だ、なんて思っているのだから、当然と言えば当然だ。棒のように細い手足は歩くという行為を成すための筋肉が足りないのだ。ハルによれば2、3日でつく話だったが、どうやら自身の不甲斐なさによって予定より一日ほど遅れてしまったようだった。
その光景は国を出て四日後の明け方に見られた。朝日に照らされたその都市は、人の喧騒などどこにもあらず、風と静寂に包まれていた。それに加え、まるで空から灰が降ってきたかのように一面灰色の建物ばかりだった。
都市は立派な城壁に包まれているようだが、それは近づくにつれてみすぼらしさが目立っていた。廃都、そう呼ぶにふさわしい朽ち方をしている。どこからともなく枯れた蔓が建物や城壁に絡まっていたり、意味不明な崩れ方をしていたり、中へ足を踏み入れる前に、すでに滅んだ都市であるとすぐにわかった。
「こんな街に、人が住んでるんですか?」
「いいえ、人は済んでいないわ。」
「でも、ここで、その・・・。人を殺すんですよね?」
「あれは言葉のあやであって、別に人殺しをするわけじゃないんだけどね。」
いまいちハルの言い方はわかりずらいが、人の生活の営みは無いのだろう。
大きな城門の前まで来ると、城壁の大きさが露わになった。アールラントの城壁とほぼ同等の大きさがあり、朽ちていて判別しにくいが、模様なども似ているような気がした。
「ここで、人を・・・殺せばいいんですか?」
「・・・。」
この沈黙は、分かりきったことを聞くな、という意味だろうか。横目で彼女を見やると、その視線は町の中へ向けられていた。だが、その表情には少し険しいものが見受けられた。
「どうしたんですか?」
ハルは口を開きかけたが、結局何も言ってくれず、彼女が見ている方向へ目を向けても、そこには案の定の廃都しか見えなかった。だが、その廃都にゆっくりと動くものがあったのだ。
「・・・人?」
そう、人の形をしている何かが歩いていた。けれど、決して人間とは呼べない欠点があった。皮膚は乾いた魚のように干からびて、目玉は白目をむいたまま。かろうじて衣服を纏ってはいるが、ぼろを体に巻き付けているも同然の有様だ。開いた口からは、さほど寒くないに白い息が細切れに出ていた。
「・・・人だった者だよ。」
先ほどより厳しい声音でハルは言った。
「あれって、人間?」
「説明が難しいね。ゾンビ、亡者。呼び方はいろいろできるけど、少なくとも、あれはもう人間じゃない。」
「まさか、殺せって・・・あれを?」
「そう。でも、今はまだいいよ。とりあえず、都市の海側へ回りましょう。港があるはず。」
これはまた妙な話になってきたものだ。動いている以上、生きてはいると思うが、何もかもがわからないことだらけだ。
「あれ、ほっといていいんですか?」
彼女の言う、ゾンビ、が何を意味するか知らないので、この際亡者と呼ばせてもらうが、亡者は、ゆっくりこちらに近づいてきている。本当にゆっくりだが、明らかにこちらを認識して、近づいてきている。
「私たちの歩く速度より遅いんだから、追いつけやしないよ。」
それはごもっともだが、もし害ある存在ならば、すぐにやってしまった方がいいのではともわなくもない。そんなことを考えているうちに、当の本人は素知らぬ顔で城壁に沿って歩き始めた。亡者を横目に私も彼女の後をついていくことしかできなかった。
改めて都市の風景を見てみると、どこか見覚えのあるような街だった。建造物はあらゆるものが朽ちていて、灰が被ったように色味が無い。少なくとも十年近く放置された結果だろう。それなのに、どうにも覚えがあって、それがヒストリアの胸をざわつかせていた。
城壁沿いに歩き、海側が見えてくると、目的地であろう港があった。しかし、そこも街中と同じように朽ちていて、とても目的地には見えなかったのだった。
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