赤頭巾と出会う少女
神聖王国、アールラント。大陸の南西部の海岸にその都を構える小国である。小国ではあるものの、優秀な軍隊と近代的な魔法技術を有する、文明的にはかなり進んだ国といえるだろう。国の政は、国王を中心とした元老院が存在し、小さな領土を管理している。西側は海、反対に東側には山脈が連なっており、国土は完全に天然の要塞となっているため、外国からの侵略を受けずらい地形となっている。
その分、交流も少なく、貿易などはほとんど行っていない。もっとも、豊富な海の幸を手にすることが出来るアールラントで飢饉に見舞われることなどありはしないが。そんな地形だから、この国に訪れるにはなかなか苦労する。山を越えるか、山脈を貫く洞窟をすり抜けるか。山越えは体力が必要だし、洞窟には危険もある。だが、彼女にとってそんなものは何の障害にもならないだろう。
「二十年ぶり、・・・だったかしらね。相変わらず、きれいな街。あの頃から、何も変わってない。」
山頂にただりついた、異様に目立つ赤色が一つ。赤いフードに、赤いローブ、テルテル坊主の様な見た目の少女が、眼下に見えるアールラントを見下ろしていた。少女がフードを外すと、中から純白の御髪が姿を現し、川を泳ぐ魚のように山風に靡いていた。
「さてと、約束を果たしに行くとしますか。面倒くさい子に育ってなければいいけど。」
彼女の名前は、ハル。世界中を旅する、不思議な少女。だが、時に彼女は、人間にとっては災厄とも呼べる悪魔の様な存在なのだ。
父親と家族の時間を過ごせるからといって、心躍るような感情はもう持ち合わせていない。ただ少しだけ、話がしたい。最近のこと、これからのこと、自分のことを少しだけ知っていてほしかった。父は真面目な人だから、きっと全部覚えていてくれる。将来のことを本気で考えてくれる。そういう人だから。しかし実際には、思惑があったのは父の方で、突然の出来事にただ黙って従うことしかできなかったのだ。
いつものように大聖堂の端っこで魔法書を読み漁っていた時だ。聖堂の入り口の方から歓声が上がった。大学とはいえ、あくまで憩いの場である大聖堂では、基本的に騒ぐ者はいない。普段は厳かな空気に包まれた静かな空間なのだ。そんな大聖堂から黄色い声が響くとは、いったい何事であろうか。
(あぁ、そういうこと。)
入り口を見やると、そこにはいつもより簡素な服装をした父がいた。一国の国王である父は、この大学の創始者でもある。つまり、学長だ。学生たちからは相応に尊敬され、お近づきになりたいという者も少なくないだろう。それくらいの人気者が突然学生たちが集う大聖堂に現れたのだ。感性が上がるのも当然だろう。もっとも、学長の裏というべきか、本性を知っている側からすれば、実際、学長なんて名ばかりの称号だ。彼は一切魔法の才格が無い。実力主義の大学の理念からしたら、父はあくまで経営者の立場だ。授業を開くことも、生徒に親身に何かを教えることもしない。それでも国王であることに変わりはない。それ故に人気者なのだ。
だが、残念なことに、今回その国王様が用があるのは、大聖堂の端っこで魔法書を孤独に読みふける白髪の少女だ。
「ヒストリアはおるか。」
父の声が大聖堂に木霊する。生徒たちの視線が驚きの表情と共に、こちらに注がれる。
「国王様。ここに。」
公の場でなければ、お父さんと呼ぶところだが、生憎私と父の関係は内外共に伏せられていた。理由はよく知らないが、実際その方が都合がいいのは確かだ。自分が国王の娘ヒストリアだと知れ渡っていれば、いじめを受けることもなかったかもしれないが、その時は今ほど熱心に勉強しなかったかもしれないから、一長一短だ。孤独が自分を強くしたことを私は強く自覚しているのだ。
「来なさい。」
会話は、簡潔に。下手に長話をして、家族らしい言葉が出てきたら面倒だ。私と父の暗黙の決まり事だった。前を行く父の後を黙ってついていくだけ。それだけでいい。周りからは、こそこそと小さな声であたしをなじる声が聞こえてくる。どうしてあんな奴が、なんて、何も知らない連中は好き勝手言う。これから父とたくさん話をするのだ。悪いけど邪魔しないでほしい。背中に無数の視線を感じながら大聖堂を出ると、父の護衛が数人待っていた。彼らとは時々王城で顔を合わせているから信頼している。制服のスカートのすそをつまんで膝を折り、軽い挨拶をすると、彼らは何も言わずに敬礼をした。一声かけたくとも、聖堂の外の廊下にも生徒の目はある。面倒でも、普通の生徒を装っていなければならない。
「国王様、どちらに?」
「学長室で話をしよう。食事も用意してある。」
用意がいいというか、まるで最後の晩餐に誘われているかのようだ。昨日からだが、良くない想像ばかりが頭に浮かぶ。顔色は悪いし、さっきからため息ばかりだし。でも、覚悟はできている。不思議とだが、なにが起こってもきっと私は受け入れてしまえる。王家の娘なんて、もとより並の幸せを謳歌することなどできはしないのだ。王族としての素養はあまり受けていないが、そんなものは大人になってからでも養える。周辺国の王子とでも婚姻しろというのなら、喜んで受けよう。私の人生はそうなるものだと、ずっと思っていたのだから。
学長室は、普段誰も使わないから簡素な書庫となっている。実際父の私室の中でも一番きれいな部屋といっていいだろう。王城の部屋はどれも紙やら本やらが散乱していて、片付けはいつも使用人たちがやっている。この部屋がきれいなのも、学生たちが毎日熱心に清掃をしているからだ。その学長室の中心に質素な丸テーブルがあり、そこに豪華な食事が並んでいた。まだ湯気が立っているところを見ると、おそらく父の手作りだろう。国王でありながら、彼は料理が上手だった。幼いころは何度か父の料理を口にしたことがある。味はともかく、豪快な料理が得意なようで、いつも大きな肉料理がメインディッシュだ。
学長室に二人きりになったのを確認して、緊張の糸をほぐす様に息を大きく吐いた。
「場所さえ言ってくれれば、一人で来たのに。」
「そうか?・・・ああいうのも、最後になるだろうからな。」
「最後?」
何を言っているのか聞く前に、父は料理に手を付け始めた。私も同じくナイフとフォークを手に取り、巨大な肉塊との格闘にのりだした。父はいつだって本心を隠して生きていた。今こうして向かい合って食事をしていても、父の思いは伝わってこない。一般的な家庭ならば、そういう寡黙な父親でもうまくいくのだろうが、母親のいない家庭では、どうにも寂しく感じる。あまりにも、言葉が少なすぎるのだ。
ある程度、料理を平らげた頃、父がようやく口を開いた。
「ヒストリア、お前には嫌な思いをさせてばかりだ。これまでも、そしてこれからも。」
「お父さんが気にすることじゃないよ。」
「お前はそう言うが、私はお前を幸せにするどころか、不幸に陥れてしまっている。」
国王の娘であることを隠していることだろうか。確かに大変な思いはしたけれど、決して自らが不幸だとは思ったことはない。それに、これからも、というのはどういう意味だろうか。
「何か、話があるんでしょう?」
「・・・どうして?」
「顔を見ればわかるよ。婚姻?それとも正式に王女になるの?・・・いつか、そういう話が来るのはわかってたよ。」
そう、今まで自由に生きてこれたのは、父のおかげだ。父が大学に勧め、たくさんのことを学ぶ環境を整えてくれたのだ。たくさんの書も、必要な紙も。そのおかげでたくさんの魔法研究が行えた。あらゆることを知ることが出来た。それを、嫌な思い出過ごしたなどと思うはずもないのに。
「お父さんは、昔から全部話してくれないから。私が予測することを学んだの。結婚でも、王位継承でも、どんなことでも、私は不幸になったりはしないよ。」
そうやって笑って見せると、父はますます顔を険しくさせた。いったい私はどんなことをされるのだろうと、逆に興味が湧くくらいだ。
学長室の扉が叩かれ、すぐに護衛についていた人が入ってきた。
「失礼いたします。国王様、例の者が到着したようです。」
(例のもの?王家に隠された秘宝、みたいな?)
「そうか、・・・ようやく、この国の役目を終えるのだな。」
どうやら人のようだが、いったい誰だろうか。そもそも、せっかくの父との時間を、どこの誰だかもわからない人に邪魔されるのは聊か不快だ。
「誰?」
「・・・。」
父は答えなかった。会えばわかるということだろうか。隣国の王子とか?それならば、こんな埃臭い大学になんて招待はしないだろう。その者は、すぐにやってきた。
「・・・えっ?」
「紹介しよう、ヒストリア。彼女の名前はハル。お前はこの者と共に国を出てもらう。」
父の言葉は全く頭に入ってこなかった。突如現れた彼女の姿に、私は釘付けになっていたのだ。私と同じ赤いフードの付いたローブを着た、若い女性に。全く同じではないものの、見た目はほとんど瓜二つだった。そして何より、彼女の容姿だ。純白の髪に、赤い瞳、まるで鏡を見せられているような感覚になった。その顔立ちは私よりも大人びていて、目つきが鋭く、ずっと睨んでいるかのような視線だった。
「・・・・・・母親そっくりね。」
「ヒストリアだ。今年で十五になる。」
女性は父と知り合いのようだった。いったい何者なのだろう。それに、父はさっき、国を出ろと言ったような・・・。何が起こっているのかさっぱりわからなかった。
「あなた達に残された時間は、あとどれくらい?」
「・・・そう長くない。10日もせずに終わりが来る。」
「・・・そう。なら、お別れくらい、好きにするといいわ。」
白髪の女性はそういって、ぼーっと突っ立っている私の前にやってきた。彼女の方が背が高く、自然と視界に影がかかる。
「よろしくね、ヒストリア。」
その表情は決して笑ってなどいない。見下してもいない。無感情な赤い瞳が私を捕えていた。それと同時に、間近で見た彼女を恐ろしく思った。何となくだが、自分の体が震えているのがわかる。以前本で読んだことがある。巨大な魔力に触れると、身体に何らかの異常をきたすことがあると。それが本当に魔力なのか、確信はなかったが、私は彼女が恐ろしく感じられた。何せ、彼女の後ろに、いや、彼女に重なるように、白い翼を持った生き物がまとわりついていて、私の喉元にその爪を突き刺そうとしていたのだから。
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