声の主を探すために、ハルはソニアに先導してもらうことにした。彼は本当に才能あふれる子供だ。魔法の知識も魔力の使い方も知らない彼が、それをはるかに上回る経験があるハルには、声どころか、魔力の異変も感じ取ることなどできないのだ。仮にソニアの能力が、声として聴くことのみの力だったとしても、世界で同じ力を持つものが果たしてどれくらいいるか。大抵の人間は、自分に魔法の才がある事さえ気づかずに死んでいくというのに。もっとも、彼とてハルと出会わなければ、それに気づくこともなかっただろう。


ソニアは、迷いなく歩を進めている。といってもその歩みはそれほど早くはない。ゆっくり、ゆっくりと、彼にだけ聞こえる声の糸を手繰るような歩みだ。もうすでに日が沈み、辺りは暗くなっているが、ハルは捜索を続行した。次に声がするのを待っていられるほど、ハルはのんきではない。


「ここ、・・・だと思います。」


ソニアが指示した場所は、厩舎だった。形と大きさからして、おそらく馬を住まわせるものだろう。厩舎自体は大きく、何頭も入れるようになっている。だが、厩舎の目の前に来たというのに、馬小屋らしい鼻をつくにおいが漂っていなかった。代わりに、生臭い腐肉の様な匂いがわずかに残っている。


「この中から感じるのね?」


「はい。・・・でも、今は静かになりましたね。」


「多分警戒してるんだよ。見知らぬ人間が近づいてきたから。」


厩舎は、閂が掛けられていて、更に錠までついているという用心深さ。閂はともかく、鍵は力ずくで外さなければならないだろう。ここまで来て、引き返すのも面倒だ。なるべく中のものを怒らせないようにしなければ。厩舎の持ち主は起こるだろうが、これも仕事だ。文句なら町長に処理してもらえばいい。


「ソニア、離れて。」


ソニアが十分に距離を取るのを確認して、ハルは錠前を左手で掴んだ。気を集中させ、手のひらに火を灯した。細かい火花と共に、火はハルの腕に巻き付き、じりじりと錠前を熱していく。赤白く白熱し始めた錠前は、やがてどろりと形を変え地面に落ちた。


「これでよし。」


「すごい。今の、・・・魔法ですか?」


そう言えば、魔法を見せるのは初めてだったか。そもそも、この町であからさまに魔法を使って見せたこと自体なかったが。


「ええ。危ないから、そうそう人前じゃ使わないんだけど。他の人には内緒ね?」


ソニアは目をキラキラさせて首を縦に振っていた。本当は内緒にする理由もないのだが、町民を怖がらせても後々面倒だ。ソニアはまだ子供だし、うっかり口を滑らせるかもしれない。念を押しておいて損はないだろう。


木製の厩舎を軽く押すと、嗅ぎ慣れない獣の匂いが僅かに鼻を掠めた。鈍い金属が軋む音と共に、厩舎の扉は開かれ、ハルはその中にいるであろう生物の気配を感じ取った。


(やっぱり・・・。)


ソニアによって見つけられたのは、馬でも牛でも羊でもない。干し藁が積まれた上に、ひっそりとその体を鎮座させているのは、山で見た翼竜と同じ目をした、その雛だった。翼竜の雛は、ハルたちを認めると、口を開けてか細い声で鳴き始めた。それはとても小さな声で、人間が聞き取るには困難なほどだ。だが、その声に、ソニアが感じ取れる魔力が含まれているのだろう。そして、それは親たちにも伝わっている。翼竜は子供の声を感じ取って、町へ飛来していたのだろう。翼竜が魔力を感じ取れるかどうかは何とも言えないが、何らかの方法で子供の声を聴くことが出来るのは間違いない。例えば、声が高音過ぎて超音波を感じ取る器官がある、など、少なくともこの世界の住人に説明しても理解されないような理屈だろう。そんな生物的な見解なんかじゃなく、ただ親が子を探していると説明すれば、誰もが納得するはずだ。


「旅人さん、これって、翼竜の雛ですか?」


「多分ね。お父さんか、お母さんが探しに来るのは当たり前だよね。」


ソニアの表情に、驚きはなかった。子供でも、何が起きているのか正確に理解できているようだ。


ハルが翼竜に近づくと、翼竜は口を大きく開けて、かん高い声でしきりに鳴き始めた。おそらく餌をくれる相手だと思っているのだろう。その姿はどこか鳥の雛の姿にも似ていた。とはいえ、今ここで盛大にねだられてもこまる。ハルは雛に向かって手を伸ばす。手からは火ではなく、暗い靄の様なものが湧き出てきて、靄が雛を包み込むと、雛はぱたりと体を伏して眠ってしまった。少し鳴かれてしまったが、今の時間なら親龍もわざわざ暗い中、探しに来たりはしないだろう。


「これでよし。」


親龍は来ないが、問題はここからだ。なぜ翼竜の雛が町の中にいるのか。少なからず人間の仕業なのは間違いないだろう。だが、何のために、そもそもどうやって雛を攫ってきたのか。


「とりあえず、ここの厩舎の家主に問い詰めないとね。」


「その前に、この雛をどうするか決めた方がいいんじゃないですか?このままだと、またいつ親龍が襲ってくるかわからないですし。」


ソニアの指摘はもっともだ。魔法で眠らせたとはいえ、明日の朝には自然と目を覚ますだろう。そうなればまた寝起きの一吠えやら餌くれと鳴き出すだろう。ハルとしては、翼竜が町へ飛来する原因は突き止めたので、一応仕事はひと段落といったところだ。この先のことは、町長に判断を仰ぐのが至極当然だ。だが、このまま帰って話して、どうするかの処遇を考えていては、また被害が出かねない。


「あんまり勝手な判断はしたくないけど、仕方ないか。」


ハルは、吊るした刀をゆっくりと抜き放った。それを見たソニアが慌てふためいた。


「な、なにをしてるんですか?」


「何って、ソニアの言う通り、このままじゃまた翼竜が来るから、今のうちに処分しようとしてるんだけど。」


「殺すんですか!?」


「そうよ。」


ソニアは言葉にならなかったようだ。多分、何か方法を考えて、よしそれでいこう、みたいなやり取りをすると思っていたのだろう。だが、生憎そんなことをせずとも最も手っ取り早い方法があるのだ。


「眠っているうちに町の外へ運び出すとかじゃダメなんですか?」


「無理ね。何か、荷車の様なものがあればできるかもしれないけど、どの道人手が必要になる。」


雛とは言え、翼竜である事には変わりない。親ほどの巨体ではないが、犬猫とは訳が違う。全長は少なく見積もっても五メートルはあるだろう。丸くなって眠っていても、その大きさはよくわかる。生まれたばかりは、ソニアと同じくらいだっただろうが、一月もすればもはや人が運べる大きさからはかけ離れている。


「でも、殺すのはかわいそうです。この雛は何も悪いことはしていないじゃないですか。」


「ソニア。気持ちはわかるけど、この子はもう・・・。」


彼をいさめようとしたとき、勢いよく厩舎に中年の男が入ってきた。


「お前たちここで何をしている!」


男は、鬼のような権幕をしているが、ハルはそれを恐ろしいとは思わない。それはソニアにとっても同じだった。


「ここの厩舎を管理している方ですか?」


ハルが口を開くよりも早く、ソニアは冷静な口調で男と向き合った。


「なんだこのガキは!」


「僕は、町長の息子のソニアです。こちらの方と共に、飛竜が町に飛来する原因を調べておりました。」


「そんなことは聞いとらん!ここは私の私有地だ。さっさと出ていけ。」


この男は、自分が置かれている状況がわかっていないらしい。もちろん、ハルたちが無断で厩舎に入り込んだことは、責められることだろうが、自分が疑われていることを理解していないのは、彼の頭が足りていないのか、あるいは素なのか。ソニアでは、威厳が足りないと判断したハルは、刀の切っ先を男へ向け、尋問をすることにした。


「この翼竜の雛、あなたが世話をしているの?」


男は武器を向けられ一瞬ひるんだが、態度を変えることなく向かってきた。


「それは息子が見つけたものだ。我が家が手塩にかけて育てているのだ。お前たちに奪われてたまるか。」


これは本格的に、この男はバカであると認識してもいいだろう。もっとも、こんな辺境の町の一町民など、この程度かもしれないが。本人が自供してくれたおかげで、ハルはあらかた何が起きているのかを把握できた。


この男の息子は、おそらく狩猟会のものだ。荒ごもり前の狩りで、運よく翼竜の卵を見つけ、そして持ち帰った。彼らは何を思ったのか、卵を食料としてではなく、家畜として育てようとしたわけだ。幼いうちから調教すれば、馬のように扱えるとでも思ったのだろう。孵化させる術はどうやって知ったかは分からないが、獲ってきた時点で生まれる寸前だったのだろう。


つまり、初めは狩猟会の食糧庫へ保管していたが、その企みを実現させるためにこの男の厩舎へ移動させた。生まれた後は、それはもう大層かわいがったのだろう。人間を見れば、餌をもらえると思わせる程度には、人間への警戒心を無くしていたのだから。親龍も可哀そうなものだ。刷り込みはもう無理だろう。それでも子供の声を頼りに町へ来ているのが、なんとも虚しいことだ。


「あなたがここで抵抗しようと、無駄なことですよ。」


「わ、私を殺す気か?」


「まさか。このまま町長にところへ戻って、事情を話すだけです。あなたの一家が、翼竜を飼っていると。」


「だから、なんだ。この翼竜は私たちのものだ。」


「はぁ、あのですね。この雛が、親龍を引き寄せているって言ってるんです。そのせいで、町の食糧庫に被害が出ているんですよ?そのことを理解しているんですか?」


いらだったような口調でハルが釘をさすと、男はようやく事態の重さを感じ取ったようだ。


「そんなはずはない。この子はいつも大人しいし、外へ出たことは一度もない。」


「親龍が、雛の声を頼りにこの町へ来ているんです。卵の匂いが食糧庫に残っているからそちらが狙われていますが、ここへ来るのも時間の問題です。」


ハルとしては、別に牧場が襲われようが構いやしない。むしろその方が実害が少なくて済むだろう。


「ど、どうにかならないのか。この子は本当にいい子なんだ。」


飼い主がこれでは話にならない。馬鹿につける薬は無いというが、この男は自分が痛い目にあっても治らないだろう。


「この子は、ここで処分します。あなたが飼い主だというのなら、丁重に弔ってやるのね。」


「まって、旅人さん。やっぱり殺すのはかわいそうだよ。親龍の元へ返してあげよう?」


さて、男が膝を折ったところで、今度はソニアの気持ちを折らなければならない。いや、彼には分からせてやらなければならない。自然というものがどれだけ残酷化を。まだ八歳の彼にはとても難しい問題かもしれない。けれど、賢いソニアなら、自分の心に折り合いをつけてくれると思っている。


「ソニア。よく聞いて、あなたの殺したくないという気持ちはよくわかる。命を奪わずに済むなら、私だってそうしたい。けれどね、この子はもう翼竜の世界では生きていけないの。」


ハルの言葉にソニアは悲しそうな顔で見上げてきた。


「どうして?」


「この子は、産まれてから一度も外へ出ていない。それは体の成長が未熟である証拠なの。生物は、生まれてすぐ自分の身は自分で守ろうとする。仔馬だって、生まれてすぐに立ち上がれなければ、そのまま一生立つことはできない。親にも見捨てられ、死を待つだけの存在になる。翼竜もそう。仮に親龍の元へ返せたとしても、この子はもう飛べない。飛ぶことが出来なければ、巣には帰れない。そうなれば、親龍もこの子を見捨てるでしょう。」


自然は、人間からしたら残酷だ。可哀そうだとか、虚しく思うのは人間のエゴでしかない。感情のない生き物からすれば、それらは当然のことだ。所詮自分の命だけが大切なのだから。親であろうと子であろうと、自らを犠牲にして生かそうという意思は存在しないのだ。


「ここで、僕たちと生きることもできないの?」


「無理でしょうね。それを可能にするには、あなたたち町民が、この子に食料を分け与えることになる。仮に今が荒じゃなかったとしても、成熟した翼竜が一日にどれくらいの獣を食べるか、あなたにわかる?」


ソニアはうつむいたまま、首を横に振った。彼の心の中では、必死にハルの言葉をかみ砕いているのだろう。純粋な子供だからこそ悩んでいるのだ。自分に違う選択肢を思いつく知識があればとか、自分の不甲斐なさを悔いているのかもしれない。けれど、それこそが人の成長というものだ。彼にはいい見識になるだろう。


「私も悪人になるつもりはない。最後に一目見たいなら、あなたの息子を連れてきなさい。最後を見とれないなら、今すぐここを出て行って。」


牧場主の男は、わなわなしながら出て行った。ソニアは、しばらく雛の傍にしゃがみこんでいた。かなりの時間待っていたが、牧場主の男とその息子は現れなかった。


「ソニアは?外へ出る?」


彼の顔を覗き込むように聞くと、こちらに振り向くことなく首を振った。


「ここにいます。・・・最後まで一緒に。」


「・・・そう。」


彼が、この先町長になるのかはわからないが、ソニアは立派な大人になることをハルは感じ取っていた。


眠った翼竜の傍へより、その太い首に刀の刃を当てる。そのまままっすぐ重力に逆らい、大きく振りかぶる。これだけ大きな生物を即死させるには、頭を落とすしかない。それでさえも、人間の力では困難だ。だからこそハルがやらなければならない。ハルは雛に同情などしない。だが、翼竜でも人間に僅かにでも愛されていることを知った。せめてもの慰めとして、痛みを感じることなく葬ってやらなければならないのだ。


ソニアは十分な距離を取ったのを確認して、ハルは振りかぶった刀に力を込めた。この力は魔力などではない。純粋な生物としての力。元より魔法で切れ味を良くしたり、重くしたりなんて言う芸当はできない。ただひたすらに、一撃で落とすという気持ちの問題だ。信じるのは己の剣の腕のみ。肉を絶ち、骨を砕くことだけをイメージするのだ。


「ごめんね。あなたに恨みはないけれど、・・・。汝に、アカハネの加護があらんことを・・・。」


祈りを捧げ、ハルは鋭い声と共に、刀を振り下ろした。

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