才能ある魔法士の卵
静かな朝だった。それも当然だ。季節は荒。無の季節と呼ばれる、最悪の時期だ。風も吹かなければ虫たちも鳴いたりはしない。町長が貸してくれた部屋は思いのほか快適だった。特に、寝台が置いてあるのは、ハルにとってありがたかった。今までは、別にどんな所でも眠ることが出来ていたが、それで疲れを癒せるかどうかは別の話だ。場所こそ選ぶものの、干し藁に体を預けて、ローブを掛け布団代わりにすればぐっすり眠れていたが、目が覚めると背中や肩が痛くて仕方がなかったものだ。その点、ここは柔らかな寝台に、暖かい暖炉までついているとは、さすがは町長だ。まぁ、この町の宿屋は軒並み閉まっていたからここへ来たのだが。
なにはともあれ、いつしかぶりに快適な睡眠が取れ、ハルは上機嫌だった。
「荒が終わるまでとはいかずとも、一月くらいはいさせてもらいたいなぁ。」
町長には、しばらくの間という約束で、正確な数字は決めていなかった。長くいるには、それなり労働が必要だろう。これだけ良い待遇を受けたのだから、しっかりと働くべきだ。とはいえ、こんな季節では、仕事らしい仕事もないだろう。どうしたものか。
ハルが寝台の上で考え込んでいると、部屋の戸が三回叩かれた。
「どうぞ。」
まだ、借りた寝間着姿のままだが、相手が誰であろうと、ハルは気にしない質だった。もちろん恥じらいが無いわけではない。素っ裸を男性にでも見られたら、それは恥ずかしいが、肌着一枚でも着ていれば特に意識はしない。もともと大層な体つきをしているわけでもない。昔は、貧相な体を嫌というほど嘆いたが、今ではそういう執着も無くなっていた。
入ってきたのは、ソニアだった。彼もまた寝間着のままで、未だに眠たそうな顔でいた。女性の部屋に朝っぱらから入ってくる度胸は認めるが、そんな状態で一体何の様だろうか?
「どうしたの?」
声をかけると、ソニアはなにやら口ごもっていて、しばらく何も言わなかった。ハルも小首をかしげどうしたのかと思ったが、よく見ると彼の目には隈が出来ていた。眠れなかったのだろうか。ハルは寝台から降りて、ソニアの傍まで寄り、彼と同じ目線になるように屈んでやった。
「どうしたの?怖い夢でも見た?」
まだ8歳と言っていたから、そういうこともあるだろうが、ソニアはハルが近づいた途端、少しだけ避けるように離れた。
(嫌われちゃったかな?)
まぁ、子供からしたら、突然自分の家に知らない女が寝泊まりしだしたら抵抗があるものだろう。家とはそういうものだ。だが、ソニアの様子からしてそういうわけでは無いようだ。
「旅人さん、昨日の夜、歌を歌ってたでしょ?それが、耳から離れなくて。」
「私?ううん、そんなことしてないよ。・・・夢か、何かじゃない?違う?」
「とてもきれいな歌声で、旅人さんと、同じ・・・声だった。ずっと頭に、響いてきて。それで、眠れなくて。」
ハルは、最初は夢の中のことで、ソニアは寝ぼけているのだと思っていた。だが彼が、頭に響いてくる、という言葉に思い当たる節があった。
「・・・そっか。それは悪いことをしちゃったね。・・・目をつぶってみて。」
ハルがそう言うと、ソニアは素直に目を閉じた。ハルは、彼のおでこに自分の人差し指を当てると、その指先に魔力を集中させた。身体から放たれる力の源を、彼の中へほんの少しだけ注ぐ。魔力は、ハルの指からソニアの頭の中へ流れていく。僅かに注がれた魔力は、彼の中に浸透し、彼が感じている違和感を拭い去ってくれるだろう。
一言でいえば、ソニアは酔ったのだ。大きすぎる魔力に触れると、人間は時折自身の魔力量との差異に酔いを感じることがある。滅多に起こらないことだが、それが起こるということは、ソニアは魔法の才があるのかもしれない。酔いを感じるのは、魔力に体が敏感に反応しているからだ。
「どう?治った?」
目を開けたソニアは、きょとんとした目つきでハルの頭らへんを見ていた。
「無い・・・。」
「ん?」
今度は視線が腰の方へ移ったが、頭の上に疑問符が浮かんだような表情をしていた。
「さぁ、部屋にお行き。着替えて町長さんたちに挨拶しなきゃでしょ?それと、ノックをすれば女の子の部屋に入ってもいいわけじゃないから、これからはよしなさい。同年代の子に嫌われちゃうぞ。」
「う、うん。わかった。」
彼は素直に部屋に戻っていった。ハルも見届けた後、自身も着替えることにした。といっても、持っている衣服は、半分汚れたシャツと膝丈のズボンだけだが。この服も長いこと着ているから、所々痛んできている。ローブはともかく、肌着と衣服だけは、新調しないといけない。ボロの肌着など気持ち悪くて着ていたくはない。いくら荒とはいえ、服を売る店くらいはやっているだろう。その前に、この街で金を稼がねばならないが。
シャツだけではさすがに肌寒いが、暖炉に火が入れば、部屋も温まるだろう。外へ出歩かずとも、猫のように部屋に引きこもっていればよいのだ。
しばらくすると、使用人らしき女性が、食事の用意ができたと、ハルの部屋へやってきた。本当のことを言えば、寝床さえもらえればそれで十分だったのだが。なにせ、たった一人とはいえ、食料の備蓄に関わる話だ。可能なら遠慮したいものだが、町長がどのような反応をするか。
部屋を出ると、ソニアが廊下で待っていてくれた。だが、まだ彼は怯えたような表情をこちらに向けている。これは本格的に嫌われてしまっただろうか。
一階の食堂らしき部屋には、質素だが色鮮やかな料理が並んでいた。量こそ少ないものの、その質はとても良いものだ。すでに食卓には、町長とその奥さんが席についていて、その他にも数人の使用人が同じ卓を囲んでいた。権力者にしては、温厚なのか。使用人が一緒に食事をとるのは珍しい光景だった。
「さぁさ、ハル殿。好きな席に座って。ソニアも、はやくこちらに来なさい。朝食にしよう。」
ソニアは、いつも自分が座っている、上座のすぐ右側へ駆けていった。ハルも町長から一番離れた角の席に腰掛ける。
「さぁ、みんな手を合わせて。」
町長は全員が座るのを見届けると、両手で合掌して見せた。
「白き神よ、この錆びれた季節の中で生きる我々をお守りください。願わくば、この恵みの先に新たなる恵みが生まれんことを。」
(・・・白き神?)
「いただきます。」
全員が、そう口を合わせて、しかし、静かに唱えた。ハルの知っている、いただきます、とは少々異なるが、これがこの辺りの地域信仰なのだろう。皆それなりに、祈りをささげた後、それぞれ食事に入っていった。ハルも、彼らに倣って、ハルなりの祈りを捧げることにした。こういうのは郷に従うのが務めだ。例えハルが何かの信仰をしていたとしても、他の神を敬えないのは、信仰そのものを否定することになる。
「いただきます。」
ハルは、誰にも聞こえないくらい小さな声で唱えた。
食事は見た目通り、質素な味わいだ。豆と塩漬け肉のスープ、色の薄い葉菜類を酢で味付けしたサラダ、主食は糒だった。どこか懐かしい味に、ハルは申し分なく満足していた。豪華な食事が最良とは限らない。これが普段のもてなしというわけではないのだろうが、食に関して無頓着なハルにはありがたいものだった。
先に食事を終えた使用人たちが、上がった皿をかたずけ始めるのと同時に、町長ら家族は団欒を始めだした。奥さんも、息子のソニアも敬語を使っているから、格式高い家なのだろう。人柄もよく、町長としても有能な人に見える。彼が見立て通り有能ならば、町もそれなりに潤っているはずだ。望むものが手に入るかもしれない。その為にも、彼から何か仕事をもらわなければならない。ハルは金なんて持ってはいないのだから。
彼らの団欒が盛り下がったところで、声を掛けようと思っていたのだが、それを遮るように耳障りな怒号がどこからか聞こえてきた。その声を聴いた途端、町長たちの表情は険しくなった。
「また来たか、化け物め。」
「何なんですか?」
「ただの食料泥棒ですよ。お前たちは、外へ出てはいかんぞ。私は、町の男たちに声をかけてくる。」
町長はそういうや否や、家を飛び出していった。どうやら、その食料泥棒が町に来るのは、今回が初めてではないらしい。残された奥さんは、使用人たちにてきぱき指示を与え、どこからか武器の様なものを持ってこさせた。武器といってもいわゆる農民の武器だ。中には、白い鈴鐘を持ってくる者もあった。それをどう使うのかは知らないが、おそらく宗教的なお守りの意味合いがあるのだろう。だた、今はそんなもの何の役にも立たないだろう。
あの鳴き声には、ハルは聞き覚えがあった。旅の途中も幾度も聞いたことがあるし、この世界に住むものなら、一度や二度、その声を聴いたことがあるだろう。
声は空から降ってきた。今は町の上空を飛びまわっているのだろうか。とにかく姿を見ないことには対処はできない。ハルは一人、町長の館をでた。思っていた通り、空に黒い影が飛んでいた。
「翼竜・・・。」
それは、人々にとっては凶兆の存在。訓練された兵士でさえも、その姿に恐れを成す。彼の者の咆哮はあらゆる生き物にとって死を意味する。だが、ハルは疑問に思っていた。町長が言っていた食料泥棒という言葉だ。翼竜が人間の食料を荒らしに来ることはまずありえない。彼らが、人を襲うことはあっても、食料を奪いに来るというのはいったいどういうことだろうか。
ハルは、何かおかしなことが起きていると感じながらも、今にも飛び降りてこようとしている翼竜に対して、ゆっくりと刀を抜き放った。
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